新世紀UK・Rock

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プログラミングされた無機質なリズム・トラックに導かれじっとり湿った不穏な空気の中でアルバムが始まる。ヨークが柔らかな声で混乱を嘆き、そこにドラムが加わり静かにベースが寄り添う。

郷愁を誘うウェットなギターの音が加わるとモノクロの世界が少しずつ色づいて行く。。。夜明け前の蒼が少しずつ薄れていくように。。。冷たい熱を帯び温度が徐々に上がっていく。。。少しずつ少しずつ。。。
「15ステップ」


そこでエコーを響かせたヨークの声が平坦な声で呟く・・・「15段上がったと思ったら 奈落の底へ」


不安を誘う不気味なシンセの音が重なりグルーブは更にうねりを増す。。。”なぜ振り出しに戻ったのか?なぜ間違いを犯した場所に戻ってきたのか?”

ヨークのエモーショナルな歌声が耳に残るレイディオヘッド流の嘆きのブルーズ?。。。いや私はこれをエレジー(哀歌)と呼びたい。エレクトリックでメランコリックなエレジー。。。


「エア・バック」がギター・ロックの名盤『ザ・ベンズ』から新しいロックの表現を模索した金字塔的な傑作『OKコンピューター』へのブリッジの役目を果たしたように

アルバムの冒頭を飾る「15ステップ」はロック的な表現を放棄し”地下”へ潜りエレクトロニカなアプローチで多くのファンを驚かせた意欲作『KID A』からこのアルバムへの橋渡しのような役目を担っているように思う

誤解と反論を恐れずに言えば”ロック的な表現”への回帰だ。レイディオヘッドは戻ってきた。振り出しに、間違いを犯した場所に。。。メランコリーを携えてエモーショナルに新世紀に叙情的にギターと歌声を響かせる為に。。。



"ロックは成熟したのか?"



以前私が書いた『OKコンピューター』の記事のタイトルだ。記事はこちら→『OKコンピューター』ブログをはじめてまだ間もなかった頃の記事。・・・

ロックの表現に失望と限界を感じたように試行錯誤のスパイラルに陥ってしまったかの如く見えたレイディオヘッドが過去に創り上げたロック・スタイルの批評的完成形と言えなくもない『OKコンピューター』

現代社会の閉塞感と絶望を俯瞰で捉え、どこにも行けない想いや人生を冷徹な視点で、失意と静かな怒りを持って見つめている。。。永遠の黄昏を思わせるそんなアルバムだ

ロック・ミュージックを愛しながらもロックが完全に袋小路に入ってしまった実感を抱え、いつか満たされないこの空白をレイディオヘッドが埋めてくれるのだと。。。

そんな希望と願望を持って私はその記事を締めくくった。



そして新作『イン・レインボウズ』。彼らが本当に『ザ・ベンズ』以来とも言える”力強い歌”をロックとして響かせてくれたことに私は静かな興奮の念を禁じえない。



あれから1年余り。。。ブログ記事として対象化することで浅い考察ながらアーティストの意志に向き合い、さらにリアルタイムのロックに頻繁に触れるようになり、私の意識にもいろんな変化があり新たに思うこともあった。


今改めて”ロックは成熟したのか?”と問われたなら。。。

”ロックンロールの未来なんてもうどうでもいい”そんな気分だ(笑)

そこに永遠にとどまりたいなら永遠の思春期をそこで過ごせば良い、悪くない場所だ。私はいまでもそこの住人のつもりだ。住民票は移してない。

エンドレスにリピートする轟音の中でつま先を見つめながら踊り続けるのも悪くない。新しい可能性。。。無数の記号を組み合わせて並び替えてビートに乗せる。一夜の熱狂、刹那な感情の衝突

永遠の少年性、永遠の反抗。。。悪くない。。。いまでもそれは充分魅力的だ。

ロックは人の気持ちを映す鏡だ。貴方が、そして私が望む形に色とりどりの光の屈折が構成して見せる幻のようにロックはそこにあり続ける。望む限り永遠に。。。

1万人の人がいれば1万人分のそれぞれのロックが存在する。一つのロック・ミュージックは幾層もの永遠の無数のパラドックスを抱えてる。結論も答えも無い。それが結論だ。



今レイディオヘッドの新しい音が流れてる。何度繰り返し聴いただろう?何気ない日常の中で静かに迎える世界の終わり。。。そこで最後に鳴らされるに相応しいような・・・そんな音楽だ。

