私信

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エマ・・・

エマ・・・。

この間は有難う。。。

「あいつ」を偲ぶ会でくしくも何十年ぶりにいろんな人に会えたので、
不謹慎かとは思いましたが、「あいつ」が引き合わせてくれたと思って
楽しく再会できました。。。

私にとっては”意外”なことも思い出して。。。
あー、そうだったけなーー、なんて。。。

でも、最後、別れ際は、、、
うれしかったです。

すっごく、すっごく、猛烈にうれしかったです。。。

あれが、私の気持ちです。。。

全部、あれに心をこめたつもりです。。。

また、来年、会いたいですね!

(今回ちょっと焼酎の味覚えちゃったかな・・・意外に気持ちよく飲めました・・・笑)

エマへ・・・

エマ、あけましておめでとうございます。

昨年は悪いことだらけの1年だったけど、エマと再会できたことだけは、最高に幸せでした。

今年も、今後もずっとよろしくね!!

翌金曜日が先ほど触れた面接の日である。金曜日の相手方の返答次第で今の会社には辞表を叩きつけて、
とも考えていた。しかし、実状は先に述べた通りだった。

午後から出社した。俺を採用し、良き相談相手だった疲れ切ったおじさん部長は変わっていた。
一対一で話し合うことになり、初めてそこでその部長が「取締役」になったと聞かされた。
人のいいおじさんが、見事に「木に登って」しまっていた。一緒に嘆いていたおじさん部長が、
会社側になっていた。「取締役統括部長を拝命した」を何度も口に出して自分に酔っていた。
嬉しかったのだろう、本当に嬉しかったのだろう、身を粉にして会社の○○家に尽くしてきた
「仕事の出来ないやさしいおじさん」が「取締役統括部長様」になれたのだから。嬉しかったのだろう。
私は会社の中ではその人には義理も感じていたし慕ってもいた。その人が犯したミスを尻拭いし、
経験を生かして裁判所提出の書類を書き揃えて弁護士抜きで解決してあげたこともある。その人は
私に対しても返しきれない恩が少なくとも1つ以上あるはずだ。しかし、しかし、木に登って
しまった。

人が変わったように私を責めた。一緒に社長を悪く言っていたのに、社長にたてついたお前は
辞める以外無い、と居丈高に言っていた。声が、顔つきが違っていた。酔っていた。社長にとって
ウルサイ小憎らしい目の上のタンコブ社員を黙らせて自分のいいなりにさせることは取締役就任後
すぐのお手柄になるはずだ。

俺は、すぐに辞めてやりたかった。会社の不法行為を証明する証拠書類も数年にわたり集め続けて
きた。告発すればあんな会社などすぐに吹っ飛ばしてやることも出来る。その前に残業代未払い分を
請求してやることも出来る。最近の判例は例外なく全未払い賃金を払えという原告完全勝利だ。
俺もやる気になれば出来る。しかし、しかし、だ、、、
俺は女房と子供の顔だけを思いながら頭を下げた。一言も反論しなかった。ただただ
詫びた。何も悪くないのに、日本社会に綿々と続く悪しき慣習に添わないからというだけで、
頭を下げ続けた。

その元やさしかったおじさんは、言うだけ言って、最後にお前本当に改心する気はあるのか、
やれるのか、それなら二度と反抗しません、反抗したら直ちに辞職する旨の始末書を書けば
今回だけは勘弁してやる、と言った。

俺は、その条件を、ノ・ン・ダ・この俺が、飲んだ。

悔しかった、悔しかった、悔しかった。恥ずかしいが、悔しくて涙が止まらなかった。
いつまでも涙が止まらなかった。涙が止まるまで家に帰れなかった。

韓信はどんな気持ちで又くぐりをしたのだろうか。。。

そこで、このタイトル「敗北とは・・・?」である。

今まで貫いてきた信念を曲げて、最も忌み嫌う「理不尽」「不条理」に土下座した俺は世界の中で
の非常識・摩訶不思議に位置づけられるという「日本社会」に敗北したのだろうか・・・。
自分の信念の維持を放棄して異常な家族どもに土下座した俺は「異常」な「理不尽」に敗北した
のだろうか・・・。

これで今までの人生は一気に意味を失ってしまったのだろうか???

「社会」に「理不尽」に「不条理」に「異常な家族」に、全て敗北してしまったのだろうか・・・???

