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素堂消息 天和2年(1682)41才 芭蕉庵再興勧進簿
素堂 九月、昨冬焼失した「芭蕉庵再興勧進簿」を草す。
芭蕉庵裂て芭蕉庵を求む。力を二三生たのまんや。めぐみを数十生に侍んや。広く求めるはかへつて其おもひやすからんと也。甲をこのます、乙を耻ル事なかれ。各志の有所に任スとしかいふ。これを清貧とせんや。はた狂貧とせんや。翁みつからいふ。たゞ貧也と。貧のまたひん許子之貧、それすら一瓢一軒のもとめ有。雨をさゝへ、風をふせく備へなくば、鳥にだも及はず。誰かしのびざるの心なからむ。是草堂建立のより出る所也。天和三年秋九月 潜汲願主之旨賤筆於敗荷之下) 山素堂
一、五匁 柳興
一、三匁 四郎次
一、拾五匁 楓興
一、四匁 長吁
一、四匁 勝延イセ
一、四匁 茂右エ門
一、三匁 傳四郎
一、四匁 以貞
一、壹匁 小兵衛
一、五分 七之助
一、貳匁 愚心
一、五分 彌三郎
一、五匁 ゆき
一、五匁 五兵衛
一、三匁 九兵衛
一、四匁 六兵衛
一、三匁 八兵衛
一、五分 伊兵衛
一、貳匁 不嵐
一、一匁 秋歩(少)
一、貳匁 不外
一、壹匁 泉與
一、貳匁 不卜
一、壹匁 舛直
一、五匁 洗口
一、五分 中樂
一、貳朱 枳風
一、一匁 勇招
一、五匁 半右エ門
一、銀一両 文麟
一、五匁 擧白
一、五分 三郎兵衛
一、壹匁五分 藤四郎
一、五分 市郎兵衛
一、三匁 調鶴(鶴)
一、五分 暮角(雨)
次叙不等
一、貳朱 嵐雪
一、銀一両 嵐調
一、一銭め 雪叢
一、三匁 源之進
一、一銭め 重延
一、葦簀一把 嵐虎
一、一銭め 正安
一、五分 疑門
一、一銭め 幽軒
一、五分 むら(武良)
一、貳匁 嵐柯
一、壹匁 親信
一、□□ 嵐竹
一、五匁 □□
一、破扇 嵐蘭
一、大瓢 北鯤之
一、竹 山店之
《註》…勧化文は三種ある。
一、草稿 子光編、『素堂句集』所収。
一、夏見成美編、『髄斎諧話』所収。
一、山口黒露編、『摩訶十五夜』所収。
この文は素堂の友松倉嵐蘭の弟嵐竹の孫の九皐(キュウコウ)が、持ち伝えた書を写したものである。
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2011年12月14日
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素堂消息『鬼貫句選』跋。明和六年(1769)作。
五子の風韻をしらざるものには、ともに俳諧をかたらず、五子といふものは、其角・嵐雪・素堂・去来・鬼つら也。其角・嵐雪おのおの其集あり。
素堂はもとより句少なく、去来おのづから句多きも、諸家にの選にもるゝこと侍らず、ひとり鬼貫は大家にして、世に傳る句まれ也。云々 于時明和己丑春正月 三菓軒蕪村書
取句法
其角之豪壮、嵐雪之高華、 去来之眞卒、素堂之洒落、各可法、麥林支考雖 句格賤陋 ナリト 各々為ス一家 亦有可取者 。
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素堂消息 『新雑談集』上 蝶夢編。天明五年(1785)刊。
浮葉巻葉此蓮風情過たらむ 素堂
乾鮭や琴の斧うつ響有 蕪村
蕉翁曰、素堂が句、蓮と音によまされば、一句の手柄なきに似たりと、暫く是を考えるに、蕪翁の琴に斧うつといへるも趣相におなじ。さるを片田舎より文の端に琴の字音引せられしは、音訓差別ありての事にやなど、なじり聞え侍りしは、句を聞ことの疎きのみかは、不幸にして古人の句をも多く見さりし人にや。いとおほつかなし。
