EMI洋楽スタッフの溜池日記

レコード会社スタッフのネタで綴る日記です。

回想記『俺とストーンズ』

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南ムキオです。
WEB超大作『俺とストーンズ』今日は番外編です。
僕の上司、ミッシェル雄鶏先輩がすんごい原稿をゲット!!

元ローリング・ストーンズ担当の伝説のディレクターTさんの
日本で行われたレコーディング丸秘裏話!!僕が入社する前のお話。

今読んだのですが、むっちゃ面白い。。これ。。

僕がいるフロアのすぐ上の東芝EMIスタジオで
ストーンズがレコーディング?!

うちの郵便室が控え室??

ギネスビールで一杯の冷蔵庫?

とにかく読んで見て下さい。これは面白いよ。。


『ストーンズが東芝EMIのスタジオでレコーディングする?!』


俺とストーンズ。
かつての部下“ミッシェル雄鶏”が、ストーンズの元担当ディレクターとして、
ストーンズのレコーディング目撃談を私に書けと言う。
締め切りは来日公演前、ナルハヤで仕上げろとまで注文を付ける。

メシおごれと頻繁にせがむわ、
元の上司に向かってアゴで指示するわ、
まったくもって図体だけじゃなく態度もデカイ男である。

おまえは仕事にかこつけてダラダラとブログ書いてりゃいいが、
こっちは当の昔に別のセクションに移っているのだからして、
決算前でバタバタしているというのに勤務時間外で執筆しないといかんのだ。
ヒトとして、いい年をした一人の会社員として、
一体どのような形で感謝の気持ちを元上司に表明するつもりでいるのだろうか。
楽しみなものである。


さて。私がストーンズを担当したのは、
ストーンズが東芝EMIに戻ってきた1993年からの数年間だ。
今でこそスキンヘッドの堅実なサラリーマンをやっている私だが、
いたいけな少年だった頃は、「大人になったら絶対ミック・ジャガーになる」
と夢見ていた位のストーンズ好きである。
1975年、ニューヨークの五番街で行われた、
トラック上での伝説のパフォーマンスをTVのニュースで観た瞬間から、
体の中で何かが確実に変わったと思っている人間である。

ある意味、ストーンズの担当だったあの時代が、
私の東芝EMI人生のハイライトだったのかもしれないと思ったりもする。
そんな私が体験した、『ヴードゥー・ラウンジ・ワールド・ツアー』での来日狂騒劇、
これから御紹介させていただきます。


1995年2月。


いよいよ2回目のジャパン・ツアーも目前に迫ってきた。
だんだんストーンズ周りが慌しくなってきて、

「あぁ、オレはストーンズの為に、こうして寝る間を惜しんで働いてるんだ」

とマゾヒスティックな恍惚感に浸りながら連日深夜残業をしていたある日、
その情報は、ロンドンから入った。

曰く、

「ストーンズが来日中にスタジオ・レコーディングをする可能性があるので、東芝EMIのスタジオを手配して欲しい。ただし、まだ100%やるとは限らない。バンドが日本に到着するまで、最終結論は出ないかもしれない」

と。


もうすっかり盛り上がりましたね、私は。

もしも実現したら、かつてT-REXが“トゥエンティース・センチュリー・ボーイ”を
当社のスタジオで録音して以来の大事件だし、
なによりストーンズのレコーディングを目撃してしまったりする可能性があるわけだから。

様々なやり取りが始まった。

スタジオの段取りは勿論のこと、

「ロンの部屋は毎晩パーティー会場になるから、オーディオ一式、それとギネスで一杯にした冷蔵庫をレンタルとしけ」

だの、

「バンドとのディナーを完璧にコーディネートする為に、LAからEMIのスタッフをディナーの3日前に送り込む。一緒にレストランに行って、完璧なアレンジをしておくように」

