旋火輪 senkarin

「作品名しりとり・3」やってます。書庫からどうぞ。

昔のこと

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土日の記憶

・・・

今、曜日の決まった仕事をしているわけではないせいもあるのですが、曜日の感覚というのが薄いです。

子供にしても、学校休日がやたら増えて、土曜は半日=学校があるのに家で昼ごはんを食べるちょっと嬉しい日、とか思わないし、日曜日の開放感の貴重さというのもあまり味わえないんじゃないかなぁ、なんて思います。

これまで生きてきた中で、もっとも曜日感覚を強くしていたのは、テレビの歌番組やアニメに夢中になっていた頃と、週刊マンガを毎週欠かさず5〜6種類読んでいた頃です。
今日はあの番組、とか、今日はアレの発売日vvとかね。


感覚的に強烈な印象があるのは、土曜日に半日で帰宅すると、必ず「松竹新喜劇」を母が見てたことです。

土曜日といえば藤山寛美。だいたい、一緒になって笑ろて泣いてました。



日曜日の朝は、決まってアニメを見てました。たぶんリボンの騎士とかそういうの。

先日、低人さんが「ホテル紅葉」の動画を紹介してくださった折に、こんなCM映像まで残っていて自由に見れるようになってるんだ!!ということに初めて気づいて感動いたしまして、「ひょっとしたら・・・」と検索してみたら期待通りにアップされていたCMがこれです。



日曜の朝といえば、切り離しがたく結びついてる映像と音楽です。

これが始まると目が逸らせないのですが、それは恐ろしかったからです。
なんでこんなマイナー調のCMを毎週日曜の朝に流し続けたのか、謎です。

パルナスという洋菓子屋さん、京都で見かけたことはありません。
だから余計に「洋菓子屋さん」という馴染み深い憧れめいたものではなく、こわいこわいものとして刷り込まれました。

