エボのメモ帳

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり)

懐旧

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

数というものはどのように数えるのだろうか。0という数は、インド哲学を踏まえて発明された概念だそうだ。では0より大きい数はどうか。小学生時代に手にした数少ない書物に「朝日小学年鑑」(?)があり、数の数え方が説明されていたのを覚えている。もっとも「極」という桁までで、1極には0が48個も付くと知った。
最近、図書館で石川英輔著「大江戸テクノロジー」(講談社)を調べた結果、京都の吉田光由が寛永4年(1627年)、塵劫記という書籍を表し、命数法を次のように記述しているそうである。

十、百、千、万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河砂、阿僧祗、那由他、不可思議、無量大数

なお、塵劫記は明の程大意が表した「算法統宗」の翻訳本らしい。

以上

イメージ 1

先の記事(12/3付)で”としゃく”の写真がどうしても見つからないと記した。その後もいろいろと調べているうちに、山田図書館の一角に写真のコーナーがあるのを思い出した。そうだ、田舎の田園風景を写した写真集があるに違いない。さすれば”としゃく”のある風景写真も含まれているかも、と思い、早速図書館に出向いた。その結果、遂に”としゃく”の写真を見つけたのである。しかも四季折々の”としゃく”の佇まいである。その本は、次のとおりである。

  水田稔著「大山千枚田百選」(発行:人類文化社、発売:桜桃書房)

本書の”としゃく”をブログに使わせて頂きたいと著者である水田稔氏にお願いし、使用を許可して頂いたのが添付の写真である。千枚田での”としゃく”の風情を味わいたい方はぜひ本書によって頂きたい。なお、水田稔氏から、写真の”としゃく”は千葉県南房総地方の稲塚で、現地では”藁ぼち”と呼ばれており、春の田起こしの時に崩して田んぼの肥料になる、と教えて頂いた。
本記事をまとめるにあたり、JPA 日本写真作家協会会員の水田稔氏から頂いたご好意に対して心からお礼申し上げます。

”としゃく”に関する記事を完結するにあたり、私の思い出とか調査した事項を若干付記しておきたい。

先ず思い出であるが、私の小学生時代は非常にのどかで(もっとも食糧難ではあったが)、刈入れの終わった田圃では”としゃく”がいくつも立ち並び、そこかしこに稲藁が竿にかけて干してあり、かくれんぼとか馬遊びには絶好の場所であった。時には”としゃく”に飛びつき、またよじ登ったりして悪さをしたものだ。スズメを捕まえようと竹笊の罠を仕掛けたこともあった。また、雪解けの頃には”としゃく”にもたれての日向ぼっこをするのが楽しみであった。春ともなれば、あたり一面がレンゲソウ畑となり、緑の絨毯にうす紫の花が風にそよいでいたのを懐かしく思い出す。

最後に調査結果であるが、「日本方言大辞典」(小学館)では、”としゃく”は次のように説明されている。

,錣蕕覆匹鮃發積み上げたもの。稲むら。島根県、山口県、大分県などで見られ、”どしゃく”、”とーしゃく”、”としゃーく”とも言われる。
△Δ差發積むこと。堆積
H醂舛砲垢襪燭瓩料

また、新村出編「広辞苑」(岩波書店)によれば、”としゃく”は”稲積”から転じたものか、としている。私は、長い関西在住の間、また3年にわたる千葉市在住の間にも”としゃく”を一度も見かけたことがなく、中国地方以西にしかないものと信じきって、恐らく中国から伝来してきたのではと考えていた。
今回、水田稔氏のご指摘により、さらなる興味が湧いてきた。

以上


(追記)
その後、奈良盆地でもとしゃくが見られることを知った。念のため。
(追記了)

