Yokohama photograph picture book

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秋の福島紀行〜大内宿〜中編


東日本大震災程ではないにせよ、あの大地震以降、日本中あちこちで揺れている気がします。


私が生まれて大人になるまで、震度5以上の地震は1年に1回とか2回とかしかなかった気がしますが、

ここ数年やたら多くなってきて、特に今年は東日本大震災の余震だけで一体何回震度5以上の揺れがあった

だろうと考えると、本当にぞっとします。

日本中、どこが揺れてもおかしくない状況になっているのかも知れません…。

地殻は大丈夫なのでしょうか…。


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さて、今回は福島県紀行、大内宿の続編です。

大内宿はなだらかな南斜面地域に、中央に一本の掘割(用水路)と、その両側に道を通し、その道の西側の

ほぼ中央付近に間口を少し広めに区画して本陣を据え、それ以外は両側を等間隔で分割し、それぞれに

家屋が建てられました。

道は、街を守るため、敢えて行き止まりにしたようで、集落を見下ろす場所に菩提寺の正法寺と、鎮守社

としての高倉神社を設けました。

これは17世紀のニュータウン的街づくりによるものだと言われています。

ちなみに現在は掘割でなく、幅の広い道となっています。


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突き当たりの急階段の上で街を見下ろしているのは子安観音ですが、その西側に正法寺の本堂があります。

正法寺は浄土宗の寺院で、特に大名家などの庇護がなく村内で管理運営されていたようです。

大内宿周辺は戊辰戦争の激戦地だったそうで、正法寺は新政府軍の詰め所になったそうです。

ここに会津藩砲兵隊頭取だった「笹沼金吾」の墓が建立されています。

1868(慶応4)年8月30日、大内宿に迫った新政府軍に対し、会津兵は奇襲をしかけましたが、反撃に

遭い後退、大内峠での迎撃を企てましたが、40名が戦死する激戦となったそうです。

金吾はそんな中、単身大内宿に残留し、水車小屋に潜み、新政府軍を待ち伏せました。

目前に迫った新政府軍の隊列に1人斬り込み、敵兵数人を斬り伏せたものの、敵弾に討たれ、壮絶な

戦死を遂げたそうです。

享年35歳でした。

その遺体は村はずれに晒されたのですが、これを哀れんだ大内の村人たちが、密かにこちらに葬ったと

言われています。


本堂前に銀杏の木がありました。

この銀杏は、この風光明媚な大内宿の町並みが血に染まってしまった歴史を見ていたのです。

しかし今年も何事もなかったように美しく黄葉し、落ち葉によって本堂前は黄色い絨毯となっていました。

こうして撮った写真を見るたびに、現在の平和の大切さを改めて感じてしまうのでした。


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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/7d/ea/einen_hamakko/folder/1603324/img_1603324_50825748_4?1302153841
BGM:Angel Stream(堀澤麻衣子&千代正行) 「月に寄せる歌〜白銀の森〜」 powered by Youtube
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ギャラリー:Amethyst's photo album



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