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			<title>今昔映画館（静岡・神奈川・東京）</title>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>今昔映画館（静岡・神奈川・東京）</title>
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			<title>とりあえず引っ越しのご報告</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今年に入ってから、映画館へ行く頻度が減っていまして、さらに忙しいこともあって、記事の更新ができておりません。最近も「トイ・ストーリー４」とか「さらば愛しきアウトロー」といった映画を観ているのですが、記事にできておりません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さらに、Yahooブログが閉鎖されるということになって、それものほほんと放っておけなくて、とりあえずブログの引っ越しをしました。ＦＣブログの以下のアドレスとなります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;https://einhorn2233.blog.fc2.com&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「今昔映画館 FCブログ」&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;記事を文言のみ移動したのみで、参照するとこちらのブログ記事に飛ぶという状況ですが、今後はこちらの方へ記事をアップしていこうと考えております。お気が向きましたら、新しいブログへもお立ち寄りをお願いいたします。そう思っていただくためにももっとマメに記事をアップしていかないといけないのですが、そこは少しずつ記事を追加して参ります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今後ともよろしくお願いいたします。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56497736.html</link>
			<pubDate>Fri, 02 Aug 2019 11:53:59 +0900</pubDate>
			<category>その他映画</category>
		</item>
		<item>
			<title>「ブラック・クランズマン」は娯楽映画の上にストレートなメッセージを盛りつけて見応えあります。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/08/56444908/img_0_m?1553982406&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は新作の「ブラック・クランズマン」を川崎のTOHOシネマズ川崎７で観てきました。ウィークデーの最終回としては結構お客さんが入っていました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1970年代、アメリカのコロラド州コロラド・スプリングスで、人種を問わない警官募集に応募して、初めての黒人警官となったロン（ジョン・デヴィッド・ワシントン）は、資料室勤務が不満で潜入捜査官を希望したら、黒人活動家の演説会に潜入する仕事を仰せつかり、学生活動家のパトリス（ローラ・ハリアー）と仲良くなります。その後、配属された情報課で、彼は何とＫＫＫ（クー・クルックス・クラン）の募集広告に電話して、白人のふりをして、潜入捜査をすることになります。電話ではＯＫでも直接会いにはいけないので、実際に会いにいくときはユダヤ人の警官フリップ（アダム・ドライバー）がロンのふりをすることになり、二人一役で黒人（後ユダヤ人も）差別主義者を演じて、ＫＫＫの支部に入り込むことに成功します。彼らの口ぶりからすると、どうもＫＫＫが近々何かすやらかそうとしているみたい。一方、ロンが会員証の件で本部に電話したらＫＫＫのトップであるデューク（トファー・グレイス）につながり、さらに信用を得ることになります。そして、黒人の集会の日、一方ではＫＫＫの支部でも、デュークを招いての集会が行われていました。ＫＫＫの連中は何かやらかそうとしているようです。でも、ロンは上司の指名でデュークのボディガードをすることになっちゃいます。ＫＫＫの集会で浮いているロン、しかし、そこに不穏な動きが....?&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「ジャングル・フィーバー」「マルコムＸ」「セントアンナの奇跡」などで知られるスパイク・リーが、実在した黒人警官の実録本をもとに、脚色し、メガホンを取りました。アカデミー賞の作品賞、監督賞、作曲賞などにノミネートされ、脚色賞を受賞しました。作品賞を「グリーン・ブック」がかっさらったので、リー監督が機嫌悪くなったというエピソードが報道されたりしています。「グリーン・ブック」と同じ黒人差別を扱った映画ではあるんですが、向こうがいい話のロードムービーなのに対し、こちらはかなり悪意のある実話ベースのコメディということができるのかな。でも、映画のオープニングは「風と共に去りぬ」の南軍のシーン、その後、差別主義者の何とかという教授（演じるのはアレク・ボールドウィン）が白人優位を訴えるシーンにつながります。本筋に入る前に、アメリカ南部の黒人差別って根が深いんだぜというところを見せるという、結構マジメな作りなのですよ。黒人警官が白人警官とのコンビで差別主義者を演じてＫＫＫに潜入捜査をするってところはかなり笑える設定で、その展開はコミカルなんですが、映画が黒人の集会とＫＫＫの集会をカットバックで描くシーンになると、突然トーンがシリアスになります。狂気のＫＫＫと虐げられた黒人の歴史を語る様の両方をマジに盛り上げるのですよ。あらすじを追う部分は、笑いも入れてテンポよく展開する娯楽映画。でも、ＫＫＫと黒人を描く部分はマジシリアスという何と言うか映画の中であちこちの温度差が大きい映画に仕上がっています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;コメディかシリアスかと問われるとどちらかというとシリアスが上かもしれません。また、作り手のスタンスは極めて明快に黒人側に立っており、ＫＫＫはどこかが狂った人間という描き方になっていまして、集会で、ＫＫＫのメンバーが「國民の創生」を声援を上げて鑑賞するというシーンはどう見ても正気の沙汰ではない見せ方になっています。一方の黒人の描き方は、単なる被害者というステレオタイプでない奥行きを持った人間としてのキャラを与えられています。学生活動家のパトリスは警官は全部敵だという認識で、黒人警官であるロンと一線を越えることができません。一方で、ロンは警察署内の差別発言に耐えつつＫＫＫをはめてやろうと画策し、それに協力する白人警官の姿もきちんと描かれます。中立なおまわりさんとしては、黒人活動家もＫＫＫも度を過ぎた行動をされるのは困る。一応建前としては、黒人だろうが白人だろうユダヤ人だろうが市民なら守らなきゃいけない立場を全うしようとします。黒人を差別する酷い警官も登場しますが、それが警官の大多数だという描き方にはなってはいませんが、一方で、そういう困った同僚をなかなか告発するのも難しいという組織のよくあるパターンを見せます。日本だって、問題のある教師や公務員を内部から告発してやめさせるとかはできないので、転勤とかでお茶を濁したりしてますから、どこの国でも似たようなものです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＫＫＫは黒人差別だけでなく、他の有色人種やユダヤ人とか、自分たち以外は見下していて、特に台頭してきている黒人に対しては攻撃的になっています。そのメンバーには退役軍人どころか現役軍人も入っているのですって、白装束で集まって十字架を燃やしたりするくらいならまだしも、黒人の集会へテロ行為を仕掛けようとします。ＫＫＫメンバの奥方がやっぱり差別意識がすごくて、黒人を殺すことを悲願の達成と言っちゃうかなり狂ったキャラ。ＫＫＫ側の人間の狂った顔しか見せないので、彼らが善意の市民の顔をもっているところを描かないのが面白いところです。映画の攻撃の的として描くためにそういう見せ方をしているということになるのですが、彼らの善意の市民としての顔を描いて、人間の業の深さを見せる深い映画にすることもできたでしょう。でも、そこまで人間の根源的なところまで踏み込むと、今そこにある黒人差別というテーマがぼけちゃうから、奥行きを感じさせないわかりやすい悪役にしているのだと思いました。映画の立ち位置が明快で伝えたメッセージがストレートに届く映画として、この映画、オススメできます。今だからこそ作らなきゃという気持ちが伝わってくるだけに、今が歴史的に前に進むのか逆コースへ行くのか分岐点にあると感じさせる、ある意味、怖い映画でもあります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;スパイク・リーの演出は面白おかしくテンポよくドラマを進め、シリアスなメッセージも重くなりすぎないようにきちんと娯楽映画の体でまとめることに成功しています。結末も痛快な後味を残す一方で、エピローグで最近の人種差別主義者のヘイト集会やデモなどの映像を見せ、大統領でさえその連中に与している事実で、観客をマジでビビらせる結末になっています。テレンス・ブランチャードの音楽が、メインとなるモチーフのバリエーションでドラマの要所要所を支えるという、20世紀の映画音楽の作りになっているのが、個人的にうれしかったです。クライマックスの盛り上げなど見事でしたもの。サントラ盤をゲットしてしようとしたら、ダウンロード版しかなかったのは残念でしたけど、とりあえずゲットしちゃいました。久々の映画音楽らしい映画音楽なんですよ。そういうのが古い人間なのかもしれませんけど。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＫＫＫの儀式が済んで女性も交えた食事会となりますが、その中過激メンバーのフェリックス（ヤスペル・ペーコネン）と奥さんのコニー（アシュリー・アトキンソン）が不穏な目配せをして、コニーが包みを持って姿を消します。それに気づいたロンは、彼女の乗った車を通報してマークさせます。コニーは黒人集会の場所に爆弾を仕掛けようとしますが、警官が動員されていることで断念、プランＢとして学生活動家のリーダー、パトリスの家にその爆弾を仕掛けようとします。ロンは、彼女の家へ向かい、コニーを見つけて、彼女を取り押さえようとします。一方、起爆スイッチを持ったフェリックスたちの車もコニーの家へ向かいます。ロンとコニーがもみあいになっていると、そこへパトカーが到着するのですが、逆にロンを取り押さえてしまいます。そこへフェリックスたちの車が到着、ロンはパトリスに逃げろと叫ぶのですが、フェリックスは起爆スイッチを入れます。すると、コニーの車が傍にいたフェリックスの車もろとも大爆発。コニーは爆弾をパトリスの家に仕掛けかねていたところをロンに発見されたので、爆弾は彼女の車にまだあったのでした。そして、ロンとパトリスが飲んでいるところに黒人差別の警官が絡んでくるのですが、周囲で待機していた警官に逮捕されてしまいます。ロンはＫＫＫのデュークに電話して、実は黒人だよーんってネタばらしして、みんなで大笑い。一方、ロンがパトリスと一緒に家にくつろいでいると、ドアの方から不審な音が聞こえてきて、二人が銃を構えてドアに向かうところで物語はおしまい。エピローグで現在進行形の差別主義者のヘイト集会やデモ、さらに差別反対のデモに車が突っ込むという実写シーン、さらにトランプ大統領がその差別主義者のテロに「両方悪い」とコメントするシーンが映り、エンドクレジット。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;パトリスの家に爆弾が仕掛けられるシーンは、音楽のサポートもあって、大変盛り上がりまして、ＫＫＫの車が吹っ飛ぶシーンはサプライズなカタルシスがありました。痛快なオチかと思われるのですが、最後の実写ビデオで、今がヤバイぞというメッセージを突きつけてきます。刑事ドラマと実録モノとコメディを組み合わせたエンタテイメントの中に、ストレートな政治的メッセージを盛りつけた作りの映画で、個人的には盛りつけがボリュームありすぎな気もするのですが、こればアカデミー脚本賞をとったのですが、すごい映画なのでしょう。演技陣では、ロンを演じたジョン・デヴィッド・ワシントンが意外と薄めのキャラでドラマにうまくフィットしていました。デンゼル・ワシントンの息子だそうですが、黒人だけど薄めキャラというのは、他の黒人俳優が濃いキャラの人が多いので、こういう人は貴重な存在になるかも。またアダム・ドライバーは新作ごとに役者の幅を広げているのがお見事。パトリス役のローラ・ハリアーの知的美人ぶりは今後要チェックだと思いました。また、あまり奥行きを与えられない悪役であるＫＫＫを演じたライアン・エッゴールドとヤスペル・ペーコネンも要チェックのバイプレイヤーです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56444908.html</link>
