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仏教用語 『餓鬼』

『餓鬼(がき)』

 「ガキ大将」で代表されるように、ガキは子どものことを、いささかいやしんで呼ぶときに使われています。「うちのガキが学校でね」という具合です。
 餓鬼とは、本来、人間がこの世で行った行為の報いとして、次の世に受ける6つの世界(六道)つまり、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の1つで、この世での「むさぼり」の報いとして、飢えやかわきの苦しみが満ちた餓鬼道に落ちた者をいいます。

 お盆は、餓鬼道に落ちていた目連尊者の母親が、救われて天上界に登る物語からはじまったと伝えられています。

 育ち盛りの子どもは、よく食べるので、ガキといったとか……。

仏教用語 『開発』

『開発(かいはつ)』

 国土開発・電力開発・産業開発・技術開発などと使われているように、開発とは、山地などを切り開いて、天然資源をとり出し、産業をおこすことや、知識をひらき導くことを意味している日常用語です。
 教育界では、生徒の自発的な学習をうながすような教育方法を指しています。

 その開発は、仏教語としては「カイホツ」と読み、他人を悟らせること、自らの仏性をうち開くことをいいます。人間には誰でも仏になるタネがあり、それを開き明らかにすることをいうのです。

 仏教語の「カイホツ」が「カイハツ」になって、一般化したもののようです。

お釈迦さまの生涯

誕生

仏教の始祖は「お釈迦様」と呼ばれていますが、実はこの「釈迦」とは彼の部族の名前であり、本名はゴータマ・シッタルダと言いました。今日は彼の生涯を追ってみたいと思います。

彼はBC463年頃に北部インドのシャカ族の王子としてルンビニー園で生まれました。釈迦が生まれた時に「天上天下唯我独尊」と言ったという俗説があります。現在4月8日をお釈迦様の誕生日として花祭りといって祝っていますが、2月8日説も過去にはありました。しかし5世紀以降は行事関係はこの4月8日で定着しているようです。

釈迦の生後7日目に母のマーヤが死亡、父王は後妻にマーヤの妹マハープラジャーパティを娶りました。

生まれて間もない頃、父王はアッシータ仙人を呼んでこの子供の将来を占わせました。すると彼はえらく驚いた様子で、「この王子は非常に偉大な王になるでしょう」と予言しました。王の子供を占った訳ですから多少の潤色はつくでしょうが、それにしても何かただならぬものを感じたのかも知れません。

ある程度大きくなってくると王子はしばしば城の外に出掛ける。そこで彼が見たものは病める人、年老いた人、貧しい人などなどでした。この辺りの話は本行集経12に書いてあるようですが、「四門出遊」と呼ばれています。つまり、若きゴーダマ・シッタルダが東南西北の4つの門から出た時に、老人・病人・死者・出家者を見た、という話になっています。彼はなぜそのようなことがあるのか悩み、閻浮樹(えんぶじゅ)の下で瞑想しました。

そんな中で17歳のときヤショーダラと結婚、やがて一子ラーフラが生まれます。しかし彼の苦悩は尽きず、とうとう29歳の時城を出て出家。アーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねます。このとき彼を城に連れ戻しに追いかけて来た5人の従者が逆に王子に賛同しその後行動を共にすることになりました。


修行

マガダ国のビンビサーラ王(第9回に出て来た人)に会ったのち、彼の未来を予測したアーラーラ・カーラーマ仙人、次いでウドラカ・ラーマプトラ仙人に法を求めますが納得できず、プラーグ・ボーディ山に入って5人の比丘とともに荒行に入ります。

弘法大師やキリストなどを見ても、偉大な宗教者に、こういう厳しい自然の中での修行というのは、ひとつの段階としてどうしても必要なようですね。そして彼らはその段階をすぎると、必ず浮世に戻ってきます。

さて6年後、ゴーダマ・シッダルダは苦行は何も解決しないという結論に達します。そこで苦行を捨てて、ネーランジャナー河に行って、ここでナンダバラ(スジャータ)から乳麻の施しを受けます。この時、近くで苦行をしていた他の修行者は彼を脱落者として嘲笑しました。しかし王子はそのような声は気にせず、ブッダガヤのヒッパラ樹の下で座禅に入ります。

