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闘病記

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                         屋上ガ−デン
愛と青春の日々? “闘病記”

 5.一冊の大学ノ−ト

早ければ一週間で退院も!
と言う考えは最初の2,3日でくじかれた。
痛み止めを飲まないと眠られず、食事が出来ない日々
点滴と投薬、検査が続くもなかなか改善されない日が続く
異常に上下する血糖値
6日目には手の湿疹が治らず、皮膚科にも通う
薬のせいか吐き気やめまいも
相変わらず口の腫れはひかない。
唯一の楽しみはテレビ

腫れが治まり、しこりがなくならないと抜歯も出来ないと医師は言う
同室の患者さんは4人替わり一人だけがはじめからのGさんのみとなっている

8日目ようやく痛みがなくなる
腫れはまだひかないが、待望の普通食にしてもらう。
ただ流し込むだけの食事から噛む食事への転換はそれだけでも感激もの
ようやく快方に向かっている実感が゜湧く
9日目で点滴終了
12日目に原因と思われる親不知の抜歯
15日目ついに退院
暑い夏の日のまばゆい太陽を浴びながらタクシ−で半月ぶりの我が家に生還を果たした。

あれからもう一ヶ月以上があっという間に過ぎ去り、
秋の心地よい日が癒してくれる日々を満喫している
体力も日常生活も元に戻り、悪夢のような日々が遠い昔のようになりつつある

いま、一冊の大学ノ−トがそのすべてを記録にとどめている
苦しくつらい日々のことを
主治医のW医師をはじめ多くの医師や看護師の皆さんのこと
同室の苦楽?をともにした仲間たちのこと
屋上ガ−デンをはじめ病院のすみずみのこと
勿論、世話になった点滴や薬、検査機器のこと
三食のこと(すべて完食した!)

今振り返ると、医師の誤診や素人診断の危うさ、
医学の進歩と未だに克服されない病気との熾烈な戦い
健康の大切さ、ありがたさと人間の幸福とは・・・・・
改めて考える機会を図らずも与えられたように思いました。
皆様も、健康で!ご安全に!
                        《完》

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愛と青春の日々? 《闘病記》
4,過酷な戦い

思いもかけず入院となった日から戦いが始まった。
“左軟口蓋蜂窩織炎”・・・ホウカシキエン
これが正式な病名
悪玉細菌の感染により口の奥が異常に腫れ、ひどい痛みを伴うもので
原因菌はいまのところわからないらしい
当面原因を特定するために検査をしつつ
対症療法を点滴と投薬により施すもの
なるべく鎮痛剤は控えたほうがよいと思ったが
耐え切れず服用することにした
食事や睡眠のほうが大事という考え方
痛みは大きなストレスになるので無理せず痛め止めに頼ったほうがよいとの考えのようだ
食事はおかゆに細かく刻んだおかずを噛めないので流しこむだけ
それでも一食も欠食しなかった
痛みさえなければなんと平凡な日々だろうと思うような毎日がそれから続くこととなった。

同室の患者は結構外科の患者が多く、重傷の人が多く、
それに比べれば程度が軽いともいえ、ほっとした
自分に比べ、高齢でありながら、ガンとの戦いを強いられている人たち
最近は何の抵抗もなく?ガンの告知をするようで、
その点に関しては進歩したものだと感心させられる一方
本人の苦悩が伝わってくるような気もして複雑な思いで付き合うこととなった
医学が進歩したといってもまだガンは最大の敵であることは
未だに特効薬が開発されないことでも明らかで
患者の苦闘は続いている
ここではほとんどが開腹手術のようであったのでなおさらで
それをまのあたりにしたした思いだった

それから一週間ほどでようやく快方に向かうこととなった。
                               <続く>
愛と青春の日々?

 “4・5日ブログが運営できなくなってしまい、ようやく復旧しました。”

引き続き「闘病記」を

      3、 痛みよさらば!

