今昔映画館(静岡・神奈川・東京)

やっと書き込み再開します。本年もよろしくお願いいたします。

昔の映画の記憶(備忘録)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

「ラブレス」を観てきたんですが、この監督さんの1作目の「父帰る」を劇場で観ていました。昔の映画サークルのHPから、その時の記事を転載しておきます。当時も変な映画だなあって感想を持っていたようです。

2005年01月09日 横浜のシネマジャックでの鑑賞です。

少年アンドレイとイワン兄弟の家に長い間不在だった父親が帰ってきます。そもそもなぜいなくなって、どこに行っててなぜ帰ってきたのかは兄弟にはわかりません。そして、父親は兄弟を釣り旅行に連れ出します。でも、何かの用事を並行して片付けている様子。兄アンドレイは父親になじもうとしますが、弟イワンはどうもこの居丈高な父親になじめず、反抗ばかりしてしまいます。そんなこんなしながら、父親の目的地である島に3人は到着します。そこで遂にイワンの感情が爆発してしまいます。で、どうなるかって言うと.....。

ロシアの新人監督の映画ですが、2003年のヴェネチア映画祭でグランプリを取ったのだそうです。オープニングで海に飛び込む子供が登場しますから、季節は夏なのでしょうか。それにしては画面は寒々とした海辺の田舎町を映し出します。そして、ある日、兄弟の家に父親が帰ってきます。母親と祖母は何か事情を知っているようではあるのですが、それはあくまで語られず、何やら得体の知れない父親と兄弟の旅行へ物語は進んでいってしまいます。そこから先、物語は過去の事情を一切語らないまま、親子3人のドラマだけで進んでいくことになります。久々に再会した親子3人の楽しい旅行になると思いきや、親子3人の旅は妙な気まずさがつきまとっていまして、一触即発のピリピリした道中になってしまいます。父親はなんとか父の威厳を息子二人に誇示しようとするのですが、それはうまくいかないようですし、子供二人、特に弟は、父親に拗ねてみせるというよりは、憎悪を露にして、道中を険悪な雰囲気にしてしまいます。

オープニングは何かのイメージショットなのですが、その実体は不明です。そして、思わせぶりな演出はドラマの1シーン1シーンを意味ありげに積み上げていきます。その呼吸は普段観る娯楽映画の演出とは明らかに異なるもので、一応ロケ中心の映画なのに、舞台劇を思わせる映画になりました。主演3人以外にも登場人物はいるのですが、生活感も存在感もない描かれ方で、あくまでドラマは親子3人の葛藤にのみ焦点をあてているのです。でも、その3人に感情移入することを拒否するがのごとく、突き放した演出なので、観ている最中はお気楽にながめているわけにはいかず、観客はある緊張感を持って画面と対峙せざるを得なくなります。それでなくても、一触即発の道中ですからね。

親子3人の旅の行方は意外な展開を見せるのですが、様々な意外性を見せるところが、この映画の面白さになっています。物語は兄弟の視点から動かないものですから、父親の過去を垣間見せるシーンがあってもそれが何なのか一切わかりません。港で男たちと話し込んだり、島で箱を掘り出したりするのですが、その種明かしは最後までされないのです。へえ、こういう映画の作り方もあるんやねえとちょっと感心もするのですが、さらに意外な結末でダメ押しをしてくるのです。「何なんだこれは」というツッコミも拒否する決着は、本編で確認して頂きたいのですが、親子3人が様々な暗喩として描かれているらしいことは見えてきます。でも、物語としては3人の親子旅行の悲惨な結末でしかないのです。ただし、描き方が重々しいというか、勿体つけてるというか、思わせぶりというか、「含むところがいっぱいあるからそこを汲み取ってね」という感じなわけです。映画を観た後、プログラムを読んだら、監督のインタビューがあって、そこで、聖書やら、旧ソ連の崩壊とか色んなことを言ってるのですよ。へえー、そんなことまで言いたかったん?とも思うのですが、「親子3人、気まずい道中」をそこまで膨らますパワーは感じましたから、映画としてはよくできているのではないかしら。

