今昔映画館(静岡・神奈川・東京)

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今回は新作の「フロント・ランナー」を川崎のTOHOシネマズ川崎1で観てきました。ここはキャパの割に画面サイズもあり、シネコンタイプの座席配置ながら、観易い映画館になっています。2週目から1日1回の上映というのは、ちょっと扱い悪くないの? ジャックマンが来日してプロモーションしてたのに、アメコミ映画じゃないとこういう扱いなのは気の毒な気も。

大統領選挙で、有力候補と言われていた民主党のゲイリー・ハート上院議員(ヒュー・ジャックマン)は、積極的な選挙活動を行っていて、彼の革新的な政策は若い国民の支持を取り付けつつありました。そんな彼の弱点としてあったのが、長年連れ添った妻リー(ヴェラ・ファーミガ)との別居問題でした。そのことについて切り込んだワシントンポストの記者に激高したゲイリーは「自分を尾行したけりゃ尾行すればいい」と啖呵を切ります。一方ヘラルド紙の記者トムはハート議員はワシントンで女と会っているというタレコミを受け、ワシントンの自宅へ向かったところ、彼が自宅に若い女を連れ込むのを目撃。トムはカメラマンを呼んで張り込みを開始、写真を撮り、出てきたゲイリーからコメントを取ることにも成功します。女性の身元も確認できていない状況でしたが、ヘラルドはそれを記事として日曜版の一面に載せます。その結果、リーの別居先にはマスコミが押し寄せ、選挙事務所は対応に追われることになります。当の本人は、この事態をさほど重大視しておらず、政策の演説の内容の方が気懸りという状況に、選挙参謀のビル(J・K・シモンズ)は時代が変わって今はそれでは通らないと言います。一方で、厳密に裏を取らずに記事にしたヘラルド紙の姿勢も批判の的になりますが、ゲイリーはこのスキャンダルについての記者会見を開かざるを得なくなるのですが、その結果は彼の支持を取り戻す決定打にはならず、彼は大統領選立候補を辞退することになってしまうのでした。

1988年の大統領選挙の前哨戦で、有力候補のゲイリー・ハート上院議員に女性問題のスキャンダルが発覚し、立候補辞退に追い込まれた事件を映画化した実録ものの一編です。マット・バイの原作から、バイとジェイ・カーソンとジェイソン・ライトマンが脚色し、ライトマンがメガホンを取りました。ジェイソン・ライトマンという監督の名前はこれまであまりピンとこなかったのですが、この人「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」「とらわれて夏」「タリーと私の秘密の時間」といった面白い映画をたくさん手がけていたのに、今回、初めて意識しました。目のつけどころの面白い人だけに、実録もの以上の面白さがあるかもという期待があってスクリーンに臨みました。その期待は裏切られず、発見のある映画に仕上がっています。ただ、題材的には地味ではあるのですが。

映画の前半は、ハートの選挙事務所や、ワシントンポスト、ヘラルド紙の会議室のシーンが続きます。たくさんの人間の会話の応酬のなかから、当時の状況が見えてくるという演出はなかなかにスリリングです。この映画は一応ゲイリー・ハートが主役ではあるのですが、彼が主役らしさを見せるのは後半になってからで、それまでは群像劇のように物語が推移していきます。多くの登場人物がそれぞれ印象に残るような演出が施されていて、その時代の空気と、作り手の伝えたいことがじわじわとあぶりだされるような構成になっているのが面白いというか、うまい映画です。ゲイリー・ハートがどういう政策を持っていて、どういう女癖だったのかといったことはほとんど描かれないので、女性でしくじった政治家のお話ではありません。それより、彼を追うジャーナリズムの方が丁寧に描かれていまして、この事件が、政治家がそのプライバシーによって資質を問われるようになる転機となったらしいのです。映画スターのスキャンダルを追いかけるパパラッチが政治家をターゲットにするようになり、政治家のゴシップが国民の興味と批判の対象になり始めた時代を記録した映画ということになるのかしら。

それまでの政治家はその政治能力によって評価され、その専門分野で秀でていれば、私人の部分で、政治家の資質を問われることはなかったのですって。ケネディ大統領が誰と浮名を流そうが、それによって大統領としての彼が否定されることはなく、ジャーナリズムもその切り口で彼を責めたてることはしなかったのに、ニクソンの時のウォーターゲート事件あたりから、公務以外の行動で、その品格を問われるようになったらしいというのが、この映画のセリフの端々からうかがえるのですよ。なるほど、大統領の犯罪をジャーナリズムが暴いた時、その政治能力だけで、大統領を評価できなくなる。さらに大統領選挙がイメージ戦争になってきたこともあるのでしょうが、政治家のプライバシーが報道の対象としての重みを増してきたときに起きたのがこの事件だということらしいのです。当のゲイリー・ハートは世間の流れの変化に気づいておらず、今までの考え方で女性問題を乗り切れると思っていたのですが、そうはならない。ワシントンポストの主幹も、昔ならハート議員の女性問題をスルーすることもできたが、今はウチだって書かなければ非難される時代になったのだと言います。