『蕪村発句集』
倣素堂
乾鮭や琴の斧うつひゞきあり
『井華集』几董編。天明七年刊。
倣素堂口質
雁がねも春の夕暮となりけり
風呂の戸をあけて鴈見る名残哉
『蕪村文集』(『春泥発句集』)安永六年(1769)刊。
−蕪村と召波(春泥舎)との質疑。
蕪村− (前略)しかれども常に其友を撰て、其人に交るにあらざ
れば、其郷に至ることかたし。
召波− 其友とするものは誰や
蕪村− 其角を尋ね、嵐雪を訪ひ、素堂を倡ひ、鬼貫に伴ふ.日々
四老に會して、はつかに市城名刺を域を離れ、林園に遊び
山水にうたげし、酒を酌みて談笑し、句を得る事専ラ不用
意を尊ぶ。云々
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素堂消息 与謝蕪村の素堂像
〔素堂余話〕
参考……『蕪村連句選集』(『紫狐庵聯句集』) 安永四年(1775)刊。
其の二
浮葉巻葉此蓮風情過たらん 素堂
月を残して暁の雨 蕪村
渡り鳥ゆかしや里を筋違に 卅魚
圓坐も秋の黄ばみそめたり 仝
能句ありあられ聯句の席も哉 村
(以下略)
解説……なほ脇起しの一巻は二十四句で了って歌仙の約束に叶はない事も言ひ添えて置かう。京都寺村助右衛門氏蔵。
(『日本俳書大系』「蕪村一代集」蕪村連句選集。神田豊穂氏著)
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素堂消息『俳文学の系譜』
……山本唯一氏著。「様式の系譜」
花芙蓉美女湯あがりて立りけり 素堂
蓮の花の咲いている艶麗なさまに、美女の湯上がりの立姿を感じ取ってつくられた句であり、情緒の類似というのが発想の主契機となっている句なのである。さらにいえば、眼前にあるものはただ蓮の花だけであり、美女の湯あがりの立姿は、作者がそれに与えた一種の想像上の像であったのである。
鳥うたふ風蓮露を礫けり 素堂
おのれつぼみ己畫きてはちすらん 々
「礫けり」は「つぶてけり」とよむのであろう。そしてそれはつぶてという体言を動詞化したので、例えばまつりごとがまつりごつとなるのと同様であると考えられはする。しかし他に類例をみないので、異例としなければならない。もっとも「とばしけり」と読むとすれば別である。次の「はちすらん」に至っては、全く国語の語法を無視したものといわなければなるまい。たとい詩歌ででもこのようなものは許されるべきではないであろう。
(略)換言すればその定型を破った佶倔の表現は、そのまま彼らの内面の感動のリズムをそのまま句としていたのであった。彼らの句の直接胸にせまってくるもののあるのは、そのためであろう。
或ハ唐茶ニ翠 蓮の梶
(略)すべてのものを見る目、ものを感ずる心が中国的になっている。云々
荷ヲうって霞 君みずや村雨
(略)その結果、表現は漢詩的になり漢語を多く用いるようになっていた。
浮葉巻葉此蓮風情過たらん
鳥うたふ風蓮露を礫けり
そよがさす蓮雨に魚の児躍
これは素堂の「荷興十唱」の初めの三句である。三句は『三体詩』に収められている韓 の「野塘」と題する。「侵レ暁乗レ涼偶独来、不レ因魚躍見 萍開 、捲荷忽被 微風触 、潟瀉下清香露一盃」の詩と関係がなくはないだろうか。「魚躍」「捲荷」「微風」などという語が目につく。素堂は『続虚栗』の序において「野渡無人舟自横」という韋応物の詩句をひいているが、これも『三体詩』に収められているのである。
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