桜隊原爆忌の会

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ホームページに、2012年桜隊原爆忌の報告をアップしました。
なお、冊子判報告集(PDF)も用意してあります。

また、当日の「発信する子どもたち」代表・浦田沙緒音さんの発言につきまして、ご本人の了解が取れましたので、切り出し動画をアップさせていただきました。

下記動画から、上演作品を切り出しました。

詩=朗読構成
「仲みどりの被爆 ―原子爆弾症第一号のカルテを持つ女優の足跡」
   (近野十志夫詩集 『人物史詩 櫻隊』 より)

【朗読】
 瀧澤まどか/文化座
 劉毅(りゅうい)/俳優座
 田崎紀子/創造集団池小
【音楽】
 富永正寿/ソプラノサックス


2012年8月6日 桜隊原爆忌 : 原爆殉難者追悼会 (於・東京目黒 五百羅漢寺)

被爆67年 桜隊原爆忌 ─原爆殉難者追悼会

<追悼会の主な内容>

◎講演ビデオ上映◎
被爆医師・肥田舜太郎先生
 「ピカドンと“内部被曝”」を語る
「発信する子どもたちの会」主催の講演より(2011年3月27日収録 撮影/本田孝義)

 本年度の企画では、原爆被爆と放射線による影響を伝えるに最もふさわしいと思われる、自らが原爆被爆者であり、救援・治療活動から“内部被曝”を研究され続けた肥田俊太郎先生の講演に注目しました。しかし、8月6日には東京に居られない先生の状況に突き当たりましたが、様々な方や団体の協力を得て、福島原発事故直後に行われた貴重な講演ビデオを入手し、上映の許可を取ることが出来ました。肥田先生の貴重なお話に耳を傾けていただきたいと思います。
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肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)■1917年広島市生まれ。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任、8月6日被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、戦後67年間、被爆者治療と核廃絶運動に献身している。全日本民医連理事、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長などを歴任。2009年に医療活動から引退後も活動を続け、福島原発事故後に急増した取材・講演依頼に応えている。
■著書『ヒロシマ・ナガサキを世界へ―被爆医師の反核語り部世界行脚』『広島の消えた日―被爆軍医の証言』『ヒロシマを生きのびて―被爆医師の戦後史』『内部被曝』ほか訳書も多数■映画『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被爆』(2006年仏)

◎朗読◎
 「仲みどりの被爆 ―原子爆弾症第一号のカルテを持つ女優の足跡(作:近野十志夫)
   瀧澤まどか/文化座  劉毅(りゅうい)/俳優座  田崎紀子/創造集団池小
   音楽/富永正寿(ソプラノサックス)

《スケジュール》
2012年 8月 6日(月)午前10時30分〜午後3時
午前10時30分〜 碑前祭、記念撮影
      <歓談、食事>
12時00分〜 追悼会
◎開会 ◎遺族・関係者紹介
◎追悼 前・桜隊原爆忌の会会長 中村美代子さん
1995年から会長を務められた中村美代子さんが2月28日に急逝されました。原爆忌の今後のあり方を考えるための会議を準備しているさなかでした。最後まで桜隊のことを気にかけた足掛け18年の就任、「丸山定夫を殺した原爆が憎い、事故を起こした原発が憎い」と、涙ながらに語った昨年の挨拶は忘れられません。
◎講演ビデオ上映 ◎朗読 ◎閉会(15時終了予定)

《追記》
◆被曝時刻に合わせた午前8時00分からの五百羅漢寺主催「平和祈念桜隊殉難法要」がございます。ご都合のつく方はぜひご参加ください。

●参加費 3,000円 高校生以下1,000円(献花料・記念写真・昼食代含)
●会 場 桜隊菩提寺 目黒 五百羅漢寺
 東京都目黒区下目黒 3−20−11 ・03−3792−6751
主催:桜隊原爆忌の会 会長代行  神山 寛

※お問い合わせ・お申し込みは、桜隊原爆忌の会世話人事務局
E-mail:sakuratai01☆yahoo.jp (☆→@に変えてください)
◆会場準備のため、必ずお申し込みのうえご参加ください。当日ですと入場できない場合があります。

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平和をたずねて:原爆非命 桜隊は問う/
16(最終回) 核の愚かさ訴える殉難碑=広岩近広  ≪記事≫
          (毎日新聞 2012年5月29日 大阪朝刊) 

 広島に原爆が落とされた8月6日の午前8時15分、東京都目黒区の五百羅漢寺で毎年、平和の鐘が鳴り響く。原爆死した桜隊の丸山定夫ら9人の「原爆殉難者追悼会」はこうして始まる。

 五百羅漢寺で最初に平和の鐘がつかれたのは1952(昭和27)年12月8日だった。遺族や演劇人が参列して桜隊の「原爆殉難碑」の除幕式が行われた。碑銘を書いた徳川夢声は、丸山と一緒に苦楽座を創立している。夢声は訴えた。

 「非人道的な原爆を発明、使用した人類を憎み呪う。その最初の犠牲者を永遠に祈念し原爆を使う愚かさに抗議しよう」

 桜隊を失った演劇人の怒りが集約されていた。75年には「桜隊原爆忌の会」が誕生する。事務方を担ったのが桜隊の生き残り男優、池田生二だった。原爆に見舞われる直前、空襲に遭った家族を静岡から長野に転居させるため広島を離れて難を免れた。戦後は映画やテレビドラマで活躍するかたわら、生き残った者の使命として「桜隊原爆忌」を根づかせようと奔走した。

 この後、妻が丸山の姪(めい)にあたる加藤博務さんが事務局長に就く。加藤さんは常々話していた。「戦争を知る世代が少なくなる現在、そして国内外の核をめぐる事情を考えるとき、夢声の言葉がますます重く響いてくる」

 加藤さんから「原爆忌の会」の世話人を手伝ってほしいと頼まれたのが、現在の事務局長で詩人の近野(こんの)十志夫さん(65)である。

 「園井恵子の人物史詩を書きたいと思って調べているときに、加藤さんから誘われたのです。演劇でさえ自由でなかった時代に、桜隊を結成して移動演劇という形で芝居を続けた人たちがいた。しかも、原爆で死んでしまった。このことは語り継いでいかねばと引き受けました」

 こうして99年から事務局体制になる。加藤さんは近野さんに託して04年に鬼籍に入った。08年の追悼会で、近野さんの詩集「櫻隊−−人物史詩」(青磁社)の序章が朗読された。

 <戦局おしせまった一九四五年一月 苦楽座移動隊として再出発、桜隊と改称 広島に就いた十四名のうち 九名があの閃光(せんこう)の下で死んでいった>

 「桜隊原爆忌」の追悼会ではゲストの講演のほかに桜隊の親族や平和団体の近況報告があり、広島市長からのメッセージが披露される。被爆65年の追悼会には早坂暁さんが登壇した。「丸山さんの体を無残に焼き殺してしまった核がなくなるときがきたら、そのとき丸山さんは成仏してくれる」

 近野さんは語る。「丸山定夫をみとった生き証人は諸岡千恵子さんだけになりました。桜隊の原爆殉難を風化させてはならないと思っています。若い俳優さんが桜隊のことを知れば、自由に芝居のできる時代がいかにすばらしいか、きっとわかってくれるはずです」

 この夏、広島と長崎は被爆67年を迎える。「桜隊原爆忌」は、あの日を問い続ける。(この項おわり)

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