			<pubDate>Sat, 30 Mar 2019 21:13:55 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
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			<title>「グリーン・ブック」いい話なんだけど、黒人差別を題材にした映画としてはちょっとつらい部分も。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/01/56440801/img_0_m?1553948629&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は新作の「グリーン・ブック」を、日本橋のTOHOシネマズ日本橋７で観てきました。ここはＴＣＸという通常よりも大きなスクリーンサイズになっていて、その分、迫力が出ると言うのが売りみたい。追加料金はなし。これって昔の70ミリ上映に近いものがあります。70ミリっていうのは、フィルムがでかいので、その分、大きな画面に上映しても、画面が鮮明です。ＴＣＸは上映するメディアは普通のＤＣＰなので、昔で言うなら、35ミリフィルムだけど、70ミリサイズの画面で上映する70ミリ方式上映が該当するのかしら。でも、ＴＣＸには70ミリほどのありがたみとかうれしさを感じないのが残念な感じ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1962年のニューヨーク、ナイトクラブで用心棒をしているイタリア系のトニー（ヴィゴ・モーテンセン）は、店の改装のために一時的な失業状態。妻と二人の子供を食べさせるために職探しをしていた彼が、紹介された仕事は、ドン・シャーリー（マハーシャラ・アリ）というリッチな黒人ピアニストの運転手でした。黒人に対する差別意識を持っていたトニーは一度は断るのですが、それでもドンは、彼のトラブル解決能力を買い、給料増額の要求をのんだ結果。8週間のドンのツアーの運転手となります。彼のツアーは差別意識の色濃い南部の州を回るというもので、確かに色々と厄介なことが起こりそうな予感はありました。それでも、ドンは自らの意思でそのツアーに臨んでいるようです。腕っぷしと口先は達者だけど知性に欠けるトニーと、インテリでアーチストだけど黒人というドンが、アメリカ南部への演奏ツアーに出かけることになるのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;2018年のアカデミー賞で、有力候補とされ、最終的に作品賞と脚本賞と助演男優賞を受賞した人間ドラマの一品です。実在したクラブのマネージャと黒人ピアニストを題材にしたお話で、モデルとなったトニーの息子、ニック・バレロンガと、ブライアン・カリー、そして「メリーに首ったけ」「愛しのローズマリー」のピーター・ファレリーが共同で脚本を書き、ファレリーがメガホンを取りました。えげつない下ネタや差別ネタで過剰な笑いをとってきたファレリー兄弟の片方が黒人差別をネタに実録映画を作ったということで、尖った笑いの映画になっているのかなと思ったのですが、世間の評判はストレートに心温まる映画らしいというので、ちょっと「？」の気分でスクリーンに臨みました。で、これが本当にストレートな映画で、尖ったところがまるでない映画に仕上がっていてかなりびっくり。ラブコメの体裁の「愛しのローズマリー」でさえ相当な毒を盛り込んだファレリー監督、どうしたのかしら。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;要は、黒人差別意識をもったイタリア系のトニーが、インテリ黒人ドンに雇われて、一緒にアメリカを巡るうちに、二人の心が通い合うようになるというお話です。行く先々で差別的な扱いを受けるのですが、最初はトニーが腹を立て、それをドンがいさめるのですが、最後の最後でその関係が逆転したところで二人の絆が深まる、とそんな感じ。未見の方には何のことやらでしょうけど、まあ色々あって二人が親友になりましたってことです。これまでの人生でまるで接点のなかった二人が一台の車で一緒に旅することで心を通わせるようになるという、よくあるロードムービーの定番の作りになっています。そのロードムービーの上に黒人差別をトッピングした感じ。メインはバックボーンの異なる二人のロードムービーでして、あくまで黒人差別はトッピングの扱いなんです。そのせいか、この映画がアカデミー賞取っちゃったものだから、黒人差別の描き方が表層的とかきれいごと過ぎると言う批判が出たんですって。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;トニーとドンの二人のいい話なんだから、そんな本質的でない批判なんかどうでもいいやんというのももっともなのですが、私はこの批判にも一理あるなって思っています。それは、私が&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56211299.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「私はあなたのニグロではない」&lt;/a&gt;を観ていたからです。この映画の中で、ハリウッド映画は白人のヒーローを祭り上げる一方で、ハリウッド映画の黒人は、白人にとって都合のいいものとして描かれてきたのだと言います。今回のドン・シャーリーも知的で、粗野なトニーにもやさしい、よくできた黒人として描かれています。特に白人にとって都合がいいところは、ドンが差別する白人を悪く言ったり、戦おうとしないこと。それどころか、南部アメリカでツアーをすることで黒人の地位向上を図っているようなのですよ。これって、差別する白人を変えようというのではなく、白人の価値観に寄せて行こうとしているわけで、白人からすれば自分の「差別感情という悪意」と向き合わずに済む、すごく都合のいい黒人さんなわけです。白人を悪く言わないどころか、他の黒人から浮いてる存在の自分を責めちゃったりもするわけで、白人の優等意識を突いてくることもない、謙虚で優秀な自虐黒人が、白人から「よい黒人」の称号をもらってハッピーエンドになる映画は、黒人差別意識を腹の中に抱えていると思われても仕方ないと、私は思うのですが、そこまで言うのは、うがち過ぎなのかしら。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さらに気になったのは、ドンがゲイで、それを引け目に感じているところ。どうも、トニーとドンの関係は、お金の上では、ドンが主で、トニーが従なんですが、実際の人間的な関係は、家族がいて世知に長けたトニーの方が優位に立っているのです。インテリ黒人ということで、アイデンティティが不安定で、孤独を酒で紛らわせるドンは、トニーのような存在の安定感がありません。ドンは、映画の冒頭では、黒人の頂点のような威厳のある存在なのですが、物語が進むにつれて、どんどんその地位が後退していくのですよ。純粋に、トニーとドンの二人の個人的な力関係を描いたお話なら、それでよいのですが、黒人差別をトッピングしてしまうと、個人的な力関係が、白人と黒人の力関係のサンプルのようになっちゃうのですよ。この映画、黒人差別を取っ払って鑑賞するのがいいように思います。差別する白人と差別される黒人の物語と考えると、これ白人に都合よすぎるんじゃない？って突っ込みが入っちゃうのですよ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;トニーを優位に置いた見せ方をしているのは、脚本にトニーの身内（息子）が参戦しているからかもしれませんが、やはり白人目線の映画を感じさせるところありました。それでも、主演の二人は与えられたキャラクターを熱演しています。自信満々のドンが時々見せる心細そうな感じとか、トニーの子煩悩な感じとか、タイプキャラにならない奥行きを感じさせるもので、二人のリアルな存在感がドラマを盛り上げました。それだけに、黒人差別というセンシティブな題材を扱いきれなかったところが惜しいと思ってしまいました。黒人差別を背景に押しやってしまうか、これまでのファレリーの映画みたいに差別ネタとして笑い飛ばしてしまった方が、不完全な二人の絆にドラマが集約されて、素直に楽しめたような気がします。作り手が黒人差別を描き切れると思って、正面から取り組んだものの、やはり白人目線から目をそらすことができなかったと言ったら、アカデミー作品賞に向かってひどい言い方かしら。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1950年代から、人種差別問題は色々と形を変えて、それでも良い方向へ進んできていると思うのですが、まだ完成形ではない現状を捉えた時代を象徴する映画として、存在価値のある映画ではないでしょうか。数十年後、黒人差別の歴史の中の一つのイベントとして、この映画のアカデミー賞受賞が語られるとき、この映画がどういう位置づけ評価されるのかが気になるところです。なぜ、そう思うのかというと、この映画と前後して、やはり黒人差別を題材にした「ブラック・クランズマン」という黒人監督による映画を観たからでして、この両者の関係が、未来でどう語られるのかなって。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ドンと、二人の白人弦楽奏者を加えたトリオによるコンサートは南部の観客にも拍手で迎えられるのですが、その一方で、ドンは南部の常識的慣習として差別的な扱いを受けます。警官からも、コンサートの主催者側からも、黒人に対する無造作な差別を受けることに、トニーは憤るのですが、ドンは彼をたしなめ、ツアーの無事な進行を優先させます。ドンがＹＭＣＡで若い白人と一緒にいた時に逮捕されてしまうと、トニーは警官を買収して何とかその場を切り抜けます。一方、警官のあまりにひどい職務質問にトニーが手をあげて逮捕されてしまったときは、ドンがケネディに直接電話をかけて、知事へ手を回して釈放にまでもっていきます。しかし、最後のコンサートの地のホテルで、レストランへ入ることを拒否されると、トニーの説得にもドンは譲らず、最終的にそのコンサートをすっぽかしてしまいます。そして、トニーの家のクリスマスディナーへ間に合うように、二人はニューヨークへむかうのですが、大雪のために車は遅れ、トニーもグロッキー状態で運転を続けられなくなっちゃうのですが、ドンがハンドルをとって、何とかトニーをクリスマスディナーに間に合わせるのでした。そして、トニーの両親兄弟も揃ったディナーの場に、ドンがワインを持って訪問します。ドンを暖かく向かい入れるトニー。ドンを見て一瞬は驚きながらも、歓迎するトニーの家族。そして、彼らの後日談と実際の二人の写真が出て、暗転、エンドクレジット。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;途中のエピソードで、トニーが家族へ手紙を書くのですが、子供の絵日記みたいな文面に、ドンが文章を考えてやるというシーンがあります。届いた手紙を見て、トニーの兄弟両親が、その文才に驚くというのが笑いを取る一方で、最後に家を訪れたドンを迎えたトニーの妻がドンの耳元で「手紙をありがとう」と告げるシーンがいい感じでした。そういう意味で、この映画、すごくいい話なんですよ。きれいごとだとしてもいい話。それだけに黒人差別を正面突破しようとしたおかげでツッコミの入る余地を作っちゃったのは惜しいなあって思ってしまったのです。とは言え、コミカルな味わいもあり、誰が観てもいい話として楽しめる映画なので、オススメできる一編です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56440801.html</link>
