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芭蕉と素堂の蜜月時代

芭蕉と素堂の蜜月時代

貞享 二年(1865)
 素堂と芭蕉の綿密な関係は芭蕉が死去する前年の元禄六年まで続く。死去する七年は素堂も妻を亡くしたり、前年には林家に正式に入門するなど多忙を極めていた。素堂は自らの晩年まで芭蕉を想い事あるごとに墓所を訪れたり句を詠んだりしている。芭蕉が甲斐を訪れた前後は最も交流の深い時期に相当する。
筆註 春、素堂は水間沾徳の立机を援助する。
素堂
隣家の僧行脚の出て久しく帰らざりしころ
   みのむしやおもひし程の庇より
素堂
 四月末、芭蕉が甲子吟行より帰庵。素堂は帰庵を祝して句を贈る。 
 
帰庵を待ちて
   いつか花に羽織檜木笠みん
素堂
 
『とくとくの句合』
蕉桃青たひに有をおもふ
   いつか花に茶の羽織檜木笠みん
素堂
芭蕉甲斐山中
  甲斐山中に立ち寄りて
   行く駒の麥に慰む宿り哉
芭蕉
 甲斐山中
   山賤のおとがふ閉づる葎かな
芭蕉
「野晒紀行」道程
 『野晒紀行』の帰りに芭蕉は唐突に甲斐に訪れている。これを秋元藩国家老高山麋塒の所に再度寄寓したとの説もあるが、その道順や奇遇先は紀行には記されていない。多くある説は仮説である。
 芭蕉は貞享二年八月に江戸を出立して、伊勢に松葉屋風瀑や他を訪ねて、九月八日に故郷の伊賀上野に着、四五日逗留して亡母の墓前に手を合わせ、その後大和の国に行脚する。
 当麻寺−今須−山中−不破−美濃大垣−木因と伊勢に数日滞在−桑名−尾張国熱田−美濃路−伊賀に戻り越年−奈良−鳴滝秋風宅−伏見−大津−桑名−熱田−鳴海−熱田−四月、鳴海知足宅−四月中旬、甲斐山中−江戸帰庵
『野晒紀行畫巻』 濁子畫(幸田露伴『芭蕉真蹟集』より)
 千里に旅立て路粮をつゝます三更月下無何に入と云けむ
 むかしの人の杖にすがりて貞享甲子秋八月江上の破屋を いつる程風の聲そゝろに寒気也
野さらしを心に風のしむ身哉
  秋十とせ却て江戸を指故郷
    關こゆる日は雨降て山皆雲にかくれたり
  霧しくれ富士をみぬ日そ面白き
何某ちりと云けるは此たひのみちのたすけとなりて莫逆
の交ふかく朋友信有哉此人     
深川や芭蕉を富士に預行     ち り
 富士のほとりを行に三つ計なる捨子の哀けに泣有この川の早瀬にかけてうき世の波をしのくにたへす露計の命を待まと捨置けむ子萩かもとの秋の風こよひやちるらんあすやしほんれと袂より喰物なけてとをるに
  猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにそや汝ちゝに悪まれたる母歟にうとまれたるかちゝは汝を悪にあらし母は汝をうとむにあらし唯これ天にして汝か性のつたなきをなけ
大井川越る日は終日雨降けれは
  秋の日の雨江戸に指おらん大井川 ち り
  馬 上 吟
  道のへの木槿は馬にくはれけり
二十日餘の月かすかに見えて山の根際いとくらきに馬上に鞭をたれて数里いまた鶏鳴ならす社牧は早行の残夢小夜の中山に至りて忽驚く
  馬に寝て残夢月遠し茶のけふり
松葉屋風瀑か伊勢に有けるを尋音信乙十日計足をとゝむ腰間に寸鉄をおひす襟に一袋をかけて手に十八の珠を携ふ僧に似て塵有俗にゝて髪なし我僧にあらすといへとも髪なきものは浮屠の属にたくへて神前に入事をゆるさす暮て外宮に詣侍りけるに一の華表の陰ほのくらく御燈處くに見えてまた上もなき峯の松風身にしむ計ふかき心を起して
  みそかに月なし千とせの松の抱あらし
西行谷の麓に流ありをんなともの芋あらふを見るに
 芋洗ふ女西行ならハ哥よまむ
其日のかへさある茶店に立寄けるにてふと云けるをんな
あか名に発句せと云て白ききぬ出しけるに書付侍る
 蘭の香やてふの翅にたき物す
閑人の茅舎をとひて  
 蔦植て竹四五本のあらし哉
  長月の初古郷に帰りて北堂の萱草も霜枯果て今に跡たになし何 
事もむかしに替りてはらからの鬢白く眉皺寄て唯命有てとのみ云て言葉はなきにこのかみの守袋をほときて母の白髪おかめよ浦島の子か玉手箱汝かまゆもやゝ老たりとしはらくなきく
手にとらは消んなみたそあつき秋の霜
  大和の國に行脚して蔦下の郡竹の内と云處は彼ちりか舊里なれ 
は日ころとゝまりて足を休む
 わた弓や琵琶になくさむ竹のおく
           (読み下し文「尺」) 
二上山當麻寺に詣て庭上の松をみるに凡千とせもへたらるな
らむ大イサ牛をかくす共云へけむ
かれ非常といへとも佛縁にひかれて
斧斤の罪をまぬかれたるそ
          幸にしてたつとし
  僧朝顔幾死かへる法の松
獨よし野ゝおくにたとりけるにまことに山ふかく白雲峯に
  重り烟雨谷を埋ンて山賤の家
     
