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皆様こんばんは。 今回は以上です。 |
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皆様こんばんは。 別府鉄道の記録(1) 1979.11.11と併せて、行き帰りの際に撮影したものをご紹介いたします。 まずは1枚目です。 始発駅西明石を11:54に発車し、終着駅草津に13:35に着いた新快速です。 当時はこの西明石駅を境に、西側は列車本数が大幅に少なくなっていました。 乗り換え待ちの間に昼食をとり、1枚だけ撮影しています。 宮原電車区のクハ153湘南色車は幌枠が原型のステンレス地となっていました。 しかしながら、新快速色車はこれが適用されず、塗りつぶされているのが原則でした。にもかかわらず、このクハは数少ない例外だったのです。時代の趨勢で、ヘッドライトがシールドビーム化されていました。 この編成は湘南色のモハ153・152が1ユニット組み込まれていました。車両需給の関係で、このような現象が時折見られたのです。 この後、別府鉄道を撮りに行ったのです。その時の記事は別府鉄道の記録(1) 1979.11.11をご参照ください。 別府鉄道の撮影を終え、山陽電鉄の電鉄別府(現、別府)駅に向かいました。 次いで2枚目です。 山陽電鉄から阪急電鉄への連絡乗車券はこのような様式となっていました。 神戸電鉄・阪神電鉄方面のもこれと同様だったと思います。 阪急の岡町駅では高校への通学定期券で下車したので、回収を免れたのです。 普通に乗車し、特急と連絡する東二見駅へ向かいました。 次いで3枚目です。 貫通扉に列車種別・行先を表示しているのが山陽電鉄高性能車の特徴でした。 行先の正式名称は電鉄姫路ですが、字幕が小さいので、姫路と略していたのです。 次いで4枚目です。 上記3枚目の特急が発車した後、この普通も姫路に向かって行きました。 画像右側に東二見検車区が写っています。 次いで5枚目です。 旧型車ですが、張り上げ屋根となっていました。 これを撮った後、電鉄須磨(現、山陽須磨)まで特急に乗りました。 現在と異なり、当時は阪急も須磨浦公園まで乗り入れていました。 しかしながら、須磨浦公園駅は山陽電鉄の特急は通過し、もう一駅三宮寄りの電鉄須磨駅で停まることになっていたので、ここで阪急梅田行きの特急に乗り換えることにしたのです。 次いで6枚目です。 乗り換え待ちの間に1枚撮ったものです。 次にやってきたのが阪神梅田行きだったせいか、新開地で再度乗り換えています。 このため、神戸電鉄もついでに撮ることにしたようです。 次いで7枚目です。 上記3〜6枚目の山陽電鉄とは反対に、行先を上に・列車種別を下にそれぞれ表示しています。 次いで最終8枚目です。 神戸電鉄初の冷房車です。 これで当日の撮影をすべて終え、帰路につきました。 今回は以上です。 |
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皆様こんばんは。 JR西日本金沢総合車両所の457系A13編成が国鉄急行色に塗色変更され、去る9月24日に金沢総合車両所松任本所を出場しました。これは北陸本線100周年記念号運転でお知らせした「北陸本線100周年記念号」に国鉄急行色の475系A19編成と併結して6両編成で使用するための措置であることはまず間違いないでしょう。なお画像は鉄道ファン railf.jp及びRMニュースをそれぞれご参照ください。 今回は以上です。 |
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皆様こんばんは。 梅小路公園で動態保存されているN電27号車が蓄電池駆動に改造されることに関しては、以前に梅小路公園にチンチン電車 京都市が拡張計画 14年全面開園へでお知らせしたとおりです。外観がどうなるのか非常に気になっていましたが、ポールはそのまま残すことが判明したので安堵しました。詳しくはこちらをご参照ください。 今回は以上です。 |
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皆様こんばんは。 高校2年の時の秋に、池田に居住していた友人と一緒に、別府鉄道を初めて撮りに行きました。 この時の記録をお目にかけることにいたします。 まずは1枚目です。 別府鉄道が走っていた証として、地図をご紹介いたします。 建設省(現、国土交通省)国土地理院発行 5万分の1地図 高砂の一部をスキャンしました。 1980年11月30日発行となっているので、1983年12月20日に再度訪問する際に購入したものだと思います。 次いで2枚目です。 そのままでは見づらいので、拡大してご覧ください。 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1980年10月号 P.499の一部をスキャンしました。 別府鉄道は土山・野口両駅で国鉄に連絡していました。このため、国鉄が全国的にダイヤを改正すると、別府鉄道もこれに連動して改正していました。この頃の国鉄の白紙ダイヤ改正は1978年10月2日、1980年10月1日だったので、撮影当日の1979年11月11日もこの時刻で運転されていたはずです。 次いで3枚目です。 土山13:40発別府港行を編成後尾から撮ったものです。 http://www.asahi-net.or.jp/~pu7t-kmr/onoe/onoe6.htm によりますと、牽引機は元江若鉄道のDD13 51となっています。 当日は日曜日だったので、貨車は連結されていませんでした。 当時、我が国でダブルルーフの客車が営業運転に就いていたのはこの1両のみだったと思います。 次いで4枚目です。 車内を撮ったものです。生まれて初めてダブルルーフの営業車に乗りました。 次いで5枚目です。 土山から別府港まで乗車した後に外観を撮影したものです。 牽引機DD13 51は既に切り離され、画像左側にあった車庫に引き上げていました。 6枚目から9枚目までは車庫で撮影したものです。 次いで6枚目です。 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/obanrr/befu.htm によりますと、左側に写っているのは救援車になった旧キハ2とのことです。 次いで7枚目です。 両端に荷物かごが設置されているバケットカーとして有名でした。当時、この形態の気動車が他に活躍していたのは加悦鉄道のみだったと思います。 ミッション式自動車と同じで、クラッチを操作して変速する機械式気動車でした。 次いで8枚目です。 凸型のDL同士が並んで停まっていました。 土山から乗った列車を牽引したDD13 51はここに引き上げていたのです。 次いで9枚目です。 上記3〜5枚目のハフ7とは異なり、こちらはシングルルーフの丸屋根です。 次いで10枚目です。 別府港14:46発土山行の牽引機が連結されました。 この列車からは、8枚目の右側に写っているDD50 2が牽引します。 次いで11枚目です。 これもバケットカーですが、上記7枚目のキハ3とは形態が異なっています。 次いで最終12枚目です。 上記10枚目の編成が土山から戻ってきました。 これで別府鉄道の撮影を終え、山陽電鉄の電鉄別府駅に向かい帰路につきました。 まっすぐ帰宅せず、途中数か所で撮影しています。この時の画像は又の機会に投稿したいと思います。 今回は以上です。 |








