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平和をたずねて:原爆非命 桜隊は問う/
11 死んだら芝居ができん=広岩近広  ≪記事≫
          (毎日新聞 2012年4月17日 大阪朝刊) 

 「実を言いますと、私は散り残った桜です。召集されなかったら、桜隊の10人目の原爆犠牲者となるはずの人間でした」

 国民的人気を集めたテレビドラマ「水戸黄門」でおなじみの俳優、佐野浅夫さんが「桜隊原爆忌」の追悼会でマイクを握ったのは06年と07年の8月6日だった。3代目黄門の佐野さんは歴代最長の7年間にわたり水戸のご老公を演じた。

 この日はサマースーツに身を包んで、長い間の沈黙を破った。「丸山定夫さん、園井恵子さん、仲みどりさん、高山象三くんの4人と一緒に苦楽座で生活をしていたのです」

 苦楽座は桜隊の前身で丸山定夫、徳川夢声、薄田研二らが1941(昭和16)年12月に結成した。俳優志願の佐野さんは日大芸術学部で薄田の息子、高山象三と同期だった縁で、彼に誘われて苦楽座に参加する。

 「私は園井さんよりひと回り下の丑(うし)年で、最年少の18歳でした。園井さんから、ウシウシ頑張ろうね、と励まされたものです」。東京都内のホテルのラウンジで、86歳の佐野さんは振り返る。「宝塚時代のファンから頂いた貴重なヨウカンを、園井さんがお裾分けしてくれて食べていたら、仲みどりさんに怒られてね。男の子がそんな甘い物を食べるんじゃないのって。園井さんが正座してお化粧をしている隣で、仲さんはステテコをはいてあぐらをかく威勢のよさがありました。家族的な劇団でした」

 舞台にあがると、それぞれがプロの俳優力を発揮した。丸山と園井の「無法松の一生」を舞台の袖で見ていた佐野さんは、役者の神髄を学んだという。

 「生身の人間になりきり、ポロポロと涙を流す丸山さんは、人間の情を表現できる俳優でした。相手役の園井さんも丸山さんに応じて、やはり涙をこぼす。2人の演技をそばで見たことが、私の一生の財産です」

 佐野さんが苦楽座から引き裂かれたのは45年3月だった。陸軍の甲府連隊に召集されたのである。高山は病気がちだったので地方公演に出るのを許された。苦楽座が桜隊と改称して広島に移動するのは、6月のことだった。

 佐野さんは語る。「桜隊は、苦楽座でつけた名前ではありません。当時の劇団は国から花の名前を押しつけられた。俳優座は芙蓉(ふよう)隊、宇野重吉さんは瑞穂(みずほ)劇団でした。高山くんは桜は軍隊のイメージが強いと嫌がっていたが、芝居をするために仕様がなかった」

 佐野さんは標準体形だったので、「老け役もできれば少年役もできる」と、男優の少ない劇団にあって期待された。だが召集から逃れることはできない。「お国の赤紙には勝てませんよ」。佐野さんは東京を離れる前に丸山を訪ねた。

 「丸山さんは私を見つめて、ぜったいに死ぬなよ、と強い口調で言ってくれました。死んでしまったら芝居ができません。そのことを伝えたかったのでしょうが、当の丸山さんが原爆にやられてしまったのだから、悔しいですよ」

(次回は24日に掲載)

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