宮 Forever Love

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第一章(別れ)

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東方神起『忘れないで』
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(別れ)17

シンの住まいは東宮殿から昌徳宮の宮殿へと移された。
移り住んだ宮殿にはチェギョンとの思い出は一つもない。
寂しいと思いながらもシンはどこかホッとしていた。
チェギョンがそこにいるような錯覚に囚われずにすむ。
そう思いながらもシンは時々、東宮殿に足を運んでいた。

どうしても寂しくなりチェギョンの部屋を覗いてしまう。
こんなに情けなくなった自分を見たら、チェギョンはどう思うだろうか…。
苦笑いを浮かべ、チェギョンには言えないとシンは自嘲気味に笑った。

移り住んだ宮殿にはチェギョンの部屋も用意されていた。
チェギョンの部屋と言っても、チェギョンの物が置いてあるわけではなく、暖かな色の壁紙と女性らしい調度品がチェギョンの部屋だと物語っていた。
シンはこれが姉の仕業だと気付く。

姉さんだな…。

思わず笑ってしまう。
姉なりの配慮なのだろうと、シンは主の居ないその部屋を眺めた。
この部屋の主はいつ帰って来るとも分からない。
そがいつになるのか、自分でも分からない。
それでも、愛しいその存在を一日も早くこの腕に抱ける日を願ってしまう。
この宮殿が明るく温かな声に包まれる事をシンは切に祈った。



シンは王立大学に進学せず、芸術大学に進学した。
そして、入学早々に飛び込んだ面白くない話。
新入生の中に自分の他に皇族がもう一人いると言う話だった。
自分の他に皇族が入学して来た。
ただそれだけなら、それ程気にする事でもなかった。
だが、それがシンの又従兄弟で男だという事、そしてなにより、美術科だという事がシンには面白くなかった。
イ・ヒス。
それが問題の又従兄弟の名前だった。
王立中学までは一緒だった又従兄弟、だが近い関係だと言ってもそれほど会話をした事がなかった。
自分は他人に興味がない。
それは近親者に対しても同じだった。
中学を卒業しても誕生日パーティーなどで時々顔は合わせていたが気にする事さえなかった。
気にしていなかった存在を今、気にしなければならい。
チェギョンが韓国に戻った場合、自分と同じ大学に通う事は間違いないだろう。
チェギョンの専攻は美術、同じ美術科となると接触する機会も多いはず、そうなればあのチェギョンの事、仲良くするのは目に見えている。
鈍感な我が妻は自分の意識しないところで男を惹き付けるのだから性質が悪い。
ユルの時と状況が似ている気がしてシンは机の上に置かれたチェギョンの写真を指で弾くと溜息を吐いた。


大学が始まり、シンは高校の時と変わらぬメンバーで毎日を過ごしていた。
廃妃が囁かれる中、大学でもシンに近付く女性は少なくはなかった。
民間出身のチェギョンが皇太子妃になった事もあり、自分の容姿を武器に近付いて来る女性もいたが、シンはそれらの女性を相手にする事はなかった。
ただ一人しか見えていないその瞳は虚ろにそれらの女性を映すだけだった。

講義が始まる前、騒いでいる友人達の輪の中に入らず、シンは一人、窓の外を眺めていた。
階下に見える学生達をぼんやりと眺める。
楽しそうに笑う恋人達の姿を無意識に自分とチェギョンに重ねて見ていた。
あんな風に歩ける日はいつ来るのだろうと溜息ばかりがシンの口から漏れる。

「シン…」

ぼんやりと窓の外を眺めるシンにファンが声を掛けたが、シンは聞こえていないのか何の反応も示さない。

「まただ…」

こんな風にぼんやりとするシンを三人はこれまで何度も見てきた。
以前のシンは隙がなく、張りつめているようにしていた。
だが、チェギョンが居なくなってからと言うもの、こんな風になる日が多くなっていた。
最初は驚きもしたが、今は特別な事がない限りそっとして置く事もしばしばだった。

相変らず自分が呼ばれた事に気付きもしないシンは窓の外を眺め続けている。
三人はシンに気付かれないようにそっと額を寄せ合うと、小さく話し始めた。

「なぁ、あの事はシンには言わない方がいいよな…?」
「あの事?」
「ネットで流れている噂だよ…」
「本人は知らないみたいだし言わないほうがいいだろう。シンが知ったら何をするか分からないしな。宮家も放って置かないだろうし大丈夫だろう…」
「だな」
「『だな』ってギョン、お前が一番心配なんだよ」
「何だよ…俺ってそんなに信用ないのかよ…」
「「あぁ、ないね」」

