heart&soul

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家族、夫婦もずっと一緒に歩いていきたい。
そんな小さな幸せがこれからも続きますように。。。
私の心を魂を磨いて。。。

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ドラマ「仁」、高視聴率でシーズン2も終了しました。
 
ケーブルテレビでは、シーズン1をやっていました。涙、涙。。。です。。。
 
繰り返し、繰り返し観てしまいます。
 
話の内容は子どもにはどうか。。。とも思うのですが、子ども達と一緒に観ています。
 
心に響く言葉が多くて。。。
 
ドラマの後半で仁先生が自分がここにいる、江戸に来た意味を考え始めた時、
 
少しずつ見えてきた自分の「天命」
 
子ども達と一緒に観ていて、長女が「ママ、天命って何?」と聞かれて、
 
そうだな。。。神様から授かった命の意味?
 
みたいな返事をしたのですが、ちょっと調べてみることに。。。
 
そうそう、何か聞いたことあるなって思ったら、論語にあるんですよね。
 
五十にして天命を知る
 
確かに、そうかも、私はまだその年齢に達してはいないけれど、人生後半に入り、自分が生きる意味を
 
考えて。。。自分の人生はこうだったのかと、反省したり、これからの人生にも目標をもてたり。
 
色んなことがあった日々、実は旦那様とのことで、私の中で「天命」と感じる、そんな5年間でした。
 
そう振り返ります。。。振り返ることができます。
 
母の生きてきた人生、祖母の生きてきた人生、そして母から聞いたご先祖様の話。
 
もうすぐ、お盆ですね。
 
御参りに行きます。
 
私がこうして幸せに生きられるのも、ご先祖様がいたから。
 
ご先祖様の苦しみは私で止めたい。
 
離婚、色情因縁で苦しめられてきたご先祖様の心の叫び。
 
私がここでくい止めて子供たちにも幸せに
 
なってほしい。。。そう思っています。
 
それが、私の「天命」です。
 
「離婚」しないことに、しがみついているのではなく、私はご先祖の供養を含めて、
 
私自身が幸せになること。
 
家族を守ること。
 
それが、私の「天命」だと信じています。
 
 
生きている、生かされていることに、ただただ感謝の気持ちをこめて・・・・
 
 
天命
天命(てんめい)とは、から与えられた命令のこと[1]である。
から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。
 
 

概要

現在では「天命」は大きく分けて2つの意味で用いられている。ひとつは《天から与えられた使命》という意味で、これは《天あるいは天帝命令》ということである。もうひとつは、人間の力ではいかんともしがたい《運命》や《宿命》を意味し、天から与えられた宿命ないしは寿命を意味する。天命の原義は前者の《天の命令》の意味であったが、それが転じて《運命》の意味を持つようになったという[2]
現代人が天命という言葉の意味を理解するには、まず「命」という文字・言葉の意味を理解する必要がある。「命」という文字は、元来は「令」と書かれたのだが、これはもともと甲骨文や金文資料においてはとても重い意味で使用されており、上に立つ者が自分の持つ権限の一部を下の者に委譲して、自分に代わって実行するようにと命令する行為と、その際に言われる言葉が「命」と呼ばれたのである[1]
天から命を受けている、とする思想は現代では「受命思想」とも呼ばれるが、この思想の成立はから(紀元前1046年ごろ-紀元前256年)への王朝交代と結びつけて考えられている[3]。『黄土を拓いた人びと』の著者・三田村泰助によると、殷の王の正統性は帝または上帝と呼ばれる最高神の直系子孫であると称していた点にあった。その血筋ゆえに王は帝の助力を得る資格があるとされ、その手段が占いであった。
西周時代には、政治的な側面が強調されつつ、天命という思想が確立した[1]。それは以下のようなものである。

天帝は、周王を自分の元子(=長男)として認知し、その周王に天命を降ろしてこの地上世界の統治をゆだねた[1]