それは哀しくそしてやさしい。手に触れたら消えてしまいそうに儚くて脆い、それでいてしっかりとした実感を伴った音楽だ。そこにはかつて感じた閉塞感も虚無も距離も不思議なほど感じない。

その手触りに触れる。とても親密な何かを感じる。それは終わりである絶望と同じぐらいに新しい世界の始まりの希望の音楽でもあるのだ。。。それが今の私に見えている”ロック”の形だ



『OKコンピューター』は疑いなく彼らの最高傑作だと今でも思う。その世界はどこまで行っても”完結”した揺るぎの無い硬直した世界だ。そこから後にも先にも行けないような。。。

夕暮れの四辻路で。そこで何かを求めながら永遠に待ちぼうけをして無為に時間を浪費しているような。。。。。。そんな現実によく似た象徴的世界だ。ロックによく似たロックのようなもの。。。

トム・ヨークはその完成された世界から抜け出す為に”リセット”を余儀なくされた。そして表現の放棄を表現した無機質で美しい”匿名”の音のパラダイム『KID A』を創り上げた。

アンビエント感を漂わせたポスト・ロックの代表作だ。浮遊する記号を並べながら音楽としての構成をレイアウトしていく。。。美しい表現の極北。。。

バンドはそこにほんの少し暖かみとジャジーなスウィング感覚を加えた新作(『アムニージアック』)を挟み、その次のステップとして”器としてロック的なフォーマット”を選ぶことで肉体性と輪郭を取り戻す。

『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』・・・醜く複雑で壊れた世界をありのままに捉えた表現で彼らのバンド・サウンドの復活が謳われた。一部のファンを熱狂させた『OK・・』の再臨。。。

前作までの虚無を抱えたようなエレポップの延長で鳴らされた乾いた怒りを伴った雑で深みに欠けた”ロック・サウンド”は何度聴いても私の心の芯に届くことがなかった。中には勿論「ゼア・ゼア」をはじめ魅力的な歌もあったのだが。。。

トム・ヨークのソロ・ワークを挟んで(あるいは中断)ついに新作に取り掛かったバンドはからっぽの容器に水を注ぐように溢れんばかりのメランコリーをそこに注いで浸した。

宙に浮いた実感のない言葉や記号は回収され”名前”が与えられ肉感的な数式を生み出すに至る、そこではギミックやカットバックされたサウンドコラージュ複雑なリズムやコード進行より”音楽”こそが何よりも雄弁に物語る。。。

そこには確かな”僕”の息遣いとそれを受け止める”君”の物語。心臓の鼓動と感情の震えが記録されている。

俯瞰で捉えたニヒルな視点で醜く悪意に満ちた世界を眺めていた彼らが、その混沌の中に降り立ち、そこで感じた痛みをかつて無いほどエモーショナルに表現し唄いあげる”絶望”の向こうにある新しい世界。

トム・ヨークってこんなに歌が書けて、こんなに情感を込めて唄えるんだ。。。何を今更と思われるだろうけど(^^;本当にそう思ったんだ。。。(笑)

余計なトリックはもう必要ない。そこでは嘆きや痛みや悲しみの”芯”を表現するという行為が人の声で歌として記される。バンドの演奏は少ない音数で感傷に溺れる手前でその叙情を見事に紡いでみせる

それは音楽であり”歌”なのだ。私が聴きたいのはそんな音楽だ。ジェフ・バックリィやニック・ドレイクやスコット・ウォーカーのような。。。

昨年の私のお気に入りメイヴィス・ステイプルズ、ルーファス・ウェインライト、ウィルコ、ケヴィン・エアーズ。。。誰もが歌を紡ぎ出し唄うことで”繋がろう”としていた


新しい音楽を創造することをモチーベションに活動する季節を超えてあるいは、疲弊して彼らはより普遍的な”歌”を創る岸に辿り着いたのかもしれない。

新しい音楽はやがて古くなる・・・当たり前のことだ。永遠に辿り着けないパラドックスだ

そこに共感を感じない人は速やかに退場するか、”新しい刺激”を待てばよいだろう。。。刺激とスリルを求め続ける終わりの無いメリーゴーランドにずっと乗ってれば良い



彼らが新しいフェイズに突入したことは明らかだ。ニヒルな傍観者としてではなく当事者として問題に対峙する準備が整ったように。。。

この汚れた世界の醜さを受け入れ悪意に立ち向かう一歩を踏み出したのだ。そこで精算するべき代価を支払い次のステージへ進むのだ。。。

アルバムの印象としてはデジタルなツールを要所で使いながらそれに支配されることなく全体的な感触としてオーガニックな音の感触と未完成でも情感に訴える歌を創ろうとしたのだろう。コンピューターの支配にYESと言わなかったわけだ

