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素堂消息、〔俳諧余話〕芭蕉の事
『一話一言』巻の十三−大田南畝著。芭蕉翁の事
芭蕉庵桃青、幼名は松尾金作、後甚七郎と改、藤堂和泉守家来也。目白臺下上水堀割の時、甚七郎其事をつかさどりしとぞ、其後日光御普請の事をつかさどりし時、何やらんあやまちありて
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素堂消息、元禄6年(1693)52才〔俳諧余話〕……素堂周辺の人々の住居…『武功年表』・他書より。
人見竹洞− 筋違橋内
宝井其角− 伊勢町
吉川是足− 京橋
服部嵐雪− 石町一丁目
松尾芭蕉− 本所
河合曾良− 五間堀
高野幽山− 本町一丁目
原 安適− 深川
椎本才麿− 石町四丁目
内藤露沾− 溜池
岸本調和− 通一丁目
水間沾徳− 五郎兵衛
岡村不卜− 伊勢町
山田宗偏− 本所一丁目
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素堂消息、元禄6年(1693)52才 清水宗川の八十の賀を祝して和歌を詠じる。(『俳文学大辞典』)
宗川
慶長十九年(1614)生、〜元禄十年(1697)歿。年八十三才。
京都に生まれ、後年光圀の万葉校正の事業に加わり、彰考館修撰となった。
儒者であるが、哥を飛鳥井雅章に学んだ。
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素堂消息、元禄6年(1693)52才川上と川下や月の友 芭蕉
〔素堂余話〕
芭蕉の次の句は素堂と親交を示すものとして諸書に紹介されている。
深川の末、五本松に舟を浮かべ月を賞で
川上と川下や月の友 芭蕉
『七部通旨』に「五本松は東都深川小名木川通り、大島にあり、九鬼家の邸中より道路を越へて水面を覆ふ古松をいふ。昔しは五株ありと云。今は其一株を存す」とある。『蓼太句集』にも
深川舟逍遥
十人の月見の友よ松ひとり
とある。芭蕉の畏友素堂が、川上に當たる葛飾に居を占めてゐたことから、この句は専ら素堂を対象としたものとして解されてゐるが、云々。(芭蕉七部集『俳句鑑賞』川島つゆ著)
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素堂消息、元禄6年(1693)52才 『葛の松原』俳論書。発句一入集。
〔素堂余話〕
元禄五年(前年)五月十五日奥 『葛の松原』俳論書。発句一入集。
此わすれながるゝ年の淀ならむ (素堂)
名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)
必とする事なきは、素堂亭の年忘れにして、固とせざるは芭蕉庵の月見なるべし。云々
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