廣宮孝信の反「国家破産」論 ブログ

「国が財政危機と考えることこそが日本の危機」「財政黒字はむしろバブル崩壊の予兆の場合もある!」。【国債を刷れ!】著者のブログです

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「ジパング再来」


三橋貴明さんの「ジパング再来 大恐慌に一人勝ちする日本」、

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51O5QeoyFFL._AA240_.jpg
http://www.amazon.co.jp/dp/4062156156/


実は、
私の作ったグラフが載っていたりする関係(p.61)で、発売直前に贈って頂いていたのですが、昨晩ようやく読了しました。

発売前に入手していた私よりも早々と読み終えてアマゾンのレビューを書いていた方が沢山いらっしゃるようです(すでに、三つも出てますね)。凄い!


本の冒頭
マルコ・ポーロ「東方見聞録」の引用から始まるという演出が、またぐぐぐっ、と興味をひきつけられるところです。

きっと、
書店で表紙を見て「おっ?」と思い、ちょっと手にとって見たお客さんは、
この部分を読んで思わずレジに並ぶのではないでしょうか。

私ならきっと、レジに並びます^^。


それにしても、
これだけ立て続けに経済ネタの本を出されているのに、しっかり新鮮味が感じられます

このあたりが三橋さんの才覚の凄味ではなかろうかと思います
(逆に言えば、その才覚がなければ、ここまで有名になられていないかも知れませんね^^)。


その新鮮味が感じられる箇所はいくつもあるのですが、

私のお気に入りを一つだけ紹介しますと

「インフレビジネス」「デフレビジネス」という言い回しです。


インフレビジネスというのはインフレのとき、経済がバブル気味のときに儲かりやすい商売
デフレビジネスというのはデフレ、デフレ不況のときに儲かりやすい商売

のことを指しています(と私は解釈しています)。


インフレビジネスは、07年までに流行っていた商売(多分に怪しげな商売)ですが、

今の世界的な「デフレ不況」に活況を呈するのはどんな商売か?

ということですね。


デフレ不況で民間がリスクを取り難い、よって、民間が借金を増やさない、増やせないときは、政府は資金集めが容易になる。

という環境下で流行ることになるであろう商売です。
そして、

それは日本企業のお家芸。


ということで、

ジパング再来

という算段に相成るわけです。

具体的な内容は、是非、本を買って直接読みましょう!(笑)

と言いつつ、
当ブログの読者の皆さんのうち、かなりの方が既に購入済みかも知れませんが^^;






さて、
後半は、

ジパング再来

という言葉から私が想起する事柄について書いてみたいと思います。


まずはマルコ・ポーロの時代の日本について。

実はその時代、ちょうど元寇のときですね。

マルコ・ポーロは元の皇帝フビライに仕えていましたので、まさにその当事者の一人と言えそうです。

それに関連して、
高橋克彦さんの小説「時宗」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/406273723X

に、こんな話が書いてあります(あくまでも推理、フィクションだと思いますが)

一度目の元寇では、
元軍は意外にも日本軍の根強い抵抗に遭い
戦況が優勢なうちにさっさと引き上げました。

というのは、
一度目は様子見、威力偵察のための出兵であり、
優勢なうちに引き上げれば「勝った」と皇帝に報告できるからなのですが、



鎌倉幕府側としては、

・どうもフビライはあきらめてないらしい(負けてないので)。
   (フビライが日本を攻める動機は、
    世界に冠たる元帝国として、日本にはどうしても自分たちに跪かせたい
    ということだったようです。黄金とかは関係なく

