旋火輪 senkarin

「作品名しりとり・3」やってます。書庫からどうぞ。

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八百屋のキリコ

・・・

NONAJUNさんのところに、「慶應マッサージ」という、言葉の意外な組み合わせによって生じる面白さについて書かれていましたが、それにちょっと関連して思い出したこと。

いつも話題にして恐縮ですが、NHK教育「シャキーン!」の中でたまにやるコーナーに、「面白しりとり」というのがありまして、これはまさに言葉のコラボを楽しむという企画だな!と思っています。

実際に放送されていた例はひとつも思い出せませんが、たとえば、「梯子(はしご)マグカップ」というお題が出たら、それを自分なりに説明した上で、次に「マグカップえんぴつ」とか全く関係ないものをくっつけて相手に返す、という趣向になっています。

ちょっとやってみますね。

梯子マグカップ→マグカップえんぴつ→えんぴつオムレツ→オムレツかなづち→かなづち長靴・・・

とか、そういう具合です。

相手から返された言葉をうんうん言いながら説明する、という場面が可笑しいです。
そしてもちろん、言葉の意外な組み合わせによって発生する面白さには想像外のパワーがあるなぁ、と感心します。



そういう、言葉の組み合わせの意外性ではなく、「ここに、なぜコレが?」なものが存在することで発生する「違和感」が醸しだす面白さと言うのもあります。

わざわざそれを狙って芸術作品にしてしまう人もいますが、日常の中で、おそらく深く意図されずに芸術的ともいえる違和感空間ができあがっている場合には、ひどく困惑しながらも「それ」を感じ取れたこと自体に感動いたします。



以前住んでいた町に、八百屋がありました。
表は八百屋、中は食料雑貨屋みたいな体裁で、そう広くも無いスペースにいろんなものが売られています。
基本は八百屋なので、表でも中でも「らっしゃい、らっしゃーいっ。えー安いよ安いよぉ〜っ。」って威勢のいい声が響き渡ってます。
この近所だけでもスーパーを初め3軒くらい八百屋がありましたから、けっこう競争は厳しそうでした。
店の中でも「特売品!」「一盛○○円!」なんて短冊みたいのがびらびら貼り付けてあって、いろんなものがてんこ盛りになってます。

そんな店の壁に、キリコの絵が掛かっていました。

えー、玖保キリコの絵ではありません(それでも驚きますけど)。

ジョルジョ・デ・キリコの絵です。

イタリアの。

形而上絵画と評され、シュールレアリスムの画家に多大な影響を及ぼした、あの「キリコ」です。

もちろん複製画ですが、一辺が30〜40センチくらいもある立派なもので、しかも金箔の施されたレリーフの付いた額縁入り。

実は、私はその店を利用するようになって、ずいぶんたってから気づきました。
だって、主婦が八百屋に行ったら野菜の状態と値段しか普通目に入らないじゃないですか〜(笑)。

白菜だかジャガイモだかを選んでる時に、ふと目線をあげたら・・・キリコ。

Σ( ̄[] ̄)!ホエー!!

キリコの作品といえば(その代表的な初期のものは)、「見る人を不安にさせる」と言われているのですよ。

なんでここにキリコ?!。

思わず店内を見回してしまいました。

・・・お客さんは誰もここに「キリコ」があることを気に留めてる様子は無いし、店の人にとってはおそらく「あたりまえ」なことなんですね。

金縁のキリコの絵がある、というだけで他はフツーの八百屋風景です。

きゃー。変よ、変!。絶対変だからっ。

その気になって店内を見てみると、大中小、3枚のキリコの絵が飾られてました。



いつか機会があったら、なぜこの店にキリコの初期の絵が3枚も飾られているのか聞いてみたい、知りたい、めっちゃ知りたい!うずうずうず〜〜〜〜って思ってましたが、そんな機会なんか無いうちに、久しぶりに通りがかったら、店ごと消えて更地になってました。



他にも、いつもけだるいボーカルのジャズナンバーが流れてる回転寿司屋さんなんかもありましたけど、八百屋のキリコのインパクトを越える組み合わせには、いまだに出会っていません。




