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今日で阪神淡路大震災から23年。

6434人の方々が犠牲になられ、3名の方が未だに行方不明と云う大惨事だった。

あの日の事は、よく覚えている。

朝いつものようにテレビを点けていると、日本テレビの『ズームイン朝』の中で福留アナウンサーが、

『先ほど、関西方面で大きな地震があったもようです!』

とアナウンスをした。

それが、私が知った第一報だった。

その後、続々と様子が伝わってきたが、当日私は香港に行く為に成田空港に出発をしたので、その後の事情があまり分からなかった。

香港に着いても当然にニュースで流れていたが、情報量が圧倒的に少なかった。

今のように携帯も海外でそのまま使える時代ではなかったしメールもない時代でもちろんSNSもない頃だ。

私もレンタルの携帯電話を借りていた。

地震発生の翌日には、私たちが暴走族を卒業した後に作っていたNACと云うボランティア団体の仲間たちが、トラックで子供用のオムツや生活用品を神戸まで届けに行ってくれたりしていた。

地震の当日から、規制が掛かっていて道路の通行止めがあった事から、八王子警察で第1号の許可をもらっての素早い行動だった。

香港で仲間の行動をで知り、嬉しく思った。

香港から帰って、三日後に私はどうしても何が出来るか分からないけどどうしても現地に行こうと向かった。

大阪と芦屋の間が、やっと電車が開通をしたので、芦屋まで行ったが、上の写真のように家は崩れて、張り紙が至るところに貼ってあった。

『女性一人家屋の下にいます』
『家族全員無事、○○に避難』

とか、連絡がつかない家族や知人に知らせる為の張り紙だ。

正直現地に行って、急に肩が重くなり、本当に具合が悪くなってしまった。

テレビの映像で見るのと違って、その張り紙の内容にショックを受け、また、焼けた匂いやその他の匂いなども強烈に印象に残った。

トイレに行きたくなっても、トイレの水は流れないので、する場所がない。

かなり歩いて芦屋の警察署に行って、仮設のトイレに寄った事も覚えている。

本当に被災地の皆さんは大変な思いをされていたと思う。

結局は何も出来ないで帰って来た。

つらい思いをされた方や亡くなられた方の事を思うと自然と気持ちが沈んだ。

亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

















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