作品を完結させる必要がないということを知った彼らの成長。音楽は聞き手に渡り、自分達にフィードバックされて然るべきものなのだという事を悟ったかのように我々に近づきコミットしてくる。。。

もし作品を完成させるのならそこで音楽の循環の輪が成立し完成されるべきなのだ。話題を呼んだ先行ダウンロード。。。ディスク2の存在。。。用意された入り口と出口、隠された鍵

彼らは音楽はここで終わらないことを知ったのか?受け入れたのだろうと思う。それは彼らのカタログのトップに君臨し同時に呪縛でもある『OKコンピューター』の完結した世界からの脱却なのかもしれない




アルバムの2曲目は1曲目の余韻を切り裂くように篭ったディストーションのワイルドなリフが鳴り響く「ボディスナッチャーズ」アップなロッカーで控えめなジョニー・ロットンのようにヨークが唄い飛ばす

肉体という器に閉じ込められた嘆きが唄われるが、裏を返せば精神を野に解き放つ哲学的な願望の歌だ。それと同時に、前曲からの流れを受けた解放=表現者としての奔放さを第三者から奪い返す宣言と考えても良いだろう

ハードでラフなロックンロールから美しくメロウなギターソロへの転調。その予兆として不穏に鳴るシンセの音がアクセントになっている

このアルバムの曲全体に言えることだが『OK・・』に収録された傑作「パラノイド・アンドロイド」のような大胆な転調、アバンギャルドで複雑な曲構成を持った曲こそないが

シンプルな歌の中に落とし穴のように”何か”が起きる前触れ、瞬間のブレイクや構成音が生む一種の緊張感が存在する。。。

雨が降る前の空の色や空気の匂いのような。。。静かな予兆だ。。。スリル?そう言っても差し支えないだろう。一筋縄ではいかないレイディオヘッドの音楽世界がそこにはある。。。


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美しく荘重な響きを奏でるストリングス。。。ヨークの震えるファルセット。。。控えめに素朴に鳴らされるギターの音色。表情豊かなバンドのアンサンブル。息を呑むような美しいワルツ「ヌード」


レイディオヘッドを語るときどうしてもヨークのことばかりになってしまうがバンド結成以来彼を支えるバンドのメンバーの存在も言うまでも無く重要だ。

6人目のメンバーとも言われるプロデューサー、ナイジェル・ゴッドリッジの協力を得たにもかかわらず”刺激”と魅力に欠けたヨークのソロを聴いて改めてそう感じた。

中でもジョニー・グリーンウッドは賞賛に値するギタリストでありプログラマーでバンド・サウンドの大きな鍵を握るヨークに次ぐ重要なメンバーと言えるだろう。

そしてもう一人のギタリスト、エド・オブライエン。ジョニーの兄でもあるベースのコリン・グリーンウッド。ドラム/パーカッションのフィル・セルウェイ

この美しいバラードの演奏は地味ながらも彼らのロックバンドとしての実力、真骨頂を思い知らされる。

ヨークが好きな歌手として挙げるジェフ・バックリィとの共通項がいままでうまく結びつかなかったがこのアルバムのヨークの情感溢れる歌声はジェフを彷彿させるものだった。。。

素っ気ないドラムのスティックカウントから始まる揺るやかに跳ねるドラムの反復ビートに繊細なギターのアルペジオが絡みつつ幾重にも重なっていく美しくメロウなナンバー「ウィアードフィッシズ/アルペッジ」

幻想的で静かな唄いだしに始まり、丁寧に感情を織り込んでいく伸びやかなヨークのヴォーカルがここでも美しい。

増殖を続けカオスに飲み込むように重り高まったギターの音が突然鳴り止み、ヨークのヴォーカルとシンセ音が取り残された静寂の中で

ヨークの声が浮上し雄弁に語りだす、がやがて力を取り戻したバンドの音に紛れて疲弊したつぶやきを繰り返しながら消えていく。。。

「オールアイニード」歪んだヨークのダークサイドが頭をもたげるラブ・ソング。”僕は蛾 君と光を分かち合いたい”

