スペイン・ロマネスク美術

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イスパニア・ロマネスク大聖堂  

                      
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写真:レイダ大聖堂内

11月に三週間余りスペイン北東部を旅してきました。

昨年からイベリア航空の直行便が再開し、懐かしさも手伝ってマドリードまでひとっ飛びしようと、それでも活動開始までマドリードに3泊、なにも用事を入れずカラダを休める時間も組み入れました。

しかし、80代というものはそんな生易しいものではなく、それはそれは大変な時間を送ることになるのですが、まあなんとか医者の世話にもならず帰国できました。
 
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 「大聖堂」は言うまでもありませんが、ある程度人口がまとまり司教が常在すべき都市に建設されるのが常です。
 
 一般論ですが、通常司教のいる「大聖堂」はその格式からいって、規模と質的な格式両方を備えることが求められました。
 
したがって各地域において大聖堂を建設するということは、その地域にとって、またロマネスク時代1112世紀の政治・社会的背景から見て、巨大な資金と労働力、それに諸般の知識を集約する一大プロジェクトであったと云えるでしょう。
 
これに加え、当時の宗教施設(教会や修道院)創設に対する需要は、想像を絶するものでした。

こういった状況を勘案すると、一つの大聖堂建設に数世紀を要したこともあったという歴史的事実は頷けます。

しかも既述のように、このような莫大な資源を要する大聖堂の建設は、必然的にそれらを調達可能にする後背地、都市の存在が欠かせません。

都市といっても今とは違い、一部の建物を除き、当時は狭い路地が錯綜し、みすぼらしい家屋が軒を並べる大きめの集落だったと考えられます。
 
大聖堂は都市の中央部にあってその象徴であり、司教の主宰するキリスト教権威の拠点でもあり、また芸術的なモニュメントでもありました。

この二元性は、キリスト教美術を探求するものにとって、最大の関心事となるのは当然なことです。
 
大聖堂は後に巨大なゴシック様式に衣替えしたときに、無理矢理ロマネスクの痕跡の多くが取り去られました。

しかし当初の初動的なロマネスク美術導入の先駆けは、間違いなく大聖堂であったことでしょう。

私たちはロマネスクというと修道院、なかでも大修道院を思い浮かべます。

それは修道院が同時並行的にまた永続的に大聖堂の変革後も、一貫してロマネスク美術を守ってきたからでしょう。
 
イスパニア・ロマネスク大聖堂と云われるものは25あります。

Isabel FrontonSimon/F.Javier Perez Carrasco共著、

 『CatedralesRomanicas de EspanaJaguar,2004

 
今回の旅では、その中からレイダ、セウ・デ・ウルジェイ、ハカを訪ねました。それぞれについてはまたの機会に。
 
それぞれの町の司教座美術館については、フェイスブックで簡単に紹介しています。



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