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今が、ますます幸せだと気がツクには395号
武田勝頼土佐の会の縁
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今が、ますます幸せだと気がツクにはシリーズは、メルマガを通して
私とのご縁のある人が、ますます幸せになる為に、
いろんな情報を、お届けしています
しかも、情報をお届けするだけでなく、読者の皆さんに
具体的に幸せになれる手段、ご縁を提供するつもりですし
一人でも、多くの皆さんを、新しい時代、ユビキタス社会に
お連れすることを、目標にしています
また、その為に、最新のビジネス情報もお届けしますが
それだけでなく、皆さんが、究極の幸せになれるために
すべての魂を癒す。あるすごいエネルギーも、届けています
是非、よろしかったら、読者になって下さい
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前号、394号、高遠(高遠城)饅頭済度で
7月8日、9日、黒鳥山公園食事済度として
長野県(信濃)伊那市(伊那郡)の高遠饅頭を
武田家、諏訪家の御霊を思って
一緒に食べたこと、ご紹介しました
そうしたら、7月9日の夜
23時48分、南国高知県から
志士を多く誕生させた土佐藩、山内家から
長宗我部元親が活躍していた400年前から
風林火山の風、武田家の風が吹いてきたと
皆さんに言いましたが
その風とは、武田勝頼土佐の会の風でした
というのも、その日の晩
2009年7月9日 23時48分
岡林誠さんからメール頂いたのです
それは、最初は、本当に簡単なメールでした
一部を引用させて頂きますと
「私、岡林と申します。
たまたま、ホームページを検索していて
タイトル「武田勝頼の復活」
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/232ennohana-9.htm
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/232ennohana-10.htm
のサイトを発見しました。
この記事を書かれた方とコンタクトを
取りたいのですが可能でしょうか?
記事に書かれた内容に関する資料を当方は持っているのですが
貴殿のサイトには、こと細かに書かれており、驚いております
知りたい情報がいくつかございます。
どうか宜しくお願い致します。
岡林
というものでした
それで、俺は、早速、翌日の7月10日
6時47分に返事をしました
「岡林様、メールありがとうございます
「武田勝頼の復活」
見て頂いてありがとうございます
記事は、縁の花を書いている私
菊こと岩谷正が書いたものです
なので、遠慮せず
聞きたいことがあったら
聞いて下さい
私で、お答えできることは
お答えしたいと思います
岡林さんとご縁が持てて
いつも、ますますツイテル岩谷正より」
また、同時に、俺は、嬉しかったです
何故なら、武田家のことで
メールを頂ける人は、そんなにいませんが
いえ、殆ど、いませんが
結構、ご縁が繋がります
きっと前世、武田家の縁で
つながっているからなのか
末永く、ずっと縁が持てて
前世武田勝頼の母とはもう10年くらいになりますし
他にも、黄桜さんとも5年以上
勝頼の姪とも3年以上
ご縁を頂いています
武田家のことで、連絡したら
ご返事を頂けるのです
だから、俺は、岡林誠さんとのご縁も
いい、御縁になることを願いました
心の中で、武田家の御霊に、ご報告して
岡林さんの縁が、繋がることを願ったのです
また、岡林誠さんからも
7月10日 8時47分に
ご返事頂きましたが
それは、驚く内容でした
今まで、俺が、前世、武田勝頼として
活動していたことが
180度、変わってしまう
仰天の重要情報だったのです
引用させて頂きますと
「縁の花御中
岩谷正さま
メールの返信をありがとうございます!岡林でございます。
私も縁が持てました事を感謝致します。
武田勝頼が土佐で没して今年で400年という節目にあたり、
四国の武田家の子孫達、同族会で400年記念イベントを行う予定です。
貴殿の書かれておりました、記事には長宗我部氏との関わりも書かれておりましたとおり
土佐には、甲斐武田と、信濃の血筋の者が早くから広く活躍しており、
勝頼が天目山では自刀せずに、群馬〜今治(愛媛県)に行き、そして土佐に落ち延び
良い半生を送りました。
ですが、勝頼は己が武田勝頼である事は口外してはならないと決めて、
以降、大崎八幡宮の神官だけが25代目、昨年まで隠して参り、
昨年公開をする事に至りました。系図と史跡、宝物、奉納物や年代などの整合性など博物館の館長様も驚かれる程のものが残っております。
また、夫人と共に広めた玄蕃まつり、玄蕃おどりが残っております。玄蕃太鼓もございます。
関ヶ原にも参戦した様なのですが、そこの辺りの資料は不明で、インターネットで検索しておりましたら
貴殿のサイトに辿りついた次第でございます。
これは何かの良いご縁だと思い連絡をさせて頂きました。
今年は8月22日に武田勝頼400年祭【夏の陣】