イメージ 1

過日、久し振りに博物館を訪れた。目的は、小学生時代に田圃の中によく見かけた”としゃく”に関する資料をさがすことにあった。できれば写真が見つかればと期待したが、見つからなかった。”としゃく”を漢字にするとどうなるか分からない。随分昔、漢字を見たように思うが、どんな漢字であったか思い出せない。”としゃく”は、稲刈りの終わった田圃に稲藁を円柱状に積み上げ、その上端に円錐状の稲藁屋根を設けたものである。何のために作るのかも分からないが、翌年の田植えの時期まで残されていた。冬場は雪が積もり、風情があった。スズメが住み着いていたようだ。風除けにもなり、陽だまりは随分暖かかった。閑話休題。

博物館のついでに、「せせらぎの道」をJR吹田駅前まで足を延ばした。「せせらぎの道」は文字通り、その一部区間に人工の小川が設けられている。この道の直ぐ横に吹田市立総合運動場がある。陸上、サッカー、ラグビー、ゲートボール、グラウンドゴルフ等ができる第3種公認陸上競技場で、照明塔4基が設置されナイター使用も可能とのことだ。

最近、吹田市街の地図を購入した。愛車(自転車)で走ったところを蛍光ペンでなぞって、悦に入っている。

以上

イメージ 1

私は、3歳の時から小学校を卒業するまで山口県の阿知須町で過ごした。従って、都会の空気をほとんど吸ったことがなかったといえる。母はそんな私の将来を案じたのか、夏休みを利用しては神戸に連れて出てくれた。私たち家族は、戦災で家が焼失するまで、三宮から程近いところで生活していたのである。(残念ながら当時の記憶はわずかしか残っていない・・・)

小学校5年の夏、私は初めて宇部線の阿知須から京都まで夜汽車に乗って一人旅をした。一大冒険旅行であった。冷房のない列車で涼をとるには窓を開けるしかなかった。蒸気機関車が吐き出す煤煙が容赦なく飛び込んできた。トンネルに差し掛かると汽笛が鳴らされ、それを合図に急いで窓を閉めなければならなかった。とにかく朝10時頃、終着駅の京都駅に着いた時には顔は煤で真っ黒になっていた。

その頃姉は京都で働いていたし、二人の兄も京都で学んでいた。そういう状況で私の冒険は実現したのだろう。ある日の夕方、姉たちと東山通りの元田中から北白川仕伏町の方向へ行くバス道を歩いた。西の方を眺めると、まさに太陽が沈もうとしており、見事な夕焼けとなっていた。その時姉たちは歌いだしたのである。

懐かしの思い出にさしぐむ涙
懐かしの思い出にあふるる涙
マロニエの花咲けど恋しの君いずこ
パリの屋根の下に住みて楽しかりし昔
燃ゆる瞳愛の言葉優しかりし君よ
鐘が鳴る鐘が鳴るマロニエの並木道
パリの屋根の下に住みて楽しかりし昔

姉も兄も若かったし、私は幼く感受性も豊かであった。素晴らしい歌だと思い、直ぐに覚えてしまった。爾来、この歌は私の愛唱歌の一つとなっている。後日知ったところによると、この歌はフランスの巨匠、ルネ・クレール監督が1930年に制作した名画「巴里の屋根の下」の主題歌で、初のトーキー映画とのことだ。最近DVDを入手したので、ゆっくり鑑賞するつもりである。

余談になるが、当時の元田中には田中公設市場というのがあって、夕方姉と買い物をすることがあった。その時、私は魚屋の魚を見て大声でこういったそうだ。「あっ、京都の魚は頭の下に枕をして寝ている」。もちろん、枕とは蒲鉾板のことであり、これを山口弁でやったそうだ。姉が後日、目から火が出るほど恥ずかしかったとのたもうた。仕方があるまい。

写真は、晩秋の「千里ぎんなん通り」の風景である。マロニエ並木ではなく、イチョウ並木である。

以上

イメージ 1

大型の貝に「タイラギ」というのがある。貝柱が極めて美味で、高級な寿司ネタである。この貝は、私が50年前に小学生時代を過ごした山口県阿知須町の海辺で採れたのである。当時の思い出を残しておきたい。