そして12月8日朝、成道。彼は釈尊になりました。

そしてヴァラナシー国の鹿野苑でいつも行動を共にしていた5人の比丘に法を説きます。これを初転法輪といいます。


伝道

これから彼の布教の旅が始まるのですが、これが非常に順調でした。彼を師とあおぐもの達はあっという間に1000人を越えます。ビンビサーラ王も仏門に帰依して竹林精舎を寄進。シュラーヴァスティの長者給孤独は祇園精舎を寄進。この時期に有名な舎利弗や目連も帰依しています。

40歳のとき父が死去。急ぎ城に戻りますが、このとき義母のマハーブラジャーパティと妻のヤショーダラ、更に息子のラーフラも出家します。彼はその後も諸国を巡教、やがて上弟子にも説法を許可して各地に派遣し、仏教徒は大勢力となりました。

73歳の時、彼をいつも保護してくれていたビンビサーラ王が息子の阿闍世に殺害される事件がありました。しかし阿闍世は即位したのちに自分が犯した罪の重さにおびえ始め、自ら釈迦の元に行き、救いを乞います。釈迦は阿闍世に、その救いを求める心が貴方を救うのですと説き、阿闍世はその後父以上の仏教の保護者となります。

78歳の時、シャカ一族がコーラサラ国の毘琉璃王に滅ぼされてしまいますが、この時なぜか釈迦は戦おうとしませんでした。聖徳太子と上宮一族もそうですが、どうも仏教の中には滅びの美学のようなものが流れているようにも思われます。




80歳のとき旅先で釈迦は食中毒を起こします。死期を悟った彼は近くの村のクシナガラで娑羅双樹の下で休み、そのままアナンダら数人の弟子たちに見守られながら入滅。その直前に彼はスパドラという男を弟子にしました。

釈迦の死を悲しんだ阿闍世は釈迦の弟子500人を七葉窟に集めます。これが五百羅漢であり、彼らが合議でまとめた釈迦の教えの記録が阿含経とされます。

バラモン教が支配した古代インドにおいて、釈迦や同時代のマハービラなどは歴史的に見ると宗教改革者でした。彼らの思想は仏教・ジャイナ教として今日に残り、そしてバラモン教もそれを刺激にして改革を進めヒンズー教に進化していくのです。バラモン教(ヒンズー教)と仏教の関係は、前者が後者を生み出したという点と、後者はその場所から出て行かざるを得なくなり、その代り他国で広く信仰されるようになったという点で、ユダヤ教とキリスト教の関係に似た面もあります。

仏教用語 『海潮音』

『海潮音(かいちょうおん)』

 皆さんは、ヴェルレーヌの「秋の日のヴィオロンの……」とか、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く……」の詩をご存知ですか。この有名な詩は、上田敏の訳詩集『海潮音』に収められています。
 『法華経』に「妙音観世音、梵音海潮音、かの世間の音に勝れり」とあります。梵音とは清らかな音声、尊い御声で、仏の声を称(たた)えていったもので、海潮音は、音の大きいのを海潮に譬(たと)えていったものですから、仏の真理の言葉は、大きく遠くまで伝わることを意味しています。

 上田敏は、このお経の文句から『海潮音』という題名をつけたのだそうです。

仏教用語 『懐石』

『懐石(かいせき)』

 懐石料理といえば、茶席で招待した客に茶をすすめる前に出す手軽な料理のことで、茶懐石とも呼ばれています。
 仏教では、インド以来「非時食(ひじじき)戒」という定めによって、修行僧は正午から翌日の暁まで、食事を禁止されていました。現在でも南アジアでは、厳守されている定めです。

 そこで修行僧は、あたためた石を布に包んで腹に入れ、飢えや寒さを防いだのでした。これを薬石(やくせき)といいます。

 後に禅宗では晩に粥(かゆ)を食べたところから、一般に夕食のことを薬石と呼んでいますが、それは僧が健康を保つための薬という意味なのです。

 あたためた石をふところに入れて腹をあたためる程度に、腹を満たす料理という意味から、懐石料理となりました。

 懐石料理を食べるときには、昔の修行僧のことを思い出しては、いかがですか。


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