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1991年6月3日午後4時頃、噴火活動中の長崎県島原の普賢岳で大規模な火砕流
が発生。死者43名という、日本の火山災害史に残る悲劇となりました。
亡くなったのは、警察官・消防団員・地元住民・火山研究者のほか、報道関
係者14名、それに同行していたタクシー運転手4名、前日行われた選挙のポス
ターの撤去作業をしていた人2名も含まれていました。
普賢岳は200年前の1792年にも大噴火を起こしており、その時は眉山が崩壊し
て地元住民が大量に生き埋めになった上に、その土砂が海に流れ込んで津波
のようになり対岸の天草まで大きな被害が出ています。この時の死者は15000
名と言われています。【島原大変・肥後迷惑】
火砕流というのは、火山から噴出された火山ガスや土砂が高速に山を駆け下
りる現象で、その速度は時速100kmを越すこともあります。この島原の火砕流
でも亡くなった報道関係者が最後の交信で「もう逃げ切れない!」という悲痛
な叫び声をあげています。
火砕流の被害として歴史上有名なのは1902年のモンブレー火山(マルチニー
ク島,西インド諸島)の噴火で、この時の火砕流の死者は29,000名にものぼっ
ています。日本でも、島原大変の数年前、浅間山の火砕流で1500名の死者を
出したことがあります。
とにかく、ものすごい高速で高温ガスがやってくるので、逃げ切れない。
それが火砕流の怖さです。
今回の普賢岳の噴火は、1990年11月17日に始まりました。活動は1994年春ま
で続き、1995年4月に活動休止の統一見解が発表されています。この間に何度
も火砕流や土石流が発生し、多くの被害が出ました。
当時の島原市長は鐘ヶ江管一さん。地元の旅館を経営していましたが、この
災害が起きる少し前に、市政に専念したいといって、その旅館を閉めていま
した。それが幸いだったとご本人は語っておられました。こんなことが起き
たのでは、旅館の経営などと兼業は不可能だったと。
長いヒゲで防災服姿で飛び回る鐘ケ江氏の姿はTVにより全国に島原のシン
ボルとして映し出されました。そのヒゲは災害がおさまるまで切らないこと
を誓って伸ばしていたものです。そのヒゲは市長を引退し、新市長にバトン
タッチしたあとの1992年12月18日、島原市内のお寺で剃髭式をあげて剃りま
した。噴火対策に走り回った2年間の完全燃焼でした。
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