ハート議員は、演説で倫理道徳を説いていましたが、そのことと自分の浮気は別物として、矛盾しないで両立していました。それまではそれで通ってきたから、今度もどうってことないやと思っていたのですが、そのスキャンダルは、彼のスタッフや支持者の失望させるに十分でした。奥さんからボロクソ言われると、殊勝に反省の言葉を口にするハート議員ですが、記者会見では結構強気の発言をしちゃって墓穴を掘ってしまうのですが、なるほど、こういうあたりの公私の線引きが昔の不文律だったんだなあと納得するとともに、大統領が個人として犯罪に加担したウォーターゲートの影響が、ジャーナリズムのスタンスを変えたんだなあってのは、結構な発見でした。

また、この映画の中では、女性が印象的なポジションに配されています。議員の奥さんもそうですが、選挙事務所の女性スタッフですとか、ワシントンポストの副編集長といった面々が男性中心の社会に対する疑問を投げかける役どころです。さらに、ハート議員の浮気相手をきちんと描くことで、今と違う時代の空気を感じさせるのがうまいと思いました。新聞にスキャンダル記事が載っちゃうと、浮気相手のドナは議員の家に軟禁状態にされちゃいますし、ハート議員も選挙スタッフも彼女のことなんか気にも留めません。女性スタッフがそんなドナへの扱いに疑問を呈するところが大変印象的でした。男性スタッフのゲスな愛人扱いの視線に、ドナが憤るシーンとかは、20世紀ってのはそんなもんだったんだなあってのが伝わってきて、日本もアメリカも似たようなものだったんだってのはちょっとびっくり。そんな時代に比べたら、今の方がいい時代だと思う一方で、この映画では、その今に対しても疑問を呈しています。

この映画のプログラムを読むと、このゲリー・ハートという人は政治能力に長けていて、この人が大統領になっていたら、対ソ政策、中東政策、経済政策などで、もっとマシな対応ができていただろうにっていうメッセージがあるんですって。今のアメリカがこうなったのには、ハート議員のような有能な政治家をつまらないスキャンダルで潰してしまったこともあるんじゃないかってことらしいです。私は彼の政治家としての実績はよく知りませんし、この映画でもそこは描かれないので何とも言えないのですが、そんなの理想を説いて大統領になって現実を対処したら、妥協をいっぱいするだろうから、そううまくはいかないと、私は思ってしまうのですが、作り手には、ブッシュやトランプよりはマシだったんじゃない?って思いがあるみたいです。それっていわゆる「もしも」の世界ではあるので、事情をよく知らない私には「ふーん」って感じで、あまり響いてきませんでした。

それでも、プライベートなスキャンダルが、その人の本業の評価をも変えてしまうというところに疑問を呈しているところは、共感できるものがありました。誰だって長所と短所を持っているので、長所の部分を認めてその部分で活躍してもらわないと、人間を有効活用できないと思いますもの。仕事のできる人がよき家庭人でないからと言って、仕事の業績を貶めるのは、私はよくないことだと思っています。逆に仕事ができない人が、よき家庭人だったとき、仕事ができないという理由で全人格を否定されてボロクソ言われるのも変。でも、人は他人の噂が大好きで、悪い噂を見つけたら、それをみんなで寄ってたかってバッシングするのも好きというところもあります。昔なら、どんなジャンルでも、いわゆる「先生」と呼ばれる人には、とりあえず敬意を表して、その人の業績に頭を下げていたのですが、今は、平等意識が行き渡っているので、同じ人間としてアラ探しをすることが正当化されてきています。それはそれで、裏で悪いことをしている人を正当に評価することにつながるので、必ずしも悪いことではないのですが、でも、大きなことを為すときに、枝葉末節にこだわりすぎることの問題も改めて再認識させる映画になっています。だから、どうすりゃいいんだという明快な回答を出す映画ではないのですが、人間(ハート議員)にも物事(ジャーナリズムのあり方)にも長所と短所があるってことを再確認する映画として、この映画は一見の価値があると思います。

群像劇を支える演技陣はみな好演ですが、スキャンダルを記事する記者を演じたスティーブ・ジシスやワシントンポストの主幹を演じたアルフレッド・モリーナがよかったです。また、特に印象に残ったのは、選挙事務所の女性スタッフを演じたモリー・イフラムと浮気相手ドナを演じたサラ・パクストンで、この二人のシーンがあったことで、映画にぐんと重みと深みが出たように思います。ベイトマンの演出は、たくさんの人で物語を描く中で、人間をきちんと描き分けたところに演出力を感じました。普段は、脇でアクの強い演技をするJ・K・シモンズが群像ドラマのパーツとしてしっかり収まっているところに、監督の見識を感じました。色々細かいところも含めて見所の多い映画なので、機会があれば一見をオススメしちゃいます。

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