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☆山門はまだ青紅葉・・・↑
☆緑の中に赤や黄色の紅葉が混ざってるよ。
☆庭の高い所から眺めた本堂↑
☆青い紅葉の裏の紅いのが目立つよ↑
☆山茶花の花が一輪・・・ h
☆来月初めに真っ赤なころをもう一度リベンジだね。↑
☆入り口の脇でひっそりとクサギの実が輝いてたよ!↑
☆小堀遠州作名勝庭園
滋賀・石の寺 教林坊 〒521-1331 滋賀県近江八幡市安土町石寺1145
TEL 0748−46−5400
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☆滋賀県・近江八幡市
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詳細
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☆旧伴家住宅(市指定文化財)(きゅうばんけじゅうたく)
伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で屋号を扇屋といいます。 寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商いました。 5代目の伴蒿蹊は18歳で家督を継ぎ、大坂淡路2丁目に出店。 学問にも興味を持ち、本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと親交のある 国学者でもありました。
以後も、伴家は繁栄を誇りましたが、明治維新等の激動期に逆らえず 明治20年に終焉しました。
☆朝鮮使節団の行進の様子を展示
☆楽器を吹きながら・・・
☆ 朝鮮人街道の起こりは織田信長が安土城築城の際に京都までの道を結んだことによります。中山道の「上街道」に対して「下街道」と
呼ばれたり琵琶湖岸を走ることから「浜街道」とも呼ばれていました。一説には、日本の狭さを隠し広く見せるため、わざと迂回し曲折した
道を通行させたと言われる説があります。しかしながら、大名行列との鉢合わせをさけたことや、時には500名にも及ぶ人間の宿泊や休憩先を考えると彦根や八幡を通ることが最も適していたと考えられます。
また、関ヶ原の合戦で勝利を収めた「徳川家康」が上洛する際に この街道を通ったことから、この縁起の良い吉道を通行させることで
通信使への優遇ぶりを表そうとしたとも考えられています。
☆詳しいことはここに・・・http://www.omi8.com/annai/inishie.htm
☆朝鮮からの土人形
☆朝鮮通信使に提供された豪華なランチの御膳(伊勢海老やあわび)
☆さざえや鶉の焼き物?かなぁ・・・↑
☆サッカーボールを持った人形
☆今も残ってる朝鮮街道・・・古くから大陸との交流があって栄えていたんだね。
☆つづく
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☆旧伴家の土間を入ってすぐ目に入ったのが↓「左義長まつり」のダシだったよ。
☆「左義長まつり」は近江八幡に春を告げるお祭りで、織田信長も盛大に行い自ら華美な衣装で躍り出たと伝えられてるよ。
☆今年の干支の戌↑
☆町内の人々の手作りによりその年の干支に因んだ物を主としテーマを決めて制作され、各町内が競い合いダシコンクールの優勝を目指して力が入るよ。
☆干支の作り物を「むし」と呼び、背景は円形、方形、扇形など「台」と呼ぶ部分を作り取り付けます。この素材が、穀物「大豆、黒豆、小豆、胡麻等)や海産物(鰹節、昆布、するめ、干魚等)の食物を使って、その素材の色を活かして作り上げることが大きな特徴です。
☆小豆とスルメの兜↑
☆毎年、年が明けると本格的な準備に入り、制作の経費や作業も各町毎で協力しながら、年毎に新たな左義長を作る喜びを分かちあい、祭りの当日を迎えます。
☆花麩を貼りつけた扇子↑
☆今年は3月17日(土)13:00〜17:30、18日(日) 10:30〜22:40 に
行われるよ。
詳しくはHPを見てね。↓
☆今年こそは各町内のダシを見に行きたいなぁ
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