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宗教

・・・

人生B面になって、どこかに引っかかりを残したまま過ごしているなぁと、気持ち悪く感じるのは、自分と宗教との関係・距離感がうまくつかめないままに生きていることです。

たぶん、中途半端に興味を持ってしまったためにワケがわからなくなって、棚上げにしてしまっているせいです。



以前少しだけ書きましたが、私の実母は家庭よりも夫よりも子供よりも宗教を選んだ人でした。

母のことについてはまったく記憶がないので、父経由で聞かされた話しか知らないわけで、実際のところはどうなのかはわかりません。

ただ、少なくとも父の中ではそういう理解をしている、そう理解せざるを得ない女性であったというのは事実ですから、私は実母を「父にそう思わせた女性」として捉えています。

母は、警官に父親を誤って殺されてから、母の母とともにある宗教に傾倒していったのだそうです。
それをおそらく承知で結婚しているのですから、父にも問題があったのでしょう。

父の誤算は、結婚して経済的に安定すれば宗教熱も下火になって落ち着くだろうと思ったことです。

実際は、父が稼いでも稼いでも、お金は妻とその母経由でどんどん宗教団体に寄付されてしまいました。

二人目の子供ができたら、今度こそ(目を覚まして)落ち着いてくれるのではないかと思って意図的に作られた子供が私です。

結果はハズレでした。

私の出生後、間もなく両親は離婚しています。

それを云々するつもりは今更まったくありません。

ただ、その話は私の半身を譲り受けた女性が”そういう人”であったという一種の呪縛のようなものを私に植え付けてはいます。

家庭より子供より優先される宗教のチカラというものの存在は、恐ろしいです。

それを恐ろしいと感じるとともに、それに心底没頭してしまえる従順さと激しさを実の母が持っていたということがまた恐ろしい。いや、恐ろしいという表現とは少し違う・・・清冽などろどろ感のようなもの・・・。相反するものが分かちがたく結びついているために光とも闇とも言いがたい何か。

きっと、それは狂気への嫌悪と憧憬のようなものです。


実の母がそのような人であったことを知る由もなかった幼少の頃から、私は宗教的なものへの関心が強い子供でした。

とりわけ私を惹きつけたのはキリスト教会です。

あの、不思議に蠱惑的な建物の中に入ってみたい。あの空間に身を浸してみたいという欲求を幼稚園の頃から抱いていました。

その欲求は、身近に信者がいるわけでもない家庭にあって満たされるはずもなく、ずっと胸に仕舞っていました。

小学校高学年になって、同級生に教会に通っているという子をみつけました。
即座に私も連れて行って欲しいと願い出て、翌週から日曜学校に通い始めました。
反対すると思っていた父は、「ぜひ行きなさい」と、あっさり許諾してくれて肩透かしを食らったような感じでした。

