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なめこを消すパズルをやりながら、ラジオで放送大学を聴いてました。
やってた講義は「市民社会と法」。その中の、「正当防衛と緊急避難」って話でした。
パズルってのは、仕事や家事で疲れた頭をからっぽにしたいというか、余計なこと考えないで時間を過ごしたい時にやるもんであって、それやりながら「へーへー」な知識をあわよくば取り込もうなんて、邪道なんですけどね。
もちろん、それほど真面目に聴いてたわけではなくて、前半で何言われてたかなんてサッパリ。
途中からすごく気になって、メモまで取り始めたのだけど、何がナンやら。ああ、残念。
以下、講義で気になった話です。
50年くらい前の、アメリカでのこと。
青年4人だったか5人だったかで、登山をしていたところ、遭難してしまいます。
無線で救助を要請していたけど、いろいろな条件のせいで、すぐには救助に向かえないらしいことがわかります。
そのうち無線も不通になり、結局10日もたってから救助されたらしいのですが、救助されたのは、本来いたはずのメンバーより1人少なかったのです。
もう1人はどうなったのか。
無為に救助を待っても、全員死んでしまう確率が非常に高いということは分っていました。
食料が無いのですから。
それで、ウェットモアという青年が、一つの提案をしたのだそうです。
「くじ引きで1人を選んで、選ばれたヤツを殺し、その肉を食べれば全体としての生存確率は上がるんじゃないか?」と。
その提案は全員に受け入れられ、犠牲者はサイコロで決めることになりました。
採択されたものの、ウェットモアはやっぱり怖くなって「やめよう」と言ったそうなのですが、もう決めたことだから、とウェットモアの分のサイコロも他の青年が振り、その結果ウェットモアが犠牲になることが決定。
彼を殺害して、その肉を食べることで他のメンバーは生き残ったのだそうです。
救助後その事実が明るみになり、生き残ったメンバーは、全員殺人罪で起訴されました。
最高裁での、検察側の求刑は死刑。陪審員の意見は分れ、結審は裁判官に委ねられましたが、裁判官は「この件については、大統領の恩赦が適当かもしれない」というようなことを述べて、その決定権を放棄します。
この講義のキモはこの先です。
裁判官が放棄したこの件に関して、1人の陪審員が述べたことがクローズアップされています。
「死刑を求刑するのは、この国の刑法に基づいてのことに他ならないが、そもそも法とは、民衆が日常を日常として暮らす上で守り、守られるべきものであって、非常時においてはその役をなさないこともある。非常時において従うべきは、人が作った刑法ではなく、その場にいる者同士での合理的な判断、自然法ともいうべき超法規的な法であってしかるべきである。また、この件については、死刑を求刑・実行することで、今後一般社会で起こりうる殺人の抑止力にはなりえない。したがって、死刑の求刑は妥当ではないと言わざるを得ない。」
一度聴いただけで、テキストもなく、メモも追いつかなかったので言い回しやニュアンスは多少違うと思いますが、だいたいそのような内容でした。私は「なるほど」と思ったし、もしこの陪審員とともに裁判に関わったら、その意見に引っ張られて無罪を主張したかもしれません。
この裁判においては、結局、陪審員の多数決により、被告ら全員が死刑になったそうです。
刑法の犯罪構成要件にあたる行為をした場合でも、それが緊急やむを得ないと認められるときは、刑法上「違法性」がないとされ、無罪になります。正当防衛にしろ、緊急避難にしろ、問題はどこで線引きをするかなのですね。何がやむを得ないのか、何が犯罪なのか。
それはあまりにも難しすぎて、それぞれの事件に対してどう判断するのが妥当かを模索していくしかないのでしょう。
生き延びようとすること・人を殺すこと・死刑の判決を下すこと、それぞれがラジオを聴きながら胸に迫ってきて・・・どうしていいのかわからないので、ブログに書いてみました。
読んでくださってありがとう。
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