ずっと噴水が好きだった

明治、大正、昭和。公園、街角、博覧会。戦前日本の噴水事情を気ままに探索中。なんだかんだで続いてます。ビバ噴水!

駅前噴水

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 『愛媛新聞』1965(昭和40)年3月20日朝刊 「道後の玄関に七色のニジ」

「松山市と道後温泉事務所が春の観光シーズンにまにあわせるため工事を急いでいた道後温泉駅前の放生池噴水が十九日完成、道後の玄関に七色のニジをえがいて観光客を歓迎している。
 噴水の水盤は上下二段にわかれ、下段は十五メートルに十メートルのだ円形、上段は直径四メートルの円形で、あわせて百三本の噴水が最高八メートルまであがり、噴水の姿が六回変化する。また水中に赤、青、黄、緑のカラーランプ百十四個を配して噴水を照らすので夜景がとくに豪華になる。
 工費は当初五百余万円だったが、途中で設計変更され、約七百万円の豪華噴水になった。

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「道後温泉に出来た新名所、四国一の大噴水は観光客の称賛の的であり、七色に輝く夜景は特にすばらしい」
 1908(明治41)年6月11日付の『山梨日日新聞』が設置計画を報じた甲府駅前の噴水は、その後同年8月中旬に竣工したことが判明した。

 「同駅二等待合室の前に噴水池を設け…数日前竣工したるに付早速噴水試験を行いたる所其成績頗る良好にして優に二丈余を噴出する由にて右噴水は径四分の穿孔五個より成り朝顔形の水管を通じて噴水せしむる者にて一定の時間を定め毎日試みつつあるが其の壮観言わんばかりなし」(『山梨日日新聞』1908年8月20日付、「甲府駅の一大壮観」)

 「過般来起工中なりし甲府駅二等待合室前の噴水池は…噴水は水量の減少せざる限りは約三丈の高さに及ぶ由なるも平時は単に水盤より流出せしむるに止め貴顕の来遊及び或る場合に際し噴水せしめ甲府駅前に一大壮観を添ゆる計画なり…(『山梨日日新聞』1908年7月29日付、「甲府駅の噴水池」)

 二丈から三丈、つまり6メートルから9メートル程度の高さまで水を噴き上げることができたようだが、常時はそこまで噴かせず、特別な来訪者があったときに開放するという運用を考えていたようだ。

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「【甲斐国】 中央線 甲府停車場」絵葉書
残念ながら水が噴いているのかどうか確認できない

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甲府駅前の噴水

 噴水が写っているのではないかと当たりをつけていた甲府駅の絵葉書について、ようやく一つ目の手がかりを見つけた。博覧会の噴水のように、設置された時期が簡単に特定できる場合は調査が楽なのだが、なかなかそうもいかない。偶然の発見に負うところも意外に大きい。閑話休題、発見した1908(明治41)年6月11日付の『山梨日日新聞』の「噴水池設置の計画」という記事をさっそく見てみよう。

 「甲府駅にては今回仝駅一二等待合室前庭に一大噴水池を設置せん目的にて既に右設定方を県庁土木課技師に依頼し近々着手する筈なるが噴水池は径三間の円形にて中央に意匠を凝らしたる噴水器を設け水道を引き込みて利用する由なれば竣工の上は一段の風景を添ゆべしと」

 短い記事だが、甲府駅に新しく噴水池を作る計画が語られている。池の直径は約5.5mで、池の中央に噴水器を設置。噴水は水道から給水する方式だという。さほど大きな噴水ではないことから、予定通り「近々着手」したのであれば、遅くとも年内には完成したのではないだろうか。年が明けたらさっそく7月分からしらみつぶしに関連記事を探し出さなければ!

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「【甲斐国】 中央線 甲府停車場」絵葉書
中央に写っているのがその噴水だろうか。

 *明治41年6月の山梨日日新聞を調べれば何か出てくるかも知れないというアイディアはブログ「峡陽文庫」http://kaz794889.exblog.jp/から頂いた。こちらのブログでは図版をふんだんに使い、山梨の歴史をさまざまな切り口から紹介している。今回は「甲府駅と記念碑」http://kaz794889.exblog.jp/17451824/というエントリが大変参考になった。

 甲府駅前にひっそりと立つある石碑について、明治36年6月に甲府駅が開業した頃の駅前は、特段何もない広々とした風景だったことから、駅前に庭園を造り乗降客の憩いの場を建設することとなった。その完成を記念し明治41年6月に建立された石碑がこの記念碑である」と紹介している。噴水に関しては触れていないが、庭園とくれば噴水だろうという読みで見事、目当ての記事へたどり着いた。多謝!
 その素性を知るための手がかりがなかなか見つからなかった下関駅前の噴水にようやく一筋の光。1913年(大正2)9月の『福岡日日新聞』で偶然、「下関駅前の泉石」という記事を発見した。下関駅前の「泉石」について設計が完了したことを受け、その概要を紹介するという記事だ。少し長いが記事を引用する。

 「下関駅前の泉石に就ては神戸管理局松島技師の下にて考案中なりしが過日設計を了(おわ)り下関に送付し来り目下森川保線区主任の下にて工事に着手する事となれるが其大要を聞くに台石は花崗岩の枠形に天然石をコンクリートにて固め其径十一尺高さ三尺七寸許り其上に是れに応ずる高さ七尺六寸の柱石をそが上に青銅の廻転噴水器を置き頂上に電燈を装置し尚ほ柱石中に電燈三個孰れも八方を照らす装置にて台石の周囲に泉水を導く時は此の外郭の直径は三十尺の大きさとなり台石の上よりも柱石の七分通りの辺よりも八方に噴水する装置にして経費約千五百円一ヶ月に竣工の筈なり」(『福岡日日新聞』1913年9月26日付)