日曜の朝といえばこのCM、というトラウマを持ち続けているかどうかで、かなりはっきり世代がわかってしまう「踏み絵」みたいなCMでございます。


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犬取り

・・・


こどもの頃は、野良犬というのも割とあたりまえにいました。

そして、時々「野犬狩り」というのが行われているということも知っていました。



私が小学生の時の、授業中のことです。


校庭の方から、犬の吼える声がしました。

普通の吼え方ではなく、非常に切羽詰った、悲鳴のような声です。


授業中ではありましたが、クラスのそこここで「犬取り?」「犬取りが来てんの?」という

ひそひそ声が交わされました。


犬の吼える声が気になって、授業どころではないような、浮き足立った感じです。


なんとなくじりじりしていると、私のクラスではなく、隣かどこかのクラスから、

「犬取り、帰れーーーっ!」という声がしました。

校庭の方に向かって、誰かが窓から叫んだのです。


先生も含めて、クラス中騒然となって、窓際に殺到しました。

校庭の中ではなく、学校の敷地のすぐ傍に、犬取りらしいオジサンがいました。


教室から発せられた誰かの叫び声に呼応するかのように、おそらくは体育の授業かなにかで

校庭に出ていた生徒たちが、いっせいに「犬取り」に向かって、

「かわいそうやっ!」「犬取り、帰れー!」「逃がしたれ、どっかいけ!!」と大声で叫び始めました。

石つぶてを投げつける生徒までいました。


もちろん先生はやっきになって止めにはいりましたが、

一種の集団ヒステリーみたいな状態で収集がつきません。

職員室かどこかから、複数の先生が出てきて、なんとか治めようとしていました。


おそらく我に返ったのだろう、クラス担任も、授業を再開すべく大声を上げました。


しぶしぶみんな席に戻りましたが、外の声は聞こえました。


わぁわぁ言う子供の声に混じって聞こえてきたのは、

「誰も、誰も、好きでこんなことやってるんとちがうわーーーっ!!」

・・・という、犬取りのオジサンの、悲痛な叫び声でした。



なんか、ほんとうに悲しくなりました。

どうして悲しいのか、その時はよくわからなかったのですけど。


犬取り=悪者

という単純なものではないのかもしれない、という、

ワケの分からなさが悲しかったのだと思います。




世の中を、秩序正しく清潔にすべき、という政策に基づいて、

エラい人が紙きれ一枚で指示を出すんですね。

実際にそれに携わる人の心情も、犬と共存してるつもりの人たちの心情も

まったく斟酌も想像もすることなく。

そして、おそらく「何匹捕獲、処分」とかいう数字だけの報告で

「済んだ」気になるのです。


それは、もちろん犬狩りに限りません。

町の浄化とか、極端な話、戦争だってそうなのでしょう。




ほとんど毎日のように、綺麗に並べられた肉や魚を買ってきて食べている人間に、

ことさら犬だ猫だというだけで、命の尊さとかを振りかざすのは偽善にすぎないとは思います。


でも、やっぱり、猫狩りは悲しい。犬狩りは切ないです。

それに直接携わる人のことを思っても、哀しいです。



せめて、そういう指示を出す立場の人が、

どうすれば少しでもこの「かなしい」を少なくできるかを

考えてもらえたら・・・と思います。



毎日毎日、処分されているのであろう、猫たち、犬たち、

なんにもできなくて、ごめんなさい。



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宗教的原体験

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・・・

使い方を誤ったらいけないと思って、「原体験」「原風景」というのを辞書で引いてみましたら、

金田一京助編者代表なる(古いのね)愛用の新明解国語辞典にはどちらも載ってませんでした。

えーん。

しかたなくネット検索してみたら、用例のところに

「原体験って『はらたいけん』って読むんですか?。」

「ちがいます、『はらたいけん』で変換すると『腹体験』になります。」

というのが出てきて・・・なんとなくヘコみました。

ふにゅ。



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私は、生まれて早々に両親が離婚した上、親権者となったはずの母に「やっぱり、いらん」的に

見捨てられてしまったので、ごく幼少期の数年を「親権者の元夫の伯父が養子に行った先」という

私にとってはほとんどワケのわからないところに預けられて過ごしました。


そこの、おじさんは怖くて大嫌いでしたが、おばさんというのは、ほんとにやさしくていい人でした。

私を預かるというのも、今から思えば「ただ」ではなく、父がそれなりのお金を渡してたはずですから、

そうそう粗略に扱うわけにもいかなかったのだとは思いますけど。


そもそもそのおばさんは、家を守ってもらうために、父の伯父を養子にもらったというのに、

そのおじさん、養子に行った先の財産を放蕩で使い果たしてしまったという

とんでもない食わせモンだったのです。

元は大きな家に住まわれていたはずが、私が預けられた時にはすでに長屋住いでした。

それにもかかわらず、よく尽くしてらしたように見えたから、おばさんはやっぱり根がいい人だったのだと思います。




そのおばさんは、熱心な天理教の信者でした。

もともとそうなのか、おじさんの放蕩のせいで入信されたのかはわかりませんけど・・・。



天理教のことは、当時も今もぜんぜん知りません。

でも、そのおばさんの住んでた長屋の二階には大きな神棚みたいなのがあって、

その部屋に、周期的にたくさんの人が集まってこられたのは憶えています。


集まって、何をされるかというと、

子供の目から見て「騒いで踊る」というようなことでした。


今更ながらに気になって、ついさっき調べてみました。


それは、どうやら「てんりおうのつとめ」というもののようです。

(それが行われるのは本部か一般教会、となっているので、おばさんの家は教会化していたのかもしれません。)

「つとめ」というのは、神楽と手踊りであると記載されているのを見て、

自分のイメージがそのまんま正しかったのだと、今日になって初めて確認しました。


たしか、太鼓や鉦や拍子木みたいな鳴り物がありました。

その、鳴り物に合わせて、かなり好き勝手なように踊られるのです。


「・・・親神と一体になる為に・・・・めづらしく、たのもしく、おもしろく、にぎやかしい性質を持つ神楽・・・」
(Wikipedia「てんりおうのつとめ」の抜粋)