オープニングの息苦しいような空気感は最後まで崩れません。1時間半、魂を別世界へ持っていかれたような気分になったのは事実でして、寒々とした重苦しい映像と、独特の間の演出、幻想的な音楽が、観客を日常とは別の世界へと誘うのです。こう書くと、「ミステリーゾーン」か「ウルトラQ」みたいですが、事実ちょっと似たような感覚もありました。観終わった後、スリラー映画やファンタジーを観たような、ある種の不思議を感じたのです。懐かしいような、あり得ないような、根源的な怖さを感じさせる何かがこの映画にはありました。そして、その何かがラストでは失われていくのです。ノスタルジックな郷愁も、好奇心をかきたてる不思議も、心かき乱す恐怖も皆失っていく子供たちには、重い現実だけが残されてしまう、そして、少年は大人になっていくのかもしれない、と思わせるあたりはうまいと思いました。でも、大人になるってことは、失うことばっかではないのですけど

開く トラックバック(1)

イメージ 1

「杉原千畝」の映画が公開されたということで、過去に同じように彼を題材にした映画があったことをご紹介です。この映画「ビザと美徳」は、私は1999年の8月、横浜のシネマジャックで「夜と霧」との2本立てで観ました。以下は、当時いた映画サークルのHPから転載しています。

1940年リトアニアの領事館には、ナチスドイツに追われたユダヤ人がビザをもらうために列を成していました。杉原総領事(クリス・タシマ)のもとには、日本からもう勝手にビザを出すことまかりならんのお達しが再三来ており、ついには、ベルリンへ出頭せよの電報が来ます。妻の幸子(スーザン・フクダ)は疲労からか3ヶ月の息子に乳も与えられない状況です。これまで、ユダヤ人たちのために不正なビザを発行してきた杉原も妻と3人の息子のことを思うと、これ以上の危険は冒せません。そして、これが最後のビザの発行だと、ユダヤ人夫婦を領事室に通すのですが......。

1998年のアカデミー賞で短編映画賞をとった作品だとのことで、てっきり記録映画だと思っていたのですが、26分の劇映画になっていました。以前、テレビでも取り上げられたことのある、杉原リトアニア総領事の物語です。この人は、1940年当時、リトアニアにいて、ポーランドから流れてくるユダヤ人難民にビザを発行し続け、2000通のビザで6000人の命を救ったと言われる人物です。彼は、ユダヤ人からの感謝と尊敬を受けたものの、その職を追われる羽目になりました。この映画はそういう人がいたことを忘れないために作られた映画とも言えそうです。そして、アメリカで、日系三世のクリス・タシマが監督・主演することで、不思議な距離感(バランス感覚と言い換えてもいいです)が生まれ、日本で作ったら、こうはならないだろうという映画に仕上がっています。

ドラマは1940年のある朝、日本からのベルリン出頭命令を受け、これ以上ビザは出せないとあきらめかかる杉原が、それでもやれるところまでやってやろうと思いを固めるまでの1エピソードを描いています。もともと舞台の一幕劇だったそうで、史実かどうかは怪しい気もするのですが、杉原が表情を変えず、寡黙に葛藤した挙げ句にある決断に至るまでを、短い時間の中で描ききった脚本と演出はなかなかのものです。また、ドラマを絞り切ったおかげで、誰もが、杉原の思いに共感できる作りになり、普遍的な愛のドラマとなり得ているのは、見事だと思いました。

主人公が日本で言う英雄というイメージから、かなり離れたキャラクターになっているのが興味深いところで、寡黙で礼儀正しく、愁嘆場を見せないというのは、ひょっとしたら、向こうの日本人のステレオタイプなのかもしれません。そして、その上に人物としての奥行きをつけたという感じなのです。奥さんに「ビザを出すと約束したのに」と言われて困ってしまうあたりは、なんだか英雄と呼ぶにはウジウジしているように見えますが、その見た目の下の強い意志を見せる瞬間が圧巻です。どちらかと言えば、一見普通の人がある特別な環境に置かれてしまって、その中で勇気ある決断をするというお話のように見えました。とりわけ善意の人間のようにも見えないし、かといって、悪いこともできそうもない、そんなキャラクターをクリス・タシマは好演しています。奥さんの方はなかなかにできた人物のようで、ビザ発行から手を引こうとしている杉原をなんとかその気にさせようとします。そのあたりの心の動きを監督としてのタシマは短い映画なのに、非常に丁寧にタメの演出をしています。もとが舞台劇だからかもしれませんが、ドラマとしては淡々として流れながら、テンションの高さはかなりのもので、26分が相当見応えのある時間となっています。