重厚なシンセベースとドラムの重たいビートにリードされグロッケン、ピアノ、シンセの音が分厚い音の壁を生んでいくヘヴィなバラード。シニカルではあるがそれでも美しい。

アコギのアルペジオとストリングスのみで構成された美しいバラードの小品「ファウスト・アープ」を挟んでグルーブするドラムのビートに始まる「レコナー」へとアルバムは繋がれる

エコー処理されたシンバルの甲高い音とドラムのグルーブに絡みつくフロントピックアップで拾われた篭ったギターのアルペジオが印象的。

虹のかかった空白の海辺で人生を精算する男の物語。自己犠牲に身を投じるその姿はどこかヒロイックでさえある。。。


レコナー=精算人。日本盤のライナーノーツでは”最後の審判”で裁かれるべきものについて考察されてる。。。罪のない後の世代(未来ある子供たち)への大人の責任(自らも含めた)の所在、処遇などについてだ。

ヨークも子供を持つ一人の父親としてこの歌にそんな気持ちを込めてこの詞を書いたのかもしれない。

私は情景としてもっと曖昧なイメージでこの歌を捉えてる。虹のかかった波のうちよせる寂しい海辺に一人の男が佇んでる情景。。。それだけで充分だ

ヨークのエモーショナルなヴォーカルはここでピークに達する。多重録音による美しいコーラス・ワークはどこまでも哀しげで厳かでゴスペルのように美しい。そこにストリングスが絡む美しさは筆舌に尽くしがたい美しさだ。。。

メランコリーに囚われながらそこに拘泥しなかった彼らの音楽がここではメランコリーを受け入れそこで温かい涙を流している。。。いや涙を流しているのは彼らではなく私なのかもしれない。。。

その音楽は親密で、怒りに任せ何者かを糾弾するような嘆きでも、悲観主義に囚われた悲痛な嘆きでもなく逃れられない生まれいずる悲しみのような形をした嘆きだ。

だからこそ私はこの美しいエレジーに素直に共感できるのだ。



シリアスに振り切れた針を調整するように肩の力を抜いてリラックスを促すようなおおらかな「ハウス・オブ・カーズ」レイディオヘッド流の昼メロ風カントリー・ソング?

メロドラマみたいな歌詞も含めてどこかカントリー的。何かのパロディのつもり?かもしれない。不倫願望を真剣に唄ってると考えても構いやしないけど(笑)人生には多少の息抜きも必要でしょ?ってな不真面目でポジティブなバイブを感じる


「ジグソー・フォーリング・イン・トゥ・プレイス」も素晴らしい曲だ。静かで乾いたアコギの音と性急な8ビートを刻むドラムとグルーヴィーなベース。ニヒルなヨークのヴォーカルとリリック。。。

ダイナミックさと繊細を兼ね備えたスミスを思わせる情感豊かなフォーク・ロック。見事なバンドアンサンブル。ニヒルなヨークの歌声も曲の終わりでは感情を込めた訴えに変化する


”君の悪夢が去ることを願い 君に光が・・・ 背中に感じてるはず” 

”ジグソーパズルがあるべき場所に収まっていく。。。”

それは多分希望の光だ


ヨーク自身の哀しげなピアノの弾き語りで無垢で無防備な歌声を聴かせる「ビデオテープ」メランコリーの辿り着いた先は・・・天国の門。

ビデオテープに残されたモノローグ。。。静かでせつなく美しく希望を予感させる終わりだ。

時を(あるいは命)刻むパーカッションが鳴り響き、柔らかな歌声が最後のフレーズを歌い切ると何もかもが少しずつ消え、色を失っていく。。。

何気ない日常の中で静かに迎える世界の終わり。そこで最後に鳴らされるに相応しい音楽。

天国の門の前でメフィストフィレスと最後に交わす約束は愛する人の幸せなのだろうか?

何一つうまく行かなかった旅の終わりに主人公は多分笑顔でつぶやく。。。

”今日という日がこれまでで一番完璧だ”




最後の2曲でヨークが歌ってるのは”希望のような何か?”だ。「ジグソー・・」で彼は不安と疑いを抱きながら、「ビデオテープ」ではある種の確信めいたものを持って唄う。。。


”僕には判った 今日という日がこれまでで一番完璧だ”



希望は彼の歌の裏に潜在的に常にあったものだとも言える。希望は絶望の裏にありその逆もまた然り。。。

ヨークの中の根源的な絶望感は多分消えていない。それはこのアルバムのあちこちにしっかり傷跡のように残されている。むしろそれは以前よりも増しているのかもしれない


傍観者であることを辞め、絶望や虚無に対峙することで希望を見出し、憎しみを捨て絶望を抱えたまま真摯にここまで希望を自然に美しく鳴らした音楽がかつてあっただろうか?


