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今回はEF58シリーズの5回目です。
高校に無事合格したので、1978.3.22〜3.24に2回目http://blogs.yahoo.co.jp/ef58believer/782623.htmlで記した友人を訪ね上京しました。
父の一眼レフを借用し、今回は上野駅で撮影しました。
まだ東北・上越新幹線が開業していなかった時代です。当時の上野駅は東北、常磐、高崎、上越、信越各方面等への列車がひっきりなしに発着し、終日賑わっていた駅でした。
まずは1枚目です。
1978.3.22 10:10頃 404レ 急行「津軽2号」 EF58 141(宇) 上野にて
青森発奥羽本線経由上野行の急行列車です。
東京に就職した津軽の人は、昔はこの列車の4人向かい合わせ座席の普通車に乗って故郷を後にしました。いつの日か出世して、寝台車で帰省し故郷に錦を飾ることを夢見たとのことです。このことから「出世列車」と呼ばれ、津軽の人に長らく親しまれた由緒ある列車です。
この141号機はEF57置き換え用として1976.10.10付で宮原区から宇都宮区に貸し出され、1日早く宮原区から貸し出されていた144号機と共に1977.4.1付で正式に転属しました。
1978.2.14〜2.23に大宮工場に要検入場した際、
・前面窓の黒Hゴム化
・ワイパーを機関士席側:WP50、機関助士席側:WP35にそれぞれ取り替え
・前面窓水切りの上昇
がそれぞれ施工されたので、宮原区時代の面影は全くなくなっていました。
廃車は結構遅く、1986.6.30付だったにもかかわらず、同機とはこれが最初で最後の出会いだったような気がします。
次いで2枚目です。
1978.3.22 10:40頃 123レ EF58 119(宇) 上野にて
上野発一ノ関行の普通客車列車です。当時わが国の長距離鈍行のベスト5にランクされていました。
この119号機はEF57置き換えのため1976.10.8付で広島区から宇都宮区に転属したカマです。東北・常磐等の旧型客車は電気暖房仕様になっていたので、1977.1.12〜3.1に大宮工場に臨時入場して蒸気暖房装置を撤去し、電気暖房装置を新たに取り付けました。
電気暖房仕様の客車は蒸気暖房も使用出来るので、機関車の暖房装置をわざわざ取り替える必要はないのでは? と疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。
実は、EF58は蒸気暖房装置を使用する際は機関助士も乗務しなければならなかったのです。東北・常磐線等は通年一人乗務が既に確立されていたので、暖房装置を取り替える必要があったのです。
暖房装置が交換された以外は、原型小窓で前面踏板が設置されず、側ハシゴが欠き取り改造されていない広島区時代の面影をまだ残していました。その後、この年の7.15〜7.28に大宮工場に全検入場した際、前面窓が黒Hゴム化される等の改造が施されカッコ悪くなってしまいました。
同機ともこれが最初で最後の出会いだったような気がします。
1982.12.8付で廃車になっています。
次いで3枚目です。 1978.3.22 10:50頃 2325レ EF58 120(高二) 上野にて
上野発高崎行の普通客車列車です。
偶然にも連番でゴハチが撮影出来ました。
初めてお目にかかった上越型ゴハチです。このタイプの最大の特色は、
・前面窓上にツララ切りが取り付けられていること
・機関士席上部の警笛に雪詰まり防止のカバーが取り付けられていること
・前面窓にデフロスターが取り付けられていること
・標識灯掛けが車体の尾灯下部から前端梁に移設されたのに伴い、前面踏板の左右両端部がかなり削られたこと
・スノープローが固定式に改造されたこと
等が挙げられます。
更に、ヘッドライトと避雷機との間に常磐線用無線アンテナが設置されています。これは荷物列車運用で、常磐線の田端操車場〜隅田川にも入線していたからなのです。
なお、特急牽引と一生縁がなかったので、ヘッドマーク取付金具がありません。
同機ともこれが最初で最後の出会いとなり、1983.5.7付で廃車になりました。
次いで4枚目です。
1978.3.22 11:10頃 102レ 急行「八甲田」
青森発上野行の急行列車です。この列車が上野駅に到着する夜行列車の最後をしめくくっていました。
この154号機は東京区時代に可動式スノープローが取り付けられていました。これに伴い誘導踏板の形状・取付位置が通常とは異なっていました。詳しくはめだか帝国鉄道さんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/exp_kinki_chuou/6177201.htmlをご参照ください。