俺は、「俺」は存在しなくなったのか・・・

明日から俺は何をどう捕らえて、どう位置づけて生きて行けば良いのか。。。

俺はこの世に生きて行く価値はあるのか・・・
生きて行く価値も無いのに、価値を失ってしまったのに、生きて行かなければならないのか・・・

明日が見えない。。。
3日後、4日後、俺はどうしているのだろう。。。
何を決断してどういう方向に向かっているのだろう。。。

全く、わからない。。。

俺は、俺は完全に「敗北」してしまったのだろうか。。。。。。。

もし、これが「完全敗北」なら、その「敗北」の先には一体何があると言うのだろう。。。。。。。

お恥ずかしい限りだが、私は父親ともう既に28年ほど絶縁状態にある。
戦前の人間だ。公務員一筋、退職後に3度目の家を建てるために(自分ひとりでは長いローンを
組めないので)俺の名前を連帯保証人に勝手に使った挙句に、”家に住むなら○千万円の住宅代
の半分の○千万を月割りにして月38〜40万円を入れろ。それが最低の条件だ”という。”お前らの
給料の使い道はお前らの勝手にはさせん、俺が決める””子供って言うものは自分が餓死しても親を
食わせるものだ。”そんな暴言を平気で吐く。恥ずかしさの極みだが、そんな信じられない男が
私の実父だ。今でこそ信じられない暴君的発言だが戦前の人間にはそう珍しいタイプではないとも
言うが。。。

暴力もひどかった。母に対しても俺に対しても。今なら完全に虐待で監獄行きだ。そんなレベルだ。

ともかく、そのお陰で俺は「二重ローンは組めない」の一点張りでずっと持ち家を持てなかった。
無論オヤジはそんなことを罪だと思うようなタマでは毛頭ない。

母は愚かで父の言うことを妄信している。
俺の言うことは何一つ信用しない。

姉も異常な信念の持ち主だ。自分の子育ての時はまだ幾分若かった母に全面的に子供を見させ、
自分は教員、亭主は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの大企業で稼ぎに稼いで今や3度家を買い替えローンも
一切無い。いくら使っても毎月○十万余っちゃうのよ〜、などと平気で言う。50を過ぎた今でも
”パパァ〜、パパァ〜”と言って毎日家を訪れる。だから俺とはガキの頃からいがみ合い、オヤジと
はべったり、異常な図式だ。いわゆる「良家」の家族は世間の常識をはるかに超え、極めて異常な
例が多いことは皆さんご存知だろう。まさにその通りであり、その中で異端児の私だけがかろうじて
一般人の常識の範囲内に入り、極めて常識的な妻と結婚したと言うわけだ。

そのオヤジも大病を患い、自分では何も出来ないままただ漫然と18年も一手に母の介護を受けている。
しかし、誰にも感謝せず大威張りで口だけは達者だ。全くボケてもいない。それだから全く持って
厄介だ。

そんな中で今まで何も言わずただ私についてきてくれた妻が、めずらしく私に言った。
”もう、同居させてもらうしかない、あなたが無収入になっても私の給料で最低限ギリギリで生きて
行くことだけは出来る、と。しかも出来れば今の会社の社長に頭を下げて心を入れ替えるからもう一度
働かせて下さいと言ってほしい”と。”無理は言わない、いやだったらいいよ、気にしないで”
とも言うが、真意はよくわかる。
今度と言う今度は妻も強烈な不安を感じているらしい。

今の会社、そして実のオヤジと姉、それは俺が今まで生きてきた中で最も忌み嫌う「理不尽」と
「不条理」の権化、そしてそれを具現化、集約させたものだ。
今まで戦った来た俺の人生、生き方を180度変えることになる。俺と俺の価値観を完全否定し、
「不条理」と「理不尽」うずまく日本社会と戦前の価値観・異常な家庭関係に頭を下げると言う
ことだ。

考えた。全く眠れず、考えた。
しかし、妻は、子供は、何物にも代え難いくらい可愛い、いとおしい。何が何でもひもじい思いは
させられない。何が何でも普通に成人させてやりたい。。。

木曜日の夜、俺は、なんと、オ・レ・ハ・、実家に行って親父と母と姉の罵詈雑言に耐え、
ひたすら土下座した。ド・ゲ・ザ・したのだ。何を言われてもすみません、申し訳御座いません
とだけしか返答せず。