だの、相手がストーンズじゃなかったら、間違いなく
「いい加減にしてくれ!」と怒鳴っているであろう各種のリクエストが、
毎日ガンガン飛び込んでくる。


2月28日。

南アフリカを飛び立ったチャーター便3機に乗って、
ストーンズ一行は再び日本に舞い降りた。

ホテルで出迎えた私は、ミックのマネージャーに、
この数週間ずーっと気になって仕方がなかったことを真っ先に尋ねた。

「やるんですか、レコーディング? 本当にやるんすかっ!?」。

マネージャーは、こいつは今さら何を聞いてくるんだ
というような怪訝な顔をして言った。

「あぁ、やるとも」

そんなもんなのだ。

ストーンズ帝国では、ミックを頂点に何百何千という人間が常に動いている。
極東のレコード会社の担当がピラミッドの何合目に位置するのかは分からないが、
全てはメンバーの気の向くままに物事が決定していく。
そして、メンバーと私の間には、クリアしなければならないハードルが幾つも用意されていて、
一つのことが前に進むためには、べらぼうな時間とエネルギーと幸運が必要だ。

いかん。チープな感傷にふけっている場合ではない。
速攻で会社に電話を入れ、レコーディングが正式にGOサインである旨を伝える。

しかし、ここでもう一つの問題が起きた。


<つづく>

写真…ストーンズがレコーディングした東芝EMI第3スタジオ


その8「STONESワールド! in LA」

1994年。

大阪に転勤していた僕は某局のIさんとLAにSTONESを観に行くことを決意。
秋口だったと思うけどとにかく旅立ちました。
なぜとにかく旅立ったのかというと
そのIさんはとてもユニークな人で

「LAは広いし車があったら何とかなるで」

というのでホテルとLIVEのチケットだけとって
何の予定も決めずに旅立ったからです。
今考えると激しく無謀です。
LAに着いて車を借りたはいいが地図がない。

「Iさん、どこがホテルでしたっけ?」と僕。
「地図がいるなぁ」とIさん。

で地図を購入。
色々迷いつつなんとかホテルに辿り着きました。

何泊したかは忘れましたが結構余裕の旅程だったため、
2日目とかは地図を片手にレコ屋とギター屋巡り。
何しに来たのかわかりませんw

とうとうSTONESのLIVEの日。

当然到着して地図買ってるぐらいですから会場なんて知るわきゃない。
で、調べてみたらこれが結構遠いw
その時はパサディナという街でのLIVEだったのですが
ハイウェイ飛ばして小一時間はかかったと思います。

ついにSTONESだ!

と興奮してるので僕らはめちゃくちゃ早めに出てめちゃくちゃ早めに到着。

会場に着いてみると出張マクドナルドは出てるわ、
変なサーカス団みたいなのはいるわ、
空を見上げりゃセスナが飛んで

「WELCOME! THE ROLLING STONES」

の垂れ幕ぶらさげてるわ、
まさに噂に聞いたSTONESワールド!
浮かれまくって飲む食う飲む食うの繰り返し。

前座のバディ・ガイが始まってあたりが暗くなってくるといきなり寒くなってきた。。。
が、STONESはもうすぐそこ。
この気温の中、半袖短パンな外人を横目に大和魂で寒さに耐えたのを覚えていますw

で、お決まりのコブラ・タワーが火を噴いてSTONESショーの始まり。

何を演ったかとか全然覚えてませんが、
とにかく日本とは違う雰囲気にコーフンしました。
いやぁ大満足の初日!

一方、IさんはLIVEには大満足していたのですが、
昼夜ともジャンクな食事で過ごしたため

「明後日はいいモン食ってゆっくり行きたいなぁ」と一言。
「まぁそうですね。そうしましょう」と僕。

※Iさんはとてもグルメな方で、
パリに行って「外は寒い」と牡蠣だけ食って帰ってきたなど伝説には事欠かない。

この決断が招く我々に降りかかる恐ろしい出来事を、
この時点で想像できるものはいなかった。。。

つづく

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その7「ストーンズがうちの会社に移籍!?こりゃえらいこっちゃ!」


