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写真、甲子園球場で阪神が試合に勝ったときの、 風船飛ばしの瞬間です。 大阪にプロジェクトで長期出張(また缶詰にされた)してたときに、 今までまったくファンじゃなかったのに影響されて、 にわか阪神ファンになっていました。 あの盛り上がりに参加するのはとても面白いですね。 転職しようと思った理由はいろいろな要素が絡み合っていますが、 簡潔に言いますと、「同じ会社で自分が働いている姿を想像できないこと」、 および「将来への不安」でした。 「同じ会社で自分が働いている姿を想像できない」についてですが、 旧態依然とした企業経営をしている会社だったので、 上司がそうであるように、自分が中間管理職として、 部門間の調整に駆けずり回っている姿をどうも想像できませんでした。 とはいえ一生ITコンサルタントとしてやっていくのも、 体力的に非常に厳しいことはわかりきっています。 また、コンサルティング業界出身者がよく言う話ですが、 顧客の利益と自社の利益が一致しないことが多く、 コンサルティングという仕事に対して 「価値を残していないのではないか?」との疑問が頭から離れませんでした。 結局コンサルタントは顧客の利益よりも、 プロジェクトを大きくすることが評価されがちな世界だからです。 もちろん、自社の利益と顧客の利益が一致したときの喜びは、 とても大きいものがありましたが。 次に「将来への不安」についてですが、 まず、私はシステム会社でITコンサルティングを6年半やっていましたが、 最後の年で年収は500万円弱と労働時間に比べて給料がとても安かったです。 ITコンサルというと給料が高い印象がありますが、私のいた会社は、 職種によって給料が違うわけでなく、みんな同じ給与水準でした。 会社の経営状態も古いビジネスモデルから脱却することができないせいで、 2000年対応特需(かろうじて30歳以上のシステム業界の人ならわかりますかね?) 以降はずっと赤字続きの状態で、客観的に見ても、 給料を上げることもできない状態であったと思います。 また、マネジャーになると残業代がつかなくなり、 先輩より後輩の給料が高くなる逆転現象が起きることもしばしばで、 社内でステップアップしたとしても、将来の収入面で、 非常に不安を感じざるを得ない状況でした。 独身であればなんとかなりますが、もしうっかり結婚できてしまった暁には、 家族で野球チームを作るのが夢なので、どんなビンボー生活が待っているのか、、、と。 古いビジネスモデルから脱却できないことや、将来の給与への不安からか、 私の同期の社員も3年目以降から結構やめていき、 6年たったころには半分まで減っていました。 特にショックだったのが、優秀だと思える同期の社員ほど、 早く辞めていったことです。 「優秀な人間は早く見切りをつけられるのか」と思いました。 かといって、自分の力で会社を変えることは非常に困難であるのが明白だったので、 仕事自体は面白かったものの、私は 「なるべく小さい会社で、役に立てる職種」をキーワードに、 新たに転職活動を始めました。 次回からはその一回目の転職活動についてお話したいと思います。 |
[転] ITコンサル
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ITコンサルタントから導入コンサル・プリセールスを経て社内SEへ。試行錯誤の転職日記です。
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タイトルどおり、最初の企業にいたときは とても忙しい日々を送っていました。 たまの休みでも、遊びに行く際に友達の車の中で、 ノートPC叩いてることもありました。 なにが楽しくてそんなに仕事してるのかという話ですが、 忙しくてもプロジェクト毎にまったく違う業界・業務を 知ることができて、仕事は常に楽しかったです。 主に会計とサプライチェインマネジメントのプロジェクトに従事することが 多かったのですが、コンサルティング部門の規模が小さかったため、 ありとあらゆる案件に携わりました。 ITコンサルティングというと華やかなイメージを持たれるかもしれませんが、 1週間朝から晩まで顧客企業の伝票をPCに入力したり、 システム導入後サポートのために毎日2時まで電話の前に張り付いていたりと、 華やかなイメージとは裏腹に、泥臭い仕事もこなさなければならないときがあります。 地方の顧客も多かったので出張も多く、隔離された片田舎の工場に 1ヶ月間缶詰にされたり、半年地方都市のホテル暮らしをしたこともあります。 