悔しかった、悔しかった、悔しかった!!!!悔しくて胃がねじれて口から飛び出すかというほど
悔しかった。。。。悔しくて、その晩も眠れなかった。

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次にアルバイトで「写真現像」の夜勤を始めた。
夕方5時半〜7時まで工場集合、翌朝はプリントが終わり次第で、6時に帰れる時もあれば昼まで
かかる時もあった。こういつキツイ職場は外人が多かった。スリランカ人が多かったが、俺は
日常英会話が出来るのでやつらともしゃべった。なかなか良いやつらだった。日本人よりも
心が澄んでいた。

一日何百本とフィルムを扱う中で、必ず数本「閲覧禁止・公序良俗に反する」写真があった。
それをこっそり見られるのが唯一のお楽しみで特典だった。楽しみだった。「ええっ、こんな
地味な顔した人がこんな・・・??」笑えた。楽しかった。

しかし、半年後、「日勤の事務職正社員募集」の記事が目に入った。
仕事は楽しかったがきつかったし、安定を望んで選んだ会社が、その会社が「今」の会社だった。

こどもは2人、かわいい盛りだった。

俺を採用してくれた人は人の良いおじさんで、採用と決めてくれた後に面通しされた当時の「専務」
に会った瞬間、こいつは絶対「イヤな野郎だ」とわかった。しかし、勘がはずれることを祈って
入社した。それが今の社長だ。

詳しいことは言わない。いや、もう今まで別の書庫でさんざん書かせて頂いた通りだ。
今まで所属した中で一番の、最低最悪な会社だった。最低続きの俺の人生の中でも最低の会社だった。
いや、会社の偽名を使った奴隷労働所のようなものだった。辞めたかった。すぐにでも辞めたかった。
しかしもう力仕事は出来なかった。事務屋は削減の一途だった。もう40歳も越え、職探しは絶望的
だった。折りしも日本自体の景気も未曾有の不況だった。辞めたかった。辞めたかった。
何度も何度も辞めようと思った。しかし、妻子の明るく、優しく迎えてくれる顔を思い出すと、
踏ん張らざるを得なかった。

今まで以上の理不尽の塊だった。余りに愚かな、余りに世間知らずの、余りに苦労知らずの
金に埋もれた人生しかしらない傍若無人の社長だった。耐えに耐えた。

いやでいやで、辛くて辛くて、どこか遠くへ行きたくなった。偶然「北斗星」のロイヤル寝台券が
取れた。そしてデジカメというものを初めて知った。それが今の趣味復活の契機だった。自分自身
に対する言い訳以外の何物でもないが、辛さを紛らわせるために、一瞬でも現実から目をそらせたい
為に足しげく撮影に出かけるようになった。素晴らしい人との出会いも会った。機材も買った。
撮影旅行にも足しげく行った。それが徐々に家計を圧迫していった。

5年を経過し、6年目に入った今年、ついに社長と2度目のケンカをした。辞めてやると言った。
以前から俺は行き詰まると採用してくれたおじさん部長に「辞めていいですか?」と相談していた。
そのおじさん部長も社長や会長のいじめに長年耐え続けた人だった。”俺だって皆部長とは呼ぶ
けど皆と同じでただの雇われ人なんだよ。給料だって○○万円だぜ!”そういって一緒にグチって
いた。もうその人も他人のごたごたにかまっていられないと言う雰囲気で一杯だった。

もう辞めると言ってしまった以上、すぐに手を打たなければいけない。さもなくば家計は即破綻する。
俺と同じような人生を生きてきた人が(即ち社内で浮いている)すぐに動いてくれた。
有難かった。「異常な」会社の中での嫌われ者のおじさんは、即ち常識人であり、私の味方だった。
そのツテをたどって一昨日の金曜日、すぐにその会社の面接に行った。「順法」をモットーとする、
社長、常務、人事課長も腰が低くなおかつ本音で話してくれる良い印象の会社だった。
何千人の従業員を抱える大会社の子会社、それでも何百人もの従業員を抱える会社の社長であるが、
真摯な応対をしてくれた。人間性を感じた。

しかし、何分にも今は世の中事務屋削減の真っ只中。入れてあげたいがあなたにフィットする部署が
無いという。しかし、本体の大会社も含め、自分の知っている限りの職場をあたってくれると言う。
しかし、数箇所に知り合いがいるがそこで私を欲しいと言ってくれなければ残念だが意に添えない、
と言う。当然である。有難い。本当に有難い。期待せずに来週半ばまで待って欲しいとのこと。

一方現在所属の会社では私の後継者探しが始まり、社長は完全無視を始め、例のいいおじさん部長
だったはずの人まで無視を始めた。いびり出しの始まりだ。

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