			<pubDate>Sun, 24 Mar 2019 17:15:45 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「シンプル・フェイバー」は、70年代のアメリカのTVムービーを思い出させるミステリーの佳品。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/28/56431928/img_0_m?1553948459&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は、新作の「シンプル・フェイバー」を横浜のTOHOシネマズ上大岡6で観てきました。アカデミー賞関係の映画に今イチ食指が動かなくて、こっちの方を優先しちゃいました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ニューヨーク郊外に住む夫と死別したステファニー（アナ・ケンドリック）は、小学生の息子と二人暮らし。料理や生活情報の動画ブログを開いて、そこそこフォロワーがいる模様。父兄参加日に知り合った息子の同級生の母親エミリー（ブレイク・ライブリー）と知りあいになります。豪邸に住み、ハンサムな作家の夫（ヘンリー・ゴールディング）がいて、彼女自身はニューヨークのコスメ会社の重役らしいのです。夫の保険金で何とか暮らしているステファニーとはまるで住む世界の違うエミリーですが、なぜか二人は意気投合。ステファニーは、彼女に頼まれて、子供をあずかったりするようになります。そんなある日、ステファニーはエミリーに頼まれて、彼女の息子を家にあずかるのですが、その後、彼女から一切の連絡がなく、行方不明になってしまいます。彼女の夫ショーンに連絡して、警察にも捜索願いが出されるのですが、彼女の消息は不明。ステファニーはそのことをブログで紹介すると、目撃情報が届き、彼女の借りた車がミシガン州の湖畔で発見されるのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ダーシー・ベルの小説「ささやかな頼み」を原作に、ドラマでに実績のあるジェシカ・シャーザーが脚本を書き「ブライスメイズ」「ゴーストバスターズ」のポール・フェイグがメガホンを取りました。コメディの監督というイメージがあって、ミステリーサスペンスものを撮るというのがちょっと意外性があったのですが、本編を観てみれば、なるほどコメディの監督が撮った映画なんだなあって納得しちゃいました。実際にはシリアスなお話なはずなんですが、どこか間を外したようなおかしさがあって、アナ・ケンドリックの陽性の魅力がこの映画に他のミステリーものとは違う面白さを与えています。その分、ドラマが軽いという印象になりましたけど、そこにちょっと懐かしさを感じました。（そこは後述）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;冒頭で知り合ったステファニーとエミリーの関係がまずおかしい。ハイソで豪華で美しいエミリーと、ちょっとキャピキャピ入ったシングルママのステファニーのコントラストの面白さで、ドラマに引き込まれます。ミステリアスなエミリーに主導権を取られた感じになっちゃうのですが、ステファニーも彼女への憧れのきもちがあって、彼女の頼みを喜んで引き受けちゃいます。他の父兄からは、「まー、いいように使われちゃって」とバカにされたりもしてるけど、本人はそれほどのこととは思ってないみたい。一方のエミリーは、写真に絶対撮られたくないとか、どこかミステリアス。前半は二人の会話中心にドラマが進むのですが、境遇の違う二人がお互いに秘密を共有することで距離が縮まっていくのがコミカルな味わいだけどそこそこリアル。この二人の力関係の流れでドラマが一本作れそうなんですが、そこに警察も絡んだミステリードラマが乗っかってきて、「え？」という展開になります。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;一応、警察は出てくるのですが、物語はずっとステファニーを軸に展開します。こういう作りのドラマって、その昔、70年代によくテレビで放映されていた、アメリカ製のテレビムービーの味わいがあって懐かしかったです。一般の市民が警察が関与するかどうか微妙なレベルの事件に巻き込まれる、ミステリーサスペンスが結構あったのですよ。それが、後になって日本の２時間サスペンスものにもつながるのですが、殺伐度もスリラー度もそこそこの感じで、普通の人のドラマが展開するってのが、昔、こういうの観たなあって感じなんですよ。劇場映画としての画面の豪勢さはありますけど、でもこじんまりまとまったミステリーとして、懐かしくも楽しんでしまいました。特にヒロインのステファニーがちょっとドジっ子ママなところがあるという親近感も、テレビ的というか、話に入り込みやすいのですよ。一方のエミリーが欠点のなさそうなミステリアスな美形というのも、出来過ぎのタイプキャストのような気もするけど、そこがまたわかりやすい展開につながっています。観客を謎解きやどんでん返しまで引っ張り倒すこともなく、後半のさくさくと展開するのも小気味よくて、軽いけど意外な展開もあって滅法面白い映画になっています。ホント、後半からクライマックスまで、一切、ドラマを溜めることなく、さらりと流したポール・フェイグの演出は、バックに流れるフレンチポップスと同様に、いい意味の軽さがうまく作用して、面白い娯楽映画にまとめあげています。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主演の二人はタイプキャストではあるのですが、そこをきっちりと演じ切ってお見事でした。アナ・ケンドリック演じるステファニーは、動画ブログを毎日更新しているらしいのですが、エミリーが行方不明になってから、彼女のことをブログで語り、情報を求めたりする、今風だけどちょっと軽そうな、人の好いママさん風なんですが、その後に「そっちも軽いのかい？」の意外な顔を見せますし、エミリーの裏のやさぐれキャラもきっちり演じ切ったブレイク・ライブリーも女優としてのうまさを感じさせました。そういう意味では、女優の演技で楽しませるコメディとして観るのも一興ではないかしら。後半のアナ・ケンドリックの素人探偵ぶりは、２時間サスペンスのよくあるパターンですし、２時間サスペンスですから、当然血生臭い事件も起きちゃうのですが、ちょっと懐かしい味わいもありつつ、ごひいきアナ・ケンドリックのかわいいヒロインを見ることができ、美女ブレイク・ライブリーの演技の幅も堪能できて、楽しい２時間弱を過ごせましたから、軽い期待とノリでスクリーンに臨めば、ちょっとツイストの効いたサスペンスコメディとして楽しめるのではないかと思います。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;行方不明だったエミリーは、湖から水死体で発見されます。DNAも腕の入れ墨も死体が彼女であることを物語っていました。夫と親友を失ったショーンとステファニーですが、葬儀を終えてすぐに二人はやんごとなき関係になってしまいます。そして、エミリーのいた豪邸にステファニーと息子は引っ越してきて、エミリーの息子も入れた４人の暮らしが始まります。でも、息子たちがエミリーを見たと言い始め、さらにステファニーにもエミリーと思しき女性から電話がかかってきます。エミリーの荷物を処分したクローゼットが元に戻っていたり、まるで超自然現象みたいな展開になってきて、ステファニーも「悪魔のような女」じゃないの？とショーンを疑いますが、ショーンもわけがわからない。警察は、エミリーに４００万ドルの保険金がかかっていたことから、ショーンを疑っているみたいだし、急接近したステファニーへも疑いの目を向けてきます。そこで、ステファニーは単身、エミリーの過去を調査し始めます。亡くなった湖でのキャンプに参加していたらしいことを知り、アルバムを調べると、なんとエミリーは双子だったのです。そして、彼女の母親に会って話を聞くと、どうやらとんでもない娘だったらしいのです。双子は、家の火事の後、姿を消していました。それは、厳しい父親を殺すために二人が共謀して家に火を放ったのでした。エミリーは双子の姉と別れて、新しい人生を歩んでいたのですが、姉が金の無心をしてきたことから、彼女を自分の身代わりにして殺して、自分の保険金を手に入れようとしていたのでした。それもショーンには内緒で。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;一方、エミリーに双子の姉がいることを知ったステファニーはブログで、彼女が生きてることをほのめかしたもので、エミリーも逃げきれなくなって作戦変更、ショーンに再度接近します。しかし、彼が思うように動かないとわかると、一計を案じて、全てショーンの計画だったという証拠を偽造して、彼を刑務所に送ろうとします。ショーンのお邸で三者会談となるのですが、ステファニーは銃を持ち出して、ショーンに向けて、エミリーに姉を殺したことを白状させようとします。でもエミリーは仕掛けられていた盗聴器を見抜いていて、それを壊して、改めて銃をステファニーに向けます。しかし、彼女のブラウスのボタンには小型カメラがしこまれていて、３人の会話はブログに実況されていたのでした。逃げ出すエミリーを追うステファニーですが、銃を向けられた時、ブログ読者である息子の同級生の父親が車で突っ込んできて、間一髪で命拾いし、エミリーは警察に逮捕されるのでした。ステファニーはその事件が縁で、探偵ブログを始めて、実際に探偵事務所を開いて事件を解決するようになるのでした。そして、２０年の実刑をくらったエミリーは刑務所でそれなりに居場所を見つけたようなのでした。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;エミリーが双子とわかってからは、ドラマのテンポが一気にアップして、エミリーとステファニーの対決ドラマの様相を呈してきます。ブログでエミリーを挑発するステファニーに対して、ショーンから攻め落とそうするエミリーの攻防が、クライマックスでは、ショーンを挟んで、両者が直接対決となります。とは言え、ストレートにサスペンスを盛り上げず、時間の省略や、間を外した場面転換などで、どこか軽さとコミカルさを持った展開になるのがおかしく、とぼけた味わいのエピローグまで行くと、やっぱりこれはコメディだったんだなあってことになります。もちろん、エミリーの姉殺しや父親を放火で殺すといった血生臭い事件もあるのですが、それでも全体はどこかコミカルな軽さがあるのは、まさに２時間サスペンスの味わいなんですよ。映画の宣伝文句を真に受けちゃうと物足りなさや展開の甘さを感じてしまうのですが、もともとそういうストレートな作りでないので、観る方もお気楽にスクリーンに臨んだ方が楽しめる映画です。そういう意味では、エミリー・ブラント主演の「ガール・オン・ザ・トレイン」と似たような売り方をしているのですが、あっちは、ブラックな笑いを散りばめたスリラーで、こっちは、犯罪を盛り込んだご近所コメディくらいの違いがあります。どっちも娯楽映画として、面白くできていますから、オススメしちゃいますが、変にずれた期待をしてスクリーンに臨むとせっかくの面白さを受け止め損ねちゃいますから、宣伝には気を遣って欲しいと思いますです。&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56431928.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Mar 2019 20:38:22 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「パペット大捜査線」はバカ下品な珍品と思ってたら、ラストは意外とまともで....。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/31/56421831/img_0_m?1551694849&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_800_1134&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は、川崎のチネチッタ４で、新作の「パペット大捜査線」を観てきました。ここは中劇場タイプながら、画面が大きいので映画を観たなあっていう充実感のある映画館。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;人間とパペットが共存する世界。でも、パペットは二級市民というか、何かと差別されちゃっています。パペットのフィル（ビル・バレッタ）は、元警官でしたが、ある事件をきっかけに警官をやめ、今は探偵事務所を営んでいます。そんな彼のもとにセクシーなパペットのサンドラが自分の秘密を暴くと脅迫されていると言って、調査の依頼に来ます。その脅迫状の切り抜き文字に見覚えがあったフィルは、知りあいのアダルトショップに出かけて、エロ雑誌のロゴが脅迫状にあったことを発見するのですが、そこへ何者が侵入して居合わせた連中を皆殺しにします。さらに、フィルの兄も惨殺されたことで、90年代のテレビ番組「ハッピータイム・ギャング」の関係者が狙われたのでは？と警察も動き出します。かつての同僚の人間の刑事コニー（メリッサ・マッカーシー）と再び組まされて事件を捜査することになるフィル。すると本当に番組の出演者が次々に殺され、その現場に必ず居合わせるフィルは犯人として追われる身になっちゃいます。果たして、フィルは自分に向けられた疑惑を晴らして、真犯人を見つけることができるのでしょうか。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;パペットというのは、操り人形のスタイルであるマリオネットとパペットの合成語です。日本だと、初めてパペットがメジャーになったのは、教育テレビで放送した「セサミ・ストリート」ではないかしら。カエルのカーミットとかクッキーモンスターなんてのが記憶にあるのですが、日本語吹き替えでない英語放送は、子供の私には敷居が高くて、たまにチラ見する程度でした。アメリカではパペットの番組や映画が色々と製作されたようですが、日本では「パペット放送局」が半年間放送されたくらいだったように思います。これは有名な歌手や俳優がパペットと一緒にバカをやるという楽しい番組でしたが、何か打ち切られ感が強かったのが残念でした。