インとファンに同時に言われ、ギョンは不満そうに頬を膨らませた。
ぶつぶつと文句を言い続けるギョンを軽く受け流したインはシンの前の席に座る。
それでも気付く様子のないシンの机をコツンと叩き、インはチェギョンの事を訊ねた。

「シン。チェギョンは元気にしてるのか?」
「チェギョン…?」

チェギョンの名前に窓の外を眺めていたシンの視線がようやくインに向けられた。
チェギョンの名前には敏感に反応するシンに三人は苦笑いしてしまう。

「ああ、元気にしてるよ。向こうの生活にもだいぶ慣れてきたみたいだ…」

頬杖をついていたシンがゆっくりと体を起こし、僅かに笑うと溜息を吐いた。
そして、また視線を窓の外へ向け、空を見上げる。

自分の事などもうどうでも良くなっているのかもしれない…。

明るい声を聞く度に不安になっていく。
韓国に戻って来たとしてもチェギョンは宮に戻る事を拒むかもしれない。

外の世界での自由な暮らし。
窮屈な宮廷での暮らしをもうしたくないと言うかも知れない。
宮は翼を広げるには狭すぎる。
空を自由に飛ぶ事を思い出したチェギョンは地上に居る自分を見ないかもしれない。
自分の傍に、隣に降りて来ないかも知れない…。

そう考えてしまい、シンは眠れぬ夜を何度も過ごしていた。

(別れ)16

「姉さん、頼みがある…」

既に遅い時間、シンはヘミョンの部屋を訪れていた。
そして部屋に入るや否やシンは姉に頼み事を切り出す。
書類に目を落としていたヘミョンは、その言葉に顔を上げシンを見つめた。

「どうしたの?」

ヘミョンに訊ねられ、シンは僅かに苦笑いを浮かべる。
床に視線を落とし、言い辛そうにしているシンの肩を叩き、ヘミョンはソファーに座るように促した。

「で、頼み事って、何?」

訊ねる言葉にシンの視線は再び床に落ちる。
小さな溜息を吐いた後、シンは床に落としていた視線を上げた。

「東宮殿を出たいんだ…」
「えっ?!東宮殿を出たい?」

思わずヘミョンが訊き返すとシンは無言のまま頷いた。
唇を強く結んでヘミョンの答えを待っている。
その様子にヘミョンは肩をすくめ困ったような表情を浮かべた。

「東宮殿を出たいなんて急にどうしたの?」
「理由は…訊かないで欲しい…」
「訊かないでって…シン…」
「東宮殿以外ならどこでも構わない。なるべく早く東宮殿を出たいんだ…」
「理由も言わず、宮殿を替えろなんて…」
「勝手だと分かってる…でも…」

そう言って見せる表情にヘミョンは言葉を止めた。
シンが東宮を出たい理由に気付き、ヘミョンは溜息を吐いた。

「チェギョンね…」

その言葉にシンが反応を見せる。
僅かに揺らぐ瞳にヘミョンは自分の答えが正しいと分かり、苦笑いを漏らした。
シンも同様に勘の鋭い姉に隠して無駄だと悟り、苦笑いを浮かべた。

「東宮殿に居るのは、辛い…?」

ヘミョンの問いにシンは俯き、苦笑いを浮かべたまま頷いた。
チェギョンが居ない東宮殿、シンはそこで暮らす事に耐え切れなくなっていた。
こんな風に変わってしまった自分に驚きさえする。
ユルと皇太后の事で忙しく過ごしていた頃はまだ耐える事が出来たが、一人の時間が出来ると寂しさが増すようになっていた。

「分かったわ…手配するわ」

ソファーの背に深く腰掛け、ヘミョンは苦笑い混じりに答えた。
その言葉にシンは申し訳ないという表情をしながらも、どこかホッとしたような様子だった。

「ありがとう、姉さん…」
「この借りは高くつくわよ」

ソファーから立ち上がり、礼を言うシンにヘミョンは、すっかり冷めてしまったお茶を口元に運びながら悪戯っぽく笑ってシンを見上げた。
その姉の言葉にシンは僅かに口元に笑みを浮かべると、ヘミョンの部屋を後にした。

部屋を出て行くシンの後ろ姿を見ながら、ヘミョンはシンの変化に驚いていた。
皇太孫となってからシンは心を閉ざすようになった。
孤独が当然であるかのようになってしまっていた弟が今、寂しさを隠す事さえ出来なくなっている。
この状況が長く続き、大人達が自分達を引き裂こうとするならシンは全てを捨ててチェギョンの元へ行こうとしている。
その為に皇太子という煩わしい地位を捨てた。
それほどチェギョンという存在がシンにとって大きなものなのだと、ヘミョンは改めて感じとっていた。



