エボのメモ帳

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり)

懐旧

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キンセンカ(金盞花)は、別名をポットマリーゴールドといい、3〜5月に咲くキク科の草花である。背丈は20〜60cm程度。南ヨーロッパ原産のカレンデュラ・オフィキナリスの園芸品種で、花の直径は7〜8cmと大きく、輝くようなオレンジ色でよく目立つ。

何故この花に特別な関心があるかというと、この花が秋の菊と並んで仏前に供えられることが多いように感じるからである。私は、この花を見ると人の死を連想するのである。

もう35年ほど昔のことになるが、アメリカで1年生活したことがある。その最後の一月間、グレイハウンドの周遊パスを使って、シカゴから全米一周のバス旅行に出かけた。途中乗り合わせた白人の老婦人が、「この人形を家族へのお土産としてインディアン居住区で買ったのよ。原住民の手作りの人形で、家族も珍しがると思ったのよ。ところが見てよ、ここに”Made in Japan"と記されているの。がっかりだわ」と話しかけてきた。私を日本人と知って話しかけたかどうかは分からない。私は、彼女に慰めの言葉をかけることができなかった。
もうひとつの思い出は、ロサンジェルスからマイアミまで直行する夜行バスに乗った時、若いお嬢さんが「お隣の席は空いてますか。よければ座らせて欲しいのですが・・・」と訊いてきた。もちろん私は「よろしければ、どうぞ」と答えたと思う。彼女が下車したテキサス州のOrange Cityまでの長い時間、”旅は道連れ、世は情け”ではないが、いろんな話をしながら楽しく過ごすことができた。彼女の名前はL・Hさんといい、ドイツ系であるとのこと。ラスベガスで働いており、オレンジ・シティのおばあさんの所に帰るのだと言う。どんな事情かは聞いていないが、彼女はこのおばあさんが嫌いだとしきりに言うのである。また、ラスベガスは楽しい所だから、一度来なさいよと言ってくれたりする。好きな音楽は、カントリー・ウエスタンだそうだ。とにかく、よく喋りよく眠るお嬢さんだ。途中、エル・パソで一時間ほどバスが停まった。彼女は眠っていたので、一人でエル・パソを歩いてみることにした。その時、彼女が追いかけてきて、「どうして誘ってくれないの」と涙声。私がどう弁解したかは思い出せない。すまなかったという想いは未だに残っている。酷熱の街で撮った彼女のカラースライドが1枚残っている。黄色いブラウスに青いジーンズ、黒っぽいサングラスをかけたお嬢さん。その後、日米間で数度の文通があったが、ある日突然、彼女のお姉さんから「妹は、ボーイフレンドとデイト中にwrong laneを走行してきた車と正面衝突をして、亡くなりました」と知らせてきた。呆然自失。はかなさ、むなしさが身中を駆け巡った。この感傷がキンセンカと結びつくのである。

以上

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身近によく見かけるメジロは、平凡社の「大百科事典」によれば、次のように説明されている。

<メジロ(眼白)Japanese white-eye>
スズメ目メジロ科の鳥。全長約12cm。背面は暗黄緑色で、喉や下尾筒は黄色く、脇はブドウ色、腹は白い。眼の周囲に白い輪があるのが特徴。雌雄同色。日本、南朝鮮、中国東部、ベトナム北部、フィリピンなどに分布する。広葉樹の林を好み、針葉樹の林には少ない。冬季や春先には都会の公園や庭先にもよく飛来する。枝から枝へ活発に動き回り、昆虫類やクモを食べている。また、ツバキなどの華に集まって蜜を吸い、熟した柿やアケビの実が大好物である。