こういう形で日本の有名人が映画化されることはうれしいことだと思います。その一方で、こういう映画の作られる意味として、杉原という人がいたことを忘れないためというのは大きいと思います。実はこの映画を、「夜と霧」という記録映画と二本立てで観たのですが、どちらもこういう過去があったことを忘れてはいけないという視点が感じられました。「夜と霧」はナチスドイツの収容所の今(1955年)と過去を描いた記録映画で、かなりショッキングな映像もあるのですが、目をそらすことができない説得力がありました。「ビザと美徳」にも、記憶にとどめておくべきことがあるという視点が感じられました。ドイツと同盟国だった日本だけど、その中にも、ユダヤ人の命を救った人がいたということは、忘れたくはありません。もし、この先、日本がまたおかしな方向に進んでいくことがあったとしても、こういう人の存在は理性的な行動への大きな励ましとなるのではないのでしょうか。杉原が自信に満ちてビザを発行したのではなく、躊躇と葛藤の果てに、ビザ発行を続けるというところにも、この映画のお値打ちがあるようにも感じました。流されず、固執せず、熟考の果てに決断を下す、彼の姿勢は普遍的な人のあるべき姿のように思えた次第です。

この映画は、杉原のことを映画化しようと思い立ってから、日系など色々な人からの援助や出資によって、できあがった作品だそうです。そういう意味では、日本の杉原の存在をアメリカの人に知らしめたいという気持ちはあったようです。また、オープニングとエンディングの現在のシーン(本人ではなく、俳優さんが演じているのですが)がカラーで、メインのドラマ部分なモノクロというのは、「シンドラーのリスト」を意識させる構成になっているのが興味深かったです。福岡アジア映画祭実行委員会が配給しているということで、団体へのフィルム貸出しをしているようです。
テレビ放映されます「狩人と犬、最後の旅」はかなり好きな映画。別のHPにアップしていた記事を転載させていただきます。

カナダのロッキー山脈で狩を営むノーマン・ウィンター(本人)はそろそろ引退を考えています。大手企業の森林伐採が進み、生態系は崩れつつあり、彼の狩猟方法である罠を仕掛けることも難しくなってきていました。冬の狩猟シーズンに向け、町に買出しに出かけたノーマンですが、そこで、長年の相棒であった猟犬のナヌークを交通事故で失います。ナヌークは犬ぞりを引く犬たちのリーダー格でした。友人が代わりの犬としてメスのアパッシュを彼にプレゼントします。ノーマンはアパッシュにあまり期待していなかったのですが、氷の湖にはまった彼を助けたことで、アパッシュは一躍ノーマンにとっての特別な犬となります。そして、冬が終わり、春がきます。次の冬にノーマンは再び狩猟のために山に入ることになるのでしょうか。

冒険家としての名前もあるニコラス・ヴァニエがある時知り合ったノーマン・ウィンターという狩猟家に感銘を受け、彼自身を主人公にした映画を作ったのだそうです。ヴァニエが脚本・監督を担当していて、これはドキュメンタリーではなく、実際にあったことをベースにしたドラマなのだそうです。ちょっと考えるとややこしいですが、その昔、力道山や稲尾投手の本人が主演する映画があったそうですから、それと同じ類のものかも。さらにさかのぼれば、ドキュメンタリーと言いながら、相当演出の入っていたロバート・フラハティの「アラン」までたどり着くかもしれません。ともあれ、こういう作りの映画はまったくなかったわけではないのです。

映画はノーマン・ウィンターの日々の生活を淡々と綴っていきます。犬ぞりを使って移動し、罠を仕掛けて狩をする彼の日常はそれだけで、映画的な興奮があります。さらに、新しい犬アパッシュをめぐるエピソードが挿入されますが、ドラマチックな展開にはなりません。ノーマンは自分たち猟師の存在が生態系の維持に貢献しているという自負がありますが、企業の森林伐採による生態系の崩壊によって、その役割も終わろうとしているという達観もあります。もう、彼のような猟師はほとんどいないのです。監督のヴァニエは、その失われつつある生活や文化というものを映像に残そうとしているのかもしれません。

ドキュメント風な作りではありますが、その映像の作り方は完全にドラマとしての完成度を持っています。特にティエリー・マシャドのキャメラはシネスコのフレームを最大限に生かして、かつリアルな移動ショット、俯瞰ショットを切り取っており、極寒の山岳地帯の撮影ながら、素晴らしい映像になっています。山の急斜面を登っていく犬ぞりですとか、氷の張った湖のたたずまい、春の清流で鮭を狩る熊、狼の群れの夜間ショット、大自然を切り取るその視線は画家のそれに近いものがあります。ありのままというには、あまりにも美しい構図は必見と言えましょう。