奇跡の初来日を終え、
日本公演も収録された「フラッシュ・ポイント」も発売され
我が国のSTONESファンは大満足の日々を過ごしました。

いや、ホントなんですよコレが。

解散危機の時期でさえ、考えてみると
5年もオリジナル・アルバムが出なかったことはないのですが
ファンは何の不安もなく、いやむしろ復活の余韻に浸る日々を過ごしました。

※1981『刺青の男』→1983『アンダー・カヴァー』
→1986『ダーティー・ワーク』→1989『スティール・ホイールズ』
  んで5年空いて1994『ヴードゥー・ラウンジ』です。

その間に僕は東芝EMIに就職。
そのうちにSTONESはソニーからVirginに移籍

当時Virginは日本に会社を持っておりEMI傘下ではなかったのですが、
なんとその直後EMIがVirginを買収!

そのNEWSを聞いた時はピンとこなかったのですが、
冷静に考えると凄い事なのがわかってきました。

そう!STONESが我が社のアーティストになるのです!



「すげぇ、洋楽の部署にいきてぇ!」


と思ったのですがその夢が実現するには、あと7年ほどの月日が必要でしたw

まぁ、とにかくSTONESが弊社のアーティストとなり、
1994年ついにVirginレコーズ初のオリジナル・アルバムとなる
『ヴードゥー・ラウンジ』が発売されます。

のちの来日時には
東芝EMIのスタジオでレコーディング
までしてしまうことになるツアーを行なうこの作品。

当時の担当ディレクターのTさんに詳しくは譲るとして、
僕のVOODOO回想記を続けます。

つづく

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南です。日本で唯一のストーンズ、オフィシャル・フォトグラファー
有賀さんの貴重な裏話、本日は後編っす!

ストーンズと有賀さんの深い関係をつくるきっかけとなった
思い出のNY記者会見前での有賀幹夫さんの心配ごととは・・・?

番外編2 『灼熱のNEW YORK!ラジカセを持ってついにミックが登場!』


それは7月になったら約1週間以上に渡り、
日本のレピッシュという素晴らしいバンドの
WOODSTOCKレコーディング取材に関わる
仕事が入っていたからです。

しかもTODD RUNDGRENプロデュースの現場なので
僕も凄く楽しみにしていたのです。

この時までにストーンズにはなんとかアクセスできるだろう
と思って旅にでたのですが、考えがあまかった(あたりまえですが)!

これはバッティングしそうだなー、、、

と。

僕のようにフリーで仕事をしている者にとっては
どんな理由であっても仕事のバッティングは、
あってはならないことです。

それでレピッシュと合流したときに僕は彼らにこうきりだしました。

ストーンズが近日中にNEW YORKで記者会見をするのらしいのですが、
レピッシュの仕事の期間中の場合その時だけ
抜けだして記者会見に行かせてもらえませんか?

と、、レピッシュ側の答えは本当にありがたいものでした。

ストーンズみたいなバンドをどんなかたちにせよ撮影するチャンスがあるのなら、
それを止めることなんて誰にも出来ませんよ。
日にちが重なったとしてもぜひストーンズを撮影してください。

幸いレピッシュの仕事もWOODSTOCKでのメインの撮影を終了し、
記者会見当日はNEW YORKのイースト・リバーでのプロモーション・ビデオ撮影の現場に移り、
そこから僕の長いようで短い1日が始まりました。


とても暑い日でした。

記者会見場までの移動ではレピッシュ・ロケ地の
イーストリバーのあたりからはタクシーまったくつかまらず、随分歩きました。

時間に余裕があるはずなのにあせりまくりで、
カメラ・バッグが本当に重かった!

やっとたどり着いた記者会見場のグランド・セントラル・ステーションで
池田さんたちと再合流。

会場はすごいことになっていました。

ポリスの設置した柵の向こうでは、

KEEF!、KEEF!

