エボのメモ帳

Je pense, donc je suis.(我思う、故に我あり)

懐旧

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私は生来、無口でおとなしく(?)、どちらかといえば孤独を愛する性格であったといえる。今でもそうだと確信している。日頃から自問自答し、時には空想に耽り(妄想を逞しくしと言うべきか?)、自分だけの宇宙を彷徨うのが好きである。そんな私が随分昔、英国に業務で長期出張とは相成った。昼間は異文化、異言語の中で悪戦苦闘し、夕方になってやっと解放されるや長期滞在しているホテルの自室に駆け戻り、持参の本に没頭するということを繰り返していた。

ある時、場所はロンドン市街だったと思うが、英国人のM・Pさんと夕食を共にしようとレストランまで歩くことにした。私は歩きながら、ふと滝廉太郎の「花」を口ずさんだ。すると

M・Pさん:あれっ、どうして知ってるの?それ、英国の民謡だよ。
私    :エッ、これは滝廉太郎という日本人が作曲した有名な曲で、「花」というんですが・・。
M・Pさん:しかし、英国でも有名な曲なんだけど。もっとも、このメロディ自体はその昔、アフリカの
      XXXX国から伝わってきたんだと聞いているけれど。
私    :ウーン。?????
  (注)もちろん、会話は英語で行われた。XXXXは伏字ではなく、思い出せないのである。

随分年月が経った数年前、日本でM・Pさんに再会する機会があった。XXXXが思い出せなくて悩んでいたので、早速M・Pさんに訊いてみた。

私    :随分前の話ですが、ロンドンで「花」という曲がアフリカから英国に伝わったとお聞きしま
      した。何という国でしたか?
M・Pさん:ウーン、そんなこと言ったかなあ。?????
  (注)会話は日本語だった。

そこで、私は次のように推論した。すなわち、滝廉太郎はどこかで英国民謡を耳にして、日本の歌曲に合うように編曲したのであろうと。因みに、「花」は彼の作曲になる「箱根八里」や「荒城の月」とは随分感じが違っている。とにかく明治期にはいろんなことがあったと思う。

どうでもよいと言えばどうでもよいことである。私としては、今後とも、この名曲を口ずさむつもりである。

隅田川堰堤の桜の写真がないので、昨年春に銀閣寺付近の疎水で撮影した桜の写真を添付する。

以上

 

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去る9月1日の夕べ、数年前まで勤めていた職場で一緒に仕事をした仕事仲間であり、また共によく遊んだ遊び仲間でもあるK・Nさん、T・Tさんを誘って飲み会をした。場所は大阪梅田の居酒屋、話題は近況報告と情報交換であった。加齢とともに飲食の量が減ってくるのは仕方がないとして、近況や情報が病気の話と訃報になってくるのが侘しいといえば侘しいものであった。

私は、待ち合わせにたっぷりと余裕を持たせて梅田に出たので、三番街、お初天神他を歩き回ることができた。この間に、ずっと気になっていた本を捜そうと紀伊国屋梅田本店に立ち寄った。その本は洋書の「The Borderers」(辺境の人々?、William Wordsworth)であり、紀伊国屋の<KINOナビ>という端末で調べた結果、在庫が無く取り寄せが必要とのことだった。後日インターネットで調べてみると、53ページのTextそのものがダウンロード可能であることがわかったので、少しずつでもプリントアウトしようかと考えている。

K高校で3年間教えて頂き、大変お世話になった英語科のS・G先生が、確か3年の中間試験の直前、冒頭部分のみをA3版用紙7枚にプリントされ、1時間で講義をされた。内容が難解であったことが強く印象に残っていて、試験内容も思い出深いものだったので、機会があれば手に入れたいと思っていたものである。(何十年と忘れずに捜し求める自分の執念深さに呆れている!)

余談になるが、S・G先生とは利用する駅が同じだったので、いろいろとお話を伺うことがあった。ある日、自分にとって重要だと思っていたことを申し上げたとき、「つまらんことを考えるな。大福を食べて昼寝でもした方がましだ」とお叱りを蒙ったのを今でも懐かしく思い出している。

以上


(追記)http://www.bartleby.com/145/ww120.htmlによること。

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本日も酷く暑かった。これぞ残暑というべきだろう。直射日光が肌を刺すように感じられたが、さすがに日陰ともなると少し秋を感じさせるものがあった。あれほど大合唱をしていた蝉たちも細々とした独唱に変わっている。

暑さのためにぼんやりしていると、何の脈絡もなく、ある人物のことが思い出された。その人物とは、私が通っていたA中学及びK高校の大先輩で、稀に見る大秀才との評判が高かったK・Hさんである。A中学においてこのK・Hさんの担任であった某先生が家庭訪問をした時、K・Hさんは道路上にしゃがんでなにやら図形を描いている。
先生:何をしてるんや?
K・Hさん:円周率の計算をしています。
このK・Hさんの凄さは、中学、高校を通して授業に出てノートをとらず、ひたすら先生と黒板を見つめていて、いざ試験ともなるとみんが気絶せんばかりの素晴らしい成績を納めていたという。さらに凄いのは、数学の問題は教室で説明を受けた解法を絶対に採用せず(!)、自分が考え出した新しい解法を書いたそうだ。うーーん。
K・Hさんはもちろん、T大学に進学し数学を専攻されたと聞く。この時のエピソードが驚くべきものであるが、そこまで記すと神話のような感じになってしまうのでここで止めたい。