イメージ 1
 
東宮殿に戻ったシンは、自分の部屋に行かず、テラスに出ると柱に寄り掛かり空を眺めた。
雲一つない空に、月が眩しく光を放つ。

「あいつも月を見てるかな…」

月を見上げ、シンはポツリと呟く。

『シン君!』

不意に呼ばれた気がして後ろを振り返り、シンはパビリオンを見回す。

「そんな筈ないか…」

何度こんな事を繰り返してる…?

会いたいと願うのに、面影は酷く自分を辛くさせる。
期待が砕かれる度に悲しみと寂しさが自分の中に溜まっていく。

シンは俯き自嘲気味に笑った。

静かな東宮殿、チェギョンが来る前はそれが当たり前だった。
長い間そうして独りで居たのに、チェギョンが居た数ヶ月間で全てが変わってしまった。
騒々しい事に慣れ、それがいつしか当然のようになっていた。
それだからこそ、今の静けさが辛く、押し寄せる寂しさに耐え切れなくなる。

ポケットの中の携帯を取り出し、そっと開く。
ディスプレイには自分とチェギョンの画像が映し出される。
嬉しそうに笑うチェギョンと、横を向いた自分。

「ちゃんと撮ってもらうんだったな…」

僅かに口角を上げ、シンは静かに笑うと、その写真を撮った日の事を思い出す。

「シン君、早く!」

腕を掴まれ、急かされるように部屋から連れ出された。
小さな柔らかな手にドキドキしている自分を悟られないように面倒臭い風を装った。

「何だよ…」
「いいから!」

腕を掴まれたまま、パビリオンまで出たところで、女官二人と出くわした。

「あっ!お姉さん達、いいところにいた。これで写真撮って」

ガサゴソとポケットの中を探り、チェギョンは携帯を取り出すと、女官に渡す。
どこか見覚えのある携帯が自分の携帯だと気付くのにシンは十数秒の時間を要した。
その間にチェギョンは『ここを押してくれればいいから』と女官に操作方法を教え、パタパタと自分の所まで戻って来るとピタリと自分に寄り添い腕を絡める。

「おい!その携帯は僕のだろう?お前、勝手に人の物を…!」
「男の癖にごちゃごちゃ言わないの!」
「なに?!」

ムッとして腕を引き抜こうとするものの、チェギョンはしっかりと腕を掴んで放さない。

「もう!シン君、ジッとしててよ、写真撮るんだから!」
「写真?どうして写真なんか撮るんだ?」
「理由は別にいいじゃない。撮りたいから撮るの!」
「答えになってない」

チェギョンが何をしたいのか分からず、訊ねてたが、チェギョンは誤魔化して理由を言おうとしない。

「いいから、一枚だけ!お願いシン君…」

僅かに首を傾げてのおねだり顔と、甘えた声に思わず目を逸らす。
この顔は苦手なんだと泳がせた視線を少しだけチェギョンに戻したが、相変らずのおねだり顔に自分は白旗を揚げるしかなかった。

「分かったよ…ただし、一枚だけだぞ」

その言葉にチェギョンの瞳がキラキラと輝きだす。

「やった!お姉さん達、早く!」

ピョンピョンと飛び跳ね、チェギョンは女官達を急かしていた。
気持ちが変わって逃げ出さないようにと回された腕は更にチェギョンの体にピタリと寄せられ、その感触に心拍数が上昇するのを感じていた。
携帯のカメラに向かってピースをするチェギョンを目の端に捉え、その満面の笑顔につい自分も笑顔になっていた。

「では、御撮りしますね」

そう言った女官の声で何故か自分は横を向いた。
ヒョリンと写真を撮った時はそんな事はしなかった。
イン達に言われるまま寄り添い、写真を撮ったが、あの時は何も感じなかった。
でも、今は違う。
たぶんこれは、隣に居るチェギョンの所為。
きっと携帯に写った自分の顔は隠している自分の気持ちを映し出すに違いない。
それを知られる事を自分は恥ずかしく怖いと思っている。
自分の気持ちをチェギョンに気付かれたくなくて横を向いてしまった。

シャッター音にハッとしてチェギョンへと視線を向けた。

「お姉さん、撮れた?」

嬉しそうに女官の所に駆けて行くチェギョンとは違い、女官達は今撮った画像を見て固まってしまっている。

「お姉さん撮れた?

