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古代ローマ帝国の滅亡

イメージ 1 ローマ帝国の領土の拡大 (wikipediaより)
紀元前133年(赤)→ 紀元前44年(オレンジ)→ 14年(黄)→ 117年(緑)

古代ローマ帝国はトラヤヌス帝(在位:98年-117年)の時に領土が最大でしたが、
その後周辺民族の攻撃を受け、段階的に衰退していきます。
古代ローマ帝国が終焉したのは西ローマ帝国が滅亡した476年。これが中世の始まりです。
(ローマ帝国自体は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)として1453年まで続きます)

帝国滅亡の原因は?

古代ローマ帝国滅亡の原因としては様々な説が挙げられていますが、
複合的なものが絡んでいて単純には説明できません。
ただ、帝国を疲弊させた一因として有力なのは...
(1)ゲルマン民族の侵入の頻繁化と(2)作物の不作と言われています。
この二つの現象は一つの原因で説明できます。寒冷化です。
気温が下がれば凶作となり、北方の騎馬民族は南の暖かい気候を求めて南下するからです。

フン族の西進 → ゲルマン民族の大移動

高校の時に習ったのはこんな感じだったと思います。
北ヨーロッパのバルト海沿岸地方に住んでいたゲルマン民族は次第に南へ移動。
375年に西ゴート族がローマ帝国に侵入、378年にはアドリアノープルの戦いでローマ帝国に勝ち、
帝国内での定住と自治が認められ、これを機に他のゲルマン民族も続々と移動を開始。
後にローマ帝国が東西分裂する原因の一つとなる。
では、ゲルマン民族はなぜ大移動したでしょう?
人口増加による食料不足、耕地不足なども原因ですが、直接の引き金になったのは
中央アジア方面からの「遊牧騎馬民族フン族の西進」による圧迫です。

では、なぜ4世紀にフン族がヨーロッパへ侵入したのでしょう? 
寒冷化が原因という説があります。気候が寒冷・乾燥化すれば草原は砂漠化します。
遊牧民は家畜を養うための新しい草原を求めて、より温暖湿潤な地域へ移動しなければなりません。
中央アジアの南は砂漠、北は寒帯なので、西の湿潤亜寒帯へ進むしかなかったでしょう。
(東には匈奴という別の騎馬民族がいた)

4世紀頃の寒冷化と民族移動の世界同時性

イメージ 2 AD 200〜現在
このグラフで3世紀から5世紀頃にかけて寒冷化していることが読み取れます。(青矢印)
この時代に北方騎馬民族が南下するという現象がユーラシア大陸全土で見られるのです。

この時期に中国華北地方に北方遊牧民族 (匈奴) が移住を開始しています。
そして華北は「五胡十六国時代」と呼ばれる、北方遊牧民族による割拠状態となります。

この時期の寒冷期を日本では「古墳寒冷期」と呼んでいます。
古墳時代に北方騎馬民族が日本に渡来したという説があります。

古代ローマ帝国の盛衰と気候変動

古代ローマ帝国は温暖化によって膨張し、寒冷化により収縮したと見ることができます。
イメージ 3
これは古代ギリシャの黎明期から中世初期にいたるまでのヨーロッパの気候の変遷です。

(左上)古代ギリシャ〜古代ローマ初期の頃のヨーロッパの寒冷気候。
    地中海性気候の北限を示すライン(Mediterranean)が現代よりも南にあります。
(右上)ローマが繁栄していた頃のヨーロッパの温暖気候。
    地中海性気候のラインが現代よりも北にあります。
    ローマ人たちは地中海性気候の北上に合わせるかのように北方へと膨張していきました。
(左下)ゲルマン民族が南下して建国した頃のヨーロッパの寒冷気候。
    地中海性気候のラインの南下に合わせてゲルマン民族が南下したかのようである。

まとめ

● 古代ローマ帝国は古代温暖期に膨張し、3世紀以降の寒冷化により収縮した。
● 3〜5世紀頃の寒冷期にユーラシア大陸全土で北方騎馬民族が南下した。
● それがゲルマン民族の侵入を引き起こし、古代ローマ帝国は476年に滅亡した。
# 最近の歴史教科書は「寒冷化による民族移動」を記述するようになったのだろうか?

