|
以下転載
プルトニウム返還要求の意味 私見ではこの背景にあるのは一
名「(核燃)サイクル協定」ともいわれる
日米原子力協定(1988年締結、30年期限)の満期が
2018年8月と迫ってきていることです。
また今回このニュースがどのように表に出てきたのかにもよりますが、
もし米側からの意図であれば安倍暴走へのオバマ政権からの警告でしょう。
私は三・一一
原発事故後、日本の原発問題について勉強した際、
日本の核「平和利用」政策が核「技術抑止」政策という隠された国策(=核防衛政策)に結びついたものであること、そのカギが核燃料サイクル政策にあること、
そしてそれが
55年成立の原子力基本法にすでに「書き込まれている」ことを知って驚きました。
原発ができる以前の55年に早くも
第7条「核燃料サイクルを確立するための高速増殖炉及びこれに必要な核燃料物質の開発並びに核燃料物質の再処理等に関する技術の開発」を「行う」
と明記されていたのです。
その後、これについて一冊本を出しました。
(『3.11 死に神に突き飛ばされる』岩波書店、2011)
そこで中心の論考「祈念と国策」を書き下ろすうえでカギになった文献が
杉田弘毅『検証非核の選択』(岩波書店)と並んでもう一つ、
ウェブから見つけ出した遠藤哲也氏の驚くべき報告ともいえる、「
日米原子力協定(1988年)の成立経緯と今後の問題点」という71ページに及ぶPDF資料でした。
それが奇しくも三・一一の直前、
2010年の末にアップされていた。
たぶん、
この協定の満期が近づいてきたので、重要性を社会に訴える必要を感じたのだったでしょう。
でも、直後に三・一一が起こり、
私のような読み手に、杉田著『実証非核の選択』に並ぶ重要な情報を提供し、
別な読み方を可能にさせることになりました。
ポイントは二つあります。
一つは杉田著が示す日本の政府の「国策」です。
1994年8月1日の毎日新聞の一面トップのスクープは日本の外務省が
69年、極秘会議で
「核兵器については、NPT(=核拡散防止条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、
核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する
掣肘をうけないよう配慮する」と決定したと報道しました。
ここから生まれた新政策を杉田は、
核「技術抑止」策と呼んでいます。
核の技術抑止とは新しい概念で、
「核をもたないが、もとうと思ったら(核不拡散防止条約を脱退し)
すぐにも核兵器を作る経済的・技術的な潜在可能性は常に保持する」ことをもって、核保有に準じる抑止策とするというものです。
これを追求するためには、
プルトニウムの製造と濃縮を自由に行う技術・施設とフリーハンドの権利が必要です。
これの実現に向け、前者のために
自前の六ヶ所の再処理工場と高速増殖炉「もんじゅ」が、
後者のために「日米原子力協定」の改訂が必要とされ、追求されました。
というのもそれまで原発から生まれるプルトニウムの使用について
日本はフリーハンドをもっていなかった。
一々の作業にアメリカの許可を要しました(個別同意という)。
それを10年を超える米国との交渉で1988年、
30年間のフリーハンドを得る「一括同意」形式に変えるのに成功した。
そこでの対米交渉で、
アメリカの国防省、NRC、核不拡散議員たちの反対がいかに根強かったか
(日本にそんな自由を与えたら30年の間に何をするかわからない、核兵器を作ったらどうするのだ、また、日本にだけそんな特権を与えたらほかの核非保有NPT加盟国に示しがつかない、など)
それをどのようにタフな交渉を通じて、
「一括同意」で「日米原子力協定」締結にまでこぎつけたか。
その内幕を赤裸々に先の遠藤哲也報告「日米原子力協定の…」は
述べているのです。
そこに、こういうくだりが出てくる。
30年間のフリーハンドを与えるという規制案の緩和を盛り込む上で
最後に問題になったのは、アメリカでは議会を通さなければならないが、
日本で国会にあげると「問題になる」懼れがあるので、
日本側が、これを「行政取極」にしたいと、その点に固執したからだったと。
「日本側としては、協定を改定することになると国会の承認が必要となる、
国会承認となると原子力の平和利用のみならず関連して
日米の核政策問題も取上げられかねず大きな政治的議論に発展する危険性がある。
従って何とか国会承認を必要としない行政取極の形で処理したいと考えていた」
と遠藤は書いています。