周王が天下を統治する権限は天からの命令を背景にしているとされたのである。また、天から元子として認知されているのだから周王は「天子」と名乗ることができた[1]。そして周王は、天から授かったこの命、統治の権限を小さく分けて臣下たちに与えた[1]。すなわち職務として与えることで、実際的な統治をおこなわせたのである[1]。このように、西周では、国家は上から下へと命が階層的に分与される構造によって成り立つようになった[1]西周の後半の時期に遺された冊命金文にも、周王が臣下たちに《命》を分与するときの儀式が詳細に記述されている[1]
ただし、元子として天命を受けた者であっても、その者がを失ってしまった時は、天帝は元子として認知しなくなり、別の有徳者を探して、その者に新しく天命を降ろす、とされた[1]。「命が革まる(あらたまる)」ということから、革命と言われるようになった[1]。これが革命(かくめい)という表現に込められている思想である。

上記のように、もともと天命という思想は、王朝や家系の盛衰にかかわるものであったが、そこでは全ての人に一部分とは言え天命が分与されているとされていたことから、やがて「天命がひとりひとりの人間の運命をも支配している」ともされるようになった[1]。ちょうど天命が王朝の命運を決定しているように、ひとりの人の人生の長短も人生のできごとの良否も天命によって定められている、と考えられるようになったのである[1]。かくして「命」の語が寿命運命をも意味するようになったわけである[1]

なお『論語』には孔子(紀元前551年‐紀元前479年)の言葉として「五十而知天命」(五十にして天命を知る)という表現があるが、上述のように天命は使命と運命の両方の意味で用いられているので、論語のこの表現を巡って、《運命》や《宿命》(自分にはこれだけしかできない)ということを意味しているのか、それとも《使命》(自分は人生でこれだけはしなければならない)を意味しているのかで解釈が分かれているという[2]

 
 
ウィキペディアより記事をお借りしました。
 
 
 
 
 
 

『幸福に暮らすことが最高の復讐である』

スペインのことわざ


幸せのヒント 「嫌なことをする人への対応策

  嫌なことをされたからと、し返しするのはやめたほうがいいでしょう
  一番の復讐は、自分が幸せに過ごすことなのかもしれません

 人に嫌なことを平気でする人もいます。

  悪口や陰口やイヤミや揚げ足取りなどひどいことを言う人、
  無礼な人、意地悪な人、無神経な人、思いやりに欠ける人、・・・

 し返しや復讐は、自分のためにやめたほうがいいでしょう。


 『復讐するとき人間はその仇敵と同列である。
  しかし赦すとき彼は仇敵よりも上にある』 ベーコン


  抗議をすることで、相手が謝ってくれればいいのでしょうが、
   そういう人はめったにいないでしょう。
  返って、トラブルが大きくなってしまうことにもなりかねません。

  何を言っても変わりようのない人とは、争わないほうがいいでしょう。

  気もち(怒りや悲しみなど)がおさまらない時には、
  「(悪口は)まともに相手をするのはよそう
  「(陰口は)黙殺すればいい
  「(意地悪されて)傷つくのは相手の思うツボ
  などと考えることで、
   少しでも心を落ちつけることができるといいでしょう。


  『自分自身の健康と幸福のために
   少なくとも敵を赦し、忘れてしまおう』 デール・カーネギー


  (笑って)赦すことができればいいのでしょうが、
   それは難しい場合が多いでしょう。

  「こんな人もいる
  「こんな人のために、イヤな思いをするのは損だ
  「こんな(人の)ことを考えるより、もっといいことを考えよう
   などと、考えを切り替えられると、なおいいでしょう。

  自分(の健康と幸せ)のために、このような考え方を
   心がけることができるようになれたらいいのではないでしょうか。

  人に嫌なことをするのは、
   その人の心の中に何か問題があるのでしょう。
  ある意味、かわいそうな人・不幸な人なのかもしれません。

  そういう人への一番の復讐は、
   平然として、幸せに暮らすことなのではないでしょうか

 
「幸せのホームページ」より記事をお借りしました。
 
 
 
 
久しぶりに本多先生のホームページを覗いたら、私の大好きな言葉が。。。
 
715(金曜日)  [ファミコンの日]

きょうのメッセージ】 [一覧]
『まず心を変えることから』

心が変われば、態度が変わる
態度が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
運命が変われば、人生が変わる

心を変えるためには、考え方を変えることから。
幸せになる考え方を心がけましょう。

 
この言葉は私自身も実践済みです☆
本当に、習慣が変われば。。。
人格が変われば。。。
 
運命、人生が変わります。
 
本多先生もおっしゃっているけれど、心を変えるって、簡単じゃない。
でも、考え方を変えることなら、少しでもできるかも♪
 
少しずつ、考え方の方向転換してみてくださいね。
 
 
私も、以前、本当に嫌な心も持ち合わせていました。
正直今もそんな私が時々だけど、登場します。
 
あんなことさえなかったらって。
 
それなら、そうだ!
私が幸せになってこそ、最高の復讐なんだって!!
 