あこがれの教会は・・・私の思い描いたものとはまったく違いました。
壊れかけたような保育園の一室を借りて、牧師さんが礼拝と日曜学校を開いているという体でしたから。

それでも、聖書の話も賛美歌も、まるで夢心地のように私の中に沁みこんでいくような恍惚感を覚えました。

一緒に日曜学校に通っていたお友だちは、中学に上がる際に教会も「卒業」してしまいましたが、私は一人で通い続けました。

中学3年までほぼ皆勤で通い、高校に入ると日曜学校の年少組のお世話係をする立場になりました。
礼拝も、大人と一緒のものに。

そこで、「ん?」と思い始めたのです。
大人と同じ立場で「教会運営」という話を聞かされはじめると、そこは奇麗事ではすまないあれやこれやがあるわけです。

今にして思えばそれは当然至極のこととわかるのですが、当時の私はひどく落胆しました。

そして、一旦「ん?」と思い始めると、牧師さんの話も他の信者さんの話も聖書も賛美歌もみんな胡散臭く思えて、耐えられなくなり、足が遠のきました。


教会から離れてみると、肩から枷がはずれたような開放感を感じました。

その時得てしまった開放感そのものが、「心の安寧のための宗教ではないのか?」という宗教そのものに対する疑念を私に植え付けてしまったようにも思います。

教会の人、という枷をはずして様々な宗教書を読むと、実にどれもがもっともらしくて、どれもが吐きそうなほど胡散臭いかということがわかるような気がしてしまいました。

宗教さえなければ起こらなかった戦争のなんと多いことか、死なずに済んだ人、滅びないで済んだ文明や文化の多いことか。

それなのに、どうしてもどうあっても人間には宗教と言うものが必要である(ように見える)のはなぜなのかが、私にはわからないのです。


特定の宗教の信者という人の強さに憧れます。
でも、同じくらいその頑なさをどこかで哀れんでしまいます。


宗教というもののカラクリが知りたい。


でも、そのためにのめりこむことはしたくない。いや、絶対に私には出来ないです。
母の血が流れているという恐ろしさが私を押し留めているのかもしれないし、そんなことは関係ないのかもしれないけれど、宗教というのは忌避すべき魅力をずっと放っているモノのような気がします。


そんな矛盾をかかえたまま生きているので、いわゆる普通の日本人が悩まないことでいちいち迷います。

仏壇に手をあわせるのは、どういうことなのか、わかりません。
神社で拝むのも、何に対してどうして拝むのかわかりません。
なぜイスラエルの大工の誕生日を祝うのかもまったくわかりません。
寺社仏閣・仏像神像を美術史の中で捉えようとすれば理解できるけれど、それが正しいことなのかわかりません。
西洋の宗教画も教会建築も、あらゆる宗教美術も、その根に横たわるものを考えるとただただ気持ちが悪いのに、どうしてこれほど美しいのか・・・わかりません。


この、中途半端な距離感が、時にしんどいなぁと思います。



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サンバ2号・顛末

・・・

先日書きました自転車「サンバ2号」の顛末でございます。
(「さらばサンバ2号」http://blogs.yahoo.co.jp/enzanmahou/18947461.html

ウチの自転車3台(家族1台ずつね)は、格子戸と玄関扉の間のなんと呼ぶのかわからない屋根付きのスペース(三和土(たたき)?。いや、それは玄関扉の中かしら)に並べて置いています。
3台が限界で、これ以上置くと人の出入りができません。

そんなわけで、新顔のサンバ3号に追いやられるように2号は中庭の庇の下に出されていました。

何回かお世話になっている、金物中心の廃品回収のおじさんに引き渡すつもりで、待っていたのです。

それが、気にしていない時はやけに頻繁に来られているような気がしていましたのに、待っていると来られないのですね。

わざわざ電話してまでと言うのも気が引けますので、家にいる時にはいつも耳を澄ませながら待ちましたが、来られません。

それで、しかたなく月に一度の大型ゴミ・不燃ゴミの日に、指定の場所に出すことにしました。

市から配布されている「ゴミ出しの手引き」に従って「ゴミ」と書いた紙をハンドルのところにペタンと貼り付けたのですが、それがなんとも可哀想で、指定場所まで押していく短い距離がドナドナみたいで泣きそうでした。

ゴミとして出し終わって、1〜2時間してから仕事のためにサンバ3号で出かけて、ゴミ収集所を通りがかりました。

なんだか辛いなぁ、と思いながら。

すると、他の不燃物はまだそのままありますのに、サンバ2号だけが消えていたのです。

!!

まだ、回収には来られていないのは明らかです。

ひょっとしたら、「まだナントカすれば乗れる」と思われた方が持っていかれたのでしょうか?。

市の回収に先んじて自営の回収業者が持っていったとも考えられますが、もしそうなら他の金物も持っていきそうなものです。

サンバ2号を、あの状態からまた普通に乗れるように修理・整備するのは並大抵のことではないと思いますが、そのへんに自信のある方が持っていかれたのだとしたら、この上なく嬉しい話です。

でも、ひょっとしたら「なんだ、やっぱりダメじゃん」と、そのへんにうっちゃられたりしたら・・・と思うと、さらに胸が痛みます。

なんとなく、中途半端で、最後を見届けてあげられなかったというモヤモヤしたものが残ります。

どこかで、もしかしたらまた誰かの足として活躍しているかもしれないという温かい期待と、どこかで寂しく野ざらしになって朽ちていくのかもしれないという切ない気持ちが同じくらいにあって、まるで猫が失踪した時のような落ち着かない感じです。