阿知須は当時、周防灘に面した遠浅の海辺を有していた。現在は干拓工事が進み、海岸線は全く様変わりのようであるが、当時は2mにも及ぶ干満の潮位差のため、干潮時には海岸から1kmぐらい沖合いまで干潟となったものである。地元の人々は何故かあまり潮干狩りをしなかったが、私は親しい同級生、Y・Kさんを誘って時々夕食のおかずにするために貝を採りに出かけた。

冬のある日の午後、私達は竹で編んだ丸かご2個と竹ざお1本を持って秘密の漁場に出かけた。どんよりとした冬空、寒風の吹く中を漁場まで一直線に歩いた。黙々と歩いた。霜焼けで赤く腫れ上がった両耳を寒風がビュービュー、ヒューヒューと容赦なく吹き抜けていった。何も履いていない素足は冷たさのゆえに感覚がなくなっていった。その日の目的は赤貝を採ることにあり、アサリやハマグリといったありふれた貝を採ることにはなかった。赤貝は、アサリやハマグリのように砂地で採れる貝ではなく、水中の泥底で採れるのである。私達は、ズボンの裾を太股のできるだけ上の方までたくし上げ、沖へ向かってそろそろと歩み始めた。赤貝のごつごつした感触が早く足の指先に伝わってくれますようにと祈りながら・・。ほどなく私達は宝の山にぶち当たった。夢中で赤貝を採った。そんな最中、今までに経験したことのない感触が足の親指に伝わった。なにかひどく硬い板に当たった感触であった。そいつは海底に生えているように、押せども引けどもびくともしないのである。両手を突っ込んでそいつを前後左右に揺さぶり、悪戦苦闘の末、遂に引き抜くことができた!! 見たこともない大きな異形の貝である。この戦闘行動で、私達は両手両足が傷だらけとなった。貝のトゲで切ってしまったのである。5個ぐらいは採れただろうか。私達は満足し、漁を終えることとした。(この他にもイイダコを数匹獲っていた!)

私達は獲物を2個の丸カゴに等分し、竹ざおに通して海岸に向けて一直線に歩き始めた。肩が痛くなるので、時々左右を入れ替わってひたすら歩いた。ある種の高揚感に包まれながら! ようやく海岸に辿り着き沖の方を振り返ると、私達の足跡が冬空の下、くっきりと、真っ直ぐにのびているのが望まれた。この時ふと感じた心象が私の性格形成に大きな影響を与えている。

<タイラギ(玉珧)>
ハボウキガイ科の二枚貝で、大小2つの貝柱がある。大型貝で内臓は不味く食用に適さないため、貝殻付で店頭に並ぶことは少なく、貝柱の形で売られる。これをタイラガイともいう。大きさは、高さ11cm、長さ22cm、幅4.5cmほどである。殻は三角形で、薄質。幼体は淡緑色だが、老成するとオリーブ色となる。殻の表面は一般に滑らかであるが、トゲを生ずることもある。本州以南、西太平洋の内湾の水深20mまでの泥底に棲み、とがった方を下にして小石などに足糸を付着させる。産卵期は、7〜8月。

(参考図書)
     (針渕卻圈峙貝ものしり事典」平凡社
    ◆ゝ類文化研究会編「図説 魚と貝の大事典」柏書房
     川上親孝編「Picture Encyclopedia 原色ワイド図鑑−−魚・貝」学習研究社

殻つきのタイラギを撮影できなかったので、写真は参考図書によることとした。(写真右側の貝)

以上


(追記)
2011年2月15日、IZUMIYA千里丘店の鮮魚コーナーでタイラギ貝が売られていた。迷わずに1個を購入し、貝柱を刺身にして食した。写真を追加しておく。(34〜13cm)

(追記了)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事