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樹木伐採安全祈願祭

稜威会本部の駐車場拡張工事を行うので、樹木を伐採しなければならず、25日に安全祈願祭を行いました。
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チェーンソーも御祓いします。

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祭典の参加者

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行法概要

稜威会の幹部で、体の使い方などを深く研究している米本先生がまとめられた、禊の行法に関する解説を掲載します。ご参考になさってください。

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行法概要

 
 

米本徳雄

 
 
 

目次

1.正座... 1

2.拍手(八平手・やひらで)... 1

3.拝(二拝)... 2

4.振魂(ふるたま)... 2

5.天鳥船(あまのとりふね)... 2

6.雄健(おたけび)... 3

7.雄詰(おころび)... 4

8.伊吹伊吸(いぶきいすい)... 4

 

 
 
 

1.正座

(1)  神前に向かって正座し眼を閉じる。(*1)

(2)  膝頭は握りこぶし二つほどあけ、臍の後方の背骨に意識を集める。(*2)

(3)  身体は柔らかくして、足は両拇を重ねるぐらいにする。

(*1)以下の動作は基本的に目を閉じた状態で行うのが良い。

(*2)背筋を伸ばすためのコツ。

 

2.拍手(八平手・やひらで)

(1)  指先と手のひらを合わせて意識を集中し、道彦の合図を待つ。

(2)  拍手は大、小、小、大と四回打つ。

(3)  大は腕を大きく広げ(最大180度)、音高く打つ。小は肩幅ぐらいで打つ(*3)

(*3)場所が狭く隣の修禊者とぶつかるような場合は腕の広げ方を加減する。

 

3.拝(二拝)

(1)  【一拝目】拍手した手の指先を合わせたまま手のひらを開きつつ口に近づけ、そのまま腹部に下ろしつつ上半身は背骨をまっすぐにして前に倒す。上半身を倒しつつ、腕は両脇まで開く。

(2)  【二拝目】上体を起こした後、両手のひらを顔の側に向け指先を合わせたまま目の高さに上げ、次に胸に下げる。手のひらで胸をおさえて上体を前に倒し、同時に腕を両脇まで開く。

 

4.振魂(ふるたま)

(1)  振魂の手は、左手を下に右手を上にして十字に組む。両手のひらは密着せず、ウズラの卵ぐらいの空間をつくる。

(2)  丹田に意識を置き、背骨を真っ直ぐにのばして上から下まで全身に意識を通す。

(3)  組み合わせた両手を上下に振る。(小さな楕円を描く気持ち)

(4)  祓の振魂(大祓戸大神の御名奉称)は、体内の禍津毘 ( まがつび )を祓い去る行である。この時は、意識を全身にゆきわたらせ、「大祓戸大神」の御名を称えながら意識を張って、体内の細胞に入り込んだ禍津毘を祓い出して細胞を覚醒させる。息気を張って直霊を感得する行である。(*4)

(5)  禊の振魂(天御中主太神の御名奉唱)は、「天御中主太神」の稜威を感得し、それを神の身なる我が身に注ぎこむ行である。頭頂部(百会 ( ひゃくえ )小泉門 ( しょうせんもん ))から稜威を取り入れ、背中側(督脉 ( とくみゃく ))を下って足の裏まで注ぎ入れ、体中を稜威で充満させ、丹田に集め、さらに前頭部の顖会(しんえ・大泉門 ( だいせんもん ))より天に通じる。(*5)

(*4)祓は「 ( は ) ( ひ )」に通じると言う。

(*5)禊は「 ( み ) ( そ )ぎ」に通じると言う。

 
 

5.天鳥船(あまのとりふね)

◎古式の鳥船は櫓を漕ぐ動作を繰り返したが、場合により腰を痛める可能性が有るため、今回はそれを避けて、宇宙の気を取り入れ任脈 ( にんみゃく )督脈 ( とくみゃく )を活性化する方法を解説する。

(1)第一段

・(準備姿勢)左足を左ななめ前に半歩出し、両手は親指を握り込む。腕を胸につけて、手の ( ごう ) ( こく )(親指と人差し指の付け根の合流点)を乳頭に当てる。

