のんびり親父の午睡

東日本大震災・・・復興へ!復興へ!・・・被災地の皆さん、頑張れ・・・

書き忘れた日記!

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 亡き母の思い出の一つに、サツマイモの茎の煮物がある。
 当方の子供たちが幼かった頃であるが、蕗のない季節に一生懸命に廊下で新聞紙を広げて皮をむいている母の姿を思い出した。
 
 一見、蕗の筋を取っているのかなと思いきや、サツマイモの茎の皮むきをしていた。
 
 「おばあさん、何をしているの??」と聞くと
   母は、「蕗のない季節だが、サツマイモの茎が結構美味しいん   よ!!」と答えた。
 
 食べてみると、蕗に似た食感があった。当然、蕗とは味が違うが食感は非常に似ている。
 ご近所のご婦人が、何時もサツモイモ作りで余った茎を当方の母の求めに応じてくれていた。今も、ご近所のご婦人の思い出話でもある。
 
 さて、今日白州町の道の駅で偶然にも「サツマイモの茎」を販売していた。早速、母の味を思い出した!!
 指先が黒くなりながら、新聞紙一杯にサツマイモの茎の皮だらけとなった。
 
 
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 調理方法(聞きかじりである!!)
 
 ①茎の皮をむく。
 ②1回湯でこぼす。(あく抜き)
 ③茎を5〜6cm位に切る。
 ④鍋に水を茎がしたる程度にいれる。
 ⑤本だし・・・適量
   みりん・・・適量
   醤油 ・・・適量(薄味か濃いめの味かにより・・・お好みの味に)
   豚肉 ・・・適量
   油げ ・・・1枚
   砂糖 ・・・適量(お好みで)
   唐がらし・ 少々
 
 
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  一晩おくと、味がしみ込み美味しくなる!!
 
 
 
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 亡き母が作った「あの素朴な味」には程遠いが、何となく亡き母を思い出して食べた。 つくし、わらび、蕗、さつもいもの茎等々・・・亡き母の思い出が一杯である。  あの素朴で美味しい味は・・・当方では無理か!!

過去への追憶!!

 
 
 お盆さんが近づいた!!
 お墓の掃除をしておこうと、久しぶりに墓地を訪ねた!
 誰一人も参拝者もいない! 多分、直前には皆さん墓掃除にいらっしゃることだと思う。
 
 この墓は、亡き母が現在の自宅に入居して間もなく、墓を造った。
 大谷石を墓の周辺に使い、墓標は黒っぽい石である。
 出来たての時期には、大谷石が実に映えて亡き母を満足させた。
 
 あれから35年が経過した。
 その間に、故郷から父・叔父・祖母・兄等の遺骨を取り寄せて、現在の墓地に移した。そして、母が新たにこの墓地に埋葬された!!
 墓標に新たな文字が刻まれている。
 
 墓地をくまなく見て回った。傷みが大きくなってきている。大谷石特有の脆さである。亀裂が入り、一部が欠損している。
 亡き母の思い入れの深い墓地である。春・秋の墓参り、お盆の墓参り、そして何事かあると亡き母は必ずこの墓に報告していた。花は、自宅での自ら栽培して育てた花が主で購入することは余りなかった。
 
 
 今度は、当方が墓を守る立場となった。
 亡き母の思い入れの深い墓である。一気に大改造することはどうかと思い返して、とりあえず自分で亀裂個所や欠損した場所を補修することとした。大谷石は造りたての時期は、凄く落ち着いた雰囲気のある石で、母が選んだだけはあるなと感心していたが、脆いのである。
そのまま放置しておくと、どんどん欠損していく。
 今日は、思い切って自ら補修することとした。
 速乾性のセメントを余分に購入してきた。水はペットボトル6本にいれて、バケツと鏝(こて)を準備して墓地に再度出かけた。
 あちこちと補修していると1時間が経過してしまった。
 今回は、とりあえずの応急補修で13回忌か17回忌に、全面改装しようと思う。
 
 今年もお盆さんが近づいた!!
 当方にも、孫が2人できた。孫たちと墓参りしようと思う!!
 
