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矢沢綱頼(頼綱ともいわれる)は真田幸隆の弟、昌幸のおじさんにあたる人物です。この矢沢城はその綱頼の本拠の城であったといわれる場所で、背後には矢沢支城も控えています。矢沢綱頼という人物は、とくに沼田城の攻略戦、それを奪還しようとする北条氏の攻撃をかわす防衛線で名を上げた人物で、真田の一門として重く用いられました。二人の兄、信綱、昌輝を失って期せずして真田家を嗣ぐことになった三男坊の昌幸にとっては、誰にも代え難い「頼りになる叔父貴」であったことでしょう。関ヶ原後、昌幸は九度山へ配流となり、昌幸の嫡男、信幸(信之に改名)が松代城に移って近世松代藩の祖となるのですが、その際にも矢沢氏は無役席(家老職より上の別格扱い)として千四百石を知行し、事実上のナンバー2として君臨します。そのすべての礎が綱頼にありました。 と・・・・・・・ある・・・ 矢沢の殿様が無役席の扱いという事は?? すげ〜な 御先祖様! ちょっと調べてみうみよう 今年開く松代の総会は 成功させなくては!!!!!
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御先祖様
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コメント(1)
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おじいさんは上田出身と聞いていた べつに気にもしていなかったのだが・・・ おじいさんが弱々しくなった時 妙に僕を都合良く呼ぶようになった まぁ・・いいか・・と・・・・ そして おじいさんにいろいろ話をしてあげようと 一人で殿城にお墓参りに行った 墓守の小平のおじいちゃんに会ってお話を聞いた 心を込めてご挨拶したら いつかこんな日が来るとまっておりましたと・・・・・ 良泉寺にお伺いし お話を聞き もう1塔のお墓に案内していただき御挨拶させていただいた そして....歴史の紐解きが始まった ソレまでは・・・親戚一同集まると 真田の家老? 十勇士じゃね〜のか?とか 猿飛がいいだの 霧隠がいいとか 根津がいいだの好き放題のおばかちゃんであった
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矢沢城 埋もれた古城 矢沢城の石垣<<2002年11月06日>> ... 今に見る矢沢城はこの頃に作られ、戸石城 とともに真田郷の外郭線防御の一翼を担ったと考えられる。 ... この際に、矢沢城には 矢沢三十郎頼康ら城兵八百が立て籠り、依田源七郎ら千五百の徳川の攻撃を退けた。 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Nagano/Yazawa/index.htm 歴史に興味の無いおじいさん 親父 まわりに聞いた事だけで中身の無い話がいっぱいだった ある日親父が 墓に行こう 墓守してもらっているじいさんに挨拶にいこうよと言った 大体の場所はわかるという????? あっちいって・・・こっちいって・・・・ やっと探し出した墓守のおじいさん 御挨拶してお墓に・・・・・ 現在 城跡に行くには郵便局前からだが 昔はそこは水路だったとまわりの方々から聞く お墓横の道からが本道で 城下に土地を与えられたとのこと その場所が 現在のお墓 確かにこちらからのが近いし楽だ(笑 真田の御家老様とは聞いたのはこのときが初めて。 親父とお墓にだけご挨拶し帰って来た 参勤交代で都内にもお墓があるらしい どうやって調べりゃいいんだ??????? |