・次も確実に博多に攻めてくるとは限らない。

・船で攻めてくるからには、
  いきなり若狭あたりに上陸して京の都を突かれでもしたらひとたまりも無い。

・どこに攻めてくるかはっきりしなければ、
 限られた兵力をどこに集中すれば良いか、策が全く立たなくなってしまう。

ということで、

確実に博多めがけてまっしぐらに攻めてくるよう

執権時宗の異母兄、時輔が元の大都(現在の北京)に工作に赴くわけです(もちろん、執権の兄としてではなく、身分を偽って)。


それで、
あの手この手でいろいろ手繰っていくうちに、
ついに皇帝に近いマルコ・ポーロと接触し、
親しくなることに成功します。

そして、
博多のすぐ近くにある大宰府に、
「大量の黄金が貯め込まれている」と吹き込むわけです。

小説の中ではこの工作がめでたく功を奏し、元軍は再び博多に現れます


博多湾に防塁をめぐらし、大兵力を集中してしっかり準備を整え、

待ち構えていた日本軍は元軍を寄せ付けず、

元軍が上陸もできずに船の上に引き籠っていたところに神風が吹いて、

大半の船が転覆・損壊し、戦いはあっけなく幕切れとなるわけです。


つまり、

偶然の勝利ではなく、必然の勝利

ということですね。


この高橋さんが小説の中で示した推理がもし本当なら
マルコ・ポーロはまんまと鎌倉幕府側の情報工作にひっかかって「黄金の国 ジパング」と書いてしまったということになるかも知れません。


ちなみに、
高橋さんの「時宗」はNHKの大河ドラマの原作なのですが…

上記の策謀の話、ドラマではまるで描かれていませんでした。

他にも、病死が暗殺になってたり、死んだ人が生きてたりとか、どこが原作やねん!と言いたくなるくらい話が変わっていましたが、
個人的には原作の方が10倍くらい面白く感じられました。

もうひとつちなみに、
Wikipediaでも、
史料をひも解けば、神風だのみではなくて、しっかり戦って寄せ付けなかったという説の方が信憑性が高いように書いています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87


「黄金の国」にちなんで、
明日は、国際比較をしてみると、現在同様、日本が世界の中でも燦然と輝いていた戦国時代の話をちらりと書いてみたいと思います。

「元寇の時代は、中尊寺金色堂はあっても、まだ金閣寺もないし、『黄金だらけの国』というのはマルコ・ポーロのすっとんきょうな勘違いとして、 元寇は『神風のお陰』とかじゃなく、日本軍がしっかり策を練り、しっかり戦って勝ったらしい、ということの方が本当の意味での『黄金の国 ジパング』かも」  と思われた方は、↓下のリンクのクリックをお願い致しますm(_ _)m

https://blog.with2.net/in.php?751771

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書店で注文したのにまだ届かない「ジパング再来」。

ヨッシーニ師匠のグラフも加われば最強ですね^^

ちなみに師匠の「続 国債を刷れ」はまだですかね?

2009/8/3(月) 午後 0:22 [ 鉄人4号 ]

「かーみーかーぜの術!!」よりもよっぽど現実的にありえますものね。島国なのでもっと他の地域に上陸されていたら日本はどうなっていたんでしょう。。。

2009/8/3(月) 午後 0:41 [ 古の碧き泉より ]

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またエントリーには関係ないことですが、ブログには関係あると思うので取り急いでご紹介。

ビル・エモット 特別インタビュー
「日本の次期総理は英ブレア前首相の貧困層対策に学べ」
http://diamond.jp/series/analysis/10104/

野党の政権担当能力についてはある程度納得する所や、見るべき所はありましたが、正直、ビル・エモット氏には少々ガッカリしました。残念です。
内容自体、あまり深くないですけど。

2009/8/3(月) 午後 0:58 [ alt ]

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元寇の話とても勉強になりました
ありがとうございます

2009/8/3(月) 午後 2:02 [ こう ]

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「デフレビジネス」に関しては
同じ事を長谷川慶太郎氏が以前から書かれていましたね。
論理的に考えると出発点は違っても同じ結論に至る例でしょうか

2009/8/3(月) 午後 10:07 [ ful**rackbe** ]

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元寇での日本の勝利について、

真実の「日本戦史」
家村和幸 監修
宝島SUGOI文庫

という本にも、勝利は必然だったという説が載っています。
かなり面白い本ですので、ご一読をおすすめします。
個人的には、ノモンハン事件に関する部分が一番興味深かったです。
長い間、日本軍が負けた戦いと思われていたのに、
「日本軍の方が戦果が上だった」
というのは、ビックリでした。