・道彦の合図で、「イェーイ!」と発声しながら両手を下へ突出し上半身は前へかがめる。両手が膝のあたりに来たころ、腰を前方に張り出し、腰の動きで腕を上げる。

・腕が頭上まで来たら、「エーイ!」と発声しながら腕を最初の位置まで下ろす。

・(終了)道彦の合図で、左足を戻し直立のまま「大祓戸大神」の御名を称えながら振魂を行う。(*6)

(*6)中日以降は「天御中主太神」の御名を奉唱する。

(2)第二段

 ・(準備姿勢)右足を右ななめ前に半歩出し、両手は親指を握り込んで、合谷を胸につける。

・道彦の合図で、「エーイ!」と発声しながら両手を下へ突出し上半身は前へかがめる。両手が膝のあたりに来たころ、腰を前方に張り出し、腰の動きで腕を上げる。

・腕が頭上まで来たら、「ホーッ!」と発声しながら腕を最初の位置まで下ろす。

・(終了)道彦の合図で、右足を戻し直立のまま「天照大神」の御名を称えながら振魂を行う。

(3)第三段

 ・(準備姿勢)左足を左ななめ前に半歩出し、両手は親指を外にして握る。合谷を乳頭につける。

・道彦の合図で、「エィッサー!」と発声しながら両手を下に突出し上半身は前へかがめる。この時、両手は指先に力を入れてパッと開く。両手が膝のあたりに来たころ、腰を前方に張り出し、腰の動きで腕を上げる。

・腕が頭上まで来たら、「エイッサー!」と発声しながら腕を最初の位置まで下ろす。

・(終了)道彦の合図で、左足を戻し直立のまま「天御中主太神」の御名を称えながら振魂を行う。(*7)

 (*7)中日以降は「大祓戸大神」の御名を奉唱する。

 

6.雄健(おたけび)

・直立姿勢を取り、気力を体中に充満させる。両手の親指は袴の帯にさし込んで握る。帯が無い場合は脇腹をしっかりと押さえる。

(1)  第一声。「生魂(いくたま)!」と力強く発声する。背骨と下腹に力を集め、丹田を前方に張り出す。<エネルギーを丹田に集める>

(2)  第二声。両手に力を込め、体全体に気を込める。「足魂(たるたま)!」と発声し、両肩の肩甲骨を寄せ、更に下に下げる。<丹田のエネルギーを体中に拡げる>

(3)  第三声。「玉留魂(たまとまるたま)!」と発声し、体中のエネルギーを全身から前に向かって発射する。(*8)

(*8)以前は、両足を爪先立って、腹の力と腕の力を抜かずに、そのまま ( かかと )をドンと落す、と言っていたが、ただ単に爪先立つのは良くない足腰の動きによって体がせり上がってくるのなら良い。

 

7.雄詰(おころび)

(1)  雄健の緊張をゆるめずに、左足をななめ前に出し、左手は親指を袴の帯にさし込み、左手を腰に当てる。右手は人差し指、中指を伸ばし、親指で薬指、小指を押さえ、「百八百万常立命(ももやおよろずのとこたちのみこと)!」と発声しつつ頭上に直立させて身構える。この手を「天沼矛」とする。

(2)  肘を曲げ、顔の真横に構え、「イエーッ!」と発声して右足を進めて左足と並列させる。同時に「天沼矛」をななめに打ち下ろし、左の腰の前に下ろす。

(3)  「エーイッ!」の声と共に「天沼矛(右手)」をかまえた位置に戻す。同時に右足も始めの位置に戻す。「イエーッ!」「エーイッ!」までは一息で行う。

(4)  「イエーッ!」「エーイッ!」の動作を三回繰り返す。

 

8.伊吹伊吸(いぶきいすい)

(1)  振魂の姿勢より両手を頭上に上げ、腕と上半身を前に倒しつつ、口から静かに長く息を吐きだす。

(2)  腕が真下に降り、上半身が下がりきったら、今度は口から息を吐きながら上半身をゆっくりと戻しつつ、両腕は体の両側を通して持ち上げる。体が直立すると同時に腕は水平にする。ここで掌を返して上に向け、ここからは鼻からゆっくりと息を吸っていく。息は全身に浸みこむようにすみずみまで入れていく。

