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憲法第9条
国会での憲法調査会が終盤を迎えているらしい。憲法調査会が出来たのは5年前だっただろうか。(注:平成12年1月に衆参両院に設置されたそうです)5年前に出来た頃は、結構国民の話題になったのだが、その後、憲法記念日や敗戦記念日の頃に話題になることはあっても、あまり盛り上がった議論になっているとは言い難い。もう少し関心を持たなくては、という反省も込めて、少しこの点について述べてみる。
突然、このことに気づいたというわけではなく、2/25付けの朝日新聞に載った下記の記事を読んで、考えることがあったということだ。記事を再現しておく。
「衆院憲法調査会は24日、5年間の調査を終えるにあたり、『全体を通しての締めくくりの自由討議』をした。(途中略)この日のテーマの一つ、憲法前文について・・・自民党からは『戦後60年たっても相変わらず戦争の反省では夢も希望も無い』・・・」というものだ。
この自民党議員の発言(前後が無いのでこの部分だけで論じる危険性もあるがあえて・・・)を読んで、ちょっと勘違いが甚だしいと思ったのだ。というのも、確かに戦後60年たって相も変わらず、というのは同感、ただその後に続くのは「地球上から戦争がなくならない」という言葉こそ来るべきではないだろうか。第2次世界大戦では地球上の多くの人が悲惨な目にあい、多くの人が亡くなった。だから、二度と戦争を起こさず、あのような犠牲を生まないようにしよう、と考えるのは少なくともあの当時としては当たり前の感覚だったのではないだろうか。
例えば、国際連盟もそのような思いが創った、崇高な組織だ。勿論、国同士の力関係や矛盾があることは分かる。でも、地球から戦争をなくし、人類皆が教育を受け、満足な食事を取れる、普通の生活が出来るようにしようという、その理念は少しずつだが前進しているのではないだろうか。長くなるから、ここで展開はしないが、EUという考え方も同様だと思う。
実は、日本の憲法も国連とかEUとかという人類の叡智の具現化だったのだ。日本は二度とあんな悲惨な戦争は起こさない、という決意がどれほど素晴らしいことか。どちらが正しいということは置いといて、戦争ではかならず子供が犠牲者だ。親を失い、教育は受けられず、食事も満足に取れない。場合によっては、怪我をしたり、死んだり、病気になったりする。そして、最悪の場合、人を殺す子供兵士となる。別に彼らは人を殺したのではない。喰うためにそれしか選択肢がなくなるのだ。その原因は戦争。
そういう現状を鑑み、日本が憲法で不戦を叫ぶことは、日本だけが戦争をしない、ということではなく、地球上の皆が戦争をしないということなのだ。思想とはそういう普遍性を持っている。そういう、日本国憲法も憲法前文も決して「夢も希望もない」などというものではない。むしろ、夢と希望そのもの、つまり、この地球から戦争をなくそうという夢と希望だ。
どうして日本人はそういう憲法を誇らないのだろう。どうして、戦場に金を人を送ることで誇ろうと思うのだろう。「人を殺すことは絶対の悪だ」ということが人類の基本的な定理だとすれば、憲法第9条は正解だ。
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