|
プログラミングされた無機質なリズム・トラックに導かれじっとり湿った不穏な空気の中でアルバムが始まる。ヨークが柔らかな声で混乱を嘆き、そこにドラムが加わり静かにベースが寄り添う。 郷愁を誘うウェットなギターの音が加わるとモノクロの世界が少しずつ色づいて行く。。。夜明け前の蒼が少しずつ薄れていくように。。。冷たい熱を帯び温度が徐々に上がっていく。。。少しずつ少しずつ。。。 「15ステップ」 そこでエコーを響かせたヨークの声が平坦な声で呟く・・・「15段上がったと思ったら 奈落の底へ」 不安を誘う不気味なシンセの音が重なりグルーブは更にうねりを増す。。。”なぜ振り出しに戻ったのか?なぜ間違いを犯した場所に戻ってきたのか?” ヨークのエモーショナルな歌声が耳に残るレイディオヘッド流の嘆きのブルーズ?。。。いや私はこれをエレジー(哀歌)と呼びたい。エレクトリックでメランコリックなエレジー。。。 「エア・バック」がギター・ロックの名盤『ザ・ベンズ』から新しいロックの表現を模索した金字塔的な傑作『OKコンピューター』へのブリッジの役目を果たしたように アルバムの冒頭を飾る「15ステップ」はロック的な表現を放棄し”地下”へ潜りエレクトロニカなアプローチで多くのファンを驚かせた意欲作『KID A』からこのアルバムへの橋渡しのような役目を担っているように思う 誤解と反論を恐れずに言えば”ロック的な表現”への回帰だ。レイディオヘッドは戻ってきた。振り出しに、間違いを犯した場所に。。。メランコリーを携えてエモーショナルに新世紀に叙情的にギターと歌声を響かせる為に。。。 "ロックは成熟したのか?" 以前私が書いた『OKコンピューター』の記事のタイトルだ。記事はこちら→『OKコンピューター』ブログをはじめてまだ間もなかった頃の記事。・・・ ロックの表現に失望と限界を感じたように試行錯誤のスパイラルに陥ってしまったかの如く見えたレイディオヘッドが過去に創り上げたロック・スタイルの批評的完成形と言えなくもない『OKコンピューター』 現代社会の閉塞感と絶望を俯瞰で捉え、どこにも行けない想いや人生を冷徹な視点で、失意と静かな怒りを持って見つめている。。。永遠の黄昏を思わせるそんなアルバムだ ロック・ミュージックを愛しながらもロックが完全に袋小路に入ってしまった実感を抱え、いつか満たされないこの空白をレイディオヘッドが埋めてくれるのだと。。。 そんな希望と願望を持って私はその記事を締めくくった。 そして新作『イン・レインボウズ』。彼らが本当に『ザ・ベンズ』以来とも言える”力強い歌”をロックとして響かせてくれたことに私は静かな興奮の念を禁じえない。 あれから1年余り。。。ブログ記事として対象化することで浅い考察ながらアーティストの意志に向き合い、さらにリアルタイムのロックに頻繁に触れるようになり、私の意識にもいろんな変化があり新たに思うこともあった。 今改めて”ロックは成熟したのか?”と問われたなら。。。 ”ロックンロールの未来なんてもうどうでもいい”そんな気分だ(笑) そこに永遠にとどまりたいなら永遠の思春期をそこで過ごせば良い、悪くない場所だ。私はいまでもそこの住人のつもりだ。住民票は移してない。 エンドレスにリピートする轟音の中でつま先を見つめながら踊り続けるのも悪くない。新しい可能性。。。無数の記号を組み合わせて並び替えてビートに乗せる。一夜の熱狂、刹那な感情の衝突 永遠の少年性、永遠の反抗。。。悪くない。。。いまでもそれは充分魅力的だ。 ロックは人の気持ちを映す鏡だ。貴方が、そして私が望む形に色とりどりの光の屈折が構成して見せる幻のようにロックはそこにあり続ける。望む限り永遠に。。。 1万人の人がいれば1万人分のそれぞれのロックが存在する。一つのロック・ミュージックは幾層もの永遠の無数のパラドックスを抱えてる。結論も答えも無い。それが結論だ。 今レイディオヘッドの新しい音が流れてる。何度繰り返し聴いただろう?何気ない日常の中で静かに迎える世界の終わり。。。そこで最後に鳴らされるに相応しいような・・・そんな音楽だ。 それは哀しくそしてやさしい。手に触れたら消えてしまいそうに儚くて脆い、それでいてしっかりとした実感を伴った音楽だ。そこにはかつて感じた閉塞感も虚無も距離も不思議なほど感じない。 その手触りに触れる。とても親密な何かを感じる。それは終わりである絶望と同じぐらいに新しい世界の始まりの希望の音楽でもあるのだ。。。それが今の私に見えている”ロック”の形だ 『OKコンピューター』は疑いなく彼らの最高傑作だと今でも思う。その世界はどこまで行っても”完結”した揺るぎの無い硬直した世界だ。そこから後にも先にも行けないような。。。 夕暮れの四辻路で。そこで何かを求めながら永遠に待ちぼうけをして無為に時間を浪費しているような。。。。。。そんな現実によく似た象徴的世界だ。ロックによく似たロックのようなもの。。。 トム・ヨークはその完成された世界から抜け出す為に”リセット”を余儀なくされた。そして表現の放棄を表現した無機質で美しい”匿名”の音のパラダイム『KID A』を創り上げた。 アンビエント感を漂わせたポスト・ロックの代表作だ。浮遊する記号を並べながら音楽としての構成をレイアウトしていく。。。美しい表現の極北。。。 