(3)  道彦の合図と同時に頭上で両手を合わせ、振魂の時のように手を組み、旋廻しながら降ろす。この時息を丹田に捻じり込み、体全体にも捻じり込む。

(4)  道彦の合図で、口から息を吐きながら体を前に倒し腕を下げる。

(5)  二回目は、上記(2)から(4)の動作を繰り返す。

(6)  三回目は、上記(2)から(3)の動作を行い、最後は道彦の合図で、息を呑み込む。(*9)

(*9)息を呑み込むことが出来ない場合は、次の拝まで我慢し、拝の時に吐きだす。

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しばらくサボっていましたが、10月に行われた菊の禊の感話会の内容をまとめましたので、掲載します。
(感話会は、禊中に参加者が自己紹介と今回の禊の感想を語り合う会です。)

 ○江島。茨城県出身。今は退職して年金生活、主夫業をしています。稜威会は平成元年から、ここ十年以上毎回出席しています。今回も素晴らしかったが、なかなか進歩は難しい。
 ○Y田さん。北海道出身、六十四歳。稜威会に入って十三年。稜威会の菊禊は毎回参加しています。退職後北海道に帰り、北海道神宮のさざれ石会に入って禊しています。そこは、稜威会にも来られた角田禰宜がやっています。稜威会、さざれ石会、それぞれ役目があるが、さざれ石会では朝七時から水をかぶってその後正式参拝します。参加者は二十人以上、女性も多いです。夏は今年は余市神社で一泊の禊をしました。今回の禊ですが、去年は頭が痛かったが、今年は眠気がでた。波は気持ちよかった。禊は格闘技だと言った人がいたが、その通りだと思った。自然の醍醐味、大きく広い砂浜。これは貴重なもので、今後も続けていきたい。
 ○T田さん。東京都多摩市。ヨガをやっていて、ヨガの先生に禊もやった方が良いと言われ、六月の一日禊に参加した。それが壮快だったので、今回も参加した。今年はうまくいかないことが多かったので、何か重いオーラを出していることを感じていたが、禊の中で陽気な明るい気持ちを思い出した。貴重な体験でした。
 ○S崎さん。名古屋在住。禊は十年か十一年か。私の母が浦野先生にお世話になっていて、母に勧められて来始めた。それまでの自分には縁のない世界だったが、当時モヤモヤもあったので、やって見ると、思いのほか壮快でよかった。ここ数年は町会の祭の世話などで来られなかった。今回は三年分の垢を洗い流したような気持ちだ。菊禊専門ですが、今後ともよろしくお願いします。
 ○S谷さん。奈良県、吉野から来ました。仕事は介護士。休みがとりにくいが、たまたま三日間空いたので、ぎりぎりで申し込みました。Y本先生の所は毎回ではないが、去年から参加している。二見ヶ浦の禊もあり、そこをやった後、Y本先生のところで滝行をやったこともある。感想としては、海ってこういうものかと体感した。主人が修験道をやっているが、主人曰く、修験道は仏教よりも神道の方が説明しやすい。私は神道が好きなので、主人から外で勉強して来いと言われて来ました。貴重な体験、有難うございました。
 ○M田さん。五十八歳。静岡県の吉田町から来ました。お茶の機械を作る会社をやっています。祖父が始めた会社で、私が引き継いで十八年、一旦会社を大きくしたが、リーマンショック以降考えが変わって、会社を小さくしていき、現在二十名です。なかなか経営も厳しい。なんとかソフトランディングできるか考えている。自分は憑依体質らしく、何度かとり憑かれた体験がある。ある時、ある大学で瞑想の会があり、そこは昔、陸軍の施設の跡ではないかと思うが、瞑想が終わった瞬間に右腕が激痛で動かなくなって、マントラを聴いて治った。今回この禊に来れたのも、二年間椿大神社の滝行を続けた御蔭かもしれない。やはり禊は定期的に続ける必要があると思う。今後とも継続していきたい。
 ○M本さん。七十歳。東京在住、北海道出身。仕事は不動産業と山林経営。今年から水力発電も始めようとしている。北海道に所有している山林に湧水があり、高低差二百メートルほどある。禊をやると少年に戻った気持ちになる。末端の神経などが甦ってくる気がする。禊中だと、寝た時にいろいろ思い浮かぶ。神と共に歩んでいると考えると、気づきがある。笑顔と感謝が大切だと考えている。禊を日常生活に取り入れるようにした方が良い。
 ○浦野先生の奥様。動ける間は禊のお世話をしたいと思っている。夏禊は向こうに行くので、実生活の場がないので行に専念できる。今回は、「大祓戸大神」を一息で何回言えるかな?と考えてやって見ると、深い呼吸をすることが体にとても良い事だと感じた。
 ○浦野先生。数えで八十二歳。夏禊は軽井沢でやっていて、寒禊は平成十一年からここでやっている。それから数年してから、桃の禊と菊の禊もやってくれと言われて始めた。忙しい時期に大変だと思いながらも定着してきた。事故もなく有難い事だと思う。海は毎回状態が変わる。自然の変化、言い換えれば自然の恐ろしさと優しさを本当に経験する。海の表情はいろいろ変わり変化が大きいが、それが良いのだと言われている。それをどう受け取るか、心の持ちようである。無邪気にそのまま受け取っていくのが良い。無邪気に受け取らないと、神様の稜威を受け取る受け皿にならない。そういう受け皿を作るのが禊の目的の一つではないかと思う。肉体的にも精神的にも、バランスの取れた状態を鍛えていくのが禊である。禊を生活の場に取り入れていくことが重要だ、言い換えれば宇宙の摂理というか、宇宙の法則を生活の中で学び、実践していくことである。

