こけしおばちゃん

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佐藤賢治一家のこけし

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 『こけし手帖』平成27年7月 656号「例会ギャラリーより」
 東日本大震災を機に東北を支える様々な活動が盛んになり同時に絆や癒しを求める様になった。こうした中、こけしへの関心が高まり、現在第3次こけしブームの到来と云われる様になった。こうした中、ブリキやセルロイドの人形に席巻され廃業を余儀なくされた工人を昭和10年代に復活させ、新たな工人を発掘する時代があった。こうしたエネルギーが新たな工人を生み、新たな伝統が創成されて行った。今回はそうした動きに呼応した工人のこけしを採り上げてみたいと思う。 
 山形系こけし工人・佐藤賢治は明治13年、仙台で一番古い木地屋の次男として生を享ける。父に就き横木挽きを修業し弟子には加納伝次郎や海谷吉衛門等がいる。前述したブームの中、勧められてこけしを製作する。文献登場は昭和11年の木形子異報、写真掲載は14年のこけしと作者であった。
 作品の特徴は、頭が角張って横に広がっている。一重瞼で簡単な飾りがつく。面描は瞳が小さく、鬢は短く恍けた表情をしている。胴は太く鈴蘭の様な草花が描かれている。ブームに伴い。数多の工人が輩出した時代であり、伝承はなく創意や見取りが原点となっている。木地は本人や養子となった幸治の手によるものと思われる。描彩は幸治の姪である相澤美代子や幸治の手によるもの。そして描き手不明のものがある様だ。
 幸治は明治36年 相澤藤右衛門の次男として生を享け、後に賢治の養子となる。23年から長男賢一(昭和4年生まれ)と共に職人として働き、29年独立する。38年、父、幸治が手を負傷し木地が挽けなくなり賢一が稼業を継ぐ。
 写真は、右2本が賢治作。,肋赦8年作橘頒布、こけしと作者掲載の写真に近い。同署では描彩は姪(相澤美代子)の手によるとある。こけし辞典掲載のものと同手である。△15年作、寺方コレクションにあった物。愛玩鼓楽掲載の相澤美代子作と同手である。同女が描彩を行った期限が限られ符合しない点も窺える。新たな描彩者がいたものと思料される。又、個人的には賢治自身の描彩もあったのではとも思う。、い蝋治作賢治型と遠刈田型の四つ菊である。イ聾一作。
 こけしの蒐集熱が新たな工人を誕生させ、新たな伝統が形成される様子を垣間見ることが出来た。
以上、こけし友の会・平塚俊夫氏著より。


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