また、主人公のちょっと饒舌なナレーションが気になったのですが、、主要人物(全て実在する人)は声を俳優によって吹き替えているのです。事実の映画化から始まった企画ながら、その映画化にあたって、最大限の創意工夫がされているのです。その結果、観ている方はあたかもそこにあることのように感じることができるのです。当初、本人が主演する映画ということである種の胡散臭さを感じていたのですが、実際に本編を観ると、なるほど、これがドキュメンタリーの一つの作り方なのだな、と納得させられるものがありました。

当然、そこには、作者の明確な視点が含まれていまして、ノーマン、そして猟師たちへの想いが映像に込められています。しかし、ヴァニエは彼らの生活をできる限り淡々と描くことで、そのメッセージに説得力を与えるのに成功しています。自然の中で、その一部として生きることは、確かに素晴らしいことかもしれないですが、今、全世界の人間がそんな生活をできるかというと、それは無理。人間が増えすぎたために、自然もいつかは淘汰されざるを得ないだろうという視線がこの映画には感じられます。ノーマンはもう今年が最後の狩りになるだろうと考えています。そして、町へ下りて職探しをしなくてはとも言います。人間と自然との共存なんてかっこいいことを言っても、実際の当事者たちはその限界を知っている、そんな切ない思いを感じさせておいて、ラストで、それでもノーマンの猟師としての暮らしはまだまだ続くという見せ方をして映画は終わります。それを希望と見るか、現実の先送りと見るか、色々と考えさせるものがありました。

でも、その一方で、あの美しい風景を一度、直接見てみたいものだという観光気分にもさせられる映画でした。ただ零下50度の世界にまで出かけて、死ぬ思いをするのだろうと思うとなあ

開く トラックバック(1)

このところ、映画に足を運べてなくて、テレビばっかの日々を送っているのですが、NHK-BSで「怪奇大作戦」の新旧並行放送をしているんですよね。

オリジナルは昭和43年、「ウルトラセブン」の後番組として日曜日の夜7時から2クール放送された、SF特撮ドラマです。超自然現象や科学犯罪を捜査するSRIという組織の活躍を描いたもので、的矢所長(原保美)、三沢(勝呂誉)、牧(岸田森)、野村(松山省二)、さおりちゃん(小橋玲子)の5人のチームに警視庁の町田警部(小林昭二)が絡むというもの。これが、なかなかの曲者でして、最初の4話の冒頭を並べてみると「怪人が壁を通過する」「蛾にたかられた男の体が泡を吹いて溶けてドクロになる」「タバコを吸おうとした男が火を噴いて焼死」「電話を取った男が火を噴いて焼死」と、休日の最後の団欒を飾るにはやりすぎ感ありあり。1話完結で、スリラーあり、SFあり、何だかよくわからない話ありとバラエティに富んだ内容でしたが、ウルトラシリーズほどは視聴率は稼げませんでした。私は放送当時は小学生低学年で、人が溶けたり燃えたりするのにはかなりビビッて観てました。

1980年代以降のビデオブームで再評価されるようになり、実相寺昭雄監督や岸田森がクローズアップされて、カルト的人気を得るに至りました。私も再見する機会があって、LDなんかゲットしたのですが、これが面白い回とそうでもない回の差が大きい、出来栄えにムラのあるシリーズだったことに気付かされました。結末に謎を残したまま完結しない話に面白いものが多く、私の個人的な好みを挙げると、ベストは「青い血の女」「かまいたち」「果てしなき暴走」となります。一般的には、実相寺監督の「京都買います」「死神の子守唄」などの評価が高いようです。ある程度、その時代を直接反映したドラマですので、怪獣モノに比べると色褪せやすい部分もあるのですが、それでも面白いものは面白いのですよ。脚本や監督はウルトラシリーズから連投のメンバーに加え、脚本に石堂淑朗、監督に小林恒夫や長野卓等が参加しています。