希望は人の気持ちを映す鏡だ。貴方が、そして私が望む形に色とりどりの光の屈折が構成して見せる幻のように希望はそこにあり続ける。望む限り永遠に。。。

それは空にかかる虹のように届かない幻なのかもしれない

1万人の人がいれば1万人分のそれぞれの希望が存在する。一つの希望は幾層もの永遠の無数のパラドックスを抱えてる。結論も答えも無い。だが私達はそれがなければ生きていけないのだ。。。


このアルバムはメランコリーに満ちた希望のアルバムだ。私達はこのアルバムを理解するのではなく感じれば良いのだと思う。

ここに唄われた10曲には『OKコンピューター』のような完成された批評性も『KID A』のような驚きも独創性も無い。

ただ私は『OKコンピューター』の揺るぎ無い完璧さよりもこのアルバムの不完全な”歌”をずっと長く愛するだろう。

『OKコンピューター』の批評性よりもこのアルバムに漂う哀しげな情緒をこれからもずっと長く愛せるだろう。

静かな終わりを迎える朝に”今日という日がこれまでで一番完璧だ”と笑顔で呟きながら愛する人と別れたい。こんな歌に見送られて。。。
「ビデオテープ」






雨上がりの空に大きな虹がかかっている。

降り止まない雨になにもかもが流されたあと。見上げるものが誰一人いない海辺の向こうの空にかかる虹なのかもしれない

明日という未来に不安を抱えた誰かが見上げる虹かもしれない。おそらく希望に似た”何か”のような絶望を抱えて。。。無言で虹を見上げている。愛する人の手を握り締めながら

虹の向こうには希望が待ってるに違いないと信じながら

そしてそこに辿り着くことはおそらくないのだと知りながら

誰もが虹を見上げている。。。






IN RAINBOWS
/RADIOHEAD


01.15 Step
02.Bodysnatchers
03.Nude
04.Weird Fishes/Arpeggi
05.All I Need
06.Faust Arp
07.Reckoner
08.House Of Cards
09.Jiggsaw Falling Into Place
10.Videptape
/2007年発表

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1枚のレコードを宝物のように慈しんで大事に聴いていた若い頃。そんな気持ちで音楽に触れる感触をいつの間にかどこかへ置き去りにしてきてしまった。。。


アルバムを聴き終える、レコードをまたひっくり返してA面から聴き返す。。。先の記事で紹介したメイヴィス・ステイプルズのアルバムは久しぶりにそんな気持ちで聴ける、楽しめるアルバムだった。




いつの間にか音楽を消耗品のように扱っているんじゃないだろうか?そんな気持ちになることもある

いろんな音楽に触れることで経験的にある程度耳が肥え音楽的な語彙が増え、いつのまにかアカデミックな権威主義や偏見が入り込み素直な気持ちで音楽を聴けなくなってる自分に嫌気がさすこともある

でも何かに急かされるように何かを競うように音楽を聴くことなんてなんの価値もないのだ。自分の身の丈にあった好きな音楽を自分の好きなようにじっくり時間をかけて楽しめばそれで良いのだと思う。

1日の終わりにそれにふさわしいアルバムを手に取ってゆっくり、時に激しく音楽に身を委ねれば良いのだと思う。本来音楽を楽しむとはそういう事だったはずだ

焦燥と喧騒の中でギターのパワー・コードの響きやスネアの一撃に心を躍らせるようなそんな無邪気な心は時間をかけていつの間にかゆっくりと死に絶えどこかにひっそりと葬りさられてしまったのだ


いずれにしろ私は年齢的に大人と呼ばれる人になりいろんなエクスキューズを求めながら音楽を消費し続ける。。。

それでも時々無邪気に音楽を楽しんでいたかつての自分を取り戻せるような音楽に幸運にも巡り合えることがある。それが私にとってメイヴィスのアルバムだったりしたわけだ。




そして時々、新しい音楽に出会うたびいつもワクワクしながら目を輝かせていた”あの頃”の匂いを思い出させてくれる音楽に出会えることもある。

そしてそれはもう二度と取り戻せない通り過ぎた場所にあって、そのことは私を少し切なくさせる。リアルで生々しく甘く切ないロックンロール。。。あの時と同じ気持ちでそれを聴くことは叶わない。。。

