誤伝素堂資料

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芭蕉消息◇寛文十二年(一六七二)
【芭蕉】寛文十二年(一六七二)二十九歳
(『新訂 おくのほそ道』頴原退蔵氏・尾形仂氏共著 角川文庫)
〇一月二十五日、伊賀上野天満宮に自判の三十番発句合『貝おほひ』を奉納、発句二人集、自序に「伊賀上野松尾氏宗房、釣月軒にしてみづから序す」と署名する。天満宮奉納は、俳諧師として立つ決意を披露したものであろう。
○曰人写『全伝』竹人『全伝』等に、この年官を辞して東下すというも、入集句の肩書や季吟よりの『埋木』相伝の事実、改号の時期より見て、なお決しがたい。
○重頼編『時世粧 いまようすがた』に伊賀宗房として、梅盛撰『山下水』に伊賀住宗房として、各発句一入集。
▽藤堂新七郎家の嫡子良重役、二十四。蝉吟の男良長(俳号、探丸)後嗣となる。
▽河村瑞軒による日本一周航路完成。
▼石川丈山没、九十歳。
芭蕉消息◇寛文十一年(一六七一)
【芭蕉】寛文十一年(一六七一)二十八歳
(『新訂 おくのほそ道』頴原退蔵氏・尾形仂氏共著 角川文庫)
〇友次撰『薮香物』に伊賀上野宗房として発句一入集。
▽三都間金飛脚制度成立。
芭蕉消息◇寛文十年(一六七〇)
【芭蕉】寛文十年(一六七〇 二十七歳
(『新訂 おくのほそ道』頴原退蔵氏・尾形仂氏共著 角川文庫)
○正辰撰『大和順礼』に伊賀上野住宗房として発句二入集。
▽大阪十人両替制成立。
▽河村瑞軒、東回り航路開発。
芭蕉消息◇寛文九年(一六六九)
【芭蕉】寛文九年(一六六九)二十六歳
(『新訂 おくのほそ道』頴原退蔵氏・尾形仂氏共著 角川文庫)
○安静撰『如意宝珠』に発句六入集、句引伊賀の部に松尾宗房と見える。
▼野々口立圃没、七十五。
芭蕉消息◇ 寛文六年(一六六六)
【芭蕉】寛文六年(一六六六)二十三歳
(『新訂 おくのほそ道』頴原退蔵氏・尾形仂氏共著 角川文庫)
〇四月十五日、主君蝉吟没、二十五。弟良重家柄となり、蝉吟の未亡人小鍋を室とする(藤堂新七郎家系譜)。
〇六月中旬、高野山に蝉吟の遺髪を納める使者を勤め、小田原谷報恩院過去帳に「遺髪供奉 松尾忠右衛門殿」の名をとどめて同月下旬下山、遁世の志をいだいて致仕を乞うも許されず、七月、主家を出奔したと伝え(冬季『蕉翁略伝』蝶夢『絵詞伝』竹二房『正伝」等)、主家退転後、京都東山山麓に住し、季吟三条の某喜田家・南禅寺都鰯某和尚に、歌学・医術・神道・仏法を学んだと伝えるも(去留『全集』等)、諸種の徴証より見て信じがたい。
○風虎『夜の錦』に発句一入集。
▽『遠近集』に西鶴の発句初出。

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