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素堂消息 貞享1年 甲子 1684 43才
俳壇
江戸の於ては
二月、其角が京都に向けて出立。京都にて伏見の任口を訪ね、湖春等と表六句を巻き、仁和寺に赴く。
四月、季吟は新玉津島移住後の月次を息湖春に任せる。其角はさらに京都で千春・信徳・只丸・との五吟歌仙五巻、八吟歌仙を興行する。其角は夏秋頃去来と対面する。
八月中旬、芭蕉は千里を伴い「野ざらし紀行」の旅に出る。
冬には岸本調和が甲州市川のと調實を訪ね、両吟歌仙を興行。
京都に於ては、漢詩文調が流行する。大阪では小西来山が三月、有馬に鬼貫を訪ね、百韻を満尾する。
西鶴は『古今俳諧女歌仙』を鬼貫は『有馬日書』を刊行し、
三千風は大阪にて、西鶴・来山等と百韻興行を行ない、その後長崎に向かう。
素堂……『孤松』発句二入集。尚白編。
雨の蛙こは高になるもあはれ也
寒くとも三日月見よと落葉哉
尚白……慶安三年(1650)生、享保七年(1722)没。年七十三才。
本名、江左大吉。
近江国大津柴屋町住。医師。芭蕉が「野晒し紀行」の途次、大津に立ち寄った際に入門。『猿蓑』期の芭蕉の新風を理解できす、編著『忘梅』の千那序文をめぐって芭蕉との間に確執を生じ、以後疎遠となる。
道ばたに多賀の鳥井の寒さ哉
著作−『孤松』『夏衣』『忘梅』追善集『夕顔の顔』
芭蕉、故郷に帰る
……十月二十五日、江戸を出立。帰郷の途に就く。
千里に旅立て路粮をつつまず、三更月下無何に入と云ひけむ昔の人の杖にす
がりて、貞享甲子秋八月、江上の破屋を出づるほど、風の声そぞろ寒げなり。
野ざらしを心に風のしむ身哉
秋十とせ却つて江戸を指す故郷
關越る日は雨降て山皆雪に隠れたり。
霧時雨不二を見ぬ日ぞ面白き
何某千里と云けるは、此たび道の助けと成て、萬いたはり心をつくし侍る。
常に莫逆の交り深く、朋友に信有哉此人。
深川や芭蕉を富士にあづけゆく 千里
富士川の邊を行に三ばかりなる捨子のあはれげに泣く有。此川の早瀬にかけ
て浮世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間捨置きけん。小萩がもと
の秋の風、今宵やちるらん明日やしをれんと袂より喰物なげて通るに。
猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや汝ちゝに憎まれたる歟母にうとまれたる歟。ちゝは汝を悪にあら
じ。母は汝をうとむにあらじ、只是天にして汝が性のつなき泣け。
大井川越る日は終日雨降ければ
秋の日の雨江戸に指をらん大井川
「無何に入」
…貞享四年の第二回目の行脚の時、山口素堂の送行詩に「胸次素無何有郷」と言ってあるのも、第一回目行脚の「無何に入」を再び繰り返し言ったのである。(『芭蕉全傳』山崎藤吉氏著 昭和十七年刊)
旅程
…東海道を経て、伊勢に出で伊賀に帰り、吉野に遊び、美濃、尾張を経て再び伊賀に帰り越年、更に京都、奈良、大津、熱田を経て木曾路により帰途甲斐に寄る。江戸には貞享二年四月に戻る。
素堂
…我友はせを老人、故郷の故きをたずねみつゐでに、行脚の心つきて、其の秋江上の庵を出で、またの年(貞享二年)のさ月ころ帰りぬ。
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山口素堂 『花見車』轍士編(俳藷人を遊女に見立て品評したもの)素堂61才 元禄十五年(1702)
『花見車』轍士編(俳藷人を遊女に見立て品評したもの)
素堂
武州お松
はちす葉のにごりはそまじながれの身とはなり給はず、わかき時より髪をおろして、深川の清き流れに心の月をすませり。
御手洗の中葉ながるるとし忘れ
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山口素堂 第二次『宗長庵記』素堂60才 元禄十四年(1701)
第二次『宗長庵記』
仲秋十二、島田の騨にいたる。日はまだ高けれ ど名にしほふ大井川の水にさへられ、はからざるに此所に旅牒す。つたへ聞、宗長居士は此郷より出て名をふるふ。五条義助といへる鍛士の祖族たりとぞ。母なん藤原氏なりけり。偶如舟老人かへらぬ昔を慕ひて一草庵をしつらふ。名づけて長休と號し、故墳となして往来の騒客をとどむ。しかはあれど、牽強するにはあらず。其風姿をしのびよれるものは、親のこときし子の如くす。
ふらばふれ牛は牛づれ秋のくれ
舟翁、何がしの両三子にかの記を乞求めて一軸とし、愛敬してしばらくも身をはなたず。予ひそかにあるじをたばかりて見るに、流石にほろき難波江のよしともあしともいふべき事ならぬ。只祇長の風がに徳ある事を感じて涙を落すのみ。
そよ更にむかしえをうゑて忍ぶ草
朝霧や嚥朝寝にて柴の庵
そよ更にむかしえを植て忍ぶ草 素堂
石蕗に色つく庵の巻筆 如舟
来年と捨ておく月の晴でて 乙州
ささいからお宿申や燕子花 如舟
衣更せす夜着も借るまし 素堂
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山口素堂 『利休茶道具図絵』素堂60才 元禄十四年(1701)
『利休茶道具図絵』
茶人山田宗偏は素堂とも深い関係がある。素堂は今日庵三世を名乗ったとされる。「予の喫茶の友…」で始まる序文は未見である。宗偏には他に『茶道便蒙抄』・『茶道要録』がある。素堂にも『茶入號朝日』・『鳳茗記』がある。(後述)
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