遠藤は、当時日本側交渉団の次席代表でした。
その後外務省科学審議官をへて元原子力委員会委員長代理、
元ウィーン代表部大使の経歴をもつ。
つまり外務省の交渉責任者が、
このプルトニウムの実質自由使用への緩和化のもつ政治的含意、
日本で表に出ると「大きな政治的議論に発展する危険」があることを重々承知していたということです。
その「日米原子力交渉」で、
日本の名目上の切り札の一つが「非核三原則」だったろうことは想像に難くありません。
日本は核をもたず作らずもち込ませずを国際社会と国民に宣言しているし、
唯一の被爆国でもある、
だから信用してくれ、ということです。
そのうえで平和利用に徹する、と。
ですから、非核三原則(平和国家の姿勢)が日米原子力協定の堅持のための条件で、その堅持(自由な原発運用)が、核燃料サイクルの推進のための条件で、その推進(プルトニウムの独自生産体制)がまた「核技術抑止」の国策の存立のための条件だという、
親ガメの上に子ガメ式の綱渡りの条件 設定によって現行の日本の原子力平和利用体制は成立していたのです。
そのことの危うさにも無頓着に、
2012年9月に民主党政権が
「2030年代に原発稼動をゼロとする、
高速増殖炉もんじゅは事実上、実用化を断念する」と決めたとき、
米、英仏は驚いた。待ったがかかった。
ではこれまでに貯まったプルトニウムはどうするのか(米)。
再処理の済んだプルトニウムはしっかりと買い取ってくれるのか(英仏)。
これでは日米原子力協定の前提が崩れる。
プルトニウムは利用先がはっきりしないと保持、再処理が認められない。
プルトニウムの国際管理あるいはIEAE等への譲渡ないし処理の方法の
協力要請など、対策が考えられますが、
民主党政権からは何も対案がない。
この点での手当もなしに一方的にこういう決定をした民主党政権に
国際社会の不信感が高まった。
私は原発ゼロ論者ですが、こういう問題のすべてをカバーして進めて行かなくては、ことは進まないことくらいわかります。
この決め方は大変にまずい。
さて、
2014年、ここに新しい問題がもちあがった。
一つは、安倍政権が、完全に米国のコントロールを脱して暴走の気配を見せはじめたこと。
民主党政権もこれを補佐する日本外務省もまったくあてにならなかったが、
今度は反対側にブレ、軍事的独走化のおそれがでてきました。
このうち、麻生副総理などは北朝鮮のテポドン騒ぎのときに
日本の核武装をほのめかした前科もあり、
例のナチス発言もあり危なっかしいことこの上ない。
さらに、これを牽制すべき細川・小泉の旧総理グループも
原発即ゼロ、核燃サイクル廃止を主張しつつ、
では保持しているプルトニウムはどうするのかへの言及がない。
つまり拙速、乱暴。この問題に対し、
相談に預かる権利をもつ協定相手国、さらに国際社会への責任を完全に放棄している。
米から見れば、そうなる。
米からは、安倍の靖国参拝以後の行動も、
細川・小泉の原発ゼロもともに日米原子力協定の前提となっていた
日米間の信頼を損なう政治センスの持ち主と見えるでしょう。
その結果が、今回の動きで、
2018年以後の日米原子力協定では、「包括同意」を外す。今回の米国のプルトニウム返還要求は、そのことに向けた警告だと私は考えています。
ではなぜこれが「大ニュース」か。
「包括同意」がなくなったら、日本はどうなるか。
2012年10月4日に日本記者クラブで遠藤哲也が
「日米原子力協定のゆくえと原発ゼロ政策」のテーマで、トークしていますが、
「個別同意」ではとても六ヶ所村の再処理工場など運営できないと述べています。
むろん核燃サイクルなど日本政府がやろうとしてもアメリカの拒否権のもとで、
もうやりきれるものではなくなる。
日本の核政策(技術抑止政策)は完全に頓挫するし、ひいては今後、
日本の核技術の水準の維持は、望めなくなる、日本の原子力政策は破綻するだろう、ということです。
この遠藤哲也のトークは必見です。 http://t.co/ZCezIYCOw1 私の眼には、
ベストミックス論者の寺島実郎氏の考えも、この点、ほぼ遠藤氏と同様と見えますが、
核燃料サイクルを保持しての原発「平和利用」プラス「核抑止」政策というこれまで数十年続いてきた日本の原子力政策は、
今回の安倍政権の暴走とアメリカの返還要求決定によって、選択肢から消えようとしている、ということです。
つまり、中庸の策の可能性は消えた。
今後は次の二つに一つしかなくなった。
一つは、私が先の本で述べた道ですが、
前者は、細川・小泉ラインが、脱原発に、 |
全体表示
[ リスト ]