(最近FaceBookもやっています。「宗教法人 稜威会」で見てください。)
写真は熊本県高森町の上色見熊野坐神社
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教育勅語の諸相

平成27年12月1日発行の稜威誌に掲載した文章です。


教育勅語の諸相
                             江島 蛍之介
 稜威会の禊行には拝神という行があり、一時間半から二時間ほど祝詞奏上や振魂をします。その行の終り近くに教育勅語を奉読することになっています。禊という宗教的な行のなかに教育勅語が含まれているのは、一見奇異に感じるかも知れません。なぜなら教育勅語は宗教的なものではなく、社会的な道徳を説いているからです。しかし、それは川面先生のお考えがあってのことであり、私なりにそれを推察すると、以下の二つの理由があると思います。
 一つは、禊行の目的は各人の罪穢れを祓い去り、心の奥底に眠る直霊を開発することです。直霊を開発したならば、それを社会に向かい、世界に向かい、大宇宙に向かって輝かせるのが御神意であると言われます。そのことは、禊行が終って直会を始める前に、禊に参加した修行者全員が唱える「同人告別式宣誓」という祝詞にも表れています。その中で、「人の功(いさお)神の徳(いさおし)を、身に顕し、家に顕し、国に顕し、世に顕し、大宇宙(おほみそら)に顕すべく、相互に誓(うけ)び、相互に約(ちぎ)り、相互の前途(ゆくて)を祝福(ことほぎ)奉る」と唱えるのであります。家庭や社会の中で直霊を輝かせるには社会道徳の導きの中で活動するのが当然であり、また禊によって人格が深まってくれば、より深く相手を思いやり、国を思いやり、宇宙を思いやる心が生れ、敵味方を越え、善悪を越えて活動していくべきものと思われます。
 二つには、そう考えると、「これは宗教である」、「これは道徳である」と言う区別は無くなり、すべてが神ながらの活動として統一されてくるのであります。それが地上天国の実現であり、我々もそこに向かって小さな努力を積み重ねつつあると言えるのかもしれません。
 さて、教育勅語に、『億兆心を一にして、世々厥の美を濟せるは、此れ我が国体の精華にして、教育の淵源、亦実に此に存す』とあります。ここが教育勅語の中の一つの眼目であると感じます。
 日本の国体は、天孫降臨の時に天照大御神が発せられた御神勅によって定められたと古典には記されています。その目的は、「豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけくしろしめせ」ということでありました。現代の言葉で言えば、「この世界を安らかで平和な世界として統治せよ」と言うことになると思います。この御神勅は、それだけが独立して発せられたものではなく、宇宙の意志というか、神が宇宙を創造し運営して行く方針として、連続性を持ったものであると思います。というのは、この御神勅から遡って見てみると、この御神勅の前には天津神もろもろのみこともちて、伊邪那岐・伊邪那美二柱御祖大神に発せられた修理固成の御神勅があり、さらにさかのぼって見てみると、天地初発の時、高天原に天御中主太神が成りましたことに繋がってゆくと思われます。これら一連の御神勅に見える宇宙意志、あるいは御神意は、本来言葉で言いあらわすことのできないものであり、いわゆる「止むに止まれぬ大和魂」なのかもしれませんが、人間界の言葉として受け止められ、神話的に表現されたものの一つが修理固成の御神勅であり、人間としての国家の構成に関わるものが天孫降臨の御神勅であると言えるかと思います。
 さて、日本語における「くに」とは、川面先生の御説によれば「組み」「組む」の類語であり、国民でも統治機構でも領土領海でもなく、多数の要素が組み合わさった組織体のことであるとされます。古事記で、「国稚(わか)く、浮きし脂の如くして、くらげなす漂える時、葦牙(あしかび)の如く萌騰(もえあが)るものによりて成れる神の御名は宇摩志阿斯訶備比古遲神」と言っているのは、宇宙出発の初期の時に、宇宙全体のあらゆるところで厖大な量の生命が一斉に湧き上がり萌え騰がった状態をさしたものであり、これこそが若々しい「くに」の始まりであったと言うことなのかもしれません。その時に、葦牙の如く萌えあがったものは、意識も意志をももった生命力であり、霊魂であったと思われます。