とファンの大合唱。
(これはKEITHが当時NEW YORKに住んでいたからでしょう。
後にNEW YORKで知り合った友人はKEITHが犬の散歩をさせているのに
遭遇したことがあるそうです。)

世界中からの取材陣(多分、、、)。
そしてストーンズ登場
MICKの

ハーイ!エブリボデー

のお得意のあいさつ。
MICKのかかえるラジカセからは新曲(にして大名曲の)MIXED EMOTIONが、、、

遂に73年からファンだったあこがれの人たちをまじかで見ることができ、
カメラマンしても貴重な写真を撮れたのです。(添付写真)

BILL WYMANは残念なことに90年のツアー終了後しばらくして
ストーンズから脱退してしまいましたが、
今日まで変わらないストーンズの順調な活動は、
この89年の仕切りなおしから再スタートしたわけです。

僕もこの記者会見をきっかけにはずみがつき、
自分なりのストーンズ初来日公演を迎えることができました。
この時の体験(というよりBIG BANG級の衝撃)が、
未だにストーンズに尊敬と感謝の気持ちをもって向かう
モチベーションになっているのです。

有賀


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*photo by MIKIO ARIGA

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どうもー南ムキオです。

今日は特別ゲストの登場です!
とても凄いビッグ・ゲストです皆さん!

日本で唯一のローリング・ストーンズ、オフィシャル・フォトグラファー
有賀幹夫さんからコメントが届きました〜!!!ぱちぱち!

皆さんも有賀さんの写真はご覧になったことあると思います。
『ノー・セキュリティー』のブックレットや、今の最新ツアーパンフにも写真掲載されています。

そんな巨匠有賀幹夫さんからのストーンズ秘密のエピソードです。
ではど〜ぞ〜


番外編1 『レコード会社も知らなかった記者会見に潜入?!カメラマン有賀さん奮闘記』


今日は。カメラマンの有賀幹夫と申します。
ミッキーとでも呼んでください。

ミッシェルさんの話し、ストーンズ初来日までがUPされていますね。

伝説にもなった初来日からさかのぼること半年前、
僕はストーンズ復活を高々と告げる
1989年7月11日のSTEEL・WHEELSアルバム&ツアー発表のNEW YORKでの
記者会見(かっこつけてプレス・コンファレンスと書きたいところですが、、、)
にもぐりこむ事が出来ました。

勿論日本人では唯一、
この記者会見の写真を撮る事ができたので,
ストーンズから来日公演でのオフィシャル・フォトグラファーに
選ばれるきっかけを結果としてつくれた日なのです。

この記者会見に行くまでのことを
ミッシェルさんからのリクエストもあり書いてみたいと思います。


JRSFCの池田祐司さんとデザイナーのMさんとの3人の旅は、
この記者会見から1ヶ月半前に始まりました。

なんかさー、ストーンズ、レコーディングしているみたいだよー、
マジッスか?
強行取材にトライしてみようか?
そうですね、アメリカでもイギリスでも行くだけ行ってみましょー

みたいなやり取りから
かなり無茶苦茶なアメリカーイギリスーまたアメリカへと渡る旅にでたのです。

池田さんがMICKやKEITHのソロ活動で知り合った関係者を
訪ねてみようということだったと思います。
(なんとなく気になるのでたった今この件について池田さんに確認したところ、
KEITHの息子さんのマーロンからのKEITHに会えるかも、
との連絡が池田さんのところに来たのがもともとのきっかけだったそうです。
僕は記憶がトンでいるようですね。)

勿論、
「君達日本からストーンズの取材に来たのか、WELLCOME!」
みたいなことになるはずもなく、
日々がむなしく過ぎていくなかで、

7月にNEW YORKで記者会見をするらしい

との情報をやっとつかんだのです。
それくらい当時のストーンズの動きはベールにつつまれていたのです。

信じられないことですが、
実際記者会見に関しても当時ストーンズのCDをリリースしていた
日本のレコード会社には、会見前日に
「こちらが明日記者会見に行きまーす!」と報告する時まで
まったく情報が入っていませんでした。

当時のストーンズ担当ディレクターさんは
記者会見情報前日に知らされて驚いていたもんなー。

このぎりぎりでの記者会見情報ゲットは
池田さんもMさんも僕もやっと希望をもつことが出来た瞬間でしたが、
僕にはひとつ心配なこともありました。

つづく・・・


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