そう気持ちを切り替えています。
 
仕返ししても自分が起こした行動は自分に必ず返ってくる。
人生って上手くできてるな・・・
 
 
心が変われば。。。。そう、人生が変わるんです♪
 
 
 
最後まで読んでくださってありがとう
本当に、この言葉、大好き。。。
 








『愛するということ』(エーリッヒ・フロム)より、

 愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。
 他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を信じることである。

 「愛」においては「信じる」ことが重要な要素の一つです。
 そもそも信じられなければ、リスクを伴う愛の行為を実践することは難しいでしょう。

 信じるものの一つは、自分の愛が本物であること。利己主義や偽善ではないかと疑わないことだと思います。
 信じるもののもう一つは、自分の愛が相手に伝わること。自分が相手を幸せにできること。さらには、相手の心の中に自分への愛が生まれること。

 信じるということは、「信じよう」という意志が大事なのだと思います。
 自分の愛を信じ、相手を信じて愛することで、人を愛する幸せを感じられるようになれたらいいのではないでしょうか。



幸せのホームページより
http://www.din.or.jp/~honda/diary.htm




昨晩はよく雨が降りました。

皆さんのお住まいは大丈夫でしたか?

7月に入って梅雨らしくなったかな?と思うのですが、6月末、梅雨はどこへ?と

思うぐらい暑い日が続いていためいぷる地方。

さぁ、お天気もいいし、お洗濯に布団干し♪なんて鼻歌まじりに頑張っていたんですが。。。

なんと、隣の木に蜂の大群。我が家のベランダにも来ようか、という勢いで怖くて出られませんでした。

片方のお隣さんはもう何年も老人ホームに入っておられて、留守なんです。

時々、ご親戚の方がおうちの様子を見にきていましたが、最近は来られないみたいで。。。

そのお隣さんの木がかなり育ってしまい、その枝の先には黄色い甘い蜜を放ちそうな花が。。。

その花の周りにたくさんの蜂。

どうしようとご近所さんと話してて。

「もう、勝手かもしれないけれど、切った方がええんちゃうか?」ってことに。

このままでは、外で遊ぶ子ども達にも危険が及ぶかもしれないと。

こんだけの大群やと、巣でも作ってるかもしれん。。。怖さも倍増し、

夜、帰って来た旦那様にその話をすると、なんと、

「週末になるけど、なんとかするわ。」

「なんとかって?」

旦那様は「もう、切るしかないやろ」

え〜〜〜〜!!!どうやって?

そう、実家から借りていた小さ目ののこぎりと生け花用のハサミで枝、木を伐採してくれたんです。

木くずと土ぼこりでドロドロになって。。。

これぞ、男の中の男だと関心して惚れ直しました。

その日から、旦那様をべた褒めです(笑)

「パパがおらんかったら、今頃こんな風にのん気にしてへんで〜」

「ホンマ、巣は無いみたいやし、私はでけへんわ〜」

「パパってスゴイよね〜」って♪



でもでも、本当に、この些細な日常なんですが、ありがとうの気持ちでいっぱいです。

私は、虫嫌いですし、全くダメダメなので、本当にスゴイって思いました。




木を伐採なんて、自然のことを考えると良くないけれど、この木はいったいなんていう木なんだろう・・・


黄色い花粉を撒き散らし、かなり、身体に良くない感じでした。

こうして、自然がなくなっていくと思うと申し訳ないって思う反面、大きなことにならずに

良かったと思っています♪





旦那様の居場所はここですよ〜

パパがいないと困ること、たくさんありますから〜〜〜〜〜♪

ありがとう・・・・・


因果

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因果
 
因果(いんが、 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。
本記事では、主として仏教やインドの哲学における考え方について解説する。
西洋哲学や科学哲学等々も含めて、原因・結果という考え方についての人類が考えてきたことに関する総合的な記事としては因果性が立てられているのでそちらを参照のこと。
時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。
 