 見出しにこそ「噴水」の二文字はなかったが、中味はまさに下関駅前の噴水の話である。神戸管理局の松島技師による設計の概要は次の通り。

  ・台石は花崗岩の枠形に天然石をコンクリートで固める
  ・台石の大きさは、さしわたし11尺(約3.3m)、高さは3尺7寸(約1.1m)
  ・台石の上に高さ7尺6寸(約2.3m)の柱石を載せる
  ・柱石の上にはさらに青銅の廻転噴水器を置き、頂上には電燈を取り付ける
  ・柱石には三個の電燈を取り付ける
  ・水を引いたときの外郭は30尺(約9.1m)とする
  ・台石からも柱石からも水を噴く仕掛けとする
  ・柱石は七分目あたりから水を噴かせる

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下関駅前の噴水絵葉書「下関十二名所 停車場」

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同上(拡大)

 下関駅前の噴水を撮影した絵葉書を見てみると、まさにこの設計通りの噴水が建設されたことが判る。天然石を埋め込んだ台石。台石の上には柱石が立ち、台石からも柱石からも水を噴かせている。柱石のくぼみに上下三つ並んでいるのが電燈だろうか。噴水池の大きさは台石三個分ほどあり、確かに台石は11尺、外郭は30尺という比率とも合いそうだ。予想外のところから、この噴水の建設時期がひもとけてきた。竣工までに1ヶ月を要すとの記事の見通しに従えば、1913年10月ないし11月頃に発行された新聞の中から、この噴水の完成を伝える記事が発見できるかも知れない。

 さて、ここでもう一枚、絵葉書を見ていただこう。

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日和山公園の噴水絵葉書「下関名勝 関門海峡の展望に富む…日和山公園」

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同上(拡大)

 下関には関門海峡を望む小高い丘に設けられた日和山公園という公園がある。大正時代に開園した市内で最も古い公園だという。かつての日和山公園には噴水があり、その噴水を撮影したのがこの絵葉書だ。下関駅前の絵葉書と見比べてみると、そう、これはどうやら同じ噴水だった可能性が高い。同じ噴水を二基建設したのか、それとも一基を解体し移設したのだろうか。

山口・徳山駅前の噴水

 とても日本の駅前の風景とは思えない、遠い南国の夜景と見間違えそうなこの絵葉書は、山口県徳山市(現在は周南市)の徳山駅前の噴水塔を写したものである。工費200万円をかけたこの噴水塔は1952(昭和27)年5月に完成する(『毎日新聞』山口版、1952年5月22日付)。

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 徳山はまさに終戦の直前、1945年7月26日の大空襲で甚大な被害を受けた。徳山駅も本屋こそ焼失を免れたが、駅一帯の市街は焼土と化した。しかし、『徳山市史』が「一大災禍ではあったが、反面では従来の雑然とした市街地に区画整理を行い、抜本的な都市計画事業を実施するためには絶好の機会を得たわけでもあった」と記すように、徳山市は市街の大改造を計画し、「十年前の徳山を知る者を昭和の浦島太郎にする位」(『徳山市広報』第43号、1952年3月25日付)の勢いで戦災からの復興は進められた。市の玄関口である徳山駅前の美化、噴水塔の設置を含む小公園の建設は1952(昭和26)年5月、用地確保後直ちに着工し、一年後に完成を見た。

 その後、徳山経済の発展とともに新たに大きな「民衆駅」(駅を国鉄と地元の共同建設とする代わりに商業施設を設ける)を建設することになった。1969(昭和44)年10月の駅ビル誕生の陰で、惜しまれつつこの噴水塔は姿を消した。ところが、徳山駅前といえば噴水という印象がよほど強かったのか、駅ビル誕生の2ヶ月後の12月に徳山市議会が決定した徳山駅前の地下駐車場新設工事には新噴水の建設が盛り込まれている。こうして1971(昭和46)年、駐車場入口のロータリーに完成した新噴水が現在の噴水である。しかし、異国情緒漂う初代の噴水の人気には及ばなかったようだ。

 宇山和昭・駅ビル営業課長「駅前の噴水を無くす時に、市民の方からも、かなり残して欲しいという声もあったように思うんですが。」

 斉藤勝補・商工会議所専務理事「そういう声はございました。やはり昔のロータリー広場のイメージは、強く残っているようです。旅をされる方も、徳山駅に降りた時は以前の噴水を思い出され、何か昔の方がいいんじゃないかなあといわれる方もいます」(座談会「駅ビルの今昔を語る」、とくやま駅ビル名店街『駅と街と店と』、1979年)

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 ところで、興味深いことに最初の噴水の計画時には女神像の噴水とする計画があった。

 「徳山名産の黒髪石をもつて一丈余の『平和の女神』の像の大墳水塔を建立する計画を立てゝいる」(『日刊徳山公論』、1951年8月18日付)

 「この女神は石膏像で等身大のもの、右手を高くのばし、金の珠か鳩を持たして、それから水を噴き出す様にする計画である」「像の製作者は市で物色中であるが、大体徳山住中の工作担任教諭高野千吉氏(四三)に一任する模様」(『日刊徳山公論』、1951年10月27日付)

 少なくとも神殿風の噴水塔が完成する前年の秋までは女神像の噴水を建てる計画があったことは確認できたが、最終的にいつの時点で変更されたのかはわからなかった。結果として徳山では女神像の噴水は幻となったが、戦後の日本各地の駅前整備と噴水の関係を考える上で面白い例だと思う。

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