携帯がチェギョンの手に渡る。
その画像を見た途端、チェギョンの満面の笑みが消えていた。
自分をきつく睨み付け、頬を膨らませる。

「何これ…シン君!どうして横を向くのよ!」
「一枚撮ったんだからもういいだろう。早く返せよ」
「こんなのは撮ったって言わないの!」
「横を向いていようが、写ってるんだ文句ないだろ?」

チェギョンの怒りに一瞬ひるんだが、撮り直せと言われる前にチェギョンの手から携帯を取り戻そうと手を伸ばした。
不満そうな顔をしながらも、チェギョンは伸ばした手から逃げると素早く携帯のボタンを押し、何かをし始めていた。

「待って!」
「おい!何してるんだよ勝手に触るな!」
「いいから待っててよ」

掴まえようと伸ばした手をチェギョンは簡単にすり抜ける。
踊るように伸ばした手から逃れ、得意気にチェギョンは笑う。

「できた…はい」

不満げな表情はいつしか自分がドキッとする笑顔に変わっていた。
一瞬、文句を言う事も忘れ、チェギョンを見つめてしまう。
手の中に戻された携帯を気にする事もせず、見つめる自分をチェギョンは僅かに首を傾げ、不思議そうに見上げた。

「シン君…?」

その声に慌てたように携帯を開く。
待ち受けの画像がさっき撮った画像に替えられていた。

「お前、なに勝手に替えてるんだよ」
「いいじゃない。私の携帯にも送ったからんだ。お・そ・ろ・い!」
「なに?冗談じゃない」
「時々チェックするからね。勝手に替えたら承知しないんだから!」

片手を腰に当て、もう片方の手でシンの鼻先を指差し念押ししてくる。

「あ、あぁ…」

チェギョンの気迫に押され、思わず返事を返してしまった。
チェギョンは満足気な笑みを浮かべると女官二人と腕を組み、自分の部屋へと戻って行く。
軽やかに歩くチェギョンの背中お見送り、溜息混じりで自分の部屋に戻った。
ドアを閉じ、そっと向かい側のチェギョンの部屋を窺う。
チェギョン達の姿が見えない事を確かめて、閉じた携帯をもう一度開く。
ディスプレイに映るチェギョンの笑顔に思わず笑みが零れた。

「チェギョンの奴、すごい笑顔だな…仕方ない、替えないでいてやるよ…」

その時撮った写真。
今もそれは変わらずシンの携帯の中で笑っている。
そっと指で撫でるも、その姿に温もりを感じる事ができない。
動く事のないチェギョンの笑顔はシンの胸をキリキリと締め付けていく。

携帯を開く度に映る写真を見ながら、シンはチェギョンに電話を掛けるべきかどうかを悩んでいた。
一週間、掛ける事が出来なかった電話。
日に日に酷くなる寂しさに耐え切れなく会いたいと言ってしまいそうで怖かった。
チェギョンは電話を掛けて来ない自分を怒っているかもしれない。
もしかしたら、掛けて来ない事に、もうなにも感じてないのかもしれない。
電話の向こうのチェギョンはいつも笑い、明るく話す。
態とそうしているのか、自由になった事に喜び新しい生活を楽しんでいるのか…。
自分一人が取り残されたようで堪らなかった。

電話をするか…?
何を話す…?
元気にしてるか?
ちゃんと食べてるか?
本当はそんな事どうだっていい、お前に会いたい。
今すぐ抱きしめたい。
こんな事、言ったらお前を困らせるよな…。

シンは月を見上げた後、目を閉じた。
何度も同じ思いが巡る中、シンは決心したように携帯を開く。
数回の呼び出し音の後に待ちわびたチェギョンの声。

『シン君…?』

甘く優しい声。
一瞬にして心臓を鷲掴みされる愛しい声。

『電話、待ってたんだよ…』
「ごめん…」

その声に自分の中の想いが一気に溢れ出しそうになる。
『会いたい…』そう言い掛けて、その言葉を呑み込んだ。

「電話、掛けられなくてごめんな…」
『ちゃんと掛けて来てくれたから許してあげる…』
「元気にしてるか…?」
『うん、元気にしてるよ…』

他愛のない会話。
本当は言いたい事が沢山ある。

空を見上げ、シンは心の中で呟く。

“会いたい…”何度この言葉を呑み込めばお前に会える…?どうしたら、お前を抱きしめられる…?寂しくて堪らないんだ…。

(別れ)15

チェギョンがマカオに来てからひと月余り経っていた。
チェギョンは大使館の紹介で博物館の学芸員として働き始めていた。
博物館には韓国語を話せる女性がいたため、言葉にはそれほど苦労する事はなかった。
明るく人懐っこい性格のお陰でチェギョンは周囲の人達とも直ぐに打ち解け、片言の英語やポルトガル語で会話をするほどにまでなっていた。
仕事をする傍ら、熱心に博物館の展示品の歴史などを勉強をするチェギョンに、一緒に働く人達は不思議そうに訊ねる。