ヴェーダやバラモン教における説明 [編集]

因中有果(いんちゅううか) [編集]

正統バラモン教の一派に、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがある。

仏教における説明 [編集]

釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因()と間接的要因()の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。そこで、縁起と呼ぶによってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。
釈迦が悟った上記のような内容を縁起という。その教えを学問上「縁起説」と呼ぶこともある。
仏教で通俗的に因果と言う場合には、(ごう)思想と結びつき、自己の存在のあり方にかかわる因果性をいうことも多い。「善因楽果・悪因苦果」と言うように、人間天人として生まれる善の結果や、地獄餓鬼畜生として生まれる悪の結果を得るのは、前世の自己の善業あるいは悪業を原因とするという、方便(本来の教説に導くための一種の方法)としてしばしば使われる。
この因果は、われわれの行為に関するものである。すなわち、自分のやった善は善果を生み、また悪を行えば悪果が返ってくる、と教える。因果応報とも言われ、人間の行為を倫理的に規定する教説として言われたものであろう。また、因果を植物にたとえ善因を善根(ぜんこん)ということがある。なお、無貪・無瞋・無癡のことを三善根ということもある。

善因善果・悪因悪果・自因自果 [編集]

因果の道理は大きく3つに分けられる。すなわち、善因善果(善を行えば、善い結果が返る)・悪因悪果(悪を行えば、悪い結果が返る)・自因自果(自分の行いの報いは、自分に返る)の3つである。また、これらを知れば当然、廃悪修善の心が起きてくるものである。原始仏典に含まれる法句経の「七仏通戒偈」には「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(もろもろの悪事をなすなかれ。もろもろの善事を行え。自分の心を清めよ。これが諸仏の教えである。)と説かれている。

過去現在因果経 [編集]

過去現在因果経』は、5世紀求那跋陀羅(ぐなばつだら)によって漢訳された全4巻の仏伝経典で、釈迦の前世の善行(本生譚、ジャータカ)と現世での事跡(仏伝)を記し、過去世に植えた善因は決して滅することなく果となって現在に及ぶことを説いている。

因果応報 [編集]

因果応報とは、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」とする考え方、信仰である。
「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。
もともとインドにおいては、バラモン教などさまざまな考え方において広く、輪廻という考え方をしていた。つまり、過去生での行為によって現世の境遇が決まり、現世での行為によって来世の境遇が決まり、それが永遠に繰り返されている、という世界観、生命観である。
仏教においても、この「業と輪廻」という考え方は継承されており、業によって衆生は、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六道(あるいはそこから修羅を除いた五道)をぐるぐると輪廻している、とするようになった。
仏教が目指す仏の境地、悟りの世界というのは、この因果応報、六道輪廻の領域を超えたところに開かれるものだと考えられた。
修行によって悟ることができない人の場合は、(次に仏界に行けないにしても)善行を積むことで天界に生まれる(=生天)のがよいとされた。

因果応報説の受容 [編集]

インドではもともと業と輪廻の思想が広くゆきわたっていたので、仏教の因果応報の考え方は最初から何ら違和感なく受容されていたが、それが他の地域においてもすんなりと受容されたかと言うと、必ずしもそうではない。
中国ではもともと『易経』などで、家単位で、良い行いが家族に返ってくる、といった思想はあった。だが、これは現世の話であり、家族・親族の間でそのような影響がある、という考え方である。輪廻という考え方をしていたわけではないので、個人の善悪が現世を超えて来世にも影響するという考え方には違和感を覚える人たちが多数いた。中国の伝統的な思想と仏教思想との間でせめぎあいが生じ、六朝期には仏教の因果応報説と輪廻をめぐる論争(神滅・不滅論争)が起きたという。
とはいうものの、因果応報説はやがて、六朝の時代や代に小説のテーマとして扱われるようになり、さらには中国の土着の宗教の道教の中にもその考え方が導入されるようになり、人々に広まっていった。
日本では、平安時代に『日本霊異記』で因果応報の考え方が表現されるなどし、仏教と因果応報という考え方は強く結びついたかたちで民衆に広がっていった。現在、日本の日常的なことわざとしての用法では、後半が強調され「悪行は必ず裁かれる」という意味で使われることが多い。ただ、ここにおいての因果応報という考えも輪廻との関わりよりも、現実での利益を強調しているという事実も見逃すことはできない。
                                ウィキペディアより記事をお借りしました。
 
