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皆様こんにちは。 先日、亀三さんが本山支線のクモハ42に関する記事を投稿されました。 これに呼応して、こちらからも投稿することにいたします。 昭和57(1982)年2月に京都産業大学経営学部への進学が決まりました。 入学前に3月21日(日、春分の日)から23日(火)にかけて0泊3日の日程で山口県まで遠征しました。この際、22日(月、振替休日)の夕方に小野田線本山支線で活躍するクモハ42を撮りに出かけたのです。 日本交通公社『時刻表』昭和55年10月号をスキャンしたものです。 宇部電車区への入出区回送を兼ねて運転される421M、456Mを除き、雀田〜長門本山を行き来する単純な運用を組んでいました。 訪問日は休日だったので、雀田駅16:35発の635Mで長門本山駅まで乗車しました。 まずは1枚目です。 前面を長門本山側から撮ったものです。2年前の昭和55年3月に幡生工場(現、下関総合車両所)で全般検査を受けていることがわかります。 前面窓のHゴム化を免れたので、好ましい外観をしています。 次いで2枚目です。 車両全体を長門本山側から撮ったものです。同業者が2名撮影しています。 次いで最終3枚目です。 長門本山駅の駅名標を入れて、車両全体を雀田側から撮ったものです。 本山支線のクモハ42を撮ったのはこの1回きりです。この形式は、現在JR西日本の225系・223系で運転されている新快速の始祖となる由緒ある電車です。 亀三氏も述べておられるとおり、現在下関総合車両所で保管されている001号車は京都鉄道博物館に移されることはまず間違いないと思います。再来年春に開館した暁には、ぜひ会いに行きたいですね。 トラックバック先の記事も併せてお読みください。 今回は以上です。 |
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こんばんは。
まだ本山支線が過密ダイヤだった頃ですね…(笑)
警戒色入りのクモハ42の姿が懐かしいです。後年警戒色が外されましたが、自分としてはこちらの姿の方が見ていた時間が長い分、馴染みが深いです。
当時のクモハ42001のみは2エンド側の貫通扉が上部肌色に下部警戒色という塗り分けで異色を放っていて、大変目立っていました。
2014/1/11(土) 午後 8:50
青20号様、コメントありがとうございます。
今回は地元にお邪魔した時の記事を投稿いたしました。
JRになってから昼間もヘッドライトを常時点灯するようになったので、警戒色を施す必要がなくなったと解釈しています。
訪問した時は宇部・小野田両線は既に105系に置き換わっていたので、広島式の警戒色が入った旧国に接したのは後にも先にもこの時のみです。
クモハ42001の2エンド側の貫通扉に関してはすっかり忘れていました。画像検索をしてようやく思い出した次第です。どうもありがとうございました。
2014/1/11(土) 午後 9:13 [ ゴハチ信者 ]
ゴハチ信者さん
おはようございます
撮影された頃は、まだ私も大阪に居た頃で
この撮影された何年後かにまさにこの電車を生で見れる所へ引っ越しするとは夢にも思ってませんでした。
貴重な電車と知っていたらビデオや写真や乗っておきたかったです(>_<)
2014/1/13(月) 午前 9:36
ツルツルペリカン様、コメントありがとうございます。
この区間は利用者が少なく1両編成で十分なので、両運転台のクモハ42が生き長らえることが出来たのです。
この電車の知識がなければ、一般の方はあまり関心を持たれないのは無理もないように思います。
レスするに際し久しぶりに長門本山駅の時刻表を見たら、今は1日に3本しか運転されていないのには驚きました。これで廃線にならないのは奇跡としか言いようがありません。
2014/1/13(月) 午前 10:30 [ ゴハチ信者 ]