「熱心ね。どうしてそんなに勉強するの?」

興味深げに訊いてくる同僚の視線を避け、チェギョンは暫く考えてから答えを返す。

「ある人の為に勉強してるんです。その人の役に立ちたくて…」
「ある人って、恋人…?」

まさか韓国の皇太子が夫とも言えず、チェギョンは『恋人になるのかな…?』と苦笑いを浮かべた。



「アルフレッド、今日も掛かって来ないのかな…?」

胸に抱いたアルフレッドを見つめ、チェギョンはポツリと呟く。
二人の電話は決められたものではなく、毎日のようにどちらかが電話をする時もあれば、数日掛けない時もあった。
そして、ここ数日シンからの電話はなく、チェギョンは携帯を見つめ溜息を吐く日が何日も続いていた。

今日も掛からないのかと諦めかけ、ベッドに横になった途端に携帯が鳴り出す。
飛び起き、急いで電話に出たものの、いつもと様子の違うシンの声に不安がよぎる。

「シン君、何かあった…?」

ユルがイギリスに戻った事は既にチェ尚宮から聞かされていた。
それ以外に言い難い事が起きたのだろうかとチェギョンは心配になった。
廃妃の言葉が脳裏をかすめる。
嫌な思考が心臓を早くする。
チェギョンは唇を噛み締め、シンの次の言葉を待った。

『チェギョン…もし、僕が皇太子を辞めたと言ったらどうする?』
「えっ…?どういう事?」

廃妃の事ばかりを気にしていたチェギョンにとって、シンの言葉は耳を疑うものだった。
誰よりもシンは皇太子に相応しい、皇帝になるべき人だと思っていた。
誰かに何かを言われて皇太子を退いたのか…。
もしそうなら、それは自分の所為、自分のした事が結果シンを追い詰めてしまった。
そう思い、チェギョンはまた唇を噛んだ。

『父上が皇帝を退くにあたり、皇太子を辞めたいとお願いした…』

シンの父であるヒョンが皇帝を退いた事はチェギョンもチェ尚宮から聞かされ知っていた。
だが、シンが皇太子を退いた事は知りもしない事だった。

「シン君が辞めたいと言ったの…?」
『ああ…僕が辞めたいと言った。それで姉さんに皇位を譲った』
「どうして相談してくれなかったの?」
『お前が反対すると思ったから…』
「私の所為ね…私の所為でそうするしかなかったんだね…」
『違う。お前のせいじゃない。僕が自分で決めた事だ』
「でも…」
『父上達も理解してくれた。姉さんも…だから、お前は自分を責めたりしないでくれ』

自分を責め、罪悪感にさいなまれるチェギョンにシンは優しく言葉を掛けていた。
この事を口にしてから幾度となくシンは説得をされていた。
継承権第二位であるユルが継承権を剥奪された事もあり、シンが皇太子を降りるとなると皇位を継ぐ者が居らず、その席が空位となってしまう。
それにより、色々な問題が起きる可能性もある。
それはシンにも分かっていた事だった。
それでも皇位を退きたい。
シンの意志は強く、気持ちが変わる事はなかった。

新たな継承者をとの意見が持ち上がる中、ヘミョンが皇位を継ぐという意思を表明した。
王族会の中には反対する者も少なくなかったが、国民の皇室に対する不審を払拭するには女王誕生もやむなしとの事となった。
議会もこれを承認し、ヘミョンへの即位が決定した。

シンが皇太子を降りるにあたり、ヘミョンからある条件が出された。
『皇位継承権を放棄しない事』というものだった。
これは、シンの皇太弟復位も可能だというものだった。
この条件を呑まなければヘミョンは即位しないと言った為、シンはこの条件を呑まざるしかなかった。

継承権を放棄しなかったシンは、宮中から出る事はなく、大君として姉ヘミョンを支える事になった。
即位決定から暫くの後、ヘミョンは女王の座に就いた。
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(別れ)14