これが年号が改まってから、リメイクされてNHK-BSで放送されたのが「怪奇大作戦 セカンドファイル」でして、的矢所長(岸部一徳)、三沢(田中直樹)、牧(西島英俊)、野村(青山草太)、さおりさん(美波)というメンツで、45分枠で、3本作られました。そして、また間を置いて、2013年の10月から同じく45分枠で、「怪奇大作戦 ミステリーファイル」の放送が始まり、的矢所長(原田美枝子)、三沢(原田泰造)、牧(上川隆也)、野村(村井良太)、さおりちゃん(高橋真唯)のメンバーが怪奇な事件に立ち向かうことになります。オリジナル版は、お話によってSRIメンバーの誰かが主人公になったり、ゲスト出演者が主人公になったりしていたのですが、リメイク版は、明確に、牧が主人公というポジションになっています。まあ、オリジナル版でも牧中心のお話の評価が高かったので、それにならったのでしょう。

先日、オリジナル「怪奇大作戦」の「かまいたち」が放映され、前後して「かまいたち」のリメイクという形で「怪奇大作戦 ミステリーファイル」の「深淵を覗く者」がオンエアされました。同じ設定で、同じネタ、30分と45分という尺の違いがあるものの、時代背景の違いなど、なかなか面白いものがありました。


この先は話を比較するために両者のストーリーを一通り紹介しますので、未見でこれからのお楽しみに取ってある方はご注意ください。



オリジナルは、動機なき殺人者が社会の中に潜んでいて、それが突如、かまいたちで開いた傷口のような不気味な姿を現すという物語を寓意的に描いています。その犯人の平凡なたたずまいの怖さ、そして、SRIの牧が、なぜか彼の視線から、彼が犯人だと確信を持つ不条理さと、物語として怖いのですよ。そして、さらに女性の体が一瞬ゆがんだように見えてバラバラに吹き飛ぶという視覚的なショック。何しろ、ちぎれた首が川の中に落ちたところでタイトルが出て、出演者の名前が出てくると、カメラがパンして、川岸の隙間から、ちぎれたらしい手首がのぞいているというインパクトのある映像が続きます。


「怪奇大作戦」「かまいたち」(脚本 上原正三、監督 長野卓)
東京の下町、深夜に家路を急いでいた女性が橋の上にさしかかったとき、ごうっという風の音とともに、女性の体がバラバラにちぎれ、川の中にボチャン。痴情怨恨からの、鋭利な刃物による犯行と警察はにらむのですが、SRIは流しの犯行ではないかと疑います。次の犯行が起きたとき、これは真空状態を作り出すことによる「かまいたち」現象ではないかと、SRIは推理します。犯行現場に集まった野次馬の中に何か視線を感じた牧は、さおりちゃんに周囲の写真を撮るように言い、その写真の一枚に写った若い男に注目します。「この目は笑っている」牧は男を尾行するようになります。工場に勤める男は平凡で虫も殺さないいたちのような目をしています。SRIは彼を罠にはめるべくさおりちゃんを夜中に橋まで歩かせます。そして轟音とともにバラバラにさおりちゃん。野村が逃げる男を取り押さえるとやはり、牧がにらんだ工員でした。さおりちゃんは橋の寸前でリモコン人形と入れ替わって無事でした。バラバラになった人形がイビツに合体してヘコヘコ歩いていくのがまた不気味。牧や警察に「何でこんなことをしたんだ」と詰問される犯人は最後まで無言。その犯人の目にカメラが寄って、エンドクレジット。

どうやって犯人がかまいたち現象を起こす装置を作りえたのか、また、何のためにそんなことをしたのかは最後までわかりません。かまいたちでできた傷のように、突然社会の傷がぱっくりと割れて、狂気が飛び出したとでも言うべき怖い話です。色々と解釈の余地を残しながら、得体の知れない恐怖を秘めて物語は終わります。冒頭の人体バラバラのインパクトがすごいのですが、その先の結末もかなりすごい。ちょっとヒチコックの「サイコ」を思わせるところもあるのですが、あのノーマンのような普通の時の人間の魅力的な部分は一切なく、ひたすら普通というか平凡な男。そんな男を生み出した社会へと視線を投げかけているようなラストではあるのですが、あくまで匂わせる程度で、そういう言及は一切なく、この常識では計り知れない狂気に対する、牧の畏怖の言葉でドラマは終わるのです。