で、この映画なんですが、パペットと人間が共存する世界で、起きた犯罪ミステリーものということになるのかな。でも、やってることはすごぶる下品。冒頭のアダルトショップの描写ですとか、パペットのフィルとサンドラのセックスシーンとかも、くだらないを通り越して「バカじゃねえの？」のレベルになっています。パペット惨殺シーンにもリアルなスプラッター描写があります。でも、飛び散るのは血肉ではなくて、中の綿なんで、何かビミョーな変な感じ。また、パペットの世界の麻薬が砂糖だとか、パペットも子を持って、その子が成長するなんていう、完全に思いつきだけ並べたような世界観が、「やっぱりバカだねー」な面白さになっています。最近のアメコミ映画やハリ・ポタ系映画が、その世界観を真面目に描こうして、面倒くさいお約束を並べてきていることへのアンチテーゼとも思えるバカバカしさは、世界観の面倒な映画はスルーしちゃう私にとっては、すがすがしいバカらしさとして楽しめました。「スター・ウォーズ」以降、映画は世界観に縛られて枝葉末節を描き込むことが「良い事」とされてるのが、面倒くさいなあって思っていた私には、こういう「細かい事はいいんだよ」というスタンスがうれしく感じられました。ただ、やり過ぎ感もありまして、私はギリ持ちこたえましたけど、人によっては結構引いちゃうかもしれません。そういう意味では、万人向けの映画とは言い難く、珍品として楽しむことができる物好き向きの映画なのかなあ。でも、公開時に、興収３位まで行ったそうですから、一応メジャーな映画になるのかと思いつつ、「ホステル」が興収１位になっちゃう物好きの層の厚いアメリカだから、こういうある意味ゲテモノ映画も作れば当たるんだろうなあ。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;映画の作りは冒頭は、フィリップ・マーロウか「チャイナタウン」を思わせる渋い探偵ものの味わいなんですが、舞台がすぐアダルトショップに行くので、そこから先は、もう何でもアリな映画になっちゃいます。パペットの惨殺死体とか、パペットのドザエモンとか登場しますし、女刑事のコニーは、銃で撃たれた時に、パペットの肝臓を移植して一命をとりとめたというわけのわからない設定ですし、「細かい事を考えてもムダ」という筋が一本通った（？）展開になっています。それでも、一応は連続殺人モノからのミステリータッチの展開になって、なぜかマトモに着地するのがまた変。最後までムチャクチャやるんかと思ったら、何かパワーダウンしちゃったような気もするのですが、後半は、フィルとコニーのバディものみたいな味わいで、悪趣味度は前半が10なら、後半4くらいと、変なバランス感覚があるみたい。つかみの部分で下品度を膨張させておいて、後半で普通の娯楽映画へ落とし込むという作りは、何だか妥協の産物だよなあ。バカで下品のまま最後まで突っ走ったその昔の「ズーランダー」みたいな映画の方が稀なのかな。それとも、最近の映画は複数の国の複数の会社が出資してるから、最後は万人向けにしとかないと、グローバルな商売ができないのかも。この映画も冒頭で中国の会社のロゴも出ましたし。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;そんなわけで、パペットは登場するけど、笑いは下品で、世界観は思いつき、それでもラストでいい話にまとめようとする、かなりの珍品と申せましょう。私がここ数年で珍品と思った映画には&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/55999385.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「シンクロナイズド・モンスター」&lt;/a&gt;とか&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56120219.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「聖なる鹿殺し」&lt;/a&gt;なんてのがありましたが、こちらの方がバカ度の高い珍品と言えそうです。エンドクレジットがメイキングになっているんですが、それによるとグリーンのスーツに身を包んだパペッターが３人がかりで１体の人形を操作してます。なるほど手作り感覚の職人芸で人形を動かして、そのパペッターをデジタル処理で画面から消してるみたいです。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フィルとコニーは「ハッピータイム・ギャング」のかつての出演者たちに会いに行くのですが、その先々でみんな殺されてしまうので、ますますフィルの嫌疑は濃くなり、ついにはＦＢＩに逮捕されてしまうのでした。隣の取調室で、フィルへの依頼者であったサンドラが嘘八百の証言をしていたのを見て、フィルはこいつが犯人だと確信。そもそも、彼女の脅迫状の文字を調査に行ったところから連続殺人が始まっているのですもの。そして、取調室で見えた彼女がアンダーヘアの色から、かつてフィルが誤って射殺した男の娘だと気づくのでした。全ての殺人は、父親を殺したフィルに復讐するためのものだったのです。コニーが一計を案じ、フィルを銃で撃って、病院へ運ぶ途中で脱走、高飛びしようとするサンドラを捕まえようとするのですが、サンドラはコニーを盾にとって逃げようとします、かつての誤射のトラウマが頭をよぎるフィルですが、今度は誤らずサンドラの頭を撃ち抜き、その結果、フィルは警察に復職し、再びコニーとコンビを組むことになるのでした。おしまい。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;コニーを演じたメリッサ・マッカーシーが出しゃばり過ぎない脇役としてのコメディエンヌぶりがお見事で、どうしても表情の乏しくなるパペットのフィルとうまいバランスを取って、最後にはフィルと和解するキャラを好演しています。またチョイ役のエリザベス・バンクスや、フィルの秘書役のマーヤ・ルドルフといった個性の強い面々も、脇のポジションで目立ち過ぎない演技で、パペットのフィルをうまく立てているようです。彼女たちのような、大芝居のコメディ演技をする女優さんたちと、パペットを共演させて、パペットが霞まないように采配したヘンソンの演出は、この映画を暴発させないでうまく着地させることに成功しています。ただ、個人的には、最後までバカと下品を貫くのも、ある種の見識だと思ってまして、そういう意味では若干刺激が足りなかったかも。オードブルでとんでもないスパイシーな味付けをしてったのが、メインディッシュではまろやな無難な味付けになっちゃったと言ったら伝わるかしら。最近のハリウッドの映画製作費高騰のおり、全世界公開してモトを取る必要があるとき、最後で映画がとんがり続けるのは難しい時代になったのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56421831.html</link>
			<pubDate>Tue, 26 Feb 2019 20:01:48 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「ギルティ」は舞台限定のサスペンスミステリーで意外な切り口から見応えあり、オススメ。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/78/56419478/img_0_m?1551696020&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は、横浜のTOHOシネマズ上大岡４で新作の「ギルティー」を観てきました。ここは劇場の広さの割にはスクリーンの大きさが今イチなんですが、どっかでこういう映画館あったよなあって思いだしたのが、銀座シネパトスでした。あそこほど小っちゃい劇場ではないんですが、客席とスクリーンのバランスがそんな感じで。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;警察の緊急通報司令室のアスガー（ヤコブ・セーダーグレン）は、市民からの緊急電話を受け付けるオペレーター。明日に何か控えていて、それが彼の気懸りみたい。そんな彼が受け付けた通報は若い女性からのもので、どうやら誰かに誘拐されているみたい。自分の子供に電話すると偽って警察に電話してきたみたいなんです。電話番号から、彼女の名前がイーベンであること、電話の基地局から、どうやら市の北部の高速上にいるらしいことがわかります。アスガーは警察本部に連絡して、パトカーが向かうのですが、イーベンが乗っている車を特定することができません。アスガーは思い切って、イーベンの家に電話すると、マチルドという6歳の女の子が出ました。マチルドが言うには、母親のイーベンを、別居中の父親ミケルが連れだしたというのです。アスガーはマチルドに弟のそばに行って、警察を待つように告げ、警察本部にイーベンの家へ警官を向かわせるように依頼します。イーベンには暴行の前科があり、ナイフを持っているということで、イーベンが危険な状況にあることがわかってきます。アスガーは相棒で非番の警官ラシードにミケルの家へ行くように頼みます。夜勤のオペレータと交代の時間が来たのですが、アスガーはそこに残り、事態を何とか収拾させようとします。マチルドからアスガーに電話があり、会話していると、電話の向こうで警官がやってきたことがわかります。しかし、アスガーはその警官の口から驚くべき言葉を聞くことになります。果たしてイーベンを無事保護することができるでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;デンマークのグスタフ・モーラーが脚本を書き、自ら初メガホンを取りました。カメラは緊急通報司令室を出ることなく、事件は、主人公の電話の向こうで展開します。アスガーが受けた緊急通信から、事件が始まります。設定としては、同様に緊急通報司令室のオペレータが誘拐された女性からの電話を受ける&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/53912063.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「ザ・コール」&lt;/a&gt;という滅法面白い映画と同じなんですが、こちらは、最後までカメラが緊急通報司令室を出ることなく展開するので、舞台限定ということでは、&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/51178871.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「リミット」&lt;/a&gt;&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56326685.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「search/サーチ」&lt;/a&gt;に近い見せ方になるのですが、単なるサスペンス以上の重めの人間ドラマを設定していて、なかなかの見応えがあります。ただ宣伝文句の「犯人は音の中に潜んでいる」というのは、真に受けない方がいいです。電話の向こうの音から犯人がわかるというミステリーの要素はないですから。それでも、電話の向こうから聞こえる声と音だけで事件は描写されますので、想像力を働かせての映画鑑賞は、なかなかにスリリングです。ラストで、「ああ、そういう話だったのか。」という面白さもあり、劇場での鑑賞をオススメします。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;その先の展開については、あまり語れないのですが、この映画のポイントは、主人公のアスガーがどんどん事件にのめり込んでいくこと。もともと、彼は緊急電話を受けるオペレータなので、警察本部へ事件を報告したら、後は向こうの仕事であり、アスガーは事件を捜査したり、犯人を捜す権限はないのです。にもかかわらず、彼は自分からイーベンの家へ電話して、マチルドと話をしたり、挙句の果てには犯人と思しきミケルにも直接電話をかけちゃったりして、かなりやりたい放題。彼の態度の中に、現場の警官よりも自分の方がこの事件をよくわかってると思っている節があるんですよ。だから、警察本部側のオペレータと言い合いになったり、かつての上司に何様な口を聞いて怒られちゃったりします。こいつ、警察組織の中でも浮いてる存在らしいということがわかってくると、電話の向こうだけでなく、アスガー自身も単なるミステリの探偵の立場ではなく、サスペンスの要素として、ドラマをかき回してきます。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;モーラーの演出は舞台を緊急通報司令室に限定しても、ミステリーとしての展開の面白さと、ハラハラドキドキのサスペンスを両立させることに成功しています。また、ジャスパー・スパニングの撮影が、シネスコ画面で意外と落ち着いた絵作りをしていたのが印象的でした。特に舞台が限定されていると、画面が単調になるので、やたらアップを増やしたり、カットを細かくしたりして、観客を引っ張ろうとしがちなんですが、この映画では、引きの絵などオーソドックスな絵で役者の演技をしっかりと見せているのが見事でした。