何もメジロについて詳しく記述するのが本意ではない。遠い昔の思い出話を書き残すのが目的である。

私が小学生の頃の話なので、半世紀以上も昔のことである。山口県という土地柄もあったかも知れないが、冬季は積雪もあり実に寒かった。その頃、私は数羽のメジロと一羽のヤマガラを飼っていた。誰かに貰ったり、自分で捕まえてきたりしたものだ。捕まえ方は、二通りある。一つは、かすみ網を仕掛けて、その前に竹篭に入れた囮を置いてメジロがその囮に近寄ってきたところでワッとばかりに大声を出して網の方に追い込むのである。かすみ網の性質上、雑木林の中での猟(?)に適していた。網に埃がつくと網の目が見えるので、こまめに卵白で手入れしなければならなかった。残念なことにこの方法では一羽も捕まえられなかった。メジロが網の方へ水平に逃げず、上の方に向かって逃げたからである。もうひとつは、鳥もちを用いるのである。我がメジロたちの中で最もよく囀るチャンピオンを篭に入れ、その篭の上部に実のついた南天の木を取り付け、水平の枝に鳥もちを巻きつけるのである。この鳥もちは、購入したような記憶も有るし、モチノキの樹皮を剥いで金槌で叩き潰して自作したようにも記憶している。とにかく、見晴らしの良い畑の端辺りが絶好の猟場で、囮のさえずりに惹かれて南天の枝にとまるや、メジロは鳥もちに脚を捕られることとなる。この時、メジロを脅かしてはならない。羽根まで鳥もちに捕まるからである。脅かさなければ、メジロは飛び立とうとして飛べず、枝に脚を捕られて逆さ吊りの状態になる。そっと捕まえて篭に収容する。
メジロの餌は、すり鉢にホーレンソウをいれ、よくすり潰してからきな粉を混ぜ、さらに魚粉を少々混ぜて作る。魚粉を入れすぎると塩分過多のため、メジロは死んでしまう。デザートとして、半わりにした蜜柑を篭の中に入れてやる。
竹篭は自作した。のこぎり、錐、ナイフ、サンドペーパー、ヒゴトオシ、その他で孟宗竹を加工。竹篭一つに三日ばかり要しただろうか。手の平に血豆をつくりながら頑張った。
こんな時代があったことを証明するモノクロ写真が一枚残っている。得意そうな笑みを浮かべた写真が一枚・・・。

メジロは現在、保護しなければならない野鳥である。飼育してはならないことになっている。それにも拘わらず、鳴声が聞こえる家がある。困ったことだ。

添付の写真は、万博公園で苦心惨憺の末、やっと撮影できたメジロである。コンパクトデジカメではこれが限度であろう。

以上

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私は、霊の存在を感じるほど繊細な神経・情感を持ち合わせていない。しかし、何か憧れの気持ちのあることは事実である。小学生の頃、就寝時に真っ暗な室内の天井に眼をこらすと、細かい光の斑点の流れがまるで銀河のように広がり、私を別の世界に誘っているように思えたものだ。

泳ぎが未熟で溺れたことが二度あった。一度目は、小学1年ぐらいだと思うが、阿知須(井関)の八幡神社の裏手にある池で一人遊んでいたとき、水草に足をとられて、たらふく水を飲んだ。もう一度は、小学4年か5年だと思う。当時の阿知須の浜は遠浅で、干拓工事が進行していた。確か80ヘクタールの干拓地を造成していたはずである。埋め立て用の砂を採取した跡が遠浅の海に沢山残っており、そこで一人泳ぎの練習を繰り返していたとき、背の届かない深みで体力が尽き溺れた。浮きつ沈みつ、海水を嫌というほど飲み、もうだめだなあと観念したとき、近所に住む高校1年生が助けてくれた。九死に一生を得たというべきか。

数年前に2回、続けて妙な体験をした。未明の暗がりの中で眼を開けると、斜め上方3mほどのところに何かが存在し、じっとこちらを凝視しているのである。負けてはならじと起き上がろうとするが、体が全くいうことをきかない。金縛りの状態というのはこんな状態をいうのだろう。虫の知らせかも知れない。