 

色情因縁

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おはようございます。。。
 
今週に入り、とても暖かく良いお天気が続いていますね。
 
朝晩と日中の温度差があるので、皆さん、お身体に気をつけてくださいね。
 
 
 
 
 
重い。。。タイトルに驚かれたと思いますが。。。
 
めいぷる、又学びたいと思うことがありまして。。。
 
この、文字の世界ブログでまた、学ばせていただこうかと思います。
 
タイトルもそうですが、内容も重っ!!という感じになりますので、コメントは
 
気になさらないで、読んでいただいてくだされば嬉しいです♪
 
何か、皆さんの気づきのヒントになればいいなって思っています。
 
 
 
ここ、何週間、色んなことがありました。そして、それは、これからも続きます。
 
子ども達、私、母、祖母、そしてそのまた。。。遡っていくとどんどん。。。
 
私たちは、過去に生きるのではなく、未来に向かって生きて行く。
 
だから、子ども達が道に迷わないように、私が学んでいこうと思います。
 
まだ心の整理もついていなくて、ここに学びを綴っていく中で、落ち着いてくるのかもしれない。
 
それは、全く先の見えない感情でして。。。
 
ただ、今、不思議な気持ちが湧き起こっています。
 
色んなサイトを検索する中での記事をお借りしていることも多くなりますが、これからも
 
学んで前に進んで行こうと思っています♪
 
 
 
 
色情因縁のタイプ
 
 
1 煩悩に妨げられて知恵がはたらかず失敗するタイプ
 ご先祖様やみ仏の戒めを受けたり、上司や指導者から叱られたりし、重大な問題で失敗をやらかします。
 争いごとを起こしたり、居直ったりすれば、大きな傷を負うことになりかねません。
 因縁解脱によって、悩みを抱えた人の心を深く理解する大悲の人になりましょう。

2 自分から悶着を起こしてしまうタイプ
 なまじ他人や身内から信用されるばかりに、良からぬ状況を引きずってしまいます。
 長引けば長引くほど、親しさが募り、最期は信用を地に落としてしまいかねません。
 因縁解脱によって、太陽のように暖かな心を持ち、困っている人へ手を差しのべられるようになりましょう。

3 素直に楽しんだり話したりできないのに異性への興味が強いタイプ
 一旦親しくなると、善悪を忘れ、困難な状況に陥ります。
 水中に発生したオタマジャクシがうごめくように新たなトラブルの種が後から後から芽を出し、災いが続きかねません。
 因縁解脱によって、瑞々しい感覚を持ち新しい世界の扉を開く人になりましょう。

4 自分には無いものを持った相手に惹かれトラブルを起こすタイプ
 知恵やセンスに鋭いものを持っているばかりに、そうした面から相手へ近づくと予想もしない展開になり、とまどってしまいます。
 争いや諍いが絶えず、最期は背反してしまい、後味の悪い結末になりかねません。
 因縁解脱によって、味わいのある楽しみ方をもって真の和を創られる人になりましょう。

5 決断やけじめをつけることが苦手で、ズルズルと引きずるタイプ
 小さな子供に悪影響が出やすく、言うことを聞かない我がままになったりします。
 指導者や頼りになる人がどんどん離れ、愚か者に流される生き方になりかねません。
 因縁解脱によって、人々の心に共通する思いを忖度し、大地に足を踏ん張って生きる人になりましょう。

6 頑固で動くのが嫌なのに突然とんでもない行動に走るタイプ
 妻や母親や家庭に悪影響が出やすく、後でしまったと思うようなことをくり返します。
 多勢に行く手を塞がれ、なかなか思うように前進できない羽目になりかねません。
 因縁解脱によって、毀誉褒貶に揺るがず、守るべきものを守って動じない人になりましょう。
 