ほとんど一人舞台のヤコブ・セーダーグレンの演技でドラマが展開していくのですが、それでもサスペンスが切れないのは、彼の演技もさることながら、演出のうまさが光りました。この内容なら一幕ものの舞台劇にしても、面白いかも。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;イーベンの家に着いた警官は、血まみれのマチルドと、その弟の惨殺死体を発見します。それを知ったアスガーは、イーベンの身が危ないと、電話してきた彼女に、サイドブレーキを引いて車から逃げろと指示しますが、イーベンは逃げるのに失敗。ミケルによって荷台に閉じ込められてしまいます。それでも、アスガーは彼女の電話に、車が停まったらレンガでミケルを殴って逃げろと伝えます。しかし、その会話の中で「息子の中にヘビがいて、苦しんでいたから取り出した」と言い出します。どうやら、イーベンは精神に異常を来していて、息子を殺してしまい、それを知った元ダンナのミケルが彼女を精神病院へ送る途中だったのです。ミケルは弟の惨殺死体をマチルドに見せないために、弟の部屋へ行くなと指示してあったのですが、アスガーがマチルドに弟のところで警察を待てと言ったせいで、マチルドは弟の返り血で血まみれになっていたのです。イーベンは、アスガーの指示とおりにしてミケルの車から逃げ出します。よかれと思って暴走したアスガーの行動は全部裏目に出てしまい、頭を抱えるアスガー。実は、彼は容疑者の若者を射殺していたのですが、それを相棒ラシッドを巻き込んで正当防衛だと偽証していたのです。その裁判が明日に控えていた彼ですが、もう彼には嘘をつき続けることができなくなっていました。イーベンから電話がかかってきました。自分は息子を殺したのかと問う彼女は、自分の罪を認識していて、橋の上から身を投げようとしていました。何とかしてそれを思いとどまらせようとするアスガーは、息子を殺したのは事故だと説得します。そして、自分は人生がいやになって殺さなくてもいい若者を殺して、正当防衛だと嘘をついたと告白します。説得の途中で、アスガーの一報で手配されたパトカーがやってきて、間一髪のところでイーベンは保護されるのでした。事態の収拾を確認したアスガーは司令室を出て、誰かに電話をかけるのでした。その電話をかける彼のロングショットから暗転エンドクレジット。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アスガーのやったことは、ほとんど裏目に出て、事態を悪い方へと進めてしまいます。そのことを知って後悔するのですが、それまで警察本部への連絡もしないまま、自分の電話で事件を解決しようとしているあたりは、彼はかなりの問題警官です。でも、それ以上に若者を殺したことで、裁判にかけられるのが問題で、彼は嘘をついて殺人の罪を逃れようとしていたのです。それでも、彼は最後にはイーベンの自殺を止めることに成功したことで、自分の生きる意味をぎりぎりのところで見出したようで、人生やり直しをするのかな？というところで映画は終わります。一言で言ってしまえば、精神を病んだ母親が息子を殺し、それを知った元夫が彼女を精神病院へ連れていこうとしていたお話なのですが、アスガーがかき回してしまった結果、事態は悪化してしまいます。でも、最後の最後で、彼はイーベンの自殺を食い止めることに成功します。そういう意味ではハッピーエンドではあるのですが、彼は人生に絶望した結果、死ななくていい人間を殺していたのです。それでも、映画の後味が悪くならないのは、未来への希望が描けているからでしょう。アスガーの隠された秘密のミステリーと、誘拐事件のサスペンスを過不足なく描いていて、ドラマとしても見応えのあるものになりました。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56419478.html</link>
			<pubDate>Sat, 23 Feb 2019 22:06:34 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「メリー・ポピンズ・リターンズ」を観て「画面がやかましい」と思ったのは、私がジジイになったからかしら。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/41/56414841/img_0_m?1551695706&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は新作の「メリー・ポピンズ・リターンズ」を川崎の川崎チネチッタ１で観てきました。このスクリーンは劇場前３列は画面をムチャクチャ見上げることになる最低の席なんですが、日曜日で混雑ということもあって、前列にもお客さんが入っていまして、こういう鑑賞になるのをきちんと劇場が説明しているのか気になっちゃいました。私が知らずにシネコンでこんな席を取られたら、そのシネコンへは二度と来なくなっちゃうくらいの座席配置なんですよ、これが。ここを除けばすごくいいシネコンなので、もったいないような気がして。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1934年の大恐慌時代のロンドン。ガス灯番のジャック（リン・マニュエル・ミランダ）がガス灯を消しに回り、ロンドンに朝がやってきます。チェリー街にあるバンクス家では、妻をなくしたマイケル（ベン・ウィショー）が3人の子供と暮らしていましたが、自分の働く銀行から借りた借金の取り立てが来て、金曜日の真夜中までに金を返さないと家を差し押さえられると通告されます。でも、バンクス家には銀行の株券がある筈、そこで、マイケルの姉ジェーン（エミリー・モーティマー）も一緒になって家の中を探し回るのですが、見つけることができません。一方、朝ご飯を買いに出かけた子供たちが、凧に乗って空からやってきたメリー・ポピンズ（エミリー・ブラント）と一緒に家に帰ってきます。マイケルとジェーンは、子供の頃に家政婦として家にいたメリー・ポピンズとの再会にびっくり。だって、彼女、当時と全然変わっていないんですもの。彼女は、3人の子供をしつけるためにも私が必要だから、ここにいますねと宣言。借金で家を追い出されかけているマイケルに家政婦を雇う余裕はないのですが、メリー・ポピンズはそんなの意に介さず、子供たちをお風呂に入れるのですが、浴槽の中には広い海が広がっていて、子供たちはそんな不思議な世界にびっくり。さらに、子供たちが割ってしまった母親の思い出の壺の世界に入り込み、そこで、オオカミたちがバンクス家を乗っ取ろうとしているのを発見します。現実世界では、バンクス家で縁のあった銀行の頭取の甥っ子ウィルキンズ（コリン・ファース）が銀行を牛耳っていて、株券が見つからないことを知って、バンクス家を騙し取ろうとしています。子供たちが返済期限を延ばすようにウィルキンズに直談判に行っちゃうもので、銀行での立場も悪くなっちゃったマイケル激おこ。果たしてバンクス家は長く住み慣れた家を追われてしまうのでしょうか。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;前作の「メリー・ポピンズ」から55年後の続編ですって。ジュリー・アンドリュース主演のオリジナルは、高校生の時に、静岡けんみん映画祭というイベントで鑑賞した記憶があります。もう細かいことは憶えていないのですが、子役たちの子供らしい動きとか、「チムチムチェリー」「鳩に餌を」などのペーソスを感じさせる楽曲が印象的でした。また、当時としてはアニメ画面に実写の人間を取り込むというのがすごい技術と言われてまして、その華やかな映像もインパクトがありました。今回は、前作をベースにしていまして、マイケルとジェーンは、子供の頃、メリー・ポピンズの魔法で様々な不思議な体験をしているのですが、それは今は忘れ去られているというか、少なくとも現実にあったこととして認識していないみたいなんです。このあたり、映画の頭に前作のダイジェストでもつけてくれないと、設定がわかりにくいと思うのですが、そのあたりを説明しないので、マイケルとメリー・ポピンスの関係が飲み込みにくい観客もいるのではないかしら。「ネバーランド」「ライフ・オブ・パイ」のデビッド・マギーの脚本は、メリー・ポピンズと子供たちの関係にフォーカスしていて、他の部分はあっさり流した感じでして、ロブ・マーシャルの演出も、過去の経緯には無頓着にお話を進めています。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;画家だけど、生活のために父親が勤めていた銀行で出納係をしているマイケルが銀行に借金していて、その期限もわからなくて、週末に家を立ち退かされちゃうってのはずいぶんと呑気なお父さん。奥さんを亡くしてあたふたしてたのお察しするけど、お金のことを奥さんに任せっきりだったというのは、一家の長としてはちょっと情けない。子供たちは普通に育っているのでまあ良かったんだけど、こういう設定だとメリー・ポピンズが再びやってくる理由が今一つ希薄なんですよね。昔躾けた不甲斐ない父親を何とかするためにやってくるなら、わからなくもないんですが、今回は子供が乳母を望んだわけでもないし、押しかけナニーなので、お話の設定がわかりにくくなっちゃいました。前作のように、現実の厳しさだけで子供に接しようとする父親との対立といったお話の軸がないので、メリー・ポピンズの魔法が現実逃避にもならないし、単に子供を甘やかしているだけにも見えちゃうってのはひどい言いぐさかしら。うーん、何ていうのかな、メリー・ポピンズは、子供たちも含めた貧しい人々に夢と希望を与える存在だと、前作を観て思っていたのですが、今回は「何しに来たんだろう」って感じなんです。これは、私が年を取り、子供の心を失って「メリーポピンズ」を楽しめない大人になっちゃったのかもしれませんが、どうもメリー・ポピンズの存在感が感じられなかったのが残念。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;後、すごく気になったところがありまして、映像がすごくやかましいのですよ。「ＮＩＮＥ」ではシネスコの素晴らしい絵を切り取ったディオン・ビーブの撮影が、手持ちカメラを駆使して、臨場感を出すのはいいのですが、ミュージカルシーンとかが落ち着かない絵になっちゃって、歌やダンスに集中できませんでした。カット割りもやたら細かくて、アップからロングへさらにロングでもアングルを変えてと目まぐるしく変化するので、せっかくのダンスも歌も楽しめなかったんですよ。最近のジェットコースタームービーの編集テンポをミュージカルにそのまま持ち込んだという感じ。アクションシーンの勢いや臨場感を出すのに、細かいカット割りは有効なのですが、それをミュージカルのダンスシーンでやられると、観ている方は何だかムダに疲れちゃう。せっかくの群舞もじっくり見せてくれないし、１カットが短すぎて、何が映ってるのかわからないようなカットもあり、ロブ・マーシャル監督も、アメコミ映画に感化されちゃったのかと言ったら言い過ぎかしら。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;さらに、マーク・シャイマンによる楽曲も前作に比べると印象に残るものが少なくて、「チムチムチェリー」「鳩に餌を」といったしっとりと歌い上げるものがなかったせいか、メリハリを欠いてしまったように思います。前作を観たのが30年以上前なので、思い出補正がかかっているのは認めちゃうのですが、何か物足りなくない？って思えてしまったのですよ。大恐慌時代と字幕に出るのに、貧しい人々は登場せず、お金に困っている筈のバンクス一家もでかい家に住んでいるし、何かこうフワフワしているんですよ。別に貧乏くさい映画を作れと言ってるわけではないんですが、前作にあった、お金持ちの子供たちと対照的に描かれる貧乏な市井の人の存在感がないのは、やっぱり物足りなく感じちゃうのですよ。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;アニメと実写の人間の合成は当然のことながら、ものすごくスムースなのですが、どうせＣＧなんでしょって思うと、前作のような驚きを感じることは難しいです。でも、この映画に盛り込まれた趣向は、前作でやったことをスケールアップして見せようという意図が感じられます。また、前作をかなり意識したところがありまして、クライマックスで前作の主演のディック・バン・ダイクが特別出演したり、タイトルバックの絵は、前作の特撮を担当したピーター・エレンショーのマットペインティングを元に描いたと字幕が出たりします。さらに、アンジェラ・ランズベリーがご存命でラストで登場するのもうれしい趣向ですし、そういう作り手のサービスを楽しむこともできるのですが、でも、それなら前作をもっと説明してもいいんじゃないのと思うのですが、この映画はどういう世代をターゲットにしているのかなあ。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;演技陣は、ヒロインを演じたエミリー・ブラントに歌って踊れる以上の魅力を感じられなかった（好きな方にはごめんなさい）のですが、脇の面々がなかなかよくって、ごひいきエミリー・モーティマーは時として、子供のような表情を見せるときがあり、それが前作とのつながりを感じさせる名演でしたし、ピーター・ファースが、大して悪い奴ではない男を、敵役のように演じて見せたあたりもお見事でした。