同機ともこれが最初で最後の出会いだったような気がします。
1985.9.12付で廃車になっています。 次いで5枚目です。
1978.3.22 12:00頃 回1940レ EF58 61(東) 上野にて
品川発尾久行の回送列車です。当時は東京〜上野の連絡線がまだ残っていたので、このような列車も運転されていたのです。
この61号機はお召専用機として製造されたことで有名な機関車です。機関士席側の水切りが当時はワイパーのところだけ湾曲していました。更にスノープロー取付座にカバーが設置されていました。
なお、当時東京区ゴハチの定期運用は品川〜尾久の回1940レ、回1941レ、回1942レ、回1943レの僅か4本のみでした。
同機とはこの後も多々出会っています。
次いで最終6枚目です。
1978.3.22 14:40頃 2322レ EF58 130(高二) 上野にて
高崎発上野行の普通客車列車です。
この130号機も上越型です。当時は前面の塗色が一部剥離し車体が錆びついていました。更にヘッドライトの周囲がなぜか銀色になっていたのが特色です。
120号機同様、特急牽引と一生縁がなかったので、ヘッドマーク取付金具がありません。
1983年10月に群馬県で国体が開催された際、14日に原宿→沼田、16日に前橋→原宿で61号機牽引のお召列車がそれぞれ運転されました。この際この130号機が非常予備機に指定されました。同機は10.5付で既に廃車になったにもかかわらず指定されたのは今もって謎ですね。
同機ともこれが最初で最後の出会いとなりました。
トラックバック先の記事も併せてお読みください。
次回は未定です。
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こんばんは
懐かしい記録の数々 堪能させて頂いております
130号機は 謎(?)の多いカマで有名ですね
車歴に関しては お召訓練運転に係る 延命処置の書類不備と思われますが ライトリムはなんでしょうか?
同じく60号機のテールライトリムも晩年の一時期 銀色になっていましたね…
2011/10/16(日) 午前 1:03 [ めだか帝国鉄道 ]
めだか帝国鉄道様 コメントありがとうございます。
130号機のライトリムがなぜ銀色になっていたのかは全く判りません。
このような例は
・長岡第二区の35号機が1972年5月に新潟植樹祭のお召予備機に指定された時
・宮原区の150号機が1985年3月24日に大阪〜彦根でさよなら運転した時
以外は知りません。
なお、テールライトリムが銀色になったのは60号機のみのようですね。
2011/10/16(日) 午前 1:28 [ ゴハチ信者 ]
こんばんは。当方ゴハチについてはさしたる知識もございませんが、この色を見ると全盛期であることを感じさせてくれます。
ゴハチといえば関西では特急と荷物列車牽引というイメージが強いのですが、このように地味な旅客運用もかつてはあったのですね。
2011/10/16(日) 午後 9:30 [ れいくんパパ ]
れいくんパパ様 コメントありがとうございます。
客車列車が相次いで電車化されたので、併結する荷物車・郵便車も電車が登場しました。しかしながら直流車ばかりで、黒磯以北等の交流区間には入線出来なかったので、上野駅では客車を使用した普通列車がまだ僅かながら残っていたのです。
上野駅から客車の普通列車が姿を消したのは、東北線が1978.10.1改正、常磐・高崎両線が1982.11.15改正だったと思います。
2011/10/16(日) 午後 11:28 [ ゴハチ信者 ]
こんばんは
再びトラックバックさせて頂きました
しつこくてすみません…
2011/12/7(水) 午前 1:10 [ めだか帝国鉄道 ]
めだか帝国鉄道様 トラバありがとうございます。先程承認しましたのでご連絡いたします。
2011/12/7(水) 午前 6:35 [ ゴハチ信者 ]
こんばんは
こちらからもトラックバックさせて頂きました
宜しくお願い致します
2012/5/19(土) 午前 1:32 [ めだか帝国鉄道 ]
めだか帝国鉄道さま トラバありがとうございます。先程承認しましたのでご連絡いたします。
141号機が原型小窓だった時代にお目にかかれなかったのは残念でなりません。
2012/5/19(土) 午前 2:03 [ ゴハチ信者 ]
こんばんは。
TBありがとうございました。
こちらから120号機をTBさせていただきますね。
下手な写真でお恥ずかしいですが…
2013/2/12(火) 午後 10:03 [ SL-10 ]
SL-10様、TBありがとうございます。
先程承認しましたのでご連絡いたします。
2013/2/12(火) 午後 10:37 [ ゴハチ信者 ]