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素堂消息、元禄6年(1693)52才 五月、『桃の實』発句一入集。兀峰編。
富花月
艸庵に桃櫻あり、門人にキ角・嵐雪有
両の手に桃とさくらや草の庵 芭蕉翁
菓子盆に芥子人形や桃の花 其角
桃の日や蟹は美人に笑るゝ 嵐雪
かゝる翁の句にあへるは、人々のほまれならずや、おもふ
に素人の句は、青からんものをと人はいふらん。思ふらん。
しろしとも青しともいへひしの餅 兀峯 (ひし=菱)
躑躅咲うしろや闇き石燈籠 桃隣
冷酒にのみつく比かもゝの花 曲水
綿の花たまく蘭に似たる哉
例の素堂の感情、蘭よくとの風雅にこそ
『桃の實』
備前国岡山藩士兀峯が江戸勤番の暇に編んだ集。
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江戸素堂の家について
竹洞、六月十日、人見竹洞等が二三の友と素堂亭を訪れる。 素堂の家(『人見竹洞全集』所収。国立国会図書館蔵)
素堂の家
癸酉季夏初十日与二三君乗舟泛浅草入。
川東之小港訪素堂之隠窟竹径門深荷花池凉。
松風續圃爪茄満畔最長広外之趣也。(『俳句』朝倉治彦氏紹介。)
素堂……深川に屋敷地購入(郡代伊那半十郎跡地 )素堂の家(素堂の抱屋敷)
元禄九年(1696)
地子屋舗帳の九冊目、深川の条、四百三十三坪 山口素堂四年以前酉年求置。
元禄十五年(1702)
本所深川抱屋舗寄帳。地子屋舗帳之内、
四百三十三坪と有之(訂正)四百二十九坪。
深川六間掘続、伊那半左衛門御代官所、町人素堂所持仕候地面四百二十九坪の 抱屋敷、元来所起立より町 屋地面に而、町並家作仕、尤家作何方へも無断仕来候得共、先年武士方所持之節、町並家作中絶仕、御改之節、抱屋敷御帳に相載り、其以後素堂乞請所持仕候得共、町並家作不相成、迷惑仕候、右六間掘 町一同之地面之儀に御座候間、先規之通り抱屋敷御帳御直し、家作御免之町屋並に仕度旨、所之名主一同連判之一札を以、願出候に付、半左衛門方承合候処願之通、無粉、今以町並御年貢諸役相勤来候旨、委細書状を以、申越候、依之場所遂見分、宝永元甲申七月申上処、願之通、為仕候様にと、被仰渡候、則半左衛門方にも相達之、願主名主召寄、申渡之候間、帳消之御張紙差上候。
(『俳句』朝倉治彦氏紹介。)
《註》
この素堂の家のことは、ほとんど知られていない。紹介した朝倉氏も指摘している通り、素堂の名は「素堂」である。俳号と本名が一致している。これは『甲斐国志』の云う、本名「官兵衛」・「市右衛門」の名は同書以外見えない。
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素堂消息、元禄6年(1693)52才 内藤露沾亭で「六吟歌仙」
素堂・芭蕉・露沾・沾荷・沾圃・虚谷。
五月晦日会
その富士や五月晦日二里の旅 素堂
茄子小角豆も己が色知る 露沾
鷹の子や雲雀に爪のかたまりて 芭蕉
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素堂消息、元禄6年(1693)52才 芭蕉、五月四日付、許六宛書簡(抜粋)
一、繪色紙素堂へいまだ今ニ得遺し不レ申候間、明日一所ニ可進之候。
はさミ箱へ御入れ可被成候。桃隣方は遣はされ候は拙者先日参り其角方へ人やらせ吟味させ申し候へ共、
其角留守にてしえ申さず候。明日参り候様に申し遣はすべく候。
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素堂消息、元禄6年(1693)53才 西鶴と素堂
西鶴没…寛永十九年(1642)生、〜元禄六年(1693)没。
西鶴と素堂の接触は延宝九年(1681)に興行された『西鶴大矢数』に参加したことでもわかる。ただしこの句集には「来雪」・「信章」の名が見える。また脇座には山口清勝の名も見える。(清勝については不詳)
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