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昨日30日は仕事納め。大阪北部の某市でハムと焼豚を担当した。

官公庁も企業も学校も冬休みに入った(基本的には)せいか。
店内は開店直後から大賑わい。
当然ながら、試食も途切れることなく出て、売上も上々。
一年最後の仕事として、満足のいく結果となった。

さて、我がブログ。
来年は、出来うる限り、仕事関連のテーマを取り上げていきたい。
コンセプトは、ブログのタイトル通り、「あおいくま(あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな)」。
これは、どんな仕事にも通じることである。

プラス、やや大げさに述べるなら、
「この業界を変えるんだ」
くらいの意気込みで仕事に取り組みたいね。
これについては、新年早々、もっと詳細に明かすこととなろう。

とにかく今年一年、ありがとうございました。
写真は、阪急淡路駅に飾ってあったレプリカ。

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修道女だった渡辺和子氏ですら、「1日に3つの良かったことを見つけるのに苦労した」逸話を、昨日の記事で書いた。
これを知った時、実は私はどこか安堵したような気になったのだ。
「修道女になるほどの人でも、自然も含めた周りへの感謝の気持ちを忘れることがあるのだなあ」
と。

もっとも、よく考えてみれば、これは不自然でも何でもない。彼女たちだって人間だ。確かに世俗を捨てて神への奉仕に生きる決意を固めて修道女になったのだけれど、ココロは環境にすぐ慣れるわけではないからね。

1日に3つの良かったことを探す。
これをアレンジし、「1日に3つ、人にしてもらったこと」を探してはどうだろう?
たやすく見つかるはずだ。
重い荷物を持って駅の階段を上がっていたら通りすがりの見知らぬ人が持ってくれた。
仕事のミスで上司に叱られてへこんでいたら隣席の同僚がさりげなく慰めてくれた。
夕食のあと子どもたちが食器を洗ってくれた。
などなど。

では、反対に、「1日に3つ、人にしてあげたこと」を探した場合はどうか?
大抵の人は、見つけるのが難しいのではないか。
すなわち、我々は、「人にしてもらうことは多くても人にしてあげることは少ない」日常を過ごしているのだ。

と言うことはですよ、人からストレスを受けて苦しんでいる側もどこかで人にストレスを与えて苦しませているのだよ。
人生、お互いさま。どっこいどっこい。

その前に、こんなにも人にいろいろとしてもらっているのだとわかると、その感謝と感激で、ストレスにも逃げたり負けたりせず、さりとて変に立ち向かわず、うまく付き合おうと言う気になるわな。

皆さん、始めてみては?
「1日に人にしてもらったことと人にしてあげたことを、おのおの3つづつ記録」。
それ専用のノートを作らなくても、手帳や日記や家計簿の余白に書くだけでよい。
ただし、絶対に肉筆で、思いを込めながら丁寧な字で書くこと。
手を動かすことで、カラダにも「してもらったこと」と「してあげたこと」を記憶させるのだ。

写真は、賀茂川の風景。

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修道女で元ノートルダム清心女子大学学長の渡辺和子氏は、「いまいる場所で咲きなさい」の名言で知られている。
渡辺氏自身は、9歳の時に目の前でお父さんが惨殺されるという悲惨な体験をし、そのトラウマが信仰の道に進んだきっかけの一つとなったことは、想像に難くない。
その渡辺氏がボストンの修道院に修道女留学をしていた時、修道女長からこんな課題を与えられたとか。
「今日良かったと思うことを3つ見つけ、ノートに書きなさい」
見つけられなかった渡辺氏は呆然とした。
3つ。たった3つの良いこと。でも、そのたった3つが、、、。

ここから、我々は、人間の傲慢さをあらためて知ることが出来る。
そもそも何事もなく目覚めていつものように仕事に行く。これだけでじゅうぶん「良かったこと」の中に入るはずだ。
なのに、我々は、目覚めるや、例えばこんなふうに感じていないか。
「今日は月末だから多分残業。嫌やなあ」
「注文の多い取引先に会わないといけない。あんなのにペコペコするなんて、憂鬱や」

これは、我々デモンストレーターの世界でも同じ。調理に手間がかかる案件だったり現場が不便な場所にあったり気難しい担当者がいる店舗に行く日は、出発前から気が重い。心の奥底にドヨーンと霧がかかっているよう。
かくして、何事もなく仕事に行ける「幸福感」よりも気乗りしない現場に行く「不平感」が優り、1日の終わりには「良かったこと」どころか「悪かったこと」になってしまう。