というようなわけで、図書館で円周率に関する本を借り受けて読んでみた。その本によれば、円周率πを計算した先人たちは次のとおりである。

.▲襯メデス(Archimedes,B.C.287〜7B.C.212) 3+10/71<π<3+1/7
▲▲疋螢▲鵝Ε瓮謄ウス(1527〜1607)  355/113
A腸之(429〜500)
ぅ襯疋襯(Ludolf van Ceulen,1540〜1610)
ジ天看契(1674)  22/7、157/50、355/113
Ρ田有益(1683)  3.14
О訛宍汎(1683)  3.1416
┯天寛(1696)   3.14166136832
三宅賢隆(1699)   3.1415928
関孝和(1712)   3.14159265359

中国人、日本人の素晴らしいところは、これらの数値を縦書きの漢字で表したことである。現在は、スーパー・コンピュータで気の遠くなるような桁数まで計算されているが、円周率の概念の発見から、我々が親しんでいる3.1415926に到達するのに2000年以上も要したことに思いを致すべきだ。数値計算の方法はいろいろあるそうで、参考にした本でも説明している。

(参考図書)堀場芳数著 「円周率πの不思議」(講談社)

本題は、真に暑苦しい内容となってしまった。最後に近場の佐竹公園で撮影したメタセコイヤの写真を添付する。樹高は20mぐらいで、菩提池に沿って植えられている。好きなところの一つである。

以上

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母方の叔父は、俳号を虹吟(こうぎん)といい、「馬酔木」の同人であった。私が高校3年の時のこと、たまたま叔父宅へ遊びにいっていた私に向かって叔父がポツリと呟いた。
”最近の俳句は、いろんなのがあるなあ。「山から駆け下りてきたこの俺に」という句も俳句で、前衛俳句に分類されている”

私は当時も今も、俳句を全く理解できないが、それでも句作の基本ルールとして、季語が必須であり五七五の17文字でなければならない、ぐらいの知識は当時も持ち合わせていた。叔父とどんな会話をしたか覚えていないが、多分、前衛書道とか前衛絵画と同類かなと感じたようだ。

たったこれだけのことながら、それ以来40年余にわたって気になったいた。最近、図書館で上記の俳句が誰の作品か調べてみようとしたが、資料が余りにも膨大で断念した。叔父は数年後に他界し「馬酔木」もさらに数年後廃刊となった。

今となっては、叔父が何を話してくれようとしたのか知る術もなく、やりきれない気持ちである。

添付の写真は、万博公園のあじさい園で撮影したものである。

以上

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昨日は、朝から甲子園球場に出かけて高校野球を3試合も観戦した。お目当ては第4試合の早稲田実業/大阪桐蔭戦であった。昨年の夏、優勝の前評判が高かった大阪桐蔭を応援しようとして出かけたのに、入場制限のため観戦できなかったという苦い経験をした。今回は満を持して早めに出かけた結果、幸運にも特別内野席の入場券を確保できた。第2試合、第3試合とも緊迫した好ゲームであったが、肝心の第4試合は、チーム力の差が歴然としていて一方的な試合展開となり、残念であった。

今年は豊中ローズ球場で行われた地区予選1回戦にも出かけて、我が母校であるK高校を応援したが、その後は例年の如く3回戦で敗退してしまったようだ。今は昔、選抜野球で優勝した輝かしい実績のあるK高校なのにどうなったのか、もう少し頑張って貰えるとありがたい。

私は、小学生時代を山口県吉敷郡阿知須町(現、山口県山口市阿知須町)で過ごした。人口が1万人程の
小さな町である。当時の小学校に図書室があったかどうか分らないが、少なくとも身近に本が沢山あったという記憶がない。そのような環境にあり、本を読む機会も少なかったので、手に入った本は何度も繰り返して読んだものだ。次の3冊は、実に懐かしい本である。

「涙の甲子園」
父が毎月買ってくれていた「少年クラブ」の付録(小冊子)で、甲子園出場を目指して助け合う2人の友情物語である。涙なくして読めなかった。

「ロビンフッドの冒険」
母が神戸に出かけた折に買ってきてくれた小学生向けの単行本である。これも友情とはどんなものか、考えさせられた本である。

「小学朝日年鑑」
感動は与えてくれなかったが、小学生の知識欲を満足させるには充分であった。

上記のうち、「涙の甲子園」をもう一度読みたいと長年探しているが、どうしても見つからない。元本はどうやら 北條誠著「涙の甲子園」 らしいということまで突き止めたのに、近隣の図書館では見つけられなかった。

私の読書も精読(?)から濫読(乱読?)、今や積読(つんどく)へと変遷を遂げてきた。それで良いのだろうと思ってはいるが、果たしてどんなものであろう。

以上


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