ショッキングなオープニングから、不気味なエンディングまで、長野卓の演出は30分枠の中でテンポよくストーリーをさばいて、後に不気味な余韻を残すことに成功しています。かまいたち発生装置をなぜ犯人が作ることができたのかもわかりませんし、なぜ立て続けに殺人を行ったのかもわからない。そんな動機なき無差別殺人という不条理な世界を、猟奇スリラーとして面白く描いたのはかなりすごいことだと思います。特撮による人間バラバラシーンはインパクトありましたし、こんなのを日曜夜7時にやっていたというのもすごい時代です。少年漫画雑誌も「アシュラ」などのエグい描写のものが増え、映画も血糊の量が多いエログロ系の映画が幅をきかせてきた時代を反映しているとも言えましょう。


さて、一方の「怪奇大作戦 ミステリーファイル」の「深淵を覗く者」も、冒頭は、オリジナルと同じところから始まります。

「怪奇大作戦 ミステリーファイル」(脚本 小林弘利、監督 鶴田法男)
、冒頭で夜道を急ぐ女性が誰かに尾行されているシーンから、橋の上で、風の音がして彼女はバラバラになっちゃいます。そして、手口を替えた第2第3の殺人が発生し、牧はその殺人方法をことごとく暴いていきますが、そこを逆に警察に疑われて逮捕されてしまいます。牧はどうも連続殺人者に近づきすぎたようなのです。そして、犯人の感情とシンクロしてしまったようで、それを的矢所長から「深淵を覗く者は、その闇に飲み込まれる」と忠告されます。オリジナルと同様に現場写真の中から、怪しいトラックを特定して、そのトラックを尾行し始めます。トラックの運転手である男はSRIに追い詰められたと観念すると、自らを高熱発生装置にかけて火柱となって絶命。結局、最後まで犯人の顔はわからないままなのでした。そして、警察がやってくると野次馬が集まってきて、携帯カメラでばしばし撮影しています。牧はその群集の中の一人に駆け寄ります。そして、牧のアップで「おまえなのか」と言うところでおしまい。

牧が自分と犯人がどこが違うのか、犯罪トリックを暴くことでその犯罪を楽しんでいる自分がいるんじゃないかと悩むところがオリジナルとの大きな違いでしょう。そして、犯人の顔を最後まで見せずに、ラストで群集の中にいる観客(視聴者)に向かって、「犯人はお前なのか」というところで、そのテーマの矛先をテレビの外に向けてくるのです。そういうメタ構造とも言えるドラマの趣向は面白くもあるのですが、何だか青くさい印象も受けてしまいました。学生映画のノリだと言うと語弊があるかもしれませんが、そこまで具体的に語らなくても、伝える方法はありそうなものじゃんというのが、オリジナルと比較しての感想でした。また、キーマンとなる牧のキャラクターも、オリジナルは思い込みと理性の両方にユーモアを加えた一人の人間として描かれているのですが、リメイク版の牧は何かやたらと思い悩むキザな文学青年っぽいので、逆に人間としての奥行きに欠けてしまいました。オリジナルの岸田森が演じた牧もかなりキザでお悩み深そうな感じはあったのですが、リメイク版の上川隆也演じる牧の方がその度合いが激しいのです。そういうところにも青臭さを感じてしまったのかも。

描写としては、人間がバラバラになる描写はありませんが、熱線を受けた被害者が一瞬で灰になっちゃうというシーンがあります。でも、オリジナルよりはおとなしい描写となっています。監督がJホラーの第一人者である鶴田法男だけに、ホラータッチの部分は、オリジナルよりも上々なのですが、何かこうセリフが説明的でリアリティがないのが残念。オリジナルにない切り口を持ったストーリーはいい線いってると思うのですが、最近のドラマ・映画によくある説明過多になっちゃっているように思います。これは、観客(視聴者)がバカになったのか、バカになったと思われているのかのどっちかでないかしら。


というわけで、どっちも面白く出来ているのですが、シンプルだけどかなり怖いオリジナル版に対して、テーマを明確にしたら饒舌になりすぎたリメイク版という風に色分けできるのではないかしら。私は、オリジナル版に強烈な印象を持っているので、どうしてもそっちに肩入れしてしまうところはありまして、動機なき無差別殺人の怖さがストレートに伝わってくるオリジナル版の方に軍配を上げてしまいます。リメイク版も、携帯カメラを掲げた野次馬の群れという現代ならではの見せ方をしている点は評価高いのですが、その語り口の饒舌さがどうもノリきれないのですよ。一番、それがよくわかるのが、タイトルの違い、「かまいたち」と「深淵を覗く者」、どっちにセンスを感じるかと言えば、ねえ。