ジュリー・ウォルターズやデビッド・ワーナーといったベテラン勢も手堅く脇を固めました。パパであるマイケルを演じたベン・ウィショーは、前作の男の子が大きくなったという設定に説得力を与える演技で好演していますが、その分、父親としてはどうなの？という部分が良くも悪くも曖昧になっちゃったのが残念でした。とはいえ、２時間１０分という長さを感じさせずに一気に見せちゃうパワーのある映画なので、ご覧になってモトは取れる映画になっています。でも、メリー・ポピンズのお話で、２時間以上を一気に見せる必要はないんじゃないのという気もしました。こういうお話なら、もっとゆっくり読み聞かせるような演出でもいいと思うのですが、それだと若い子が退屈しちゃうからダメなのかなあ。何ていうのかな、ゲームのように次々と敵やイベントが登場しないと、観客がついてこれなくなってきているのかなって気もしてきて、ちょっと考えさせられてしまいました。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;結局、株券は見つからないまま金曜日の夜を迎えてしまいます。荷造りをしてジェーンのアパートに引っ越すことになるバンクス一家。末息子が自分で修繕した古い凧を持ってくるのですが、そのつぎはぎをした紙がなんと探していた株券でした。でも、約束の期限が迫っていて、銀行へ12時までに持っていかないと家は取り戻せなくなっちゃいます。ジャックとその仲間が自転車をビッグベンへ走らせて時計の針を遅らせようとしますが、やっぱり間に合わない、間一髪メリー・ポピンズが空を飛んで時計の針を遅らせることに成功し、マイケルは、12時の鐘が鳴る前に、凧ごと株券をウィルキンズのもとに届けます。つぎはぎの紙を剥がして株券の形にするのですが、サインの部分の紙が見当たりません。もはやこれまでかとあきらめるマイケル達の前に、かつてのマイケルの父の友人であるドース氏（ディック・バン・ダイク）が現れて、甥っ子をクビにして、マイケル達の借金がかつての投資によって完済できることを教えてくれるのでした。全てが丸く収まってめでたしめでたし。一家そろって春祭りに出かけるとそこには風船売り（アンジェラ・ランズベリー）がいて、彼女が風船を渡すと、マイケルやジェーン、子供たちが空に舞い上がります。町の人たちも空に舞い上がるのでうｓが、ジェンキンスだけは無理だったみたい。家に帰ってくると、桜の花が満開で、突然ドアが開いて桜吹雪が舞い上がります。その時が来たと認識したメリー・ポピンズは、再び空へと帰っていくのでした。暗転、エンドクレジット。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;クライマックスは勢いで盛り上がるのですが、ジャックやその仲間が頑張って時計を遅らせようとしてダメかと思ったら、メリー・ポピンズが空飛んで、時計の針を止めるというのは、何だか拍子抜け。だったら、ジャックたちに頼らずに、最初からメリー・ポピンズ飛べよって思っちゃいました。株券のサイン部分が足りなくて、もう駄目だと思ったら、ドース氏の突然の登場で形勢逆転というのも、何だか都合よ過ぎ。脚本が息切れしちゃったような強引なハッピーエンドは、何だかうーんって感じ。ここも結末はあやふやになりがちな、ノンストップアクション映画みたいで、何か荒っぽいんですよね。細やかさが足りないって感じ。さらに、メリー・ポピンズが去っていくのも唐突で強引。最後まで観ても、今回、メリー・ポピンズは何しに出てきたんだろうってところはよくわからないまま。そういうところを一切気にさせない作りならいいのですが、この映画、そういうツッコミが出るくらいにはユルい展開なので、観た後味は微妙になってしまいました。私には、役者を楽しむ以外は楽しめるところの少ない映画だったのが残念。前述のようにせめて歌と踊りの部分が楽しめなかったのが痛かったですが、その辺りは好みの問題になりましょう。実際、他の方のレビュー拝見すると評判いいですからね。でも、私にはあまり相性が良いとは言えなかったようです。&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56414841.html</link>
			<pubDate>Sun, 17 Feb 2019 21:39:53 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「突破口」は70年代の犯罪アクションでオッサン対決だけど面白い。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/1563425/02/56412602/img_0_m?1550569418&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_827_1170&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ブログの師匠pu-koさんの記事で「突破口」を拝見して、そういえばこれ録画したきりになってたなあってことで、テレビで鑑賞しました。1973年の映画というと、46年前の映画なんですね。でも、このころの映画って、テレビの映画劇場で色々観ているのですが、その中ではなぜか未見のままでした。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;飛行機の曲乗り芸人だったチャーリー（ウォルター・マッソー）は、転職した農薬散布の仕事でも食い詰めて、女房のナディーン（ジャクリーン・スコット）も含めた４人で田舎の銀行を襲う、少額強盗をすることにします。田舎町の銀行の前に車を停めて、強盗に及び、現金と証券をせしめることに成功しますが、警官に車が盗難車であることを知られた結果、一人は警備員に撃たれて死亡、ナディーンも流れ弾を受けて亡き人となります。生き残ったチャーリーとハーマン（アンドリュー・ロビンソン）は、金を山分けしようと数えてみれば、７５万ドルもありました。田舎の銀行にこんなに現金があるのはおかしいと、チャーリーはこれはマフィアの金だと気づきます。銀行重役のボイル（ジョン・バーノン）は、事態を収拾するために汚れ仕事の専門家モリー（ジョー・ドン・ベーカー）に金の回収を依頼します。警察は残った死体から犯人の身元を洗おうとしますが、思うようには進みません。一方、モリーは裏の調査密告網を駆使して、国外逃亡のための偽パスポートを作ろうとしたチャーリーを特定し、ハーマンのいるチャーリーの家にやってきます。チャーリーの方も自分のヤバイ状況を理解していて、何とか追手をまこうとするのですが....。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ジョン・リースの小説を、テレビ映画で実績のあるハワード・ロッドマンと「ダーティ・ハリー」のディーン・リスナーが脚本化し、「ダーティ・ハリー」「テレフォン」のドン・シーゲルがメガホンを取った犯罪アクションの一編です。オープニングは静かな田舎町の風景が映り、そこにタイトルとクレジットが被さります。そして、銀行の前に車を停めた老人とその娘が、パトカーの警官に車を駐車場へ移動させるように言われるところか始まります。一度は現場を離れたパトカーが車のナンバーを照会して戻ってくるのと並行して銀行強盗がカットバックされるところから、シーゲルの演出は快調で、舞台はずっと田舎町なんですが、カーチェイスも迫力あるし、その後の展開もうまい。最近の映画はライド感を狙って、とにかく細かくカットを割ることが標準になっちゃってますが、この映画の頃は、まだカット割りも見せ方もゆったりしていて、どこか余裕があるのが個人的には好きです。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ウォルター・マッソーという渋めのスターで、犯罪ものを作れた時代なんだなあってのがまず驚きというか感心。さらにマッソー演じるチャーリーが、男気はあるけど、それなりのワルになっているのが面白く、ひょんなことからマフィアに追われるようになった中年男をユーモアと凄みを交えて演じているのがうまい。冒頭で、撃たれて虫の息の女運転手を見捨ててしまうのですが、その後、彼女がチャーリーの妻とわかるあたりは、ハードボイルド感たっぷりの意外性がありました。一方、マフィアの金を横取りした自分たちがヤバい状況にあるのに、ムダにつっぱる若造ハーマンに見切りをつけるあたりの非情さもなかなかすごい。一方、チャーリーを追うモリーという男も、裏世界にものすごく顔が広いらしく、その有能な仕事ぶりに、周囲の人間も敬意と恐怖を示します。どうやら、犯罪者としてのプロである、チャーリーと、彼を追うモリーの対決ものの様相を呈してきます。でも、それだけではなく、他の登場人物にも、キャラと見せ場が与えられていて、最近のジェットコースタームービーとは一線を画す、きっちりとした小説を読む味わいのある映画になっています。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;登場人物がそれぞれに印象に残る演出がされているので、田舎町の保安官とか、モリーが仕事の宿に紹介された売春宿の女の子、モリーに車を奪われる黒人とか、細かいところできちんとキャラが立っているのですよ。そうそう昔の映画は、テンポは今ほど早くないけど、脇のキャラが印象に残る演出がされてたよなあっていうのを思い出しました。だからこそ、60～70年代の映画をもとに「傍役グラフィティ」なんていう名著もあったんだよなあ。（これは、当時の洋画の傍役を出演した映画とともに列挙した本で、私はこの本のおかげで色々な俳優の名前を知り、脇役に興味を持つようになりました。）そういう小さな役の俳優の演技を束ねて物語を引っ張る作りが、当時の映画の定番でした。派手なアクションや爆破がなくても、役者のうまさと物語の展開で楽しめる映画があったんだよなあ。この映画は、いわゆるＢ級映画と呼ぶにはスタッフ、キャストは一級なのですが、田舎町の強盗の後始末という説明をすると、今の人はＢ，Ｃ級映画だと思っちゃうかも。でも、これはＢ級映画と呼ぶには丁寧でちゃんと作られているのですよ。テレビで観ても退屈するところのない２時間弱ですから、機会があればオススメしちゃいます。ちなみに、私も名前を知ってる面々では、シェリー・ノース、ノーマン・フェル、ウィリアム・シャラート、アルバート・ポップウェルといった名前が懐かしかったです。また、「ダーティ・ハリー」でシーゲル監督とコンビを組んでいるラロ・シフリンの音楽が、パーカッションを駆使してアクションシーンやサスペンスを盛り上げているのも聴きものです。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;チャーリーは75万ドルを隠し、ハーマンに家から出ないように言って、偽造パスポートの手配をしますが、パスポート情報を裏稼業の男がたれこんだことで、チャーリーの正体が割れてしまいます。その連絡を受けたモリーはチャーリーの住むトレーラーハウスへ向かいますが、そこにはハーマンしかいませんでした。ハーマンを脅して、金のありかを吐かせようとしたモリーですが、彼が何も知らないとわかるとあっけなく殺してしまいます。その一部始終を、チャーリーはトレーラーハウスの外に隠れて見ていました。チャーリーは、ボイルの秘書シビル（フェリシア・ファー）に接近し、ボイルに連絡して、75万ドル渡すから身の安全を保証しろと持ち掛けます。飛行場で、チャーリーを待つボイル。それを遠くからうかがっているモリー。チャーリーは複葉機でやってきます。そして、ボイルに抱きつき、不自然に親しげにするチャーリー。それを遠くから監視していたモリーは、ボイルとチャーリーがグルだったと信じ込み、車でボイルを轢き殺してしまいます。さらに、滑走する複葉機とのチェイスの末、複葉機は反転してチャーリーは動けなくなります。モリーに金のありかだと言って車のキーを渡すチャーリー。モリーがその車のトランクのカギを開けるとそこにはハーマンの死体と爆薬があってドッカーン。そして、車に乗って去っていくチャーリー。おしまい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ボイルの秘書の家に押し入ったチャーリーは、ボイルに取引を持ち掛けた後、秘書とベッドでねんごろになってしまいます。当時は男と女がすぐベッドインしても、ありの時代だったのかな。そして、クライマックスは自動車と複葉機の地上チェイスというどこかのんびりした見せ場の後、チャーリーが最後の仕掛けでモリーを仕留めます。このピリっとした結末が何かかっこいいのですよ。恨みとか因縁といったものがないビジネスライクな殺し合いが、さくっと決まるあたりが小気味よい後味を残します。オッサンが殺しあう、殺伐としたお話なのに、どこかのんびりした味わいもあり、さらに面白くてかっこよくて、後味がいいってのはなかなかないですから、最近の見せ場のぎっしり詰まった映画にお疲れの方にオススメしちゃいます。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;また、本筋と関係ないところに印象にのこるものを配してあるのも楽しい趣向になっていまして、ご覧になってないと何のことかわからないかもしれませんが、「強盗の車を目撃した少年」「牧場の前での会話」「ブランコの少女」「トレーラーハウスの大家のオバちゃん」「パスポート屋の女（シェリー・ノース）とモリーのやりとり」など、妙に心に残るシーンの多い映画になっています。最近は、こういう寄り道をしつつ、映画を面白く仕上げる監督がいないのかもしれません。或いは、観客がそういう寄り道を楽しむ余裕をなくしてきてるということなのかも。&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56412602.html</link>