・・・まさに、そういうものでした。



普段は、あっぱっぱみたいなテキトウな服を着ているおばさんが、

この集まりの時には、黒い着物をぴしっと着られました。

来られる方々も同様です。


長屋二階のそう広くも無い部屋で、たくさんの人たちが、真っ黒い着物を着て、

手に手に扇を持って鳴り物に合わせて踊る風景・・・。

それは、ある意味たいへん恐ろしくもあったのですが、

雰囲気はぜんぜん張り詰めたものではなく、多分にお祭り的でした。

そして、その怖さと面白さの狭間で、私は、恐らくどこか陶酔していました。


今、もしもその中に放り込まれたとしても、似たような反応をしてしまうと思います。




天理教の教義など、私は調べたことも考えたこともありませんでした。

今になって、その教義の中に「陽気ぐらし」という、

私の中での宗教的ワードとは多少かけ離れた言葉があることを知って、ちょっと驚きました。




その家のおじさんは、放蕩のせいか、早死にしました。

揃って美人だった3人の娘さんは、みなさん堅実な家庭を築かれました。

末の娘さん家族と同居されていたおばさんは、たくさんの孫、曾孫に見送られながら、

先年、95才で他界されました。

呆けることもなく、重く病むこともなく、亡くなる年まで、きちんと達筆な文字の年賀状をくださいました。


宗教のことは解っても、私には「信仰」のことはよくわかりません。

でも、おばさんは、とても正しく「陽気ぐらし」の一生を過ごされたのではないかな、と

私は勝手に思います。




陽気な神楽、舞い踊る黒衣の群集、ひらひらと翻るいくつもの扇。

私の宗教的原風景は、おばさんと過ごした「日向のような日々」と共に、

にぎやかしく、おもしろく、たのもしく、めづらしく、

私の中に、仕舞われています。



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死にたい理由

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・・・

一度だけ、本気で死のうと思ったことがあります。


世の中が嫌になったとか、生きる希望を失ったとか、何かに絶望したとかではなくて、

いや、そもそもはそういう表現をつかっても差し支えない失恋が原因ではあるのですけども、

実際には、失恋そのものがどうこうではなく、

「唯一無二の恋であろうと信じていた恋に失敗した後々も、したたかに生きていく自分のサマ」

を想像するのが、単に嫌だったのです。



自分のことというのは、やはり自分がよくわかっているものでして、

「たぶん、今の時期を通り過ぎれば、私という人はものすごく元気になって、やりたいことも、

やるべきこともみつけて、ぶわっと突き抜けたような、思うとおりの生き方をするであろう。」

と、かなり、容易に想像できたのでございます。


それは、この「大失恋」という純粋に悲しむべき事態に対して、

ひどく間抜けというか、反則というか、

まぁ、許しがたい、忌々しき予感でした。



いかーん。いかんよ、それは。



この、純然たるマジ恋愛に溺れ破れて、悲嘆の底に打ち沈んでいられる「今」

を永久保存すべきではないのかい?モクレン君。



んだんだ。んだねー。



賛成多数により自殺することに決定〜。


・・・・


いや、ほんとに死ぬ気だったんですよー。


でね、すぐに何に思い至ったかといいますと、

「死ぬなら、虫歯の治療しなくていいんじゃん?。」


だったりするんで、リアルに情けないんですけど。



それから、3日間、精進潔斎気分で絶食いたしまして、


浴槽に溢れるほど水を張り、バーボンで睡眠薬いっぱい飲んで


カミソリを持って、浴室まで行き、


さぁ、切りますぞ!!


というところで、どうやらワタクシ失神してしまったようなのです。



目覚めたら、ベッドの中でした。


どうしようもなく嫌な予感がしたという、別れたはずの彼氏が尋ねてきて、

発見してくれました。



たとえ発見してくれなくても、たぶん「うへぇ」とか言いながら自分で目覚めたはずです。

リストカットを併用するつもりで、睡眠薬は致死量にはるかに及ばない量でしたから。



やーーーん。見事に無様にしっぱーーーい?。



んだねー。


んだんだ。



数日後、私は「くっそー、こんなはずじゃー・・」とか思いながら

虫歯の治療をいたしました。



そんなわけで、

予感したとおり、したたかに、ごくあたりまえのように生きてます。



生きててナンボやねー。


んだねー。


んだんだ。

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占いは呪い

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我が育ての母は、

十代で2人子持ちの男と結婚して、自分も早くに2人の子供を産んでますから、

若くして4人の子持ちでした。


それはそれで大変だっただろうなと思います。


でも、お金はあったから、

時には子供や家のことをお手伝いさんに任せて、

夫婦で出かけたりもしてました。



ある時、夫婦で「占い」をしてもらったのだそうです。

どんな種類の占いかわかりませんが、相当昔のことですから、

オーソドックスな「手相・八卦」みたいなやつだったと思います。


その時に、家族全員の名前と年齢、干支、そんなものを書き出すように言われて、

言われるままに、書き出したのだとか。


そうしたら、その中で、

「この子があんたにとって、この先災いになるやろ。」

と、占い師さんは私の名前を指差したんだそうです。


・・・・・・・


この話、小学校低学年のころから、ずっと母に言われ続けてます。


どんな子でも、ちょっとくらいは悪いことします。

反抗期とかいうのもあります。

でも、そのたびに「ああ、やっぱり占いのとおりや。」と

言われました。


私だけ。


たしかに、姉妹の中では、私はちょっと毛色が違いました。

自分で言うのもナンですが、一番アタマはよかったです。

「屈託」というものをずっと引きずってたのも私です。


そんなこと、みんなひっくるめて「災いのもと」みたいな

目で見られてました。たぶん。



実は、いまだに彼女はこの話をします。



彼女が覚えてる(気にしてる)限り、有効なんです。



その占い師さんが、どんな考えで言われたのかわかりませんが、

はっきりとそれは「占い」ではなく、「呪い」です。



母が、笑い飛ばしたり、すぐ忘れてくれたら、発動しなかったはずの、

呪い。

私に、くりかえし言って聞かせることで、

母は私も呪いに取り込みました。



エディプスのように、それを遠ざけようとすることが

逆に災いを引き寄せることにもなりかねず、

精神的に逃れる術は、無いのです。



どちらかが、死ぬまで。




・・・

ふぅ。

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