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共依存5つの障害 適切な高さの自己評価が体験できない 【自己愛の障害】 自己と他者の境界設定ができず、他者の侵入を許したり他者に侵入する 【自己保護の障害】 自己に対する現実(性格・能力・外見)を適切に認識できない 【自己同一化の障害】 自分の欲求や意見を適切に表現できない。 【自己ケアの障害】 自己の現実(年齢や状況)にそって振舞えない 【自己表現の障害】 共依存症の特徴 1) 自らを犠牲にして他人の世話をしたり助けたりする。 相手を世話することで、自らの価値を生みだそうとする。 2) 他人の行動・感情・考え方・状況・結果を変えようとして、コントロールしようとする。 とらなくても言い他人の行動の責任は十分にとり、自分の行動に対しての責任は取れない。 3) 何か身の回りに問題や危機が起こっていないと空虚になる。 私がいなければだめだと思える人(依存症などの問題を持った人)を支えて自分が存在したいと願う。 4) 依存心が強く、一人でやっていけると言う自身がない。 自尊心が低く、捨てられると言う危機感を持っている。 5) 考え方、視野が狭い。社会・地域・自然などの関心・貢献が薄い。 ある特定の他人に取りつかれ、自分と自分のまわりの現実が見えていない。 6) 現実をしっかりと見つめようとしない。 否認・否定をして何も起こっていないかのように振舞ったり、悪い面をなるべく小さく評価してしまったりする。 7) 「NO」と言えない。「私」を中心に 話せない。 自分の考えを自分のものとして話すことが難しく、他人のことを主語 なしで話してしまう。 8) 他人と自分の境界がはっきりしていない。 自分と他人とは感情も考え方も違う個別な人間であるという自覚がな い。 9) 自分の身体からのメッセージに気づかない. 身体からのメッセージに対して不思議に思ったり、原因を追究したり できない。 10) 怒りに問題がある。 自分を虫し、他人を変えようと生きるので、怒りが心の奥にたまり、 適切な表現方法を知らないので、突然爆発する。 11) 静かに時を待つ、ということを知らない。 他人をコントロールして、よい結果を早く得ようとする。 12) 罪の意識に襲われている。 自分が何か悪いことをしたかのように思い込んでしまう。 13) 物事が極端でほどほどに、ができない。 黒か白かはっきりしていて、完璧でないと気がすまない。 14) 過去の間違いから学ぶことができない。 憤慨(ふんがい)と哀れみと許しを変わりばんこに繰り返している。 15) 被害者意識に取りつかれている。 相手を救おうとしてあがき、うまくいかないと相手を責める。 16) 自己の確立ができていない。
自分の人生の目的は何か、自分はどういう人間になりたいか、はっきりしていないため自己主張ができず自分を大切にすることができない。
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転載記事
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昨晩,NHK総合の、NHKスペシャルで
「虐待カウンセリング」 作家 柳美里の苦闘
私はなぜ息子に暴力を・・・家族の再生
と言う番組を放映していました。
カウンセリングを受けているうちに、虐待する本人も、虐待を受けていたことが判明し
自分が受けた虐待を、無意識に、自分の息子に対して向けてしまった
世代間伝播の、負の連鎖の内容でした。
機能不全家族で育った、生きずらい気持ちを引きずったままだと、
それが次の世代に連鎖することが多いと言われています。
放映では、過去のトラウマを切り離し、
新しい価値観で新しい生き方を選ぶという選択でした。
私が観ていて、危ないと感じたことは、
過去のトラウマを、遡るとフラッシュバックを起こす危険性があります。
過去のパンドラの箱を開ける時は、必ず、医師等の専門家や、カウンセラー、聖職者・等を
通して行う必要があります。
内観療法と呼ばれるものは、その最たる物で、入院して行うのが基本です。
NHKの放映でも、専門的知識を持った、カウンセラーを通して、その原因を一緒に探っていました。
負の連鎖を断ち切り、新しい生き方をみつけていくことは、大切で必要だと思います。
ただ1人で、本を読んだりして、自分の過去を掘り起こすのは危険です。
セミナーや、ワークショップ、カウンセリング、自助グループ、に参加したり
医師や聖職者・等を通して行うと良いと思います。
世代間の負の連鎖を断ち切ると、楽な生き方が出来てくると言われますが、
信頼出来る、親友や専門家と一緒に、問題解決をすすめるようにしてください。
再放送 NHK総合5月19日木曜・深夜午前0時15分〜午前1時0分
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煩悩とは、身心を煩わし悩ます心理作用や精神作用の総称をいい、
基本的煩悩は「貧。瞋。痴。」であるが、ここに「慢。疑。邪見。」を加えて、これを六煩悩。または、「六根本煩悩」ともいう。
【六根本煩悩「貧。瞋。痴。慢。疑。邪見。」】
各、煩悩の意味は下記のように言い表されている。
一、「貧欲(とんよく)」。生まれる前から身についている、盲目的我執。 ニ、「瞋恚(しんに)」。 自分の我欲を押し通そうとする。トラブルや衝突が起きる。そうすると腹が立ち、憎んだりする。 三、「愚痴(ぐち)」。思い通りにならないと愚痴をいう。思い通りになったとしても愚痴を言う。他人と自分を比較してしまい愚痴を言う。 四、「慢心(まんしん)」。自分の思うとおり、または欲が通り叶っていくと、他人と自分を比較して優越感を持つようになる。慢心が起きる。他を軽蔑する。 五、「疑惑(ぎわく)」。愚痴ばかりの日常を暮らしていると、そこから妄念がわく。妄念は疑惑を生む。また、慢心も然り。他を信じられなくなり疑惑を生む。 六、「邪見(じゃけん)」。人を疑い、世の中のことが信じられなくなる。見る、聞く、匂う、味わう、体感など、自分の五器官が受けたことのみしか信じなくなり、妄想から邪見(よこしまな見方)へとなっていく。 六煩悩(六根本煩悩)が嵩じてくる(自己を抑えられられない。)と、六道へ迷い込む。