			<pubDate>Thu, 14 Feb 2019 20:00:30 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「フロント・ランナー」は実録ものだけど、色々と考えさせられるところが多くて、ドラマとしても面白い。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/06/56410306/img_0_m?1549921006&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_565_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は新作の「フロント・ランナー」を川崎のTOHOシネマズ川崎１で観てきました。ここはキャパの割に画面サイズもあり、シネコンタイプの座席配置ながら、観易い映画館になっています。２週目から１日１回の上映というのは、ちょっと扱い悪くないの？ ジャックマンが来日してプロモーションしてたのに、アメコミ映画じゃないとこういう扱いなのは気の毒な気も。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;大統領選挙で、有力候補と言われていた民主党のゲイリー・ハート上院議員（ヒュー・ジャックマン）は、積極的な選挙活動を行っていて、彼の革新的な政策は若い国民の支持を取り付けつつありました。そんな彼の弱点としてあったのが、長年連れ添った妻リー（ヴェラ・ファーミガ）との別居問題でした。そのことについて切り込んだワシントンポストの記者に激高したゲイリーは「自分を尾行したけりゃ尾行すればいい」と啖呵を切ります。一方ヘラルド紙の記者トムはハート議員はワシントンで女と会っているというタレコミを受け、ワシントンの自宅へ向かったところ、彼が自宅に若い女を連れ込むのを目撃。トムはカメラマンを呼んで張り込みを開始、写真を撮り、出てきたゲイリーからコメントを取ることにも成功します。女性の身元も確認できていない状況でしたが、ヘラルドはそれを記事として日曜版の一面に載せます。その結果、リーの別居先にはマスコミが押し寄せ、選挙事務所は対応に追われることになります。当の本人は、この事態をさほど重大視しておらず、政策の演説の内容の方が気懸りという状況に、選挙参謀のビル（J・K・シモンズ）は時代が変わって今はそれでは通らないと言います。一方で、厳密に裏を取らずに記事にしたヘラルド紙の姿勢も批判の的になりますが、ゲイリーはこのスキャンダルについての記者会見を開かざるを得なくなるのですが、その結果は彼の支持を取り戻す決定打にはならず、彼は大統領選立候補を辞退することになってしまうのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;1988年の大統領選挙の前哨戦で、有力候補のゲイリー・ハート上院議員に女性問題のスキャンダルが発覚し、立候補辞退に追い込まれた事件を映画化した実録ものの一編です。マット・バイの原作から、バイとジェイ・カーソンとジェイソン・ライトマンが脚色し、ライトマンがメガホンを取りました。ジェイソン・ライトマンという監督の名前はこれまであまりピンとこなかったのですが、この人「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」「とらわれて夏」「タリーと私の秘密の時間」といった面白い映画をたくさん手がけていたのに、今回、初めて意識しました。目のつけどころの面白い人だけに、実録もの以上の面白さがあるかもという期待があってスクリーンに臨みました。その期待は裏切られず、発見のある映画に仕上がっています。ただ、題材的には地味ではあるのですが。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;映画の前半は、ハートの選挙事務所や、ワシントンポスト、ヘラルド紙の会議室のシーンが続きます。たくさんの人間の会話の応酬のなかから、当時の状況が見えてくるという演出はなかなかにスリリングです。この映画は一応ゲイリー・ハートが主役ではあるのですが、彼が主役らしさを見せるのは後半になってからで、それまでは群像劇のように物語が推移していきます。多くの登場人物がそれぞれ印象に残るような演出が施されていて、その時代の空気と、作り手の伝えたいことがじわじわとあぶりだされるような構成になっているのが面白いというか、うまい映画です。ゲイリー・ハートがどういう政策を持っていて、どういう女癖だったのかといったことはほとんど描かれないので、女性でしくじった政治家のお話ではありません。それより、彼を追うジャーナリズムの方が丁寧に描かれていまして、この事件が、政治家がそのプライバシーによって資質を問われるようになる転機となったらしいのです。映画スターのスキャンダルを追いかけるパパラッチが政治家をターゲットにするようになり、政治家のゴシップが国民の興味と批判の対象になり始めた時代を記録した映画ということになるのかしら。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それまでの政治家はその政治能力によって評価され、その専門分野で秀でていれば、私人の部分で、政治家の資質を問われることはなかったのですって。ケネディ大統領が誰と浮名を流そうが、それによって大統領としての彼が否定されることはなく、ジャーナリズムもその切り口で彼を責めたてることはしなかったのに、ニクソンの時のウォーターゲート事件あたりから、公務以外の行動で、その品格を問われるようになったらしいというのが、この映画のセリフの端々からうかがえるのですよ。なるほど、大統領の犯罪をジャーナリズムが暴いた時、その政治能力だけで、大統領を評価できなくなる。さらに大統領選挙がイメージ戦争になってきたこともあるのでしょうが、政治家のプライバシーが報道の対象としての重みを増してきたときに起きたのがこの事件だということらしいのです。当のゲイリー・ハートは世間の流れの変化に気づいておらず、今までの考え方で女性問題を乗り切れると思っていたのですが、そうはならない。ワシントンポストの主幹も、昔ならハート議員の女性問題をスルーすることもできたが、今はウチだって書かなければ非難される時代になったのだと言います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ハート議員は、演説で倫理道徳を説いていましたが、そのことと自分の浮気は別物として、矛盾しないで両立していました。それまではそれで通ってきたから、今度もどうってことないやと思っていたのですが、そのスキャンダルは、彼のスタッフや支持者の失望させるに十分でした。奥さんからボロクソ言われると、殊勝に反省の言葉を口にするハート議員ですが、記者会見では結構強気の発言をしちゃって墓穴を掘ってしまうのですが、なるほど、こういうあたりの公私の線引きが昔の不文律だったんだなあと納得するとともに、大統領が個人として犯罪に加担したウォーターゲートの影響が、ジャーナリズムのスタンスを変えたんだなあってのは、結構な発見でした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;また、この映画の中では、女性が印象的なポジションに配されています。議員の奥さんもそうですが、選挙事務所の女性スタッフですとか、ワシントンポストの副編集長といった面々が男性中心の社会に対する疑問を投げかける役どころです。さらに、ハート議員の浮気相手をきちんと描くことで、今と違う時代の空気を感じさせるのがうまいと思いました。新聞にスキャンダル記事が載っちゃうと、浮気相手のドナは議員の家に軟禁状態にされちゃいますし、ハート議員も選挙スタッフも彼女のことなんか気にも留めません。女性スタッフがそんなドナへの扱いに疑問を呈するところが大変印象的でした。男性スタッフのゲスな愛人扱いの視線に、ドナが憤るシーンとかは、20世紀ってのはそんなもんだったんだなあってのが伝わってきて、日本もアメリカも似たようなものだったんだってのはちょっとびっくり。そんな時代に比べたら、今の方がいい時代だと思う一方で、この映画では、その今に対しても疑問を呈しています。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この映画のプログラムを読むと、このゲリー・ハートという人は政治能力に長けていて、この人が大統領になっていたら、対ソ政策、中東政策、経済政策などで、もっとマシな対応ができていただろうにっていうメッセージがあるんですって。今のアメリカがこうなったのには、ハート議員のような有能な政治家をつまらないスキャンダルで潰してしまったこともあるんじゃないかってことらしいです。私は彼の政治家としての実績はよく知りませんし、この映画でもそこは描かれないので何とも言えないのですが、そんなの理想を説いて大統領になって現実を対処したら、妥協をいっぱいするだろうから、そううまくはいかないと、私は思ってしまうのですが、作り手には、ブッシュやトランプよりはマシだったんじゃない？って思いがあるみたいです。それっていわゆる「もしも」の世界ではあるので、事情をよく知らない私には「ふーん」って感じで、あまり響いてきませんでした。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;それでも、プライベートなスキャンダルが、その人の本業の評価をも変えてしまうというところに疑問を呈しているところは、共感できるものがありました。誰だって長所と短所を持っているので、長所の部分を認めてその部分で活躍してもらわないと、人間を有効活用できないと思いますもの。仕事のできる人がよき家庭人でないからと言って、仕事の業績を貶めるのは、私はよくないことだと思っています。逆に仕事ができない人が、よき家庭人だったとき、仕事ができないという理由で全人格を否定されてボロクソ言われるのも変。でも、人は他人の噂が大好きで、悪い噂を見つけたら、それをみんなで寄ってたかってバッシングするのも好きというところもあります。昔なら、どんなジャンルでも、いわゆる「先生」と呼ばれる人には、とりあえず敬意を表して、その人の業績に頭を下げていたのですが、今は、平等意識が行き渡っているので、同じ人間としてアラ探しをすることが正当化されてきています。それはそれで、裏で悪いことをしている人を正当に評価することにつながるので、必ずしも悪いことではないのですが、でも、大きなことを為すときに、枝葉末節にこだわりすぎることの問題も改めて再認識させる映画になっています。だから、どうすりゃいいんだという明快な回答を出す映画ではないのですが、人間(ハート議員）にも物事（ジャーナリズムのあり方）にも長所と短所があるってことを再確認する映画として、この映画は一見の価値があると思います。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;群像劇を支える演技陣はみな好演ですが、スキャンダルを記事する記者を演じたスティーブ・ジシスやワシントンポストの主幹を演じたアルフレッド・モリーナがよかったです。また、特に印象に残ったのは、選挙事務所の女性スタッフを演じたモリー・イフラムと浮気相手ドナを演じたサラ・パクストンで、この二人のシーンがあったことで、映画にぐんと重みと深みが出たように思います。ベイトマンの演出は、たくさんの人で物語を描く中で、人間をきちんと描き分けたところに演出力を感じました。普段は、脇でアクの強い演技をするＪ・Ｋ・シモンズが群像ドラマのパーツとしてしっかり収まっているところに、監督の見識を感じました。色々細かいところも含めて見所の多い映画なので、機会があれば一見をオススメしちゃいます。&lt;br /&gt;
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			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56410306.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2019 20:29:37 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
		</item>
		<item>
