ずっと噴水が好きだった

明治、大正、昭和。公園、街角、博覧会。戦前日本の噴水事情を気ままに探索中。なんだかんだで続いてます。ビバ噴水!

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 戦後間もない頃の日比谷公園の鶴の噴水を写した珍しい絵葉書を入手した。噴水の右奥に見える建物は日比谷公会堂で、この池は心字池である。1903年(明治36)の日比谷公園開園以来、雲形池で涼を提供してきた鶴の噴水は戦後のほんの一時期、日比谷公園のもう一つの池、日比谷交差点側の心字池に仮住まいしていたことがあった。絵葉書はこの時期のものである。

 「…明治丗六年園内中央の雲形池に生れたこの鶴は戦争が激しくなった十八年以来節水のため給水をたたれ、戦後は池の埋立てとともに公園事務所裏に投げこまれていましたが最近心字池の真中に再生したわけです」(1949年4月19日付『読売新聞』朝刊、「鶴の噴水/六年ぶり日比谷公園に復活」)

 毎日新聞社のデジタル写真データベース「毎日フォトバンク」には1949年6月に撮影された、心字池に再建されたばかりの鶴によじのぼって遊ぶやんちゃ小僧たちを写した写真が残っている。

イメージ 1
日比谷公園の噴水絵葉書「日比谷公園」


イメージ 2
同上(拡大)
鶴の噴水の台座がない


イメージ 4
日比谷公園の噴水絵葉書「日比谷公園」
鶴とともに台座が写っている


 子供たちがいとも簡単に鶴によじのぼれたのには、戦前ずっと鶴を上に載せてきた大きな台座がなくなっていたこともあるだろう。戦争は鶴の噴水にも暗い影を落とした。台座がなくなったのは恐らく戦時中の金属供出によるもので、公園内のレストラン、松本楼を経営する小坂哲瑯氏はこう述懐する(NHK『美の壺』file249「噴水」)
 
 公園の中にあるレストランを経営する小坂哲瑯(こさか・てつろう)さん。
 80年間、「鶴の噴水」を見守ってきました。
 事件が起こったのは戦時中、小坂さんが中学生の時でした。
 小坂 「この日比谷公園には鉄の柵があったが、全部接収されちゃうんですね。銅製の鶴でしたけれども持ってかれちゃいました。」
 戦局が厳しさを増す中で姿を消した鶴。
 そのまま、終戦を迎えました。
 ところが・・・
 小坂 「戦後、またこつ然と出てきたんです。びっくりしたですね。溶かして何かになってると思ってましたから。一体どこにあったのか、今でもわかんないけどね。たぶんこの近所で隠してたんじゃないかって。」


 その後、戦争で荒れた日比谷公園を戦前の姿に戻す工事が進められ、鶴の古巣である雲形池の復元も始まった。鶴は1953年の夏、仮住まいを終えて心字池から再び雲形池に戻った。

 「…戦時中埋め立てられた家庭裁判所側の雲形池(ひょうたん池)も掘り返しがはじめられ、今月末までには水を張ることになっている。…噴水には日比谷交叉点側心字池の鶴を移すことになっている」(1953年7月3日付『読売新聞』朝刊下町版、「昔なつかし"ひょうたん池"」)

 「戦時中高射砲大地となって埋め立てられた日比谷公園裁判所側の雲形池が復元され、日比谷交差点側の心字池にあったツルもこゝに移された」(1953年9月3日付『読売新聞』朝刊下町版、「日比谷公園にカメの噴水」) ※鶴が出ていった心字池にはこのとき亀の噴水が作られた。


イメージ 3
毎日フォトバンクより、
「日比谷公園のツルの噴水で遊ぶ子供たち」
(1949年6月26日撮影)

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「戦後まもない」という言葉が何年頃まで使えるのかと思って検索したら、松崎さんのブログにぶつかった。個人的には1949年まで、ギリギリ1950年まで許容してもよいかと思うが、みんな、どのあたりまで使っているんだろう。

2013/7/17(水) 午前 0:20 [ 桑原涼(杉並雑誌集積室) ] 返信する

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