上の写真は片田舎に缶詰にされていたときの宿の写真です。 出張費の関係で、仕方なくその純日本風の宿に泊まっていました。 一度、とても仕事が忙しかった時期に、 朝ふっと気がついたら玄関に座ったまま寝ていたことがありました。 久々に早めに仕事を終えて同僚と酒を飲み、家にたどり着くまではよかったのですが、 玄関に座って靴を脱いでる時に、そのまま違う世界に旅立ってしまったようです。 体力の限界に挑戦する日々でした。 結局この会社には6年半いたのですが、辞めるときは プロジェクトマネジャーとして仕事をするようになっていました。 仕事は面白かったのですが結局、転職を決意しました。 次回はなぜ転職考えた理由についてお話いたします。 |
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私が大学を卒業した年は1999年。就職氷河期の真っ只中でした。 当時はまだ、Windows vs Macの状態で、結構マック使ってる人がいました。 かくいう私もマック使っていまして、一生懸命それで就職活動していました。 ちなみに私の持っていたマック君は爆弾マークのエラーが、 立ち上げるたびに現れるようになってしまったため、廃棄してしまいました・・・ 大学は文系でしたが、ITコンサルタントに憧れを抱き、 畑違いのITコンサルティング業界を目指しました。 しかし、就職を甘く考えていた私には、就職活動は凄惨を極める結果でした。 結局、夏まで就職が決まらなかったのですが、運よくその時期に内定をくれた、 社員1500名程度のシステムインテグレーターに行くことにしました。 そこは主にシステム開発と運用をやっている企業ですが、 小規模ながらITコンサルティングもやっているということでした。 就職した後は、4年間で基本情報処理技術者から始まり、 ソフトウェア開発技術者、システムアナリストと ITコンサルタントがよく持っている資格を一通り取りました。 資格を取ってみてわかったのは、経験のない資格を取るのは難しいけれど、 経験がある範囲の資格は比較的簡単に取れるということです(当たり前ですかね)。 当時私はほとんどシステム開発に直接かかわった経験がないため、 ソフトウェア開発技術者の試験までは時間をかけて勉強する必要がありましたが、 一番難しいハズのシステムアナリスト試験については試験の傾向を研究し、 ケーススタディ(自分の過去の経験を記述する)を整理するだけで受かってしまいました。 資格試験ってなんなのかなあという気になっています。 あ、ただ、転職活動において資格は書類選考 および面接でのアピールポイントになるので取っておいて損はないと思います。 就職した当時、外資のシステムコンサルティング会社の影響を受けて、 たくさんの日系のシステム企業でITコンサルティングをはじめている時でした。 私の就職した企業もコンサルティング事業を立ち上げたばかりでしたが、 ネームバリューがない会社で取れる仕事は厳しい仕事ばかり・・・ という次回お話するようなとても忙しい6年半を過ごすことになるわけです。 |
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ご縁があってこのブログを書かせていただくことになりました。 一言で自己紹介させていただきますと、 メタボリックが気になり始めた社内システム屋(31歳独身)です。 あまり感情が顔に出ないため、人からは「感情がないですね」と 言われることが多いですが、それは顔に出ないだけで、 実は結構ドキドキしてたり冷や汗かいてたりします。 ポーカーフェイスなだけで「冷たい人」というイメージがあるようですが、 そんなことないと信じてますボクは! 世の中のポーカーフェイスと言われる人たちも、 きっと内心はドキドキしてると思います。 がんばれポーカーフェイス同士! さて、そんな私の趣味はスポーツです。 ちなみに上にある写真は早朝の湖です。 暖かい間はよく週末ここで朝ウェイクボードしてます。 ウェイクボードって意外にお金かかるんです。一回行くと総額8000円くらい。 でもすごく気持ちいいんですよ。 この日記では (1社目)中規模システムインテグレーターで、6年半のITコンサルティング (2社目)小規模のベンチャー企業で、パッケージのプリセールス+導入コンサル (現在)中規模医薬系ベンチャー企業で、システム企画・導入(社内SE) という2回の転職遍歴についてお話しようと思います。 どうぞよろしくお願いします。 次回は最初の就職についてお話したいと思います。 |