			<title>「バハールの涙」はハードな現実を女性目線で描いたところに不思議な味わいの女性映画。</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-03-f0/einhorn2233/folder/428140/93/56410293/img_0_m?1549883874&quot; width=&quot;560&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_566_800&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;今回は、東京での公開が終了間近な「バハールの涙」を銀座のシネスイッチ銀座２で観てきました。ここはその昔は銀座文化という名画座だった映画館でした。（その前身までは知らないです。）でも、今は椅子もいいし、スクリーン位置も高く、場内がフラットでも観易い映画館です。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フランスの戦争記者マチルド（エマニュエル・ベルコ）は、同じジャーナリストの夫の死を聞いたその直後、ＩＳと戦うクルド人勢力の取材に出かけます。そこには女だけの部隊がいました。彼女たちはＩＳに拉致されて奴隷として売られていたのを脱出した女性たちで構成されていました。その隊長であるバハール（ゴルシフテ・ファラハニ）は、ヤスディ教の信者で、イラク西北部のシンジャル山岳地帯で、夫と息子と暮らしていました。ある夜ＩＳの襲撃を受けます。男たちはその場で殺され、女と子供はまとめて連れ去られ、女たちは性的虐待をされ奴隷として売られてしまったのです。しかし、クルド人自治区の代議士の尽力で、脱出することに成功したバハールは自由になった後、行方不明の息子を救出するために女性だけの部隊に参加したのです。前線での取材を続けるマチルドに、バハールはここの真実の伝えて欲しいと言います。そして、襲撃してきたＩＳのメンバーから、ある情報を得て、作戦に移ることになるのですが......。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;フランスの女性監督エヴァ・ウッソンがジャック・アコティの協力を得て脚本を書き、メガホンを取りました。2014年に起きたＩＳによるシンジャル山岳部隊への侵攻をベースに、実際に存在する女性部隊を題材にしたドラマです。ＩＳを扱った映画ですが、その蛮行よりも、拉致された女性たちによる部隊にフォーカスしているので、残酷シーンやショックシーンを前面に出したものではありません。ＩＳの蛮行が描かれはするのですが、作り手の視点は、あくまで女性部隊にあります。男たちの部隊も登場するのですが、その影は薄くって、ＩＳの刺激的な映像を出すことを極力避けて、映像的に美しい絵を切り取ったりしていることから、リアルな戦争映画とは一線を画す映画に仕上がっています。一方で、女性ジャーナリストの視点を盛り込むことで、これが現実にあったことだという見せ方をしています。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ＩＳの蛮行については多くのメディアで語られていまして、イスラム教ってヤバい宗教なんじゃないのというイメージが広がったのも事実です。イスラム教は、女性をないがしろにしろとは言っていないのですが、男性が上位にあると明確に謳っているそうなので、その延長で女性を見下したり、支配することに抵抗がないのかなという気がしています。さらに、異教徒に対する否定的な教えと、女性蔑視が結びつくと、バハールのようなヤスディ教の女性なんて、煮るのも焼くのも好きにできるくらいに思えちゃうのではないかしら。これはムスリムに対する偏見かもしれません。でも、どんな宗教であれ、原理主義者は異教徒に対してムチャするってことは過去の歴史から見て容易に想像がつきます。一方で、この映画では、ムスリムが女性に殺されると天国に行けないらしく、その分、女性部隊を怖れているらしいのですよ。日本でも、男尊女卑は制度的にもずっとありましたから、女性に負けたり、屈することは恥だと思う文化があります。ただ、宗教のような人間の首根っこを押さえる文化ではなかったことが幸いして、女性の台頭に対する抵抗は、他の国よりも少なかったのかなって思っています。あくまで、程度の違いの問題ですが、国家神道が、男性優位を明確に謳っていたら、今の日本はもっと女性にとって息苦しい国になっていたんだろうと思います。戦前の国家神道の考え方は、まだ日本の文化として根深く残っていると考えるからです。（とは言え、国家神道ってのは実は新興宗教なんですが）&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;戦争状態になった時、男を皆殺しにし、女を奴隷にし、子供は兵士に洗脳するなんてのは、旧約聖書の世界みたいなんですが、それが現実に起こっているという怖さは堪らないものがあります。それを知ってもどうすることもできないという正直な諦観もあるのですが。一方で、当事者であり、実際に虐待された女性たちが、対ＩＳの兵士として立ち上がるというのはすごいことだと思います。この映画でも、女性部隊の存在に肯定的であり、彼女たちの存在は、そこに暮らす女性たちの希望となるという見せ方をしています。日本だったら、母親が銃持って相手を殺しまくるのを肯定的に捉えることはないでしょうから、歴史や文化の違いを感じる一方で、現在進行形で女性が虐待され続けていることを知ることの重要性を感じさせる映画でもありました。弁護士だったバハールが銃を持って戦闘部隊の隊長になっているということからして、そこで何があったのかを想像するのは難しいことではありません。以前、民族浄化を扱った&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/28451006.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「あなたになら言える秘密のこと」&lt;/a&gt;という映画で、ヒロインはずっと傷を抱えたままでいたのですが、この映画のヒロインは自ら銃を取って戦う強い女性として描かれています。どちらがどうという話ではないのですが、どちらも現代の話であり、彼女たちを虐げた人々（男たちと言い切っていいのかも）がいたということの記録になっていると言う点で、存在価値のある映画になっています。その時に重要になるのがジャーナリズムの存在でして、マチルドは「ワンクリックされるだけでスルーされる」と自虐的に言うのですが、その事実を語り継ぐためのジャーナリズム引いてはメディアの重要性を説く映画にもなっています。&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/28451006.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「あなたになら言える秘密のこと」&lt;/a&gt;の中のキーワード、「「レイプ、虐殺、民族浄化、みんな、いつか忘れ去られる」がこの映画にも当てはまります。バハールたちの存在を、命がけで取材するマチルダのようなジャーナリストがいなければ、それはなかったことになってしまう。事実を記録することがどんなに歴史の中で重要なことなのかは、ネットと監視カメラで世界が筒抜けになってきた今だからこそ、見直す必要があるのではないかしら。さすがに戦地でカメラを回すことはできない私たちでも、それらの記録に目を向け、事実が曲げられたり、歪んだプロパガンダに使われないように監視することは必要だと思います。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;主演のバハールを演じているのは&lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/50961430.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「彼女が消えた海」&lt;/a&gt;のイラン人女優ゴルシフテ・ファラハニで、フランス映画 &lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/53161274.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「チキンとプラム」&lt;/a&gt;などを経て、最近ですと &lt;a href=&quot;https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/55964893.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「パターソン」&lt;/a&gt;や「パイレーツ・オブ・カリビアン」にまで出ている国際女優ですが、強い意志を持った美人さんです。この映画でも、酷い目に遭ったけど、強い意志でそれに立ち向かう女性を、兵士と母の強さと女性の弱さを共存させたキャラで熱演しています。一方の女性ジャーナリストのマチルダは、取材時に片目を失い、夫も地雷の犠牲になり、フランスに幼い娘を残してきたという、記者と母の強さに合わせて夫を亡くした女性の弱さを抱えている境遇です。この二人の似たような境遇がお互いに共感するという設定になっています。ここはドラマとして、女性を前面に出し過ぎじゃないの？って男目線では思ってしまうのですが、でも、この映画は女性による女性のための女性目線の映画ですから、そうなるのは自然の成り行きでしょう。それが悪いかというとそうは思えませんで、大体、戦争を題材にした映画は、男性による男性のための男性目線の映画がほとんどですから、戦争に巻き込まれる人間の半分が女性だとするなら、こういう映画はもっと出てきてよいと思うからです。この映画のような視点の映画が少ないのは、ホントはバランスが悪いんじゃない？ってところに気づかされる映画でもありました。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;ウッソンの演出は、戦闘シーンでも、男性監督とは一味違う演出をしていまして、戦況を俯瞰的に捉えるのでもなく、兵士目線でもなく、そこに居合わせた目撃者のようなカメラワークになっているのがちょっと新鮮でした。また、ＩＳの男性であれ、友軍の男性であれ、どこか存在感が希薄なのが印象的で、男性を背景に押しやることで、虐げられてきた女性の戦士にフォーカスが当たるように見せた演出は、どこか寓話的な印象を与えてしまうところがあって、一長一短という感じでしょうか。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;この先は、結末に触れますのでご注意ください。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;襲撃してきたＩＳの兵士を捕虜にしたら、彼から敵の本部は撤退していて、学校に自爆兵と子供たちが残されているというのです。そこで、バハールが連合軍の爆撃を待たずに攻撃すべきだと進言し、作戦が決行されることになります。マチルダもその作戦に随行することになります。女性部隊が先陣を切り、捕虜に先導させて地下道を進みますが地雷が爆発し、バハールの片腕だった兵士が死亡。地下道を抜けると敵兵士と市街戦になります。そして、一晩待機して、翌朝学校へ向かいます。犠牲を出しながらも、学校へ突入した彼女たちは、そこにいた子供たちを解放します。さらに、学校の上階へ向かったとき爆発が起こり、バハールもマチルダも吹っ飛びます。そこへバハールの息子が現れ、彼女は意識を取り戻します。作戦は終了し、負傷したマチルダはトラックに乗って国へ還ることになります。バハールは息子と一緒に彼女を見送ります。走るトラックの荷台のマチルダを長回しにで捉えるところにクレジットが被さって、暗転。おしまい。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;戦場のシーンの要所要所で、バハールの回想シーンが挿入され、拉致されて、性的虐待を受け、奴隷として何度も売られたという過去がわかってきます。そして、クルド人の拉致女性を支援する女性議員へ連絡をとって、彼女の手引きで同じ境遇の女性と子供を連れて脱出することになります。イスラムの礼拝の時間を使っての逃亡劇はスリリングでありますが、ここも逃亡を助ける男性の影は薄く、一緒に逃げる女性や女性議員との絆の方が協調される演出です。男目線だと、つくづく男性の存在感が薄い映画なんですが、普通の戦争映画を女目線で見ると女性の存在感が希薄で、女性にとっては共感しにくいのかもしれないってことに気づかされる映画でもありました。女性映画ということになるんでしょうけど、なぜこの映画は女性映画なのか、そもそも女性映画って区別はそれ以外は男性映画なのか、って考えると、面白い発見のある映画だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/einhorn2233/56410293.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Feb 2019 20:15:35 +0900</pubDate>
			<category>映画レビュー</category>
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