事件からひと月後、ユルと皇太后ははイギリスへ戻る事になった。
イギリスへ発つ日、ユルは皇太后と共に宮中を訪れた。
非難されるのを覚悟での参内だった。

皇太后の参内を聞いた王族会の重鎮達の中には皇太后の行為は決して許されるものではなく、参内する事さえ賛成できないとの声もあった。
だが、太皇太后の『最後になるかもしれないのです。孫との別れを悲しむ事も許されないのですか?』との言葉に王族会もこれを渋々了承する事になった。

二人の参内を聞き、皇后は心情的に会うのは無理だと太皇太后ならびに皇帝に自分の意思を伝えた。
太皇太后も皇后の心情を察し、皇帝も皇后の意思に沿い二人に会う事はしなかった。
太皇太后とヘミョンが参内する二人と会う事になった。

「あなたのした事は許されることではありませんが、これからの事を思うと胸が痛みます。体を労わり、心穏やかに過ごされるように…ユル、離れていてもあなたは私の孫。その事を忘れないように…」
「はい…お祖母さま…」

非難されるのを覚悟していた皇太后は思いもよらない太皇太后の優しい言葉に涙を流した。

「ありがとうございます。太皇太后陛下…」



その日、シンはユルが参内する事を知っていたが、あえて会わないほうがいいと思い太皇太后の部屋に行かなかった。
実際、行ったところで二人を前にしてどんな顔をすればいいか今の自分には分からなかった。
シンも全てを許せたわけでもなかった。
こうなってしまった二人を哀れだと思う気持ちもあったが、全てを許せる程、自分は寛大でも大人でもない。
シンなりに色々考えた結果、会わない事が一番いいだろうと思っていた。

お前は会わない僕に何て言っただろうな…。

テラスのベンチに座り、シンは空を見上げた。
きっとチェギョンがここに居たら自分を怒っていただろう。
『もう会えないかもしれないのに、どうして会わないの?』と、自分を無理矢理にでも正殿に連れて行ったに違いない。
結局、自分は大人になりきれていないのだと、シンは苦笑いと同時に溜息を吐いた。

「シン…」

背後からのユルの声に驚き、シンは立ち上がるとその声のほうに顔を向けた。

「ユル…」

思ってもみないユルの訪問にシンの顔は戸惑いを隠しきれないでいた。。

「来ていたのか…」
「ああ…今日、イギリスに戻るよ」

ユルは穏やかな笑みを浮かべシンの傍までやって来ると東宮殿の中を見回す。
静かな東宮殿 ユルもまたチェギョンの事を思っていた。

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『ユル君!』

静かな東宮殿、自分を気にするように掛けてくれた優しい声も笑い声も聞こえて来ない。
自分を迎えてくれたチェギョンがここに居ないのをユルも改めて感じていた。

あの笑顔を僕がここから消してしまった…。

ユル自身もチェギョンが海外に行かされるなど想像もしていなかった事だった。
愛した女性を結果的に追い詰めてしまった事を今更ながら後悔してしまう…。

「チェギョン、どうしてる…?」
「ああ…元気にしてるよ。今、博物館の学芸員として働いてる…」
「そうか…」

チェギョンは大使館の紹介で博物館の学芸員として働き始めていた。

「すまない、シン。全て僕のせいだ…」

ユルの言葉にシンは、どう答えていいか分からず黙ってしまう。

「チェギョンが一日も早く帰ってくることを祈るよ」
「ああ…」
「もう行くよ…ここにはもう来る事はないだろうけど…元気で…」
「ああ…お前も元気で…」

差し出されたユルの手を握り返しシンは少しの笑みをユルに返した。 

(別れ)13

卒業式が滞りなく終わり、教室での担任との挨拶が終わると、卒業生達は外に出てそれぞれの別れを惜しんでいた。
翊衛士に守られながら、校舎から出てきた途端、別れを惜しんでいた卒業生達はそれを忘れ、最後の制服姿のシンをカメラに収めようと一斉にカメラを向けていた。
校庭はさながらアイドルの撮影会と化していた。

公用車の前に立ち、イン達と話すシンの手には二つの卒業証書がしっかりと握られていた。



卒業式後、校長室から出てきたシンに美術科の担任のパク・ソナが声を掛けた。

『イ・シン、ちょっと来なさい』

『イ・シン』教師にそう呼ばれたのは高校に入って初めてだった。
皇太子として扱わない彼女に一瞬驚きもしたが、シンは素直に従い誰も居なくなった三年の美術科の教室に連れて来られた。

『そこに座んなさい』

指された席に言われるまま座り、何げなく机の上に視線を落とした。
落書きだらけの机の絵には見覚えがあった。
確かめるかのようにシンは目の前のソナを見上げた。
シンの言いたい事に気付いたソナは静かに頷いた。