 
 
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 当方の母の実家の次男坊は、当方より5歳ほど歳上である。
 何事にも取り組む面白さを持った当方には有難い存在の兄貴であった。
 春休み、夏休み、冬休み・・・何時も何時も実家へ何泊もしてこの兄貴と遊んだ。いや!わざわざ弟分として遊んでくれたのかも知れない。
 鬼ごっこ、ざりがに採り、フナ釣り、セミ・とんぼ採り、夏祭りの灯篭づくり(神社の祭りで自作灯篭の品評会もあった。)・・・水田の草取り、畑の手伝い等・・・何でもこの兄貴にくっついて回った。今思えば、大変に煩わしい弟分であったはずである。
 鶏を飼ったり、いろんな野鳥も飼っていた。また、そんなことが大好きな兄貴であった。
 兄貴が「めじろ」を1羽飼っていた。四角い鳥かごに入れて、自分の机の近くにぶら下げていて上手に餌をやり飼いならしていた。
 ある日、兄貴の友人たちと「めじろ採り」の話になり、枝を1mほど切ってきて飼いならした「めじろ」の鳥かごを持参し、近くの山へ出かけた。
 結構「めじろ」等の野鳥がいて、山中のあちこちに「カスミ網」が仕掛けてあったが、兄貴たちは鳥かごの「めじろ」を囮にして「めじろ」を採るんだと意気込んでいた。ある絶好のポイントを見つけて、囮の「めじろ」の鳥かごを木の枝にぶら下げた。そして仕掛けとして、この鳥かごの近くに持参した枝に鳥もちを付けて、この枝を止まり木にして採る仕掛けであった。
 仕掛けが完了すると、少し離れた場所(鳥たちに気づかれず、仕掛けが見渡せる場所)に隠れて、ひたすら待った。
 うまくいった場合と仕掛けにかからずに失敗した場合があったが、わくわくしてその瞬間をじーーっつと待った。
 
 よく遊んだ!!よく遊んでくれた!!
 めじろ採りは、その中でも最高の楽しさがあった。
 こんな時には、野生のイチゴや木の実を採っては食べた。
 
 昼食に、家人が留守で作ってくれる人がいない場合には、兄貴が「ふな焼き(?)」と称する物を上手に作った。これは、小麦粉を水で溶かして練り、フライパンで焼くだけのもであったが、これが美味いのである。勿論、食べざかりの小学生等にとっては素朴ではあるがこの「ふな焼き」がとてもとても美味しい物と思えた。
 
 
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               映画「フラガール」から
 
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 今から8年ほど前に、兄弟会の旅行で「常磐ハワイアイン・センター」へ出かけた。
 
 かっての常磐炭坑との関連についてはいささか承知していたが、実際に行ってみてその華やかなステージや大型の娯楽施設は到底想像することはできないほどに賑やかである。
大きな流れるプール、ジャンプ台、大型のステージ、関連する施設でも温泉の種類の多さ、夕方から始まるハワイアイン・ショー等々とスケールの大きな娯楽の殿堂である。
帰路は、塩屋の岬、小名浜漁港等と見学しながらの楽しい旅行であった。
 それから3年後に、地元映画館で映画「フラガール」を鑑賞した。
 この映画は、昭和40年本州最大の炭坑・常磐炭坑での大幅な人員削減が迫り、かっての基幹産業としての隆盛は見る影もなくなってきたそんな町を救うために、この北国に「楽園ハワイ」を作り上げるという一大プロジェクトが持ち上がり、目玉のフラダンスショーに炭坑に育った娘達がフラダンスを学び、常磐ハワイアン・センターの誕生を支えた人々の奇跡の実話・感動の映画化であった。
 この映画を鑑賞した当方は、楽しさや懐かしさや感動で大いに泣けた。
 だが、当方の育った炭坑は、当時(昭和35年頃)日本最大の規模を誇り、最新鋭の機械類を使ったビルド鉱であったが、炭鉱事故は残念ながら繰り返されていた。父も炭坑事故死(当方が満2歳の頃)、父の代替え採用で母は選炭婦として二交代勤務をしていた。
 映画「フラガール」で主演の蒼井優さんの母親役である富司純子(ふじすみこ)さんが演じた選炭婦としての映画で見る仕事風景は、亡き母からすると大違いである。選炭婦とは、母の話では掘り出されたばかりの石炭がベルトコンベアで次々と流れるように運ばれてくるが、このベルトコンベアの両側にずらりと選炭婦が立ち並び、品質の高い石炭と品質の劣る石炭(ぼた)とに選り分ける作業で、大変な肉体労働であったらしい。夜半にクタクタに疲れて帰宅する母の姿をおぼろげに覚えている。
 
