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 『広島―記憶のポリティクス』(米山リサ著・小沢弘明、小澤祥子、小田島勝浩訳・岩波書店・05年7月発行)。この本の序章で、かなり衝撃的な事実を昨年読んだ。広島平和公園の設計について。
 「平和記念公園は、広島・中島地区を恒久平和の象徴の地とするとともに、市民の憩いの場所とする計画のもとに、54(昭和29)年4月1日完成、設計は(設計コンペ応募145点からの入選作)丹下健三(代表)、朝田孝、大谷幸夫、木村徳四郎共同作品である」ということは案内書などで説明されている。ところが、この設計案がたいへん大きな問題を含んでいることはあまり知られていない。引用が多くなるが、広島平和記念公園のデザインについて、この本の一部を紹介しておきたい。

 米山は、広島平和記念公園のデザインの忘れ去られた事実について詳細に検証した井上章一(歴史家)著の『アート・キッチュ・ジャパネスク――大東亜のポストモダン』(青土社・87年)をもとに論を重ねていく。前記の設計コンペは、1949年に開催された一般公募の作品の中から決定されたものだ。これをさかのぼること7年、戦時中の1942年に、帝国主義的構想からの「大東亜建設記念営造計画」の一部として開催されたコンペティションがあった。丹下健三は、富士山麓の開けた平野に壮大な神道式記念ゾーンを建築する案をそこに提出し、採用された。
「彼の基本的構想によれば、四つの建物ブロックが二等辺三角形のかたちに配置されることになっていた。三角形の底辺中央に中心となる施設が置かれ、記念空間への入場通路の陰喩となる。中心施設の両側に左右対称に配置された二つの建物群は、人々が集う記念ホールや展示室となる。記念モニュメントが鎮座することになる二等辺三角形の頂点の方向へ、入り口部分からまっすぐに軸線がのびる。その軸線は「遥拝の軸」とされ、ヨーロッパのファシスト政権下で建設された同様の記念公園のように、人々の注意と動きを中央のモニュメントに引きつける役割を与えられていた。」(『広島―記憶のポリティクス』)
 しかし日本は敗れ、プランが実現することはなかった。

 ところが、1949年に丹下の提出した平和記念公園のデザインは、大幅に規模を縮小したものではあるが、これら大東亜共栄圏思想の記念碑として構想した壮麗な空間様式を、1954年に実現することになったものだという。
「日本の帝国的近代が有するハイデッガー的アイロニーを最も典型的に示しているのは、原爆ドームとよばれるモニュメント化した廃虚が平和記念公園に組み込まれていることである。丹下の最初のプランと同じように、礼拝のための中央軸が、入り口から中央の慰霊碑を通って、ドームの残骸へとのびている。(略)戦後のプランでは、戦前に構想された高さ六〇メートルの神道式モニュメントの規模が縮小されて、広島平和都市記念碑という公式名の人間大の大きさにあわせた中央のアーチ型慰霊碑に姿を変えた。井上が指摘するように、建物群の左右対称形の配列も、同じく一九四二年のオリジナルの構想にほぼ忠実なものとなっている。」(同書)
 確かに僕も様式美を感じとっていたからであろうと、1977年に訪広したとき撮った写真を取り出してみた(写真1、2)。そこで、1994年に旧平和祈念館は改築されているが、現在の平和公園の図をもとに作図(図A)してみると、ぴたりと丹下健三の構想が浮き上がってきた。詳細な解説と合わせ、なるほどそういうことかと、井上が提起し、米山が忘れてはならないという問題が身近に感じられてくる。

 かつて「近代、啓蒙、文明、そして大東亜共栄圏が約束した夢を祝福する」ための空間が、「核時代の幕開けの瞬間を想起し、文明の自滅の可能性を思い描くために集う」空間に置き換えられたという衝撃的な事実が忘れ去られていると、井上は指摘しているのだ。この項を米山はこう結んでいる。
「二つの儀式空間の構造的連続性や、より重要なことに両者の類似性が広範囲にわたって見落とされてきたという事態は(略)広島の記憶がこれまで占めてきた慣習的な地位がどのようなものであるかについて私たちの注意をうながしてくれる。広島への原爆投下を日本人の共同体によって経験された被害として想起する、(略)人類史における前例なき出来事として原爆を記録する(略)広島の記憶は、戦前の大日本帝国、その植民地主義的行為、そしてそれらの帰結の深刻な曖昧化の上に成立している。
 広島の中心的な記念空間は、帝国日本を祝福するものから、戦後の平和国家を称賛するものへと、問題提起もされないまま移行した。この事実が示すのは、戦前の社会的、文化的要素が、国家の再生と過去からの再出発を象徴すると思われるこのイコン的な場でさえも持続していることである。私たちはまず、いまだに持続していながら忘却されているこれらの要素がまさに何であるのかを見定めることから始めなければならない」(同書)と。<その2・補足に続く>

*米山リサ/カリフォルニア大学サンディエゴ校文学部準教授、スタンフォード大学人類学部博士。
*井上章一/国際日本文化研究センター教授・歴史家・人文学者。

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2006/10/19(木) 午後 11:28 [ 今夜が山田 ] 返信する

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