『そう…そこはシン・チェギョンの机よ…』

視線を机に戻し、シンはそっとその机を撫でた。
様々な絵の中にはチェギョンと思われる似顔絵があった。
その横には『シン・チェギョン、夢は世界的なデザイナー!』と書かれており、その言葉にシンの胸がチクリと痛む。
そして、自分に似ている怒ったような似顔絵の横には『意地悪シン君!』と書かれているのを見つけた。
ここで沢山の事を夢見ていたチェギョン、自分はそれを取り上げてしまった。

『イ・シン、あんたには怒ってるのよ』

ソナは机の上をコツンと叩き、そう言いながら、シンの目の前の椅子に座る。
その目は真っ直ぐにシンを見ていた。
そしてそれは、言われて当然だった。

『はい…』
『チェギョンは私の大事な生徒。本当なら、今日あの子はここに居るはずだった…』
『彼女がここに居られなくなったのは僕の所為ですから怒られて当然です…』
『分かってるんだったらいいわ…気付いてないのならぶん殴ってやろうと思ってたのよね』

拳を握り、殴る真似をするソナを見ながら、シンは苦笑いを漏らした。

『気付くのが遅すぎましたが…』
『気付いたのならやり直せばいい、今からでも遅くはないでしょ?それと…これ、あの子に渡してやって…』

差し出された卒業証書、それを受け取り、シンは立ち上がると教室の中を見回す。
壁に貼られた学級目標の宇宙征服に気付く。

『彼女は…チェギョンはいつも笑ってましたか…?』
『…この教室の中でいつも笑ってたわ…そして、一番騒がしい子でもあったわね…』 
『そうですか…』

宮の中でもそうだった。
いつも笑っていて、騒々しい。
だがいつしか、その笑顔も見れなくなっていた。
そうしてしまったのは自分。
幼く、意地を張っていた自分の所為。

チェギョンの笑顔を守りたい。
いつも笑っていられるように、いつも幸せでいられるように…。

シンはチェギョンが書いた机の落書きを見つめ、手にしていた卒業証書を強く握った。

ソナはそんなシンを静かに見つめていた。
いつも見掛けた皇太子はどこか冷めていて高校生らしくなかった。
でも、ここにいる皇太子は普通の高校生の顔をしている。
氷の皇子と呼ばれた皇太子の氷を溶かしたのは他の誰でもないシン・チェギョンなのだとソナは嬉しくなる。

静かに立ち上がり、ソナは頭を下げた。

『皇太子殿下、あなたにチェギョンを任せます。どうか幸せにしてやってください…』
『はい…』
『皇太子殿下、ご卒業、おめでとうございます…』
『ありがとうございます…』

顔を上げたソナはにこりと笑い、それにつられるようにシンも笑みを返した。

『あ、それから…これって、王族に対する侮辱罪になるのかしら?』
『いいえ…』
『そう、良かったわ。一瞬、牢屋行きかしらって焦っちゃったわよ』

屈託なく笑う彼女に一礼し、シンは美術科の教室を後にした。
廊下に差し込む柔らかく暖かな日差しはチェギョンを思い出させる。 
その手にしっかりと卒業証書を握り、シンは温かな日差しに包まれながら廊下を歩いた。



「ちょっと、そこの三人!」

人だかりの中、翊衛士の腕の隙間から顔を出した三人がイン達に声を掛ける。
いち早くギョンがその声に気付き、ガンヒョンに笑顔を向け手を振る。
相変らずのギョンの様子に呆れた笑いを浮かべながら、シンは近くにいた翊衛士に声を掛けた。
中に入る事を許可された三人を恨めしそうに見つめる女子生徒の中、特にガンヒョンはにこりともしないで四人に歩み寄ると、手を差し出した。

「カメラ返して」

差し出された手にカメラを返そうとしたギョンから、シンはそのカメラを取り上げると、中のテープだけを抜き取った。

「ちょっと!それチェギョンに…」
「チェギョンに送るんだろ?だったら僕から送る」

そう言い、カメラだけがガンヒョンの手の中に戻されると、シンは待機していた車に乗り込んだ。
車のドアが翊衛士によって閉められる直前、シンは僅かに口角を上げ、フッと笑うとそこにいた六人を見回した。

「それにしても、全員が同じ大学だとはな…」

偶然にもそこにいる全員が同じ大学となった。
だが、そこにチェギョンはいない。
不意に訪れる寂しさに、シンの表情は一瞬曇る。
まるで寂しさを知られるのを拒むように、僅かに開けた窓からはシンの表情全ては見て取れない。