享楽的で、「生かされてくれるもの」への意識を普段はほとんど意識しない凡夫の我々に比べ、修道女を志した渡辺氏は、ここいらはずっと意識が高いはず。
その渡辺氏をして、1日に3つの良かったことがなかなか見つけられない、、、。
人間は、かくも「感謝を忘れた」生き物なのだ。

当たり前だと感じられる何気ないことにも感謝する。
これが出来るようになれば、ストレスを受けてもそこから逃げることなく、まして潰されることなく、ストレスをコントロールする術を得られるかも知れない。

考えてみれば、人間、無事に1日を終えるその影には、大勢の人の助けがあるのだ。
一つ一つは小さな助けなのだけども、、、。

写真は、今日の現場の店舗。
無事に仕事を終えることが出来たよ。

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みかん

今日は奈良県の某学園都市で、有田みかんのデモ。

みかんとくれば、私が子どもの頃は冬の風物詩の一つ。「こたつに入ってテレビを見ながらみかんを食べる」という、典型的な家族団欒の図式があった。

家族の有り様が変わってきている昨今。その影響を受けてか、最近はみかんの人気が落ちてきているそうな。
ビタミンCを撮れる果物が他にもいろいろと出てきたのも、みかんの人気低迷に拍車をかけていることだろう。

さて、昨日の続き。
修道女で、元ノートルダム清心女子大学長だった渡辺和子さんのエッセイのお話。
これはページを変えて述べたい。

写真は、和歌山のみかん畑。

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ずっと依存症に関する記事を書いてきて、見えてきた。

私は、アルコール依存症と言うほどではないにしろ、その予備段階、すなわちグレーゾーンにいる人間だろう。
酒量や飲んでいる酒の種類はどうあれ、毎日アルコールをとらないと(例え缶ビール1本でも)、何となく落ち着かないもの。

なぜ飲むか。
私の場合、ズバリ、ストレス。
飲むと、気分がハイになって、嫌なことや将来への不安材料も酔いに紛わされ、
「こんなに美味しいお酒が飲めるんだから、まあ、世の中、捨てたもんでもないよなあ」
みたいに感じられてくるのだ。

ぶちまけてしまえば、私は非常に鬱屈した人間である。接客業ならではのストレスに加え、今までの人生、特に横着に歩んできたわけでもないのに何故こんな状態なのと天にも問いかけたい気持ちは、実は胸奥深くに常に潜んでいる。ゆえに、アナログでもネットでも、自分はこんなに余裕ある生活を営んでいるのよみたいな話を度々する人に会うと
「自慢ばかりしやがって嫌なヤツだな」
と真から思い(こういうのをヒガミと言うんでしょうねえ)、その人間の存在をうとましく思う。

と、ここまで書いてきて、さらに見えてきた。
何が?
ストレスの詳細な中身と対処法。
うん。うん。
やはり、文章を書くのは、自分を見つめる意味で効果的なのだ。

以前の記事で、私は甘味はコントロール出来ると書いた。
ムカついたりイライラしてお菓子を口にしてもお菓子の量が一定数を超えると脳が
「やめなさいよ」
と指令を出し、食欲もそれに従うと。

甘味コントロールが出来るのだもの。アルコールもストレスも絶対にコントロール出来るはず。

ついでに。
努力が報われないと自分の人生に疑いを生じるのは、亡母もそうだった。
大変に優秀な人で大変な努力家てわ大変な苦労を乗り越えたのに、諸々の事情でそれらの大半は報われず、自分の人生に怒りすら持ったまま、逝った。
そんな亡母の話を故郷の友人にしたら
「そりゃシンドイことが多かったと思う。でも、子どもたちはまともに育った。それだけでエエと思わにゃ」
と返ってきた。

そうそう。
私も亡母に似たところがあるなー。

ストレスコントロール法を模索していたら、先だって訪れた美容院でめくった雑誌に、渡辺和子氏(元ノートルダム清心女子大学長)のエッセイが載っていて、読んでいる最中、これは!とピンときた言葉に出会った。
直後に読んだ美容研究家のIKKO氏のエッセイでも、おおっ!と感嘆した文章に!
「これはアレンジ出来るぞ!」

次回をお楽しみに。

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