 修理固成の御神勅について言えば、御神意を人の活動を表す言葉で表現したものと言えるかと思います。修理固成というのは、古典では「うみつくり(修)、うみおさめ(理)、うみかため(固)、うみなす(成)」と振り仮名がふられています。川面先生の解説では、「創造(修)、整理(理)、堅固(固)、大成(成)」と説明されています。「うみつくり(修)」としては、創意工夫や発明、芸術のような独創的な作品の創作、農作物の栽培、品種改良などだけでなく、夫婦間で子供を産み育てることも含まれます。「うみおさめ(理)」は、「整理」であり、身の回りの整理整頓などから、土地の整理、荒地の開拓開墾、動植物などを分類整理する学問、世の中の現象を分類整理する人文社会科学等々が含まれます。「うみかため(固)」は、「堅固」であり、例えば自然科学の仮説を検証する実験学や図上のビジョンを実現していく諸々のプロジェクト等々を分類できます。「うみなす(成)」は、「大成」であり、それらすべてについて、まとめて一つの完成に持っていくことをさします。このように考えると、結局人間活動のすべてが、この「修理固成」の活動につながっていると言えます。
 このような修理固成の活動は、一人一人が、個人的にやるという面もあるでしょうが、日本の理想としては、国民全員がそれぞれ社会の中で適材適所の立場を得て互いに支え合い、円滑に進めていくべきことであります。つまり、個人の活動を家族が支え、また家族が互いに支え合い、家庭や地域を通して国民が相互に支え合って国を支え、国家が国民を守ることにより統一的な活動として修理固成を進めていくのが理想であるということでしょう。『億兆心を一にして、世々厥の美を濟せるは』というのは、国民が一致協力し、調和した活動を美となすのだと思います。美というのは、より調和し、より統一された状態に向かって行く姿を表現しています。調和とは、「調べ」であり、「知る」、「知ろしめす」から統治につながっていきます。
 神の御活動は多面的、多元的であり、それぞれの時代や状況に応じて、調和統一の美を求めつつ活動していると思われます。つまり、石器時代には石器時代の調和統一の美をもとめ、縄文時代には縄文時代の調和統一の美をもとめ、(中略)武家社会の時代には武家社会の時代の調和統一の美をもとめ、文明開化には文明開化の調和統一の美を求め、IT時代にはIT時代の調和統一の美をもとめつつ、より広く、より深く、より大きい次の時代を開く活動していくものと思われます。言い換えれば、調和統一の状態を継承しつつ再生産的に発展させていく、それが教育の目標であると同時に教育の淵源であると思います。
 そのような多元的な世界をそのままに捉えるために、川面先生が、自観、他観、表観、裏観など沢山の「観」を持てと言われたのかと思います。

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菊の禊を行いました

10月10日から12日の二泊三日で、菊の禊がを実施しました。
初日曇り、二日目は雨、三日目は晴れとバラエティに富んだ天候で、大変良い行ができました。
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海岸での祭典後に、お供えしたお神酒などを海に撒く。

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海岸での鳥船

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いざ、海へ。

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