「じゃあ、大学で…」

そう言い窓が閉められると、シンの乗った車は高校を後にした。



数日後、チェギョンの元には一枚のDVDが届けられた。
卒業式のあと、ガンヒョンから掛かって来た電話。

『ごめん、チェギョン…テープ、皇子に取り上げられたのよ。多分、皇子から送られてくると思うけど…』
「シン君が?」
『チェギョンには自分から送るって言ってた』
「そうなんだ…分かったわ。ありがとう、ガンヒョン」

本当に送られてくるんだろうか…。
そんな心配の中、届けられたDVD。
だが、箱の中はDVD一枚のみでシンからの手紙などは入っていなかった。
期待に胸を躍らせたていたチェギョンはがっかりしながらもDVDをパソコンにセットする。

セットしながら色々な事を考えていた。
もしかしてシンの事だから、自分の気に入らないものはカットしてあるかもしれない。
そうなると、ほんの少ししか映ってないかもしれない。
それとも沢山の女の子に囲まれている映像だったらどうしよう。

そんな思いの中、チェギョンは映し出される映像を待った。
最初に映し出されたのは、スラリとしたシンの背中。
カメラにチラリと視線を送ったあと、自分の席に座ったシンはカメラの方を向こうとしない。

『シン、チェギョンに何か言えよ』

そう言うギョンの声を無視して、シンは相変らずカメラと反対の方を向く。

「どうしてカメラを見ないのよ…」

カメラはシンの顔を写そうと移動するものの、シンは目を伏せてしまい、その顔はきちんと映される事はなかった。

「もう…」

パソコンの前でチェギョンは頬を膨らませ画面のシンを指で弾く。
卒業式でもなんとかカメラはシンの姿を撮ろうとするが、なかなか上手く映し出される事はなかった。
唯一、卒業生代表で壇上に立つシンの姿はカメラにきちんと映されていた。

「あっ…」

パソコンに映し出されたシンの顔にチェギョンはそっと指で触れる。

【この三年間、僕は…】

傍で聴きたかったな…。

シンの凛とした表情に苦笑いを漏らす。
ドキドキとしてしまう表情は、画面を通しても強烈過ぎるほど強烈だった。
きっと、生で見た女の子達は、ますますシンのファンになってしまったに違いない。

「カッコ良すぎないようにって頼んだのに、カッコ良すぎだよ、シン君…」

卒業式のあとも数分間カメラはシンを追い掛けていたが、卒業式の卒業生代表の挨拶以外、きちんとシンの表情が分かるものはなかった。

「シン君の馬鹿…楽しみにしてたのに…」

切れてしまった映像にチェギョンは唇を尖らせて怒りる。
溜息を吐きながら、DVDを取り出そうとした時、終わったと思っていた映像がまた映し出された。

「えっ…?」

映っていたのは東宮殿のシンの部屋だった。
半分照れくさそうに半分困ったような顔をしたシンが映っていた。

『チェギョン、怒ってるよなきっと…ビデオ、全然映ってないって…』
「分かってるなら、どうしてちゃんと映ってくれなかったの?」
『どんな顔して映ればいいか分からなかった…カメラマンがあいつらだし…な…』

そう言ったきり、次の言葉が見つからず、シンの視線は空中を漂う。
何かを言おうと、不安げに彷徨った指先がシンの隣に置かれた何かに当たった。
シンはゴホンと咳払いをした後、その指が触れた物をカメラに向けた。
それはチェギョンの卒業証書。

『お前の卒業証書、預かって来た…』

その後の言葉が見つからず、シンはまた黙ってしまう。
チェギョンは愛おしそうな目で画面に映るシンの姿を見ていた。

『上手く言えないな…こんな時、何て言えばいいんだろう…元気にしてるか?なんていつも言ってるしな…慣れない事はするもんじゃないな…』

シンは苦笑いをした後、溜め息を吐いた。

『とにかく、チェ尚宮の言う事をちゃんと聞くんだぞ。いいな?じゃあ…』

シンはそう言った後、小さく呟いた。

『本当はお前に会いたい…』

消え入りそうな小さな声。
けれどカメラはその声をしっかり収めていた。
その言葉にチェギョンの胸は締め付けられる。

「シン君…確かめなかったの?全部聞こえてたよ…シン君、私も会いたい…」

映像が終わる直前のシンの気持ち。
その気持ちを聞いたチェギョンの目からは涙が溢れ出した。

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