2009/8/3(月) 午後 10:31 [ 田舎の空手マン ]

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元寇ネタしかも小説ネタにコメントしていいのかちょっと迷いますが、高橋氏の説には私は疑問です。
元軍が2度も博多湾に上陸したのは必然というのは同意しますが理由は全く違います。なぜなら、彼等は大宰府と博多湾を含む筑紫平野の地理を事前調べていたからです。元からの使者が来日したとき、大宰府に数ヶ月滞在しています。当然のことですが監禁なぞできるわけなく、周辺の地理情報を収集する時間は十分ありました。それ故、鎌倉幕府は来日した元の使者の首を刎ねたのです。一部の作家や歴史家にはこの行為を「野蛮」と非難していますが。
鎌倉幕府の防衛体制構築は主戦場を博多湾とその周辺(関門海峡含む)を想定して、可能な限りの手を打っていました。元が若狭に来航するには、海路、上陸地点、上陸後の陸路についての情報が必要ですが彼等がそれを持っていたとは思えません。そして、そのことは鎌倉幕府も認識していたでしょう。

2009/8/3(月) 午後 10:47 [ sdi ]

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sdiさん

恐らく、sdiさんの書いておられることが、本当のところに近いのでしょう。ただ、元寇のあった13世紀後半には東北にも博多並の港湾都市「十三湊」があって、中国や朝鮮半島との往来があったようですので、元側に若狭湾あたりの情報が全く無かったとは言い切れないでしょう。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/iseki.html

まあ、歴史小説というのは「説」を主張しているのではなくて、そのような時代背景、舞台設定の中で面白いストーリーを組み上げているということで、いいんじゃないでしょうかね。

2009/8/4(火) 午前 11:16 [ ふぁんふぁん大佐 ]

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元軍が博多に上陸せず、対馬にとどまり、全島制圧し、ここを橋頭堡として確保した場合はどうなるでしょうか。

戊辰戦争で上野の山にこもる彰義隊を掃討したとき、薩摩軍の死傷者は彰義隊の死傷者を上回っているそうですが、この戦いは官軍が負けたのでしょうか。大村益次郎は実は敗れていたのか。

2009/8/4(火) 午後 0:36 [ 縄文人 ]

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縄文人様
その場合は元軍の敗北必至です。
気象状況などで日本海が渡れなくなれば、補給が絶たれて孤立するからです。渡洋戦闘は、海上補給路が絶たれればジリ貧なのは、先の大戦での我が国の戦訓だと思いますが。
戊辰戦争の戦いは、上野の山を平定して、政治中枢を押さえるという戦略目標を達成した薩摩軍の勝利です。
戦争は死傷者の数が多くても、目的を達成した方が、勝利です。
なぜなら、戦争とは人を殺すことが目的ではなく、目標を達成するために行うからです。
だからノモンハンはソ連の勝利、ノルマンディーは連合軍の勝利、ベトナム戦争は北ベトナムの勝利です。被害は勝利側が甚大ですけどね。

2009/8/4(火) 午後 2:11 [ Rikard Jedckener ]

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縄文人さん

私もmiy*k*_hi*oka*uさんと同意見です。

弘安の役での高麗・元連合軍は14万といわれてます。
14万人にメシ食わすのは大事業です。
船に食料を当然積んでますが、1ヶ月近く上陸できないまま過ごして備蓄はかなり食いつぶしてるハズです。
対馬に上陸後、中国・朝鮮から14万人分の食料を海上輸送で補給できたかとなると、さすがの元帝国にも難しいでしょう。

侵攻計画立案の時点で、高麗を拠点にって話が出ないでいきなり現地日本集合となったところみると、朝鮮半島南部に腰を据える事も何らかの理由で出来なかったようですね。

2009/8/4(火) 午後 4:20 [ KAZ ]

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