  入院にあわせたかのように左の頬は異常に腫れだし、痛みが次第に増してきました。
  その日から、点滴と投薬の日が続くことになったのです。
  食事は主治医の判断で流動食、一日1,500kcal
  痛みで噛めないながらも食事だけは義務として口に流し込みました。
  できるだけ痛みをこらえるようにしていましたが、
  医師も看護師も痛め止めの服用を勧めるので、結局そうすることにしました。
  薬の副作用よりも、痛みをこらえることの苦痛とストレスによるリスクのほうが怖いというのがその  理由でした。
  X線 CT MRI 血液 尿と検査を次々と行うことになりましたが、
  蜂窩織炎の原因についてはなかなか判明せず、原因菌もわからない状態が続きました。
  抗生物質の点滴による投与のほか血糖値の改善のための経口薬など食事をはさんで
  薬との戦いのようでもありました。
  幸い、血圧や体温はほぼ正常で、少しでも異常がでれば即対応してもらえましたので、
  安心してベット生活が出来たと思います。
  それにしても、病院の管理は総てがコンピュ−タ−によるシステム管理で、医師は勿論、
  看護師の巡回も総てワゴンによるパソコンと一体化しているのには驚かされました。
  症状の説明から検査の画像まで個人情報の総てがアナログのカルテからデジタル化しているのは
  一面怖い感じがしたものです。
  余談ですが、私が退院直後に大停電がありましたが、危機管理についての不安がないこともないよう  に感じました。
   そんなわけで、入院当初は原因究明と対処療法が中心で、入院日数もどんどん増えていきました。
  仕事のことも、レジャ−のことも、次第に気にならなくなり、
  病気との戦いに集中できるようになっていきましたが、
   それはたぶんに同室の患者諸氏によるところが大だったように思います。
   なぜならば、自分の病気などは比較にならない過酷な戦いを強いられていたのですから。
                                      <続く>   

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愛と青春の日々?

 2 青天の霹靂(その正体とは)
  それは突然の、予期せぬ出来事でした。
  先生の口から出たのは、すぐ入院の必要があるというものでした。
  口の奥の痛みは半端ではなくなってきていました。
  考えられるあらゆる手順を踏んで入院したのはその日の3時でした。

  たかが歯周病ぐらいと考えていたのがこんなことになるとは
  まさに青天の霹靂とでもいうぐらいの思いがけないことで
  甘い考えは木っ端微塵となってしまいました。

  早速検査が開始され、血液と尿をとられました。  
  その日は鎮痛剤の投与で痛みを和らげる一方
  抗生物質の点滴が開始されました。
  
  6人部屋の一番入り口に近いベットが指定席となりました。
  同室の患者は皆年寄りで、外科の患者さんが多く、重傷者が多いようでした。
  そのころは、左のほほが異常に腫れてきて痛さもあり、口を開くのも大変でしたが、
  何とか挨拶をしてベットでの長い生活に入ったのでした。

  長い梅雨が明けかかり
  夏本番を前にして、
  不快さと暑さとの世界から図らずも逃避することになったのです。

  正確なことは検査の結果が出てからといいながら、
  ドクタ−は病名を「蜂窩織炎」と教えてくれました。
  ???
  どこかで聴いたような
  
  ここから本当の戦いが始まることになりました。
  まさか半月も入院するとはそのときまったく考えてもいなかったのです。
                                    (続く)

  お盆休みのピ−クを迎え、全国で最も花火大会の多い季節です。
  東京湾と宮島のニュ−スからいただきました。
    
  
  

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今日は不肖私めの○×才の誕生日ですので<番外編>とします。
毎年御巣鷹山の日と同じ日が誕生日なので(当然ですが)毎年お祝いは控えております。
それでもいろいろな方からお祝いをいただきましたので、お礼を言わせていただきます。
本当に有難うございます。
これまで゜生きてこられたのも皆様のご支援のおかげと感謝申し上げます。
今日は当地は大変な雷に見舞われ、東京湾の花火大会は延期となったようです。
そこで、いただいたお祝いと花火を添えてで感謝の意を表したいと思います。
皆様に幸多かれとお祈りいたします。

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