エボのメモ帳

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり)

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老境に入ると、新しいことに馴染めず、旧いことが妙に懐かしくなるもののようだ。そんな旧いことの一つに「西淡路高射砲陣地跡」がある。昭和32年当時、近くのA中学校に通っていたので、高射砲台のことは鮮明に覚えている。道路を挟んで南側に墓地があり、北側10m程のところに高射砲台2基があり、人が住んでいた。50年を経た一昨年の夏、ふと高射砲台を思い出し、その後どうなっているかの調査に出向いた結果、跡地に住宅が立ち並んでいるのを知った。あー、無くなってしまったのかと思っただけで気にもしていなかったところ、最近になって高射砲台は今でも残っており、昭和25年に計画された市道十三吹田線の工事が跡地の手前で中断していると聞いた。
そうなると、我が性格上、再調査をせざるを得ない。4月20日に再調査を実施した。そして遂に、高射砲台2基が現存しているのを発見したのである! しかしながら、その位置が、我が記憶と違い、道路から30m程のところである。これは何かあるとインターネット検索で調べたところ、次のことが分かった。

・この高射砲陣地は昭和19年、高空から侵入・爆撃する米爆撃機B29を撃ち落すために陸軍が構築したものである。高射砲台6基(陸軍八八式7糎野戦高射砲を各1門装備)、弾薬庫、戦闘指揮所で構成された。
・この高射砲陣地の正式名称は不明であるが、「東淀川高射砲台」と言ったかも知れない。この地区の名称は昭和32年当時、「国次町」であり、その後に「西淡路1〜5丁目」と地名改称されたので、「西淡路」を冠することはあり得ない。
・高射砲台の配置は、道路側(南側)から約10mのところに2基、約30mのところに3基、約40mのところに1基だったように推定される。道路に近い2基は、マンション「ロイヤルハイツ西淡路パート1」建設のために取り壊され、最も北の1基はマンション「サンロイヤル新大阪」の建設に伴い取り壊されたものであろう。中央の3基の内、東の1基は大阪府営淡路住宅の駐車場とされた模様。その他の施設がどこにあったかは推定もできないが、現在公園となっている辺りではなかろうか。
・跡地は、大阪市の所有である。


高射砲が実際に防空の役に立ったのか否かは、関連する資料が入手できないので全く分からない。この高射砲台を、学術的に貴重だからとして、保存しようとする運動に到っては我が理解力をはるかに超えるものである。少なくとも建築工学的には貴重とは思えない。また、大阪市教育委員会が戦争遺跡としての価値を調査するそうである。どんな調査報告がなされるか興味のあるところでもある。
それにしても保存状態の悪い遺跡である。荒れ放題である。説明板一つある訳でもなく、内部を見学できる訳でもない。一刻も早く、市道を完成させて欲しいものである。吹田市民の切なる願いである。


以上

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