 いずれの場合も、色情因縁に負けて起こしてしまった問題への共通した対処法としては、策を弄することなく、言い訳をせず、心から懺悔し、出直すことです。
 実際の色情因縁の表れ方はその方その方、その場合その場合で千差万別です。占いの本やコンピューターの答などで対応できるものではありません。
 詳しくは、個別のご相談となります。

 これまでも記したとおり、色情因縁は、主として異性間ではたらく引力の問題です。
 過去の因縁のすべてを背負ってこの世に生まれてくる以上、強さの強弱は別として必ず持っています。
 この気配は、それ自体が悪であるということではなく、自分自身の生き方によって善くも悪しくもはたらきます。 
 煩悩に流されて肉体的に用い、自他を混乱させたり破滅させたりしてはなりません。
 菩提心(ボダイシン)に導かれて知的に用い、心の絆を深め自他を幸せにしたいものです。


 なお、この因縁の最も悪しく表れる形が不倫です。
 霊性のある人間にとっては、実際のセックスのあるなしは二義的です。
 伴侶がありながら他の異性に惹かれることは起こってあたりまえですが、そのままに流されるならば、人倫に背くことになります。
 昨今は「不倫愛」「略奪愛」などと言い、最初から言い訳をするような愚かしい表現が反乱しています。こうした風潮に流されぬようにしましょう。
 最後に、「色欲とのつきあい方」の一部を再び掲載しておきます。
 江戸時代に説かれた慈雲尊者の戒めは、そのままそっくり現代人への戒めにもなっています。
 私たちの霊性向上の旅は、目的地へ到着するまでやはり56億7千万年かかるのでしょう。

 「この不邪淫戒は、万巻の書を暗唱する者ですら、持たねば身に災いが来る大切な戒めである。はなはだしい場合は、家を滅ぼし国を滅ぼす。この戒に背かなければ一生、心安らかである。学者も愚者も、同じように慎み守らねばならない」

「国の乱れもこの戒が破られることを元として起こる。家の礼節の破壊も、身の礼節の不備もこれを元として起こる。謹慎に戒を守る者は、神々の冥助が得られる。男性も女性も、我に属せぬ者に心を寄せてはならない。みだりに狎れ睦まじくしてはならない」

「淫欲は身心を縛り、重なり来る憂いとなる。愛欲に随順すれば、この世界はことごとく執着の地獄となる。淫欲・愛欲が流れれば我を一番とする高慢となり、あるいは争いを起こす」

「愛欲は心身の安寧と澄んだ智慧の障害となるので、戒律で深く戒められている」

 
 尊者は、色欲による「乱れ」が身を滅ぼし、家庭を崩壊させ、ひいては社会関係すら破壊してしまうと説かれました。
 乱れは、親しくなるべきでない相手と「狎れ親しむ」ところに起こり、そうした「いい加減さ」は昂じて人格を賤しくし、精神の背骨を砕きます。
 男性の「優しさ」が向けられるべきでない相手へ向けられること、女性が自分を大切にし「守る」意識が薄れること、これが「いい加減さ」の現れです。 心をあいまいに揺れ動くままに任せていれば、はてしなく、いい加減になることでしょう。
 倫理・宗教の必要性は、たやすくケダモノになり得る人間の尊厳を守るところにあります。
 尊者は「正義不邪淫戒」と説かれました。
 色欲の相手はただ一人と思い定めましょう。
 この単純な決意が、一夫一婦制の私たちにとって正義と尊厳を守る生き方になります。
 
 
想いの記 ─住職の本音・本心・本気─ 
 
 
 
 
 
 
私の実家も旦那様の実家も浄土真宗。
 
その宗派にそって学ばなければいけないとは思うのですが、インターネットという利点を
 
活用させていただき、色んなことを学んでいきたいと思っています。
 
そんな中、今回はある住職さんのサイトにたどり着きました。
 
住職さまのお話はとても、心、魂、磨くための学びになります。
 
今までもブログでお世話になっているブロガーさんからも、心に響く記事があれば、
 
お借りして学んでいこうと思います。
 
どうぞ、宜しくお願いします♪

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