オリジナルの「怪奇大作戦」はまだ、再放送されるようですから、機会があれば一見をオススメしちゃいます。ただ、玉石混交ってところはありまして、1本見てつまんないと思っちゃうのは早計ですよ。
今回は覚書の意味で、自分の観た映画の中での食べ物の記憶について書き留めたいと思います。と、いいつつも食べ物メインの映画って観たことないのですよ。「たんぽぽ」とか「バベットの晩餐会」なんてのは話に聞いたことはあっても、スクリーンで観る機会もなく、食べ物ウンチクを映画で得たことはありません。それでも、何年も映画を観ていると、食べ物が印象に残っている映画が何本かあります。でも、昔の記憶だけに怪しいところもかなりあるのですが。

その1本目は「殺人狂時代」で、主人公が殺そうとする相手に毒入りワインを飲ませるときに食事として出すスクランブルエッグ(だと思ってます)です。学生当時でしたので、スクランブルエッグが西洋炒り卵くらいの認識しかなくって、これってどういう食べ物だろうという興味深々でした。実際のスクランブルエッグは大学受験の時のホテルの朝食で初めて食べてちょっとだけ感動したという記憶があります。

その次は「ダーティハリー2」のハンバーガー。「ダーティハリー」と言えば、ホットドッグを食べながらの銃撃戦が有名なのですが、それより私にとってインパクトがあったのが、「ダーティハリー2」でハリーが家に帰って一人で食べるハンバーガーでした。なぜインパクトあったのかっていいますと冷蔵庫から食べかけ(?)のハンバーガーを出して、そのまま食べるところ。ええ?冷蔵庫のハンバーガーを冷たいまま食べるのってのが、なぜか印象に残ってしまって。でも、あれは本当はハンバーガーではなかったのかも。ある映画の本で、名のある人が「フレンチコネクション」でポパイ刑事がハンバーガーを食べながら張り込みしてたなんて書いてましたけど、実際観たら、どう見てもハンバーガーじゃなかったなんてこともありましたから。

その次あたりに食べ物の印象があったのが、「ジャグラー・ニューヨーク25時」の目玉焼きです。少女誘拐犯が犯行前にダイナーで目玉焼きにソーセージで鼻と口ををつけてケチャップをかけて、バンってつぶすシーンがありました。まず目玉焼きにケチャップというのが私にはお初だったので印象に残っています。また、その時ウェイトレスがやってきて「コーヒー温めなおしましょうか」って言うので、またびっくり。アメリカって、冷めたコーヒーを温めなおしてくれるんだーって、かなり感心。

次はつい最近BSでも放映されていた「シャレード」から、レバーのサンドウィッチ。冒頭で、ヘップバーンがウォルター・マッソーからダンナの死の説明を受けるところで、サンドウィッチをすすめられ、その片方がチキン、もう一方がレバーでした。レバーなんてものをパンにはさんで食べるのかって、子供心にかなり「????」となった記憶があります。瓶詰めのレバーペーストとのご対面は、かなり大人になってからでして、長年の疑問でありつづけたのでした。

そして、チキンつながりで、「爆走!キャノンボール」を挙げます。典型的なB級カーチェイスものでして、監督が「デスレース2000年」のポール・バーテルだったからか、1シーンだけスターになった後のシルベスター・スタローンがご祝儀出演しています。で、何してるかというと、「チキンは久しぶりだ」と言いながらケンタッキーフライドチキンを食べるだけ。で、どこが印象に残っているかというと、この映画で、ケンタッキーフライドチキンのバーレルを始めて見たのですよ。あんな大きな入れ物にチキンがどっさり入ってるなんてすごいなんて感心しちゃったのですが、あんだけ無造作にチキンが入ってたら下の方はつぶれてまずそうだよなあなんて思うようになったのは、うんと後の話です。

もっとちっちゃなインパクトで挙げるとすると、「アバランチ・エクスプレス」で悪役のマクシミリアン・シェルが外のカフェで寒そうにコーヒーを飲むシーンがあるのですが、そこで、初めてちっちゃい入れ物(ポーション)に入ったクリームを見て、これはすごいと思ってしまったのですよ。今や当たり前のスジャータタイプのミルク容器ですが、やはり最初は感心しちゃうのですよ。我ながら色んなところに感心しちゃうのは、貧しい子供だったのかなあ。「ALWAYS 三丁目の夕日」の当事者だったのかしら。

