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  忙殺される毎日を送っていると、自分の仕事について
  真剣に考える余裕もなくなってくる。

  特にエンジニアという職業はその傾向が強い。
  で、流されるままに仕事をこなし、気づいたときは・・・。


自分の場合、転職活動を始めたことが仕事と向き合ういいキッカケになった。
で、自分のキャリアをしっかりと見つめ直し、何を目指すのかをハッキリさせようと思った。

まず、最初はスペシャリストかゼネラリストかを自分に問うてみた
まあ、ここまで読んで頂いた皆さんならお分かりだと思いますが、私の場合、幸か不幸か
チームリーダー経験豊富なエンジニアだったので、その双方の良いとこ取りをした
プレイングマネージャーという役割で立ち回れる立場を目指そうと考えた。
プログラマーとマネジメントを両立できれば、と考えたんです。



次は目指す業界。
でも、こちらはハッキリ言ってどこでもよい。
こだわりは無し。

最後に、自分自身のエンジニアとしての経験。
今まで、UNIX系、オープンソース系ばかりを扱ってきたので、
できれば同等の環境で仕事を続けたいとは思う。

とまあ、転職に関してはこんな感じで考えたわけです。



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  ISPでの仕事はそれなりに充実していましたね。
  色々なシステム開発に携われたし、何よりも若いうちに
  プロジェクトマネジメントの力を身につけることができた。

  それに、人間関係だって良かった。
単純に労働環境だけを見れば、凄くいい職場だったと今でも思っている。


でもね…やっぱり大手企業で人間がたくさんいるわけで、
旧態依然とした体質はなかなか変わらないもので…ね。
何よりも新しいことにチャレンジしようという気概が社内に感じられなかった
でも、傍観していたわけでなく、私だって色々と提案してみたりしました。
たとえば、新しいインターネットサービスの企画案など。
でも、会社の事情ですべて通らず・・・。


一言で言うと、固かったんです、会社が。

不満を感じながらも妙に居心地の良い職場に甘えながら時は過ぎ・・・気づくと2004年に
自分の歳も三十路を過ぎると妙に焦りを感じるようになる。

自分の市場価値ってどうなんだろう?
このままで良いのか? 埋もれてしまうぞ
刺激が足りない・・・

結局、もっと上を目指したチャレンジがしたいと思い、2004年の暮れごろから、
ゆっくりと転職活動を開始したんです。



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  以前、私の性格を「飲み会の会計などを任されるタイプ」と表現したかと思います。
  実は、私の仕事のスタイルもその性格がモロにあらわれています。

  なにせ新入社員時代から、なぜかシステム開発のチームリーダーを
  任されていたので・・・。


マネジメントするのも社内の人間だけでなく、外注先などさまざまでした。

私自身も、自分の性格をよーく理解しているつもり。
ろくにプロジェクトを管理できないリーダーを見ていると、ついつい
「何やっとんじゃ、ワレ!」(広島の怖いお兄さん風)と、どつきたくなってくる。
だって、そうでしょ。
まともにスケジュールすら立てられず、納期を平気で破る奴が多いこと多いこと。

私の仕事に対する信念のひとつに「必ず納期を厳守する」があります。
あと、「チーム運営を大切にする」もあるかな。
そんなことを考えているせいか、実は新卒で入社したISPではあまりプログラミングせず、
マネジメントを考える時間のほうが多かったような。
まあ、大学院の研究室でもそんな感じだったし。

でも、そんな業務スタイルが転職では結構セールスポイントになったわけで。
続きます。



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就職後は大手ISPで、様々なシステム開発プロジェクトに参画しました。
とはいえ、前回ちょっと触れたように、入社後はいきなり
2000年問題の対応で追われまくりの毎日ですよ。

1999年12月31日からトラブルに備えて待機しているわけです。

監視するのは、お客様のサービスを支えるシステム全体。
何かあれば、すぐに対応できるように徹夜態勢です。
ひどいときは月の残業が150時間を突破


2000年問題に追われだした1999年あたりは、各種ソフトウェアのバージョンアップや
OSのパッチあてなどで休みなしで働いていた記憶しかない
若い方は経験したことないんだよなぁ・・・いや、本当に羨ましい。
それと一番たちが悪いのは会社オリジナルのプログラム群、しかもドキュメント一切なし
これの対応に一番時間をとられて大変だった。
そのおかげか、少なくとも自分に関連するものに関しては、
なるべくドキュメントを残そうとする癖がついたのでそれだけはよかったかも。

あとITバブル・ドットコムバブルの影響もそれなりにはあったと思う。
しょっちゅうサーバーやルーターを増設してたので。



日本は日付変更線に近いうえ、コンピュータやネットワークの規模がかなり大きいので、
ある意味先鋒としてはぴったりの役回りといえるだろう。
だから、何かあれば迅速に対応し、世界中のサービスに報告することができる。
まあ、そんな大げさなことを考えて仕事していたわけではないんだけど、幸い問題は起こらなかった。

でも、社内の小さなプログラムに問題が発生し、一応2000年問題の影響を身近に感じることができた。
とある書類作成プログラムの対応漏れで、日付表示が19100年になっていた
極限に疲れた状態でこの表示を見たときは、さすがに笑ってしまった。


まあ、大変だったけど短期間に色々と学ばせてもらったし、本当に良い経験になったと思っている。
今、振り返ると、良い思い出です。



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  私の小学校高学年〜中学校時代に、ちょうどファミコンブームが
  最高潮を迎えました。
  そう、私も例に漏れずどっぷりとファミコン少年やってました。


外で遊ぶ時間よりゲームしてる時間の方が長いわけです。
当然勉強もせずに長時間ゲームをやっていると親はいい顔をしません。



そこで、私は将来コンピュータで食ってく人間になるんだから、
これはそのための準備だなどと生意気な屁理屈を言ってました。


実際、将来はゲームプログラマーになれればいいなあと漠然と考えていたので、
嘘から出た真というか、屁理屈からでた真(?)的に今のシステムエンジニア寄りの
方向に人生が進むことになりました。


で、高校・大学・大学院の専攻は、エンジニアっぽく情報工学一本。
高校時代に情報処理技術者第2種を取得。
まさに、エンジニアになるための道をまっすぐ歩んできたわけです。
ちなみに、TOEICは620点。日常的な会話くらいならなんとかいける。

もともと、インターネットに興味があったこともあり、大学・大学院の研究室では
SunOSなどのUnixサーバーを管理していました。
大学院時代にそんな研究に没頭していたため、卒業後はインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)に
就職することに。ようやく大都会東京へ辿り着いたわけです。

当時(1999年頃)は、インターネットが急速に普及し始めていたうえに、
IT業界自体がてんやわんやの大騒動に巻き込まれていました。
そう、いわゆる2000年問題の前夜だったわけです。
このあたりのお話は次回に。



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