バンドはそこにほんの少し暖かみとジャジーなスウィング感覚を加えた新作(『アムニージアック』)を挟み、その次のステップとして”器としてロック的なフォーマット”を選ぶことで肉体性と輪郭を取り戻す。 『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』・・・醜く複雑で壊れた世界をありのままに捉えた表現で彼らのバンド・サウンドの復活が謳われた。一部のファンを熱狂させた『OK・・』の再臨。。。 前作までの虚無を抱えたようなエレポップの延長で鳴らされた乾いた怒りを伴った雑で深みに欠けた”ロック・サウンド”は何度聴いても私の心の芯に届くことがなかった。中には勿論「ゼア・ゼア」をはじめ魅力的な歌もあったのだが。。。 トム・ヨークのソロ・ワークを挟んで(あるいは中断)ついに新作に取り掛かったバンドはからっぽの容器に水を注ぐように溢れんばかりのメランコリーをそこに注いで浸した。 宙に浮いた実感のない言葉や記号は回収され”名前”が与えられ肉感的な数式を生み出すに至る、そこではギミックやカットバックされたサウンドコラージュ複雑なリズムやコード進行より”音楽”こそが何よりも雄弁に物語る。。。 そこには確かな”僕”の息遣いとそれを受け止める”君”の物語。心臓の鼓動と感情の震えが記録されている。 俯瞰で捉えたニヒルな視点で醜く悪意に満ちた世界を眺めていた彼らが、その混沌の中に降り立ち、そこで感じた痛みをかつて無いほどエモーショナルに表現し唄いあげる”絶望”の向こうにある新しい世界。 トム・ヨークってこんなに歌が書けて、こんなに情感を込めて唄えるんだ。。。何を今更と思われるだろうけど(^^;本当にそう思ったんだ。。。(笑) 余計なトリックはもう必要ない。そこでは嘆きや痛みや悲しみの”芯”を表現するという行為が人の声で歌として記される。バンドの演奏は少ない音数で感傷に溺れる手前でその叙情を見事に紡いでみせる それは音楽であり”歌”なのだ。私が聴きたいのはそんな音楽だ。ジェフ・バックリィやニック・ドレイクやスコット・ウォーカーのような。。。 昨年の私のお気に入りメイヴィス・ステイプルズ、ルーファス・ウェインライト、ウィルコ、ケヴィン・エアーズ。。。誰もが歌を紡ぎ出し唄うことで”繋がろう”としていた 新しい音楽を創造することをモチーベションに活動する季節を超えてあるいは、疲弊して彼らはより普遍的な”歌”を創る岸に辿り着いたのかもしれない。 新しい音楽はやがて古くなる・・・当たり前のことだ。永遠に辿り着けないパラドックスだ そこに共感を感じない人は速やかに退場するか、”新しい刺激”を待てばよいだろう。。。刺激とスリルを求め続ける終わりの無いメリーゴーランドにずっと乗ってれば良い 彼らが新しいフェイズに突入したことは明らかだ。ニヒルな傍観者としてではなく当事者として問題に対峙する準備が整ったように。。。 この汚れた世界の醜さを受け入れ悪意に立ち向かう一歩を踏み出したのだ。そこで精算するべき代価を支払い次のステージへ進むのだ。。。 アルバムの印象としてはデジタルなツールを要所で使いながらそれに支配されることなく全体的な感触としてオーガニックな音の感触と未完成でも情感に訴える歌を創ろうとしたのだろう。コンピューターの支配にYESと言わなかったわけだ 作品を完結させる必要がないということを知った彼らの成長。音楽は聞き手に渡り、自分達にフィードバックされて然るべきものなのだという事を悟ったかのように我々に近づきコミットしてくる。。。 もし作品を完成させるのならそこで音楽の循環の輪が成立し完成されるべきなのだ。話題を呼んだ先行ダウンロード。。。ディスク2の存在。。。用意された入り口と出口、隠された鍵 彼らは音楽はここで終わらないことを知ったのか?受け入れたのだろうと思う。それは彼らのカタログのトップに君臨し同時に呪縛でもある『OKコンピューター』の完結した世界からの脱却なのかもしれない アルバムの2曲目は1曲目の余韻を切り裂くように篭ったディストーションのワイルドなリフが鳴り響く「ボディスナッチャーズ」アップなロッカーで控えめなジョニー・ロットンのようにヨークが唄い飛ばす 肉体という器に閉じ込められた嘆きが唄われるが、裏を返せば精神を野に解き放つ哲学的な願望の歌だ。それと同時に、前曲からの流れを受けた解放=表現者としての奔放さを第三者から奪い返す宣言と考えても良いだろう ハードでラフなロックンロールから美しくメロウなギターソロへの転調。その予兆として不穏に鳴るシンセの音がアクセントになっている このアルバムの曲全体に言えることだが『OK・・』に収録された傑作「パラノイド・アンドロイド」のような大胆な転調、アバンギャルドで複雑な曲構成を持った曲こそないが シンプルな歌の中に落とし穴のように”何か”が起きる前触れ、瞬間のブレイクや構成音が生む一種の緊張感が存在する。。。 雨が降る前の空の色や空気の匂いのような。。。静かな予兆だ。。。スリル?そう言っても差し支えないだろう。一筋縄ではいかないレイディオヘッドの音楽世界がそこにはある。。。 Part2に続く。。。『イン・レインボウズ』レイディオヘッドPart2
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- その他音楽