参考サイト:詳しくはこちらをどうぞ
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/roman_empire.html

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寒冷化で、民族が移動する。これは大変わかり易いですね。人類の歴史は、気候変化と密接な関係にあるんですね。さて、温暖化になると人々は北に向かって移住を始めるのかな?

2008/1/23(水) 午前 0:35 てつ 返信する

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寒冷期にある3〜5世紀に、遊牧騎馬民族であるフン族が南進したのは当然のことですね。
ただ、フン族は現ハンガリーで栄えたと言われているはずですが、現ハンガリーの緯度で考えた場合、寒冷期にあった当時、遊牧が可能だったのでしょうかね・・・?

2008/1/23(水) 午前 1:19 [ @海豚 ] 返信する

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0.2℃程度の変化でこのような大きな民族移動がおきうるということは,大変興味深いですね.気候帯の変化に伴う植生の変化,さらには人口分布の変化には,何らかの非線形性があるのかと感じました.またこの現代は国境が確定されて人の自由な移動が制限されていますので,本来なら気候帯変化によって移動すべき人々が移動できないという,かなり歪みのたまった状況が生じているのかな..などとも思いました.化石燃料消費によってある程度は気候帯の生活への影響を少なくできるのでしょうけど.....やはり地理と歴史は大切ですね〜^^

2008/1/23(水) 午前 3:00 ayammt 返信する

てつさん。教科書には書いてありませんでしたが、寒冷化→民族移動はセオリーといってもよいと思います。温暖化で移動した例は、奈良〜平安時代の東北地方への開墾や、バイキングによるグリーンランド入植でしょうね。現代の温暖化ではどうなんでしょうね?

2008/1/23(水) 午後 10:25 edy 返信する

@海豚さん。「フン族はハンガリーのパンノニア平原に定着した」とは言われていますが、当時の植生はどうだったんでしょうね。多少寒冷でも草原だったのではないかと想像します。

「ハンガリー」って「フン族の土地」という意味だという説があるようですね。

2008/1/24(木) 午前 0:30 edy 返信する

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ayammtさん。数世紀で0.2℃の降下でこの影響ですから、最近100年の0.5℃の温度上昇はやはり大きいんですね...。

気候変動自体が非線形ですから、気候変動に伴う植生の変化や人間の移動はもっと複雑で、国境という境界条件が入ればさらに複雑(シミュレーションが難しい)なんでしょうね。

確かに化石燃料を消費する現代は、気候変動による民族移動の必要がない時代かもしれません。

地理&歴史を科学で解くと面白いです^^

2008/1/24(木) 午前 0:56 edy 返信する

そっか、寒冷化は砂漠化も進ませるのですね。だから遊牧民たちがいっせいに草原を求めて移動をしていったのですね。世界史を習った時、匈奴→フン族はすごい距離の移動だなぁと感心したことを思い出しました。
それから寒い地方の人は南に行きたがる・・・ロシアの南下政策みたいですね。

2008/1/24(木) 午前 9:06 飛鳥 返信する

あすかさん。そうですね。大まかに言えば、寒くなれば氷床の量が増え、海洋からの蒸発も抑えられるので乾燥するわけですよね。

19世紀のロシアの南下政策は「ダルトン極小期(1790〜1830年)」という太陽不活発期あたりに相当しますかね。(2番目の図の右端の↑)めちゃくちゃ寒かったんでしょう。

2008/1/24(木) 午前 10:32 edy 返信する

とっても勉強になりました。フン族なんてすっかり忘れてました。こんな私ですが宜しく面倒見てください。これからチョクチョク、コメントに来ますが、トンチンカンだなんて笑わないでくださいね。byミカコ♡

2008/1/24(木) 午後 2:14 lycaonkira 返信する

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ミカコさん、こんにちは。コメントはどうぞ遠慮なくお気軽に。
ついでにランキングサイトへのクリックもしていただけるとありがたいです。

2008/1/24(木) 午後 10:46 edy 返信する

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