この世には何か説明のできない事象もあるようである。

以上

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その山は標高146mで、山口県吉敷郡阿知須町(現、山口市阿知須町)の海辺に近く聳えていた。人の背丈ほどの低い喬木しか生えていない、まるで禿山のようであった。標高からすると、聳えるというのは適切な表現ではないが、近辺に山らしき高みもなく、まして小学生の目から見れば、それはそれなりに山だという存在感をもっていた。
この山が今もって懐かしいのは、私が気を使わずにゆったりとした時を過ごせる唯一の場所だったからである。一時は石を切り出していたようだが、私が遊んでいた頃は石を切り出すこともなく、実に平凡な山だったので誰も登ってくることはなかった。
この山に登る道は、周防灘側に一本あるのみであった。私はいつも反対側の石切り場跡から急斜面をよじ登り、頂上に設けていた板切れと稲縄のハンモックに腰掛けて、しばらく青い空、白い雲、緑の海原を進むポンポン船(焼玉エンジンを搭載していた)を眺め、陽が傾く頃に道を駆け下りて家路についていた。ある日、同じように日の山に登り始めた。石切り場跡の窪みに辿り着いた瞬間、目の前に長さが3m、胴の直径が5cmはあろうかという蛇に出くわした。しかも白蛇であった。白蛇の方もビックリしたようですぐさま岩の間を奥の方へ逃げていった。こちらもビックリして、上へ上へと懸命に登っていった。頂上までもう少しのところで大岩があった。大発見!! この畳2枚ぐらいの岩の一面に水晶がびっしりと付いているではないか!! 夢中になって水晶を採取した。私の思い出は、ここまでである。その後どうしたか記憶に無い。今でもこの時の白蛇を日の山の主だと信じたい気持ちである。閑話休題。

2月4日の教育テレビで、元一橋大学学長で歴史学者の阿部謹也氏について放映されていた。共感できるところが多々あり、幼い頃から周囲になかなか馴染めず、孤独を愛してきたという同氏の人生に大いなる興味を抱いた。手始めに「阿部謹也自伝」を読んでみようと思う。

以上

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cowboy songに、"Ghost Riders In The Sky"というのがある。随分昔、NHKの英会話番組でこの曲が流されていた。どうしてもこの曲の歌詞(英語の)を知りたいものだと探していたが見つからない。そんなある日、職場の懇親会でだったと思うが、コンピュータとネットワークに非常に詳しい若手のSさんに話してみた。数日後、そのSさんがニコニコしながら、「インターネットで見つけました。これです」と一枚の紙片を手渡してくれた。まさに求めていたものであった。そうなると、次は曲を知りたくなる。年月の経過と共に曲もほとんど忘れてしまっている。最近になって、Elvis PresleyのCDに含まれているのを知り、なんとかそのCDを入手したいと探しているが、未だに成功していない。CDは英国から輸入されたもので、"That's the Way It Was"というタイトルである。

Ghost Riders In The Sky (Words & Music by Stan Jones, Recorded by Vaughn Monroe, 1949)

An old cowpoke went riding out one dark windy day;
Upon a ridge he rested as he went along his way,
When all at once a mighty herd of red-eyed cows he saw,
A-plowin' through the ragged skies and up a cloudy draw.
Refrain: Yip-pie-ya-aye, yip-pie-yi-o, ghost riders in the sky.

Their brands were still on fire and their hooves were made of steel,
Their horns wuz black and shiny and their hot breath he could feel;
A bolt of fear went through him as they thundered through the sky,
For he saw the riders comin' hard and he heard their mournful cry.
Repeat Refrain:

Their faces gaunt, their eyes were blurred,
Their shirts all soaked with sweat;
They're ridin' hard to catch that herd, but they ain't caught 'em yet;
They've got to ride forever in that range up in the sky,
On horses snortin' fire, as they ride on, hear their cry.
Repeat Refrain:

As the riders loped on by him, he heard one call his name;
"If you want to save your soul from hell a' ridin' on our range,
Then cowboy change your ways today or with us you will ride,
A-tryin' to catch the Devil's herd across these endless skies."
Repeat Refrain:
以上


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