六道とは迷うものがぐるぐると輪廻する六つの道でもある。
一番最界位の地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道(人道)、天人道(天道)となる。
各、六道の意味は下記のように言い表されている。
【六道】
一、「地獄道」。他人を裁いて、他人を責めずにいられない世界となる。 ニ、「餓鬼道」。餓えている世界。手中に入れてももっと、欲しい、もっと、欲しいと餓えている。 三、「畜生道」。他人へ迷惑をかけても平気でいられる世界。 四、「修羅道」。他人には負けたくない、と争い、張り合う世界。 五、「人間道」。四苦八苦の苦しみ悲しみから逃れられない世界。 六、「天人道」。有頂天。自己中心となっている世界。 これら六煩悩(六根本煩悩)が膨張燃え上がり、六道への迷いへと堕ち込むのであるが、この六道から抜け出すには、六つの波羅密多(パーラミッター)行を行なえば、煩悩の焔(ほむら)は鎮まりゆき、この六道の迷いから抜け出せる、と説かれる。
六つの波羅密多(パーラミッター)行は、
一、布施行の「壇那(ダンナ)波羅密行」。施しをする。ここには「無財の法施」もある。
布施をあらわすのは「水」であり、これを閼伽水という。これは万物を潤す徳(布施の徳)の意がある。
ニ、持戒行の「尸羅(シラ)波羅密行」。戒(十善戒)を守る。あるいは規律規則を守る。
持戒はまず、汚れある手や身体を清浄にする。「塗香(ずこう)」を掌や身体に塗って清める。
三、忍辱行の「セン題(センダイ)波羅蜜行」。じっと耐え忍ぶ。我慢、忍耐、辛抱。
耐え忍ぶ徳をあらわすのが「華鬘(けまん)」。
四、精進行の「毘梨耶(ビリヤ)波羅密行」。楽しく励む。楽しく努力する。
これは「焼香」で、線香の煙のまっすぐ立ち上ることから精進努力を行なうことの徳を表している。
五、禅定行の「禅那(ゼンナ)波羅密行」。心を常に落ち着ける。心をいつも安定させている。
これは「御飯(おんじき)」といい、「食」は体を養う徳でもある。
六、智慧行の「般若波羅密行」。正しく智慧を働かせる。
智慧の明かりを灯す「燈明」は、智慧の徳をあらわしている。
『閼伽。塗香。華鬘。焼香。御飯。燈明。』の六つは六波羅蜜行に必要なことである。
仏壇に水、塗香、花、線香、ご飯、ローソクの六つを供えるのも、上記の波羅蜜行と同様のことであり、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の『徳』を自ら見出していく日常の修行法でもある。
煩悩の元、六根本煩悩から六道へ進みやすい人間の心を救わんが為に、六つの行法(波羅密行、あるいは六種供養)がある。
仏壇に水、塗香、花、線香、ご飯、ローソクを供え、供養することは、我が身を供養し、徳分を養っていることでもある。
合掌
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殺人犯に対して、事件当初は多くの人が死を持って報いるべきだと考えます。特に遺族はそれを強く願うとおもいます。でも果たして殺人犯が死刑にされて、この世の中からその存在がなくなったら本当に「あー良かった。これで全てが解決した。幸せだ。」となるのでしょうか。遺族の悲しみや憎しみは死刑で全てが解決される訳ではありません。遺族が犯人の心境を知りたいと思い、その犯人と関わっていくと次第に「生きて償って欲しい」と考えるようになるケースがあります。少なくとも「犯人の存在を赦している」姿がここにあると思います。
殺人事件に対して完全に勝利するには、死刑ではなく「赦し」です。
聖書に以下のような言葉があります。
幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。
殺人事件に巻き込まれることはそうありませんが、人間関係において許すことと許されること、その関係は幸いにたたります。そして、神に許されたらもうなにも怖い者はありません。「神様」と聞くと、悪を処罰する存在というイメージが強いのですが、実は聖書の神は、処罰よりもまずその人が、罪を悔いて双方が赦しの関係をもつことを願っておられるのです。
コメント、お気軽にまた、ご自由にどうぞ。
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「自分を許す」日本には年間3万人も自殺する人がいることを時々考えます。きっと自分を許せない一つの姿として、自らの命を絶つということをしてしまうこともあるのかと思いました。自分の中に「自信のなさ」というものがあります。自信をもった生き方をしている人はうらやましいです。自然体で生きられる人も素敵です。きっと自分を許すことをしているんだと思います。
自己嫌悪に陥ったとき、自分の不甲斐なさに悩むとき、「自分を許す」ということをするとよいかもしれません。
「罪(憎む気持ち、自己中心、欲望等)が許された人は幸せだ」(詩篇)
という聖書の言葉があります。神様は人を許したいとお考えなんです。そして、
「お互いに許し合って生きない」(コロサイ人へ手紙) と言っています。
「自分を許すせば、人を許すことが出来るのではないでしょうか。」
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