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あきらめないで

こんにちは。

前回のつづきです。
1日目の試験が終わり,あまりにも数学ができずに泣き出した18歳のぼくですが…

駅に着いてホテルに帰るために乗った中央線でも,さらに乗り継いだ山手線でも,ぼくは人目もはばからず,ずっと泣いていました。
こういうところで誰もぼくに声をかけないのが,東京という都会の冷たいところでもあり,いいところでもありますね。声をかけられても逆に困ったことでしょう。まだ明日も試験がある,というのが余計につらかったです。思い返すと,北海道から上京したぼくにとってはコートのいらない陽気でした。真冬にコートも着ていない変な人が泣いていると奇異の目で見られていたのかもしれません。

品川駅で降りてホテルに向かう途中,どうにか涙をこらえました。やらないといけないことがあったからです。家には1本電話をする必要がありました。泣きながら電話をするわけにはいきません。
ホテルの公衆電話から(当時は携帯電話がほとんど普及していません)家に電話をすると,母が出ました。
「ダメだった」と一言話すと,
「まだ明日もあるでしょ」などと予想したフレーズが返ってきます。だから,明日もあることがつらかったのです。明日,どう頑張っても無理なくらいには致命傷を負っているのです。
遠距離通話なので,50度数のテレフォンカードの残りを示す表示が,だいたい1秒ごとに「50」,「49」,「48」,…と減っていきます。その数字はぼくの心にわずかに無理やりつくった平静さの残りを示すようでした。
母は励ますようなことを繰り返し,ぼくは短くいやダメなんだというようなことを言い,その間にもテレフォンカードの度数は減っていきます。
「10」,「9」,「8」となったとき,もう無理だ,と思って無言で受話器を置くと,また涙があふれてきました。

結局,その日は一晩中泣いていました。
生涯の中で一番泣いたのが間違いなくこの日です。
それで考えたのは「明日は適当に時間をつぶして帰ろう」と,試験を受けに行くのをやめようと決めました。行っても無駄ですから。ただ,現代の情報社会と違い,どこでどう時間をつぶしていいのか,どこに行けば遊べるのか,そういうことが一切わからなかったのが幸運だったと思います。
当時,いいことではないですが,「馬」が好きでした。土曜日か日曜日であれば,「府中」というところで「馬」を見られました。しかし,試験2日目は土曜でも日曜でもありませんでした。
試験に行かないことは決めたものの,何をしていいのかわからなかったわけですね。

翌朝,ホテルをチェックアウトし,行くあてもないものの山手線に乗り,またまた行くあてもないものの新宿駅で乗り換えようと,電車を降りました。
「新宿って,副都心ってやつで,ここならたくさん遊ぶところがありそうだな」と,ここで降りようと改札に向かったとき,南口のビルの合間から空が見えました。
その空がひどく濁った色に見えて,改札の外の世界が自分を拒んでいるような気がしました。
そのとき「家族や友人や先生や…応援してくれている人もたくさんいる。これは自分だけの戦いではないのだ。最低でも最後まで戦う義務はある。」と,ふとそんな考えが頭をよぎり,国立駅へと向かう中央線のホームへと向かったのでした。

結果は信じられないことに合格でした。試験は最後までわかりません。
試験会場では1人で戦う必要がありますが,応援してくれている仲間と戦っているということを忘れないでください。(ぼくも微力ながら応援している1人です。)
最後まであきらめずにがんばれば,ぼくのような奇跡もおきるかもしれません。
センターまで1か月を切り,二次試験まであと2か月ですが,この話を応援メッセージに代えて書かせていただきました。

がんばってください。

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