パスタというよりはスパゲティというのが性にあってるオヤジ世代の自分には、スパゲティが印象に残っている映画が何本かあります。「スクワーム」というミミズ大襲来の映画でスパゲティを食べるあざといシーンが登場したのですが、あんまり個人的にはインパクトはなかったです。やはり食べ物で発見があるシーンの印象が強く残ります。

そのスパゲティで印象に残っているのは、「ミリィ 少年は空を飛んだ」に出てくるヒロインの家の食事シーン。母子3人でソースのかかったスパゲティを無言で食べているのですが、これが何だかすごくまずそうなのですよ。見た目がソースドロドロで小汚いといったものではなく、白い麺に赤いソースで小奇麗ではあるのにまずそう。家庭の空気がうまくいってないという演出ではあったのですが、それまで、スパゲティにまずいものなしと思っていた自分にとって、こういうのもあるんだなあってのがインパクトありました。

逆にうまそうに食べてるのだけど、ホントにおいしいのかなと思ったのが、フランソワ・オゾンの「まぼろし」で登場する、ヒロインが失踪する前の夫と二人でワイン飲みながら食べるスパゲティ。これが、茹で上がったスパゲティにバターを絡めただけというシンプルなもの。へー、そういう食べ方もあるんだという発見があったのですが、自分では試す気力が湧いてこないメニューでした。亡き伊丹十三さんが、その食べ方がいかにうまいかという文章を書いてるそうなので、試す価値はあるのかも。

これは、どの映画だったか思い出せないのですが、登場人物が中華料理店でチャーハンを食べてるシーン。レンゲとかスプーンではなくて、箸でチビチビとチャーハンを口に運んでいるのにびっくり。あれじゃあ食べ終わるまでにものすごく時間かかるようなあって。皿から掻き込む文化はないだろうし、向こうでは、箸を使ってチャーハンを食べるのが標準マナーだったら、面倒くさくて頼めないなあって思ってしまったのでした。

その他にも色々な映画に登場してくるインパクト料理にオートミールがあります。言葉だけ知っていて、向こうでポピュラーな料理だというから、結構うまいものなんだろうなあと思ってると見事に期待を裏切られてきました。まあ、設定的に主人公が何も食べないという時に画面に登場するので、冷め切ったオートミールだからかもしれませんが、あれはどう見てもゲ○、日本で言うなら、しも○かれでしょうか。食欲げんなりキングはオートミールに決定でしょう。

後、アメリカ映画全般に言えることなんですが、映画の食事のシーンで登場人物が腹いっぱいモノを食べてるシーンにほとんど出くわしたことがありません。食事を中断したり、ワンプレートのちょっと盛りだったり、どうしたら、あの程度の食事で肥満大国になれるのかが不思議でなりません。デブが登場しても、大して食べてないのですよ。向こうの映倫は、肥満を促進する満腹シーンを入れてはいけないというコード規制があるのかしら。これ、ちょっと食い過ぎだから、R指定ね、とか。

そんな中で、ちょっと魅かれたのが、「Dearフランキー」に登場するフィッシュ&チップス。あんまり裕福じゃない家が舞台なので、高級なものじゃない、何せ、フライドフィッシュとフライドポテトが一緒くたに新聞紙にくるんであるのですから。でも、お祭りの屋台の食べ物って昔はそんな感じでしたし、子供の頃の惣菜屋のコロッケも新聞紙にくるまれていましたから、どこか懐かしい感じがして、新聞紙についた油の染みすらも、何か心魅かれるものがありました。アメリカ映画での無理やりな小食を見慣れていると、逆にこういう生活感のある食べ物が印象に残ってしまうのでした。

映画を観ていると食べ物が登場するシーンにそこそこお目にかかりますが、その中で印象に残るのはそう多くはないと思います。こういう食べ物があるんだとか、こういう食べ方があるんだという発見、それが自分でも食する機会がありそうなものは結構印象に残ります。実際にはおいしいだろうなあと思うのですが、この先、口にする機会はないであろう、キャビアとか、鳩や兎のローストなんてのは、あまり心に響かないのですよ。でも、一方で、「未知との遭遇」でUFOが出てくるのをポーカーしながら待ってる人たちのテーブルにケンタッキーフライドチキンの箱があったなんてことは覚えてますから、やはり食べたいものが記憶に残るのでしょうね。それが私の場合、安そうなものばっかりで。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
einhorn2233
einhorn2233
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事