處々にちいさく西に木を伐音東にひゝき院々の鐘の聲は心の底にこたふむかしよりこの山に入て世に忘たる人のおほくは詩にのかれ歌にかくるいてや唐土の廬山といはむもまたむへならすやある坊に一夜をかりて
  碪打て我にきかせよ坊が妻
    西行上人の草の庵の跡は奥の院より右の方二町計わけ入ほと柴
 人のかよふ道のみわつか有てさかしき谷をへたてたるいとたふとし彼とくくの清水はむかしにかはらすとみえて今もとくくと雫落たり
  露とくく試みに浮世すゝかはや
          (読み下し文「心み」)
            若是扶桑に伯夷あらは必口をすゝかんもし是許由に告ハ耳を
  あらはむ山を昇り坂を下るに秋の日既斜になれは名ある所く
み残して先後醍醐帝の御廟を拝む
  御廟年を経て忍は何をしのふ草
 大和より山城を経て近江路に入て美濃に至るいます山中を過て いにしへ常盤の塚有伊勢の守武が云けるよし朝殿に似たる秋風 とはいつれの所か似たりけん 我も又
  義朝の心に似たり秋の風
不破   
  秋風や藪も畠も不破の関
大垣に泊りける夜は木因か家をあるしとす武蔵野を出る時野さらしを心におもひて旅立けれは
  しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮
桑名本當寺にて
冬牡丹千鳥よ雪のほとゝきす
草の枕に寝あきてまたほのくらきうちに濱かたに出て
  朝ほのやしら魚しろきこと一寸
 熱田に詣社頭大イニ破れ築地はたふれて草村にかくるかしこに縄をはりて小社の跡をしるし爰に石をすえて其神と名のるよもきしのふこゝろのまゝに生たるそ中くにめてたきよりも心とまりける
  しのふさへ枯て餅かふやとり哉
名護屋に入道の程風吟ス
  狂句木枯の身は竹齋に似たる哉
  草枕犬も時雨ゝかよるのこゑ
雪見にありきて
  市人よこの笠うらふ雪の傘
旅人をみる
  馬をさへなかむる雪の朝哉
海邊に日暮して
  海くれて鴨の聲ほのかに白し
ならに出る道のほと
  春なれや名もなき山の薄霞
二月堂に籠りて
  水とりや氷の僧の沓の音
京にのほりて三井秋風か鳴瀧の山家をとふ
梅林
  海白し昨日ふや鶴を盗れし
  樫の木の花にかまはぬ姿かな
伏見西厳寺任口上人に逢て
   我かきぬふしみの桃の雫せよ
大津に至る道山路をこえて
   山路来て何やらゆかしすみれ草
湖水の願望
   辛崎の松は花より朧にて
水口にて二十年を経て故人に逢ふ
   命二つの中に生たる桜哉
 伊豆の國蛭か小島の桑門これも去年の秋より行脚しけるに我か名を聞て草の枕の道つれにもと尾張の國まで跡をしたひ来りけれは
  いさともに穂麥喰はん草枕
此僧予に告ていはく圓覚寺の大顛和尚今年睦月の初迂化し玉ふよしまことや夢の心地せらるゝに先道より其角が許へ申遺しける
  梅こひて卯花拝むなみた哉
杜國におくる
  白けしにはねもく蝶の形見かな
二たひ桐葉子のもとに有て今や東に下らんとするに  
  牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉
甲斐の山中に立寄て
  行駒の麥に慰むやとりかな
卯月の末庵に帰りて旅のつかれをはらすほとに
   夏衣いまた虱をとりつくさす
  