ザ・リバティーンズ・・・彼らの音楽を聴くといつもそんな気分になってしまう。それは失われた感覚でありながらそれでもなお残された記憶の欠片が熱を帯び、胸の芯のところが熱くなってしまうのだ。。。
「Last Ppst On The Bugle」ザ・リバティーンズ




クラッシュの元ギタリストであるミック・ジョーンズのプロデュースでパンキッシュな横柄さと繊細なメロディを抱きかかえて

彼らはストロークス以降のガレージ・パンク・リバイバルの流れの中から21世紀を担うバンドとして、新しいヒーローとしてイギリスのロック・シーンに登場した。

彼らの歌っちまえ!弾いちまえ!的な無頼な演奏に”パンク”と形容を与えるのは簡単なことだ。

時にパンクのそんなアティテュードは私を混乱させた。それは誰もがスターになれる、誰もがギター1本で王様になれる偉大で共感できる発明ではあったが純粋に音楽として響かないことも少なくなかった

リバティーンズはガサツで拙い演奏の中でひとつのメロディ、ひとつのコードをひたすら美しく響かせる為にギターを掻き鳴らし

ひとつの想いを誰かの胸にしっかり届るために、自分達に起こっている街の現実を文学的な言葉でつむぎ外へ向けて発信し、確信を持って叫び続けることが出来る才能に溢れていた。


ニヒルな傍観者、クールな預言者であることより、通りに出て傷つき倒れることを望み、内側に閉じこもることなく激しく赤裸々に表現することを選んだ。

鋭いナイフの切っ先を突きつけ自らの心臓をえぐりとり俺の鼓動を感じてくれとひざまづき懇願するような刹那な音楽と言葉の交配。。。

ロックの神話の中で迷い傷つきさまよいながらロマンティシズムを追い求め、それに殉ずる気持ちのこもった音楽だ。

それは新世紀の混沌の中で鳴らされたあらゆる音でもっとも切実でリアルなロック体験だった。そして今に繋がるイギリス発の新しいロック・バンド攻勢の先鞭となったのは紛れも無い事実だ

彼らは衝撃のデビューからその2作目においては永遠の約束と友情が壊れる様を美しく儚く描き、ボロボロに這いずり回りながらそれを音楽に焼付け、ほろ苦い感傷を残しニューシネマのヒーローのようにはじけ飛んだ。。。





彼らの音楽に触れた時、私が十代だったら彼らのポスターを部屋中に貼りまくり崇めていただろうと思った。彼らの音楽、彼らの物語を自分の冒険のように夢中になって追いかけていただろうと思う。


私はこのバンドを心から愛しいと思えた。かつて私がいた場所で私と同じものを探しながら転がりそしてはじけてしまった瞬間がこのアルバムに込められているから。

そこにリアルな感触を私は確かめる。懐かしい感触だ。でもその場所へ私自身は帰ることは出来ないのだ。。。





ザ・リバティーンズの2枚目のアルバムにして今のところラスト・アルバム。ロック・ファンにはお馴染みのインディ・レーベル、ラフ・トレードから発売されたエネルギッシュなロンドン・パンク

バンドのフロント・マンであり親友、相棒でもある二人のヴォーカル&ギター、ソングライトチームピーター・ドハティカール・バラー

ロンドンのイースト・エンドで出遭った二人は十代の冒険を共有し双子の兄弟のように運命をともにすることを誓い音楽と友情を創り上げていった

そこにリズム隊を務める黒人ドラマーのゲイリー・パウエルとベースのジョン・ハッサールが加わりバンドが始動する

”21世紀のピストルズ”という謳い文句にはあまりにナイーヴ過ぎるロマンチストのロクデナシ二人の物語がバンドを転がしている

彼らはスモールフェイセズの再来でありクラッシュのようなタフで雑多な音楽性とビートルズやキンクスに代表される哀愁を帯びたブリティッシュ・ロックのメロディ・ライン

ストゥージズやヴェルベッツ、ドクター・フィールグットやヘッドコーツの激しくスタイリッシュなガレージ・サウンドをベースに

Jマスシスやペイヴメントらの壊れたポップ性やニルヴァナを代表とするグランジ勢、最近紹介したエリオット・スミスやロン・セクスミスら現代的シンガーソングライターに通じるナイーヴさを抱えていた