 
       選炭作業風景
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 昭和30年代の半ばからのエネルギー変革により石油が産業の主体ともなり、石炭は斜陽産業ともなっていくこととなった。
この当時は、当方の中学生時代であり、毎日繰り返される引っ越しが苦い想い出として蘇る!!
当方の親しい友人一家が千葉県へ移住した。いつしか炭住は1戸1戸と引っ越し、空き家が非常に目に付いた。このあたりの状況が、映画「フラガール」でも引っ越すシーンが印象的に映し出されている。石炭産業の衰退が痛感させられた!!
 近年、故郷から従兄弟がここ山梨に来たが、当方の住んでいた炭住は更地化されて当時の想い出は皆無となっているようである。
 今回は、映画「フラガール」の舞台ともなった福島県の常磐炭坑に関わる常磐ハワイアン・センターでの印象と当方が青年期を過ごしたイメージとダブリ、あえて取り上げたくなった部分でもある。
 これも故郷への思いかも知れない!!
 
 
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 平成23年11月17日に、選炭作業風景画像を追加した!!
 スキャナーという機器を入手できた結果、過去の未整理の写真を整理していく中で発見した貴重な画像である。母の言葉通り、ベルトコンベアの両側に大勢の選炭婦が並び、品質の高い石炭と品質の劣る石炭(ボタ)とに選別していく作業である。
 

故郷の思い:パート1

 
 当方の故郷は、九州の有明海に面した炭坑と漁業(海苔)の街である。一頃は、石炭コンビナードとして石炭を柱に、石炭を活用した工業地帯であった。
 市内を流れる主流は、七色川とも言われるほどに工場廃液で汚染されていた。空はどんよりと曇り、空から煤煙が降りそそぎ、それが当たり前のように感じて育った。
 しかし、海は日本一の干満の差が大きく、引き潮で延々と何キロも海底を見渡すことができる。
 小さいころから潮干狩りは大好きな遊びでもあった。
 アサリ、赤貝、たてがい・・・名も知れないいろんな魚介類の宝庫でもあった。沢山のあさりを採ってきては、母が佃煮や味噌汁等に調理してくれた。
 当方の親戚は、半分が炭坑マンで半分が農業(主に米作り)と漁業(
海苔の養殖)で生計をたてていたが、当方の冬休みは大半が海苔づくりの手伝いをしていて、製品にならない海苔を沢山いただいては、母が海苔の佃煮を作ってくれていた。
何時も食卓は、海苔と海苔の佃煮がメインである。味噌汁は、あさりの具が多かったが母の作る味噌汁は一味も二味も違い美味しかった想い出が一杯である。
 有明海は、晩秋から初春にかけては海苔の養殖用の網で埋め尽くされていた。中学生のころ、親戚のポンポン船(デーゼルエンジン)に乗っては、沖に出かけて潮が引くのを船中でおにぎりや餅を炭火で焼いては食べながら待機していた。潮が胸のあたり以下ともなると、胸まであるゴム長靴を履いては、冷たい海に飛び降りる。ゴムの手袋をはめて、養殖用網から海苔を千切り採る作業は大変である。
 いつしか潮が引き、海底が見えて海底を歩く。この間に、海苔が満載ともなり、ポンポン船に積み込む。また、潮が満ちてくるのを待つ。
潮の引く時間や満ちてくる時間によっては、夜半に川縁の船付場に帰ってくる。深夜になることも、よくあった。
 このポンポン船、懐かしい想い出が一杯である。青春の多感な時期でもあった。廻りは大人ばかりであるが、大人の会話にはついていけない。背伸びして、発言しても笑われるばかりである。だが、話の輪に入っていくことが何となく自分自身が大人になったように感じた。
ポンポン船の狭い狭い船内で、みんなが肩を寄せ合い一時を過ごす。
作業の合間の短い時間ではあるが、おにぎりを頬張り漬け物を食べて
は話題に花が咲く。
 この頃の海苔は、有明海苔として都会では評価の高いものであったらしい。海を眺めながら、遠くの島原半島の雲仙を眺望できた。
 「故郷は遠くにありて思うもの」・・・いろんな想いが凝縮されているように思える。

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