 『素堂跋文』    山 素 堂
 こかねは人の求めなれと求むるは心静ならす色は人のこのむ物からこのめは身をあやまつたゝ心の友とかたりなくさむよりたのし木はなしこゝに隠士あり
其名を芭蕉といふはせをはをのれをしるの友にして 十暑市中に風月とかたり三霜江上の幽居を訪ふいに し秋のころふるさとのふるきをたつねんとて草庵を 出したしきかきりはこれを送り獨葎をといふ人もあ りけり
  何となく芝ふく風も哀なり 杉 風
 他はもらしつ此句秋なるや冬なるや作者もしらす唯おもふ事のふかきならん予も又朝かほのあした夕霧のゆうへまたすしもあらす霜結ひ雪とくれて年もうつりぬいつか花に茶の羽織見ん閑人の市なさん物を
 林間の小車久してまたすと温公の心をおもひ出しや
  五月待ころに帰りぬかへれは先吟行のふくろをたゝくたゝけは一つのたまものを得たりそも野さらしの風は一歩百里のおもひたをいたくや富士川の捨子は其親にあらずして天をなくやなく子は獨りなるを往来いくはく人の仁の端をみる猿を閑人に一等のかなしみをくはえて今猶三聲のなみたゝりぬ次にさよの中山の夢は千歳の松枝だとゝまれる哉西行の命こゝにあらん猶ふるさとのあはれは其身にせまりて他にいはゝあさからん誠や伯牙のこゝろさし流水にあれは其由流るがことしと我に鐘期か耳なしといへとも猶の心とくくの水をうつせは句もまたとくくとしたゝる翁のきぬたにあれはうたぬ砧のひゝきを傳を昔白氏をなかせしは茶賣か妻のしらへならすや坊か妻の砧はいかに打てなくさめしそやそれは江のほとりなれはふもとの坊池をかゆともまたしからん美濃や尾張のやいせのや狂句木枯の竹齋よく皷うつて人の心を舞しむ其吟を聞て其さかひに座するに同し詞皆蘭とかうはしく山吹と清ししかなる趣は秋しへの花に似たり其牡丹ならさるは隠士の句なれは也風の芭蕉我荷葉ともにやふれに近ししはらくもとゝまるものゝ形見草にもよしなし草にもならはなりぬへきのみにして書ぬ
 此一巻は必記行の式にあらす
   たゝ山橋野店の風景
   一念一道をしるすのみ爰に
   中川氏濁子丹青をして
   其形容を補しむ
   他見可恥ものなり
芭蕉散翁書
 たひねして我句をしれや秋の風
   東京 大橋新太郎氏蔵
筆註
素堂の『甲子吟行』の素堂序には「波静本」のものがある。これは畫巻を写しているが、一部異なるカ所もある。また幸田露伴閲の『芭蕉真蹟集』読み下し文には原文と違う筆写もある。

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