そしてその実その誰にも似ていない彼らならではのオリジナリティも有していた。

個人的感想としては彼らと入れ替わるようにシーンから姿を消した日本のミッシェル・ガン・エレファントやBJCの音楽が持っていた独特な繊細さと暴力性が交錯する感触に良く似ているように思えた



ひとつ言えるのは彼らがロックを選んだのではなく、ロックが彼らを選んだような危うさと眩い輝きを放ちながら彼らはストリートから飛び出しスイングするビートの中で踊り続けたのだ。
「Can't Stand Me Now」ザ・リバティーンズ



よく似た二人のヴォーカルが1曲の中で交錯し、ハーモニーをぶつけ合う・・・そのどこか切ないメロディ・ラインとヴォーカルがモタル様はジョニー・サンダース&ハートブレイカーズを思わせる

ここで歌われるのは愛しながら別れる二人だったり、中傷、嘲り、侮蔑。。。もうお前は俺を愛せないという自嘲だったり、傷つけあうことに疲れ果て約束を見届けることをあきらめてしまったり。。。

一見男女の関係にも取れるがこのアルバム製作時に問題を抱えていたピートとカールが交換日記のように自分達の問題をやり取りしながら作品として成立させたのだと思う

ピートのドラッグに端を発したこじれた友情が様々なドラマを生み、そしてこの"終わり"の匂いが充満したアルバムが生み出された。

バンドのライヴ活動は中心メンバーであるピートを外した中で行われ残されたカールはピートを待ち続けたがそれがもう叶わないことを悟った上でバンドを解散させた




かつてビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』に壊れていくバンドの姿を見た。それは私にとってはビートルズとの出会いのアルバムだった。

壊れてしまった関係と倦怠感を漂わせたそのアルバムは不思議なことにバンドと私の間に何がしかの親密さを生みだしたような気がする。彼らは歴史上もっとも優れたスーパースターではなくただの人間だった。。。



アルバムの評価としてはその衝撃度も含め1st『リバティーンズ宣言』の方が高いと思う。ラモーンズみたいにポップな3分間のロックンロールを速射砲のように撃ちまくる大傑作だ

ジム・キャロルやウィリアム・バロウズを思わせるようなより文学性の高い冴えた歌詞とタイトなロックンロールで一気に突っ走る爽快なロックンロールアルバム。

私の鈍いアンテナはその時彼らのデビューを捕らえることなくこの2nd『リバティーンズ革命』で彼らの存在に触れることになる。

そこには私が始めて聴いた『レット・イット・ビー』に似たような滅びていく美学、寂寥感とそして親密さがあった。。。

彼らとの出会いはそんな終わりの始まりだった。自らバンド名をつけたセルフタイトルのこのアルバムはリアルなロックンロールの結晶だ。

そこには衝突する二人の若者の心の揺れや妬み憎しみ、愛情に端を発する愛憎、永遠の友情が刻まれている。それはヨレヨレに汚れていながらも美しく、甘く、そして切ない。。。




彼らはいつの日か再び出会い新しい今の自分達に鳴らせる音、欲するメロディを探しだすのかもしれない。彼らの旅はまだはじまったばかりなのだ。

今はそれぞれ別な道を歩んでいる彼ら二人とバンド・メンバーの道がどこかで交わるといいなと思う。。。



彼らはまだ若い。まだ今来た道を戻る、やり直す時間は十分残されているのだ。。。そうすることに価値があるのかどうかは判らない。同じ過ちを繰り返すだけなのかもしれない

二人にはそれをカードとして選ぶ権利が残されている。。。そして私はその時またある種の感傷と感慨を持ってそれを眺め少し切ない気持ちになるのだと思う。


「Music When The Lights Go Oot」ザ・リバティーンズ





THE LIBERTINES
/THE LIBERTINES



01.Can't Stand Me Now

02.Last Post On The Bugle

03.Don't Be Shy

04.The Man Who Would Be King

05.Music When The Lights Go Out

06.Narcissist

07.The Ha Ha Wall

08.Arbeit Macht Frei

09.Campaign Of Hate

10.What Katie Did

11.Tomblands

12.The Saga

13.Road To Ruin

14.What Became Of The Likely Lads

/2004年発表(以下日本盤にはボーナストラック有)

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