モノに感情移入してしまうというのは、しんどいものですね。


サンバ2号、ありがとう。

でも、もう、どんな姿であったとしても、もう私はキミに会いたくないです。
感謝だけを胸にとどめて、もうキミのこと忘れてしまうけど、許してね。


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無難なもてなし料理

・・・

an71pmさんのブログで、「外国人にかぎらず、友人を気楽にもてなす家庭料理はカレーでしょ。きっと。」とお書きになっているのを読んで、思い出したことがあります。(anさんありがとう。)


まだ私が1人暮らしでOLをやっていた頃のこと。

その当時、学生だった妹Bは、私と同じ沿線の都心寄りに住んでおりました。
後々アフリカで何年もボランティアをすることになる妹Bは、今から思えばその頃すでに、客観的にはワケのわからないような(端的に言えば怪しい)多国籍組織のようなものにあちこち首をつっこんでいたように思います。

私と妹Bが2人で旅したのはベトナムとミャンマーだけですが、妹は友人とイラクだかイランだか、何に巻き込まれても文句言えないような国に出かけたりもしていまして、交友関係も広かったようです。


そんな妹が、ある休日の朝に電話をしてきました。

「あ、モク姉ちゃん?。あんね、今日、もしヒマやったらそっちに知り合いを1人連れて行きたいんやけど。」

「・・・別に何の予定もないけど、なんでわざわざ?」

「んーーー。・・実はな、私も困ってんねん。」

「困る?。」

「連れて行くゆうた人、友だちの知り合いやから、私もよぉ知らんのよ。」

「・・・・」

「でね、その人、男の人やねんけど、カンボジア人やねん。」

「カンボジアぁ?!」

「うん。そんでね、日本語も英語もちゃんとしゃべれへんみたい。」

・・・・・・・・

どうも、妹Bの友だちの知り合いのカンボジアの青年というのは、日本に何かの勉強に来てるそうなのですが、来日して日が浅く右も左もわからないそうで、アテにしていた友人は長期で出かけざるを得なくて、「とりあえず今日一日でいいから相手してやって」という依頼が廻り廻って妹Bのところにきたということのようでした。

うへぇぇ。

そんで私のところに一緒に来るって、どうなのよ。

「ひょっとして、昼ごはんとかは?」

「そっちで食べたいんやけど・・・何でもいいから。何でも食べるらしいし・・・。たのむわぁ〜ごめーん。」

・・・・・・・

断れる空気じゃないし。


さて、困っただがね。何でもいい、と言われてはいはいとなんでも用意できるならいいんですが、自慢じゃないけどワタクシ料理は得意分野じゃないんですよ。

すぐ作れるものといって思いつくのは「○○丼」とかですけど、知らない外国人と3人で丼飯食べる図、というのはどうにも盛り上がらないです彡(-_-;)彡ヒューヒュー。

考えた末・・・・・お好み焼きにしました。

その上、私だけでは間がもたない気がして、気のいい男ともだちを1人呼ぶことに。


お好み焼きの具材を何にしたかまではよく憶えてませんが、とにかく賑やかしい方がいいだろうって、なんでもかんでも「お好み焼き屋のメニュー」にありそうなものを買ってきたような気がします。

妹Bの連れてきたカンボシア人の青年は、中肉中背で、まぁあまりぱっとした風采ではなかったですけど、人のよさそうな柔和な人でした。私が逆の立場だったらおそらく挙動不審になるところなんですが、やけにどーんと落ち着いて、ニコニコしながらお好み焼き、お食べになられてました。

お好み焼きはインターナショナルに美味しいのよ、きっとv。

あ、今思いついたのだけど、タバスコとかぶっかけて辛味をつけたほうが東南アジアっぽくて、もっと気に入ってもらえたかしら・・・。


お好み焼きを食べきった後。

妹がわざわざ持ってきた「トランプ」をしました。

気が利くぞ、妹!・・・って、私が感謝することじゃないんだけど。

たしか、この時は「大貧民」をやりました。

カンボジアのひと、ルールの飲み込みが早くて助かるわぁ。


めったに会わない年の離れた姉妹と、どちらの知り合いでもないカンボジアのひと、それに全く関係の無い男ともだちと4人で、大いに盛り上がりました。

なんというか、つとめて「客観的に眺める」ことを避けて時間をすごしていたような気がします。


あの時のカンボジアのひと、今ではええおっさんな歳になられてるはずですが、どうされているのかはもちろん知りません。
今でも「大貧民」のルール覚えていて、子供に教えてたりされてたら面白いなぁ。