10月10日武田勝頼400年祭【秋の陣】(こっちが本番)
諏訪の勝頼の母君を祀られている観音院からも住職様が法要に来られます。
諏訪の観音院には3つでセットの三観音の一つ、3つでセットの手鏡の1つが昔から欠けておるのですが
その内の1つづつが全て、土佐の大崎八幡宮と観音堂には400年以上前より祀られており。
400年の時を越えて謎とされてきたパズルが急速に揃いつつあります。
また今後とも宜しくお願い申し上げます。
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武田勝頼土佐の会メールマガジン
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というものでした
武田勝頼は、1582年3月11日、
織田軍によって、天目山で妻や子供の信勝と自殺
これにより信玄公依頼、戦国最強
と言われていた武田氏は滅亡したと
俺自身、前世、武田勝頼としての記憶は
まったくありませんが
そのことは、一度も疑ったことはなかったので
本当に驚いてしまったのです
ただ、俺自身、岡林さんから
武田勝頼土佐の会のホームページ
ご紹介して頂いたので思い出しましたが
武田勝頼土佐の会のホームページは
つい最近、一度か、二度、インターネットで
武田勝頼で検索した時に
たどりついて、見たことがありました
確か、2年ぐらい前までは、検索した時には
武田勝頼土佐の会のリンク
ありませんでしたが
去年から、武田勝頼で、検索したら
上位の2番に出てくるのです
なんだろうと思って、見た記憶はあるのです
しかし、その時は少し見て
武田勝頼は、実は、土佐で生きていたという説に
驚きましたが、とても信じられなかったので
深く見ようとはしませんでした
前世武田勝頼だと、信じている俺にとっては
武田勝頼が土佐で、生きていたというのは
明智光秀は、実は、家康に仕えた天海だったとか
豊臣秀頼は、島津家で、生きていた
上杉謙信公は、実は、女性だったというような
歴史のミステリーとして
いろいろ紹介されている面白い説で
すませられる問題ではなかったのです
しかも、正直に言えば
武田家を滅亡させた張本人の武田勝頼が
天目山で亡くなった多くの家臣を
犠牲にして、土佐でおめおめと
生きていたという話です
心情的にも、受け入れることはできませんでした
いえ、何よりも
俺は、皆さんに、お伝えしたように
天目山で亡くなった武田勝頼は
御霊、霊になって
上杉景勝公の正室、菊姫の背景にツイテ
戦国の世が終わるのを見届けたと
今でも、本気で信じているので
とても、武田勝頼土佐生存説は
信じられなかったのです
でも、それは、きっと
それだけの理由ではなく
今から思えば、武田家の御霊達の配慮
願いだったと思います
何故なら、俺が、その時に
関心を持って
武田勝頼土佐の会にメールして
ご縁を持っても
素直に、その情報を
天からのメッセージだと、素直に
受け入れることはできなかったと思います
だから、武田家の御霊達は
武田勝頼土佐の会の皆さんから
岡林誠さんから
一番適切な時期に
ご縁を頂けるようにしていたと思います
それまでは、俺からは
武田勝頼土佐の会の
ホームページの存在は知らせても
詳しく見ないようにして頂いた
関心は持たないように
仕向けられていた
そんな気がするのです
なので、俺は
武田勝頼土佐の会のご縁を
素直に受け入れることにしました
その説を頭から、否定するのではなく
検証は、専門家の人々に任せて
俺自身は、そうかもしれないと
まずは、認めることにしたのです
だって、今までも、前世の記憶が、まったく無い俺が
前世、武田勝頼として、いろんな活動を
することができたのも
武田家済度をさせて頂けたのも
すべて、武田家のご縁を
素直に受け入れたからです
それは、必要な御縁
武田家の御霊のメッセージ
天からの願いだと
感謝して
何よりも、武田家、諏訪家の御霊の
成仏、供養、済度されることを
願ったからです
ですから、俺は
岡林誠さんに
失礼のないように
武田勝頼土佐生存説を
否定しないように
これからも前世、武田勝頼として
ご縁を持たせて下さい
というような内容のメールを
送信したのです
『岡林様、メールありがとうございます
御縁に感謝です
また、岡林さんに紹介して頂いた
武田勝頼土佐の会
インターネットを通して
知りました
武田勝頼が、土佐で生きていたということ驚きました
北条婦人と一緒に、生きることができた
なんて素晴らしいことだと思います
ただ、俺自身、前世、覚えていないので
何とも言えませんが
いろんな証拠があった上で
信念を持ってしていること
それは、よく分かります
一度、ご縁があれば
土佐で、お会いしたいと思いますが
大阪から、土佐は遠いです
でも、これを御縁に
是非、親しくさせて下さい
よろしくお願いします
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読ませて頂きたいと思います
勝頼が、土佐で生きていたことを知って
いつも、ますますツイテル岩谷正より』
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