日本で食べた「オコノミヤキ」、実のところどう思われたのか、言葉が通じないから聞けてないんですけど、「また食べたいな」と思い出してもらえてたりしたら、すごく嬉しいです。
あれは、出汁ととろろ芋が大事なのよ(うふふ)。



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さらばサンバ2号

・・・

職場に乗って行っていたサンバ初号機は1年あまりで盗まれてしまって、それ以来ずっと2号機に乗ってました。

2号機を買ったのは、10年以上も前です。

当時すでにマウンテンバイクは普通にありましたけど、ママチャリで変速機付きというのはそう多くなくて、でも坂道が多いから変速機付きがよくて、探したらすごく高かったんです。
でも一目で気に入ってしまった、変速機付きで銀色の自転車を買いました。

その後1年足らずで妊娠がわかって、しかも切迫流産で薬も飲んでいたのですが、バスに乗るとつわりで吐きそうになるから、しばらくは(内緒で)その自転車で通勤しました。(婦長さんと主治医にバレてえらい叱られました・・・。)

娘は二歳半から保育園に行き始めました。その送り迎えも、ものすごい雨の日以外は全部2号機でやりました。初めは前に付ける補助椅子、少し大きくなってからは後部に取り付けた補助椅子に娘を乗せて。

娘がだんだん大きく、重くなっていくのも、2号機はずっと一緒に感じてくれてたかなぁ、と思います。

お休みの日に公園に行くのも買い物も、みんな2号機と一緒でした。


私、自動車の運転もしますが自転車で動くのが好きなんですね。(一方通行も関係ないし駐車場の心配もいらないというのが大きいんですけど。)
だから、もし自転車に距離メーターが付いていたら、かなりとんでもない距離を走ってると思います。


娘が学校に上がってからは、さすがに娘を乗せることはほとんどなくなりました。

でも、そのかわり、2号機の横や後ろを娘が自転車で併走することが多くなって。

その娘の自転車は、16インチ、18インチ、20インチと、数年ごとに大きな新しいものと代替わりするのに、私の2号機はそれを見守りながらずっとそのままで、あたりまえですが、どんどん錆びてくたびれていきました。

大事な「足」ですから、定期点検は頻繁にやりました。パンクも何度も修理しました。アレが壊れて交換、こっちも不具合で交換・・・と、たぶんもう一台ゆうに買えるくらいのお金をつかって延命をはかってきました。

・・・でも、実は半年くらい前から、鍵も閉まらないし、ギアのチェンジもできなくなっていたのです。

この半月くらいは、3〜4回こぐごとにガシャン、ガシャンと音をたてるようになり、先日転倒した際にはライトを点ける仕組みがおかしくなって、ライトを点けていないのに常に発電モードみたいなゴーという音が鳴りっぱなしになりました。

・・・さすがに、もう寿命かな。

このままでは仕事にさしつかえるので、とうとう観念して新しい自転車を買いました。

サンバ3号です(笑)。

2号機が3段だったのが、今度は6段変速機付きです。2号機と同じ「シマノ」の部品が使われています。
それで2号機の半額くらいでしたから、変速機付きママチャリも一般的になったんですね、きっと。

2号機と同じ銀色がよかったけど、売り切れていて、3号機は黒です。
なんか、強そうです(ふふ)。

後部に荷台をつけてもらって、荷物カゴとして使える限りは・・・と、幼い娘が乗っていた後部座席を自分ではずして取り付けました。ピカピカの車体にボロボロの荷物カゴはちょっと可哀そうな気もしましたが、なんとなく「うんうん、これでこそサンバ号らしい」とか勝手に決め付けて。

サンバ3号とも、末永いお付き合いがしたいです。
訪問サンバの足としてはもちろん、サンバ2号機がそうだったように、これから思春期に突入